第14章
ロルカ・クォネスカはその後もまったく回復の兆しを見せることはなかった。アルダンとダンカン、それにノーマンとコリンとニディアとは、交替で彼の様子を見守りつつ、ひたすら医務官であるギベルネス・リジェッロの帰還を待ち詫びた。
無論、AI<クレオパトラ>が二十四時間体制で医療カプセル及びメディカルルーム全般の管理も行なっているのであるから、ロルカの傍らに人など誰もおらずとも、少しでも異変があればクルー全員に通知がされるよう設定するのは簡単である。だが、他でもない性被害者であるニディアが、責任を感じてロルカのそばを離れようとしないため、「それなら……」ということで、彼らは交替でロルカのことを見守ることにしたのだった。
ところが、衛星によって惑星シェイクスピアの隅々までを監視することまで出来ている彼らが――突然、ギベルネスの姿を消失したのである。それは惑星シェイクスピアの現地時刻としては、ヴィンゲン寺院の第二神殿に三女神たちが顕現した時間帯と一致する。その頃、宇宙船のメインブリッジでは、ギベルネスが砂漠の城砦跡にてそろそろ眠るらしいのを確認し……彼がテントで休む間、周囲に何か危険なことが潜んではいないかと、ノーマンが引き続き監視を続けているところだった。
だがこの前日、ノーマンはロルカの傍らで彼が専門とする宇宙物理学の論文を書き上げ――さらにはそのあと、眠る前のお楽しみとして、VR世界にて三人の美女を相手に精魂尽きるまでセックスしていたのがいけなかったのかもしれない。ギベルネスが眠るテントの周囲をチェックするうち、脳が強い催眠暗示に襲われ、彼は船長席でぐっすり寝てしまっていたわけである。
次にノーマンが目を覚ました時、あたりは計器パネルが放つ、黄や緑やオレンジの微光以外、まったく暗くなっていた。この時ノーマンは寝ぼけていたせいもあり、自分が広大な宇宙に投げ出されてでもいるように錯覚していたほどである。とはいえ、次の瞬間にはビクンと体が震え、船長席からずり落ちそうになったことで――彼は初めて現実をはっきり認識したわけであった。
「ク、クレオパ、一体どうしたんだい!?」
いつもなら、『何かご用でしょうか?』とでも、返事があるところである。ところが、どこからもなんの返答もない。
「クレオパ、いいやっ、クレオパトラ、何はともあれ、まずはブリッジの照明をつけてくれっ!!」
計器のパネル類が光源を放っていることから、船内のどこかで故障が起き、エネルギー源が完全に落ちたわけでないことははっきりしている……だが、AIクレオパトラからはなんの返答もなかった。個人宅のAIの場合、主人の好みによって『時々へそを曲げる』など、より人間らしさを出すため、設定することも可能だったが――そもそもこの宇宙船<カエサル>には、そんな設定自体存在していない。
「……ダメか。そうだな。まずはスクリーンを復旧させるとするか。そうすれば、船内の様子もチェックすることが出来るし……」
誰にともなくブツブツ呟きながら、ノーマンが手動によってスクリーンのスイッチを入れようとした時のことだった。何度繰り返しスイッチをカチカチ押しても、一向なんの変化も周囲には起こらない。
「やれやれ。一体どうなってる……」
そこでノーマンは、ブリッジから通路へ出るための自動扉の近くまで行き、まずは照明をつけることにした。すぐにパッとブリッジ全体が明るくなると、彼は心底ほっとした。だが、スクリーンのほうはまだ死んだままであり、ノーマンは暫くあちこち探りチェックしたのち、「チッ」と舌打ちした。
「こりゃ、システム全体を一度再起動する必要があるな。何故そうなったかの原因探しはそのあとだ」
ここでノーマンは少しばかり迷った。自分がついうっかり居眠りしてしまった間に何ごとかが起きたのは明白である。おそらくアルダンもダンカンも、自分たちのどちらかのほうがよほどリーダーとして相応しいとばかり、責め立ててくるだろう。だが、なんらかの理由によってシステムがダウンした場合――緊急時を除き、クルー全員の承諾が必要となるのであった。
無論この場合、メインブリッジの再起動が必要なのは明白なことではあった。だが、場合によってはノーマンの独断によって再起動レバーを使用したことにより、他のクルーたちが使用している電子実験器具、記録データその他が突然消え飛ぶ可能性というのが間違いなくあったわけである。
(俺だって、惑星シェイクスピアを取り囲む惑星の、3D実験データが突然すべて消えたりしたら……当然アッタマに来るだろうからな。というか、そんな奴とは金輪際一生口も聞きたくないとすら思うかもしれん。しかも、アルダンもダンカンも間違いなくそのタイプだ。ということは、だ。自分の居眠りという罪を隠すため、再起動してもいいかどうかと確認せずに、そんなことはしないほうがいいということになる……)
それに、「何故突然全システムの再起動を、誰になんの断りもなしにしたのだ」と問い詰められた場合――ノーマンはうまく言い逃れられる術を持たなかった。そこで(やはり、人間正直なのが一番だ)と溜息とともに考え、クルーたちの部屋を順に訪ねることに決めたわけである。
「ああ、そうだ。まずはコリンの部屋を訪ねて、彼に味方になってもらおうと思ったが、そういえばロルカはどうしたろう。メディカルルームは緊急時には非常用電源に切り換わるから、突然酸素が止まったりだなんだ、そうした問題は一切ないはずだが……」
ノーマンはそんな独り言を呟きつつ、携帯用光源によって周囲を照らしつつ、メインブリッジから暗い廊下を歩いていった。こちらも非常用照明として、微かに一部の壁が細長い光を発してはいるものの、いつも通り明るくするためには手動で照明スイッチを入れる必要があった。
だが、ノーマンは宇宙船全体のエネルギーの総消費量が一時的に許容量を越えたからシステムがダウンした可能性もあると考え、順番に廊下の照明を点けるようなことはしなかったのである。無論、そうしたところで大してエネルギーを消費したりはしない。全体の1%にも満たない程度であったろう。けれど、ノーマンはどちらかというといちいち区画ごとに手動でそんなことをするのが面倒だったのである(普段はクレオパトラに命じれば良いだけなのだが、手動で照明スイッチを押すには一度パネルを外さねばならなかった)。
「たぶん大丈夫とは思うが、先にロルカの様子を見てくるか。ええと、今の時間帯はダンカンの当番だったっけ?もしかしたら、彼の様子を見ながら暇つぶしにゲームでもしているかもしれないな」
ノーマンもアルダンもダンカンもコリンも、ロルカの身に起きたことを運の悪い非常な不幸と考え、(こんな奴、自業自得だ)とまでは考えていなかった。とはいえ、自分の身内というわけでもないのに、その傍らで様子を見守り、ただ時間を浪費するのは苦痛だった。そこで、ラボを使わずとも出来る仕事をしたり、あとは本を読んだりゲームをしたりプラネットテレビを見ていたりと……最初のショック段階を通り越してしまうと、そんなふうになるのは比較的早かったものである。
だが、もしかしたらノーマン・フェルクスはこの時点で、何かの選択を誤っていたのかもしれない。いや、そもそも彼がもっと図々しいタイプの不正直なずるい人間で、『再起動?一体なんのことだい』とでもシラを切り通すことの出来る性格だったとしたら――彼は死なずにすんだ可能性がもう少しくらいは高かったに違いない。
ノーマンはメディカルルームへ辿り着くと、扉のロックを解除して中へ入った。中のほうは、メインブリッジや通路がそうであったように、必要最低限のみの光源だけ残っているといった状態でなく、コンピューターのメディカルシステム自体が完全に生きていた。
そのことが入室と同時にすぐわかり、ノーマンは心からほっとする。もっとも、クルーのうち、誰もそう口にする者はなかったが、(ロルカはいっそのこと死んでしまったほうが、意識も確認できない今の状態よりよほど幸福なのではないか)とは、ノーマンにしてもまったく思わないと言えば嘘になる。
「まあ、なんにしても良かったよ、ロルカ。何が原因でメインシステムが落ちたのか、その理由がはっきりしないうちに医療カプセルの電源まで切れでもしたら……俺にしても寝覚めが悪いものな」
相変わらず両の瞳をカッと見開いた恐ろしい形相のまま、ロルカはカプセル内に横たわったままでいる。もし仮にロルカがこのままの状態であっても、本星エフェメラにある最新式の医療カプセルであれば――ロルカは意識を回復させることが出来る可能性のあることから、おそらく彼は最終的にクルーの中で一早くここ宇宙船<カエサル>より離脱することになるかもしれない。
「ある意味、それで無事意識が回復したというあとであれば……保険金のほうもたんまり出るし、こんなところで残り五十年も時間を浪費しなくて済んでむしろハッピーだったということになるのかな。だが、同じクルーの女性をレイプしようとしたって件に関しては裁きを受けなきゃならんだろうし……やれやれ。ロルカ、君のことは人間として嫌いというわけじゃなかったが、俺も監督不行き届きだってことで、弁明したりなんだり、色々面倒くさい手続きやらなんやら色々あるんだぜ」
ロルカの健康状態が、以前となんら変わりないらしいと確認すると、ノーマンは(やはりなるべく早く再起動する必要があるな)と考えた。今、ここのメディカルルームはAI<クレオパトラ>の管理下にない。ただ、準医療補助モードにより、生命維持装置及び治療装置のほうはなんの問題もなく働くとはいえ――もし仮に、より積極的な治療が必要になった場合には、本来であれば傍らに人間の医師がいてあるゆる可能性について精査し、判断・選択を下す必要が出てくるだろう。だが、今ここにはAI<クレオパトラ>に代われる船医がひとりもいないのだ。
「よし、それじゃあ次はまず、コリンのところへ行くか。彼に事情を説明して、出来れば俺の味方をしてもらおう。アルダンとダンカンは俺の責任について色々うるさく追求してくるかもしれないが……ん?」
この時、ノーマンは医療カプセルの反対側へ回ろうとして、自分の足が何かを蹴ったことに気づいた。そしてそれが、某有名メーカーのスニーカーを履いた足であるとわかる。
「ヒッ、ヒイぃぃぃィっッ!!」
ノーマンはその場で腰を抜かした。何故ならそこには、胴から切り離された首とふたつの腕、それに足が存在していたからだ。
『スニーカー?まだそんな年代物のダサい靴を履いてる奴がいるとはな』
『はははっ。そう言うなよ、アルダン。これもちょっとしたクラシックなオシャレというやつさ』
『クラシックなオシャレねえ』
食堂でアルダンとダンカンがそんな会話をしていたのを、ノーマンは覚えている。ゆえに、顔の真ん中あたりにも一発食らったらしくとも、残る体の特徴から見て……この肉塊がダンカン・ノリスであることはほぼ間違いなかった。
(レ、レーザー銃……いや、違う。原子破壊銃でまずは腕を撃たれたのか?だって、そうだろう。顔の真ん中に最初に命中したのであれば、腕や足まで撃つ必要はないわけだからな……)
震える体をどうにか立ち上がらせようとした次の瞬間、ノーマンは床に「おえっ」と吐いた。アンドロイド・コックの作ってくれたピザの切れ端が、まだ消化しきってない形で胃から出てくる。
そして、ノーマンが恐怖と気分の悪さから、そのまま蹲ったままでいると――メディカルルームのドアがシュッと開く音がした。ノーマンはギクリとして顔を上げた。そして、全身の筋肉が安心から弛緩してゆくのを感じる。
「ニディア、君か……」
今のこの状況を説明するには、ノーマンはあまりにも精神的に打ちのめされていた。彼はやはり善良な性格をしていたのだろう。現在のこの状況を想定した場合、おそらく思考機械であるAIが計算したのでなくとも、『宇宙船内<カエサル>には殺人者がいる』と推測するまでにそう時間はかかるまい。となると、残りは消去法からいって、アヴァン・ドゥ・アルダンか、コリン・デイヴィスか、ニディア・フォル二カの三人しかいないわけだ。にも関わらず、彼は自分に好意を持っていると思しき女性を疑うことをしなかったのである。
「見ないほうがいい。顔に穴が開いて識別不能とはいえ、体つきや着ているものから見て、これはダンカン・ノリスだ。もしかしたら、外部から侵入者でもあったのかもしれない。ということは、これはすでに緊急事態ということになるから、俺は君たちから許可を取らずとも、全システムを再起動できる権利があるということに……」
ノーマンは動揺するあまり、自分でも何を口走っているか、よくわからなくなってきた。だが、『全システムを再起動』と聞き、(こいつもすぐ殺したほうがいいな)と即断したにも関わらず、二ディアは内心ではニヤリと笑いつつ、か弱い女の演技を続けた。
「外部から侵入者だなんて……そんなアラートでも鳴ったってこと?それで、そいつが船内システムに侵入してダンカンを殺したってことなのかしら?」
「わからない。だが、今この宇宙船<カエサル>に残っているのはおそらく、他に俺とアルダンとコリンの四人だけってことになるだろう?ロルカも数に入れてもいいが、何分彼は今こんな状態だし……」
「そうね。クソの役にも立たないつまらない男よ」
こんな緊急事態でなかったら、ノーマンにしてもおそらく、(そこまで言うのは流石にひどいんじゃないか)などと、苦笑いして終わらせていたかもしれない。だが、この時彼はついこの間自分に迫ってきた女性の何かがおかしいと、初めて気づいたのであった。
「二、二ディア、君……」
「だって、そうじゃない?生きてるんだか死んでるんだかわかんないこんな状況、本人もつらいし、周囲の人間だって迷惑よ。ダンカンはね、『そろそろ交替しましょう』って言った時、暫く残ってわたしとふたりでなんか色々話したがったの。彼、今は中性体でしょ?でも最初の人生では男のDNAを持って生まれてきたのね。そのせいかしら、ロルカがどんなふうにわたしをレイプしようとしたのか知りたかったみたい。実はわたしのほうから誘うか、そんなふうにロルカが勘違いするようなサインを送ったから、『彼も君をものに出来ると思っちまったんじゃないのかい?』だの、くっだらない退屈な話をしてたわ。だから、わたし言ってやったの。『ロルカはわたしをレイプしようとしたんじゃない。殺そうとしてきたのよ』って。そしたらダンカンの奴、好奇心を剥き出しにしたような顔でこっちを見てきたわ。まるで、その話を全部聞く権利が自分にはある、とでも言いたげにね。それで、まずは原子銃で右腕を撃ってやったの。次に左腕。見た目は残酷だけど、原子銃って実はそんなに痛くないのよ。ううん、違った。撃たれた瞬間は最初何が起きたのかよくわかんない。そのあと自分の床に落ちてる腕を見て、痛みが襲ってくるのよ。で、痛みとともに何が起きたのかがはっきりわかる。ダンカンの奴、『二ディア、どうして』って最後に聞いてきたわ。でもわたし、その顔見て満足だった。真実を最後まで知ることのない欲求不満のままこいつを死なせることが出来て、ああスッキリっていう何かそんな感じよ」
「二、二、二ディア……」
ノーマンはガクガク震えはじめた。恐怖のあまり立っていられなくなり、医療カプセルに縋りつくと、そこでは両目をカッ開いたロルカ・クォネスカがこちらをじっと見ている。
「ど、どど、どうして……」
(ついこの間、君は俺に――)そう言いかけて、ノーマンはそれ以上舌をうまく動かすことが出来なかった。どてっと、自分が吐いたものの上に不本意ながらも腰を下ろすことになる。ゲロがケツに染みた。
「どうしてですって?」
二ディアは手のひらサイズの、見た目は小さいながら、威力は抜群のエネルギー銃をノーマンに向け、嫣然と微笑んだ。
「あなたはダンカンよりも下卑たところがなくって、人間としても善良だった。だから、理由くらいは教えてあげてもいいかもしれないわね。それは、あなたもダンカンも結局のところ地球発祥型人類に過ぎないからなのよ」
「まま、ママ、待って………っ!!」
ノーマンは必死にもがいて後ずさりしようとした。
「さようなら、ノーマン・フェルクス。我らが人の好い善良な船長」
次の瞬間、二ディアはなんのためらいもなく弾き金を引いた。おそらくノーマンはダンカンとは違い、苦しみも何もなく瞬時に息を引き取っていたことだろう。何故なら二ディアはそのためにこそ、ノーマンの心臓の真ん中を狙って撃ったのだから……。
「やれやれ。あとは残りふたり、アヴァン・ドゥ・アルダンとコリン・デイヴィスか。ロルカ、ありがたく思いなさいよ。心優しい温情から、わたしがあえてあんたの医療カプセルの電源を抜かないことをね」
二ディアはメディカルルームの外へ出ると、入室するために必要なパスワードを変えようしてやめた。このふたつの死体を前に「まあ、怖いわ。一体誰がこんなことをしたのかしら?」などと演技する手間を省くためだったが、おそらくそこまでの配慮をする必要もなく事は終わるに違いない。
(この緊急事態に際して、普通まず真っ先に向かうとしたら、それは絶対メインブリッジよ。でも、わざわざノーマンがこちらまでやって来たということは……向こうには今誰もいないってこと?)
二ディアは瞬時にして広い船内図を頭の中に思い描き、(まあ、入れ違いになったっていう可能性もあるわね)と、そう判断した。それから、こう考える。(もしも自分が人間なら……まずこういう時、どう行動するかしらね)ということを。
>>続く。




