表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/68

第12章

(やれやれ、困ったな……)


 ヴィンゲン寺院に辿り着くなり、ギベルネスは非常な歓待を受けた。また、「ある人物」に顔が似ていることから、僧たちが失礼なくらいじろじろ見つめてくるかもしれないが、そうしたことなのだと思ってお気になさらぬよう……とも、岩室に入る前から注意されてもいた。


 そして、実際にギベルネスとタイスとディオルグの三人が僧院のほうへ到着する、そのずっと手前のほうで――いつ二人が戻ってくるかと見張りまでしていた数人の僧が、帰ってきたのが二人でなく三人であることがわかるなり、興奮したように走って近づいてきたのである。その後、彼らひとりひとりの顔に驚愕の色が走った。その中のひとりなどは、ディオルグと同じように「ユリウスさま……ッ!!」と口走っていたほどである。


 鈍いギベルネスも、その頃には流石に何かを悟るところがあったと言える。ディオルグもまた、まったく同じその名を呟いていたのだし、近寄ってきた七名もの僧が、「この方こそ三女神の予言したギベルネ様だ」とタイスが言うのを聞くなり、まるで雷にでも打たれたように同じ表情によって互いの顔を見渡したものだ。


「こ、このお方が……」


「三女神さまの予言は本当だった!!」


「それだけじゃない。この方はどこからどう見ても……」


「いいや、こうしちゃおれんっ!!まずはこのこと、大老や長老らに早速お知らせしなければっ!!」


 急使として岩室へ走っていったのは、三名の僧侶たちだった。残り四名の僧らは、なおも興奮したように「よくぞお越しくださいました!!」と挨拶したり、「これから向かう僧院は、むさくるしいところでございますが、何卒ギベルネ様におかれましては、御自身の家と同様にお寛ぎいただきたく……」と、恭しく頭を垂れたりと、一度目を離したら彼が霧か霞のように消えてなくなるのを恐れるように、<神の人>の乗るルパルカからとにかく離れようとしなかった。


 こうして、ヴィンゲン寺院の岩室の前でギベルネスが降りようかという時には、彼が女性でもあるかのように手を貸し、<神の人>の乗っていたルパルカの世話を誰がするかということによっても――彼らはあわや取っ組み合いの喧嘩をする寸前だった。


「こらこら、おまえたち」


(しょうがないな)と思い、ディオルグはウォッホンと一度咳払いすると、長老らしくまだ若い僧らを叱った。


「ギベルネさまの目の前で、そのような見苦しいところを見せるでない。ヴィンゲン寺院は品位のない若い僧たちで溢れていると、ギベルネさまに誤解されてもいいのか」


「は、はいっ……すみません、ディオルグ長老」


 僧たちは恐縮したように小さくなっていたが、それでも当の彼らの信じるギベルネが、タイスとともに岩室の入口のほうへ向かうと――やはり小声でこう呟かずにおれなかったようである。


「でも……ほんとそっくりですよね、死んだユリウスさまに」


「そうだよな!俺なんか、てっきり亡くなったユリウスさまが再び甦って来られたのかと……」


 それからふたりは、不謹慎な物言いを反省するように再び下を向いた。


「いや、おまえたちの気持ちはわしにもよくわかる。何分、わし自身がギベルネさまと最初に出会った時、おまえたちとまったく同じことを思ったのだからな。我々のこの手で丁重に葬ったはずのユリウスが、墓から甦ってきたのでないかということまで一瞬脳裏をよぎったほどだ。だが、今ではこう思う。なんという恐るべき天の配慮かとな」


 ホレイショとキャシアスは、ディオルグのその一言ですべてを悟ったようだった。


「やはりそうなのですね……っ!三女神さまの<託宣>はやっぱり本当だったんだ」と、キャシアス。


「あの日の夜のことは、今も忘れられません」と、腕のあたりをこすりながらホレイショ。「俺は幽霊や亡霊といった類はあまり信じませんが、岩室にいる僧のすべてがまったく同じ畏怖に打たれるという経験をしたのですから。となると、ハムレットが次の王様になるってことかあ。すごいなあ」


 キャシアスはハムレットと同年代、ホレイショはそれより少し年上であったが、次の王になるのが何故自分たちではなくハムレットなのだろう……といったようには思い浮かびもしないらしい。ヴィンゲン寺院へは、大抵の場合口減らしとしてやって来る子供が多いのだが、さらにそれ以上に多いのが、砂漠へただ捨てられるか、あるいは宗教祭儀ののち、ミームの怒りをとくための食糧とされる子供たちである。ゆえに、まだホレイショもキャシアスもそうした町や村に住む人々の穢れといったものを一切知らずにいた。


(ふたりとも、ハムレットとはほとんど兄弟のようにして育ったわけだが……このままこの僧院で暮らすことになんの疑問も持っていない。だが、果たしてハムレットは王都での暮らしがどんなものかを知った時、まだなんの穢れも知らぬ精神の持ち主である彼が、その真実に耐えられるものなのかどうか……)


 無論、ディオルグにはわかっていた。そのためにこそ、自分やユリウスが教えを残した者たちがハムレットを支えねばならぬということは。しかも、『いずれハムレットが王位に就く』との三女神の託宣があったのみならず、その女神たちの予言通り、ギベルネという男まで確かに存在していたのだから。


 ディオルグはこの時、ホレイショとキャシアスがギベルネの乗ったルパルカを丁寧に世話してエサを与えるのを見ながら――ほんのつい先日、三女神たちが第二神殿に姿を現した時のことを思いだし、ゾクリとするような寒気を再び覚えた。


 元は<東王朝>の王州コーディリアにて、時の将軍ショルグ・オイゲンハーディンの息子として生まれたディオルグは、ヴィンゲン寺院で奉られている星神・星母に対し本当の意味で強い信仰心を持っていたわけではない。だが、<東王朝>では<西王朝>以上に、それこそ星の数ほども多くの神々が存在しており、どの神を信仰するかは人間のほうで選べるのである。たとえば、鍛冶屋の息子に生まれれば、当然鍛冶の神へクトールを、馬蹄具稼業の家に生まれれば、蹄鉄の神へリンズィアを、皮なめし職人の家に生まれたとすれば、家族の全員が皮なめし職人を守護する神、ゾアックを信仰するといったように……そのように自分で信仰する神を「選べる」といった時点で、貴族の将軍家に生まれ、<東王朝>の王室への出入りもあったディオルグは、高等教育を受けたせいもあり、それらすべてを「真実の神」でないとして、心の中で捨て去っていたものである。


 かといって、<東王朝>の者でも<西王朝>の者でも、真実信仰のある者は受け容れるとするヴィンゲン寺院へやむなく身を寄せたとはいえ、ディオルグは星母神ゴドゥノワに対して最初から深い信仰心があったというわけではないのだ。だが、そんな不信仰だった自分をディオルグは今では恥じていた。そして、今では「ハムレットが王位を継ぐのは間違いない」と強く信じることが出来るのも、神の顕現を実際にこの目で見、感じたからに他ならない。


(おお、我が友ユリウスよ。今この場にいて、ハムレットとともに<西王朝>の王都へ上るのがおまえでないのが残念だ。だが、三女神はおまえの代わりにおまえにそっくりの者を送ってきたぞ。この不思議な一致をなんと説明すればいい?今のわしの心には、ただひたすら神に対する畏れの気持ちが湧き上がるばかりだ)


 この時ディオルグは、ユリウスがハムレットのために残した大いなる遺産のことを思ってみても、身震いがした。今ごろ、タイスから事の経緯を説明され、ロンディーガ大老も他の長老らも、今の自分とまったく同じ思いを経験していることだろう。


 ギベルネという男の存在と、タイスの説明だけでも十分だろうとディオルグは思いもしたが、一応自分もタイスに口添えしたほうがいいだろうか……そんなふうに思いながら、ディオルグは岩室の入口のほうへ向かった。だがその前に、寺院の僧たちが眠る墓のある方角へ目をやり――(ユリウスよ、おまえの野望の達成される時がとうとうやって来たぞ!!)と、親友に対し、心から熱い思いで語りかけるのを、彼は決して忘れはしなかった。



   *   *   *   *   *   *   *



 その後、一日が過ぎ、二日が過ぎ……ギベルネスは自分がどうやらヴィンゲン寺院の僧たちの信じる<運命>から、自分は逃れられないのではないかと考えるまでに追い詰められていた。


 この寺院で一番位の高いロンディーガ大老よりも、さらに上座の席へ座らされることもさることながら、僧のひとりひとりが自分の一挙手一投足に注目しているとわかるなり――ギベルネスがまず真っ先に感じたのはとにかく、(この場から逃げたい)ということに他ならない。とりあえず彼は、ロンディーガ大老以下、八人の長老たちの揃った場にて、一通り話のほうは聞き、その骨子のほうは掴んでいた。


 今から約十四年前、<西王朝>の王族の侍医にして顧問官でもあったユリウスは、実弟の反逆にあった先王の息子ハムレットをその腕に抱え、命からがら王都テセウスから逃げだした。実弟クローディアスから耳に毒薬を流しこまれて死亡したというハムレットの父のむくろは、今は王墓にて眠りに就いているという。現国王であるクローディアスは邪悪な人間で悪政を敷いており、民衆は苦しんでいる。ユリウスはこの王侯貴族の圧政から民草を解放する希望の星として、ハムレットに幼き頃より帝王学を教えこんできた。そして、「このまま行けば王の器として申し分ない」とユリウスが認めるくらいに王子が成長した頃……ユリウスは「これもまた天命なれば」という言葉と、「私の命数は尽きようとしている。だが、私の遺志を継ぐ者たちがこの時代における最良の目撃者となるだろう」との言葉を残し、長の病いから解放され、彼の魂は今星雲となったということである(惑星シェイクスピアにおいては、死者の魂が天国のような場所へ行くことを「星雲へ昇っていく」と表現するらしい)。


 そして、つい先日、ここヴィンゲンにて信仰されている星々の女神から直接託宣があったというわけである。炎のように赤い女神の予言:「これからハムレットが<西王朝>の王位に就く」。闇のように蒼黒い髪の女神の予言:「その後、ハムレットの王位は子々孫々に至るまで千年続く」、緑の髪の女神の予言:「そして、そのためにはギベルネという男の力が絶対に必要だ」――神々の顕現に恐れおののいた彼らは、この女神たちに聞いたとおり、ルパルカに乗り砂漠の城砦跡までギベルネという男の存在を捜し求めてやって来た。ゆえに、ギベルネスが最初に出会ったタイスにしてもディオルグにしても、実際にそのような男(=自分)がいるのを発見するまでは、心に若干の疑念が残っていたという。


『ところがどうです、長老たちよ』と、ディオルグは<長老の間>にて、いつになく雄弁に語った。『そこには、名前をギベルネであると聞く前から驚くことには、ユリウスと瓜二つかというくらいそっくりな方が存在しておられたわけです。その瞬間、わしはこう思いましたよ、長老方……三女神たちも、なんと悪戯好きな方々だろうというのは少々罰当たりな言い方かもしれませんが、とにかくこれでハムレットの王座は間違いなく今後固く立つと、一瞬にして信じることが出来たのです』


『無論、確かに今後苦労はあろう』と、ロンディーガ大老は、白く長い顎髭に手をやりつつ、慎重に語った。『クローディアス王は残忍かつ狡猾なお方のようだからな。先王の息子が生きていたと聞いても、眉ひとつ動かすことなく兵を差し向けようとするのみならず、ハムレットのことを亡き者とすべく暗殺者を送ってくることじゃろう。わしも自分がもう三十歳ばかり若ければな……ハムレットのことを守るべく、この命を投げ出すことも厭うことはなかったことじゃろう。じゃが、何分この歳ではな。ハムレットにタイス、それにディオルグよ……ハムレットとタイスはそれぞれ、ディオルグから剣の稽古を受けてきたとはいえ、いくら腕に覚えがあるとて、万が一のことを考えるとすれば、じゃ。誰がともに行くのがいいかの』


『それであれば、ホレイショとキャシアスのふたりを連れていきましょう』ディオルグが円卓に腰かける長老たちを見回して言った。『わしが稽古をつけた者の中では、武芸においてはホレイショがもっとも有望かと。また、ローゼンクランツ公爵とギルデンスターン侯爵はともに、王宮時代よりユリウスと交流があり、正当なる王冠を手にする権利のある方がひとたび立ったと知れば……間違いなくこちらに協力してくださいましょうぞ』


 ローゼンクランツ公爵はハムレットの父エリオディアスの親戚筋に当たり、ギルデンスターン侯爵はエリオディアス王と親友だった男である。また、<西王朝>の国内としては、一番広い領地をローゼンクランツ公爵が、その次にギルデンスターン侯爵が持っていたことから――このふたりはクローディアス王にとっても無視できない大きな存在だったと言える。


『ではまず、ギルデンスターンの領地を目指すのか』思慮深い顔つきで、モルガン老が聞いた。ロンディーガ大老は現在七十七歳であったが、モルガン老はそれに次ぐ高齢で、御年七十三歳である。これは、惑星シェイクスピアの人々の平均寿命が五十歳前後であることを考えれば、驚くほど長命ということになろう。『言うまでもなく、ローゼンクランツ公爵とギルデンスターン侯爵の意向についてそれぞれ探ったほうがいいだろうからな。確かに我々と彼らの間には、長きに渡って密接な繋がりがあるとはいえ……いざ兵を出すという瞬間には挙兵しないという可能性もゼロではなかろうからな』


 ここでサヴェージ長老が何故か、疑い深いような眼差しをギベルネスに向けてきた。実をいうと彼は昔から、ユリウスに対してもディオルグに対しても、あまりいい態度を取ってこなかった長老である。もし先王の息子がヴィンゲン寺院にいるとわかれば、クローディアス王は兵を差し向け、僧侶をも虐殺するかも知れず、ディオルグに対しては<東王朝>の間者ではないかとの疑いを捨て切ってないからでもあった。


『ギベルネさまのほうで何か、我らに御意見でもあれば……どうか御遠慮なくおっしゃっていただきたい』


『ええと、そうですね……』


 岩の円卓にぐるりと腰かけている、他の九人の視線がすべて集中するのを感じ、ギベルネスとしては焦った。この頃にはすでに、彼らが自分を星母神の使いか何かであると信じ込んでいるらしいということくらいは理解していたからである。


『地形的に考えて、まずはギルデンスターンへ赴くのが良いのでしょうね。先王と親しかったからか、クローディアス王はギルデンスターン侯爵の領地に重税をかけているようですし、それはまたローゼンクランツ公爵の領地も同じこと……<西王朝>の領地は現在十四州に分かれています。このうち、親王派というのは六州ほどで、それも恐怖心から従っているといったところでしょうから、まずは外堀を埋めることです。何より、王都のティンタジェル城を落とす時には、兵糧攻めにするというのが一番効果的ということになるでしょうし……』


 ギベルネスとしては、その時点で彼が<西王朝>に対して持っていた情報を元に、至極「当たり前のこと」を口にしたつもりであった。だが惑星シェイクスピアのこの時代、地図といっても『大体こんな感じ』といった、実際とはまるで違ういびつな形のそれをみな信じていたし、岩山や砂漠のはじまりと終わりが「なんとなく」州境となっているというところであった。その上、ギベルネスは『親王派は六州ほど』と口にした。そして長老らはこの神の人の言葉に――異を唱えることも出来ず、ただ黙り込んだのであった。


『おそれながら、ギベルネさま』と、深い沈黙の中、タイスが好奇心に打ち勝てず、あくまで恭しい口調で問い質した。『何故親王派は六州だけであると、そのように断じられたのでしょうか?』


(ああ、そういう意味か)と思い、ギベルネスは慎重に言葉を選んだ。(よく考えてみると知っていることだからとて、なんでも話せばいいってものでもないな。気をつけなければ……)


『まあ、ちょっと地図を描かせていただくとすると……』


 ギベルネスが紙とペンの代わりになるものを求め、周囲をきょろきょろした時のことだった。岩に彫刻を彫ったり、絵画を描くのを得意とするロギン長老がチョークを差し出す。


『ええと、壁にこれで地図を描いてもいいですか?』


 ロンディーガ大老が『もちろんですとも』と朗らかに返事するのを聞き、ギベルネスはまず王都テセウスを描き、そのテセウスを囲むように存在する、十四州の領地を大体のところ描いていった。彼の記憶にある限りの、大きな砂漠地帯や岩山についても、わかりやすいように描きこんでいく。


『つまりですね。親王派の六州というのは、王都のあるテセリオン州以下の、テセウスから近い州なわけです。クローディアス王にしても、内乱については常に恐れているでしょうから、それぞれの領地を治める公爵や侯爵、あるいは伯爵や男爵とは良好な関係を築くよう気を配っていることでしょう。また、王都以下の近くの州を手堅く味方につけておけば、他のどこかの州で現在の王朝を倒すべく兵が挙がったとしても――おそらくは食い止めることが出来る。その点、ローゼンクランツ公爵領やギルデンスターン侯爵領というのは、王都から離れているわけです。まずはこのふたつの広い領地を治める公爵と侯爵を味方につけることが出来れば、ここを拠点に、他にもこちらへ協力したいと考える領主たちと共に……王都へ攻め上ることの出来る一番の近道になるかと』


 次の瞬間、<長老の間>はしーんと再び沈黙に包まれた。もっとも、この時もギベルネスにしてみれば、(「んな当たり前のこと言ってんじゃねえよ」って沈黙なのだろうか)と疑っていたほどなのだが、彼らは神の人ギベルネの思慮深さに打たれていたのである。さらに言えば、三女神の語っていた『ここにいる誰より賢い男だ』との言葉を思い出し――畏怖の念に打たれるあまり、最早口を聞くことさえ憚られるほどだったのである。


『ええと、そういえば当のハムレット王子はどうしておられるので?』


 とうとう沈黙が耐え難くなり、ギベルネスはそんなふうに聞いた。無論、身分としては平民以下ということになるだろう自分が、最上級といっていいほど身分の高い王子のことを呼びだす権利などない。そのことは彼にしてもわかっているつもりだった。だが、話の流れとして、一応そう聞いておいたほうがいいだろうという気がしたのである。


『ハムレットはその……少々気分が優れないとのことで……』


 タイスはようやくのことでそう言った。彼は恥かしかった。三女神から託宣があってのちも、(大老や長老たちよりも賢い男だと?一体どんな男なのだ?)と、そう疑念を隠し持っていた自分に対して。


『気分が優れないだと?』


 相手が王子であるにも関わらず、やはり小さな頃から知っているせいだろうか。ナズル長老は(しょうのない奴め)とでも言いたげに、微笑んで言った。


『きっと、臆したのであろうな。いや、気持ちはわからぬでもない。老いぼれの寝言と思って聞いて欲しいが、わしがハムレットの身でも……死んでいたと聞いていた実の母が生きていると知り、さらにその母が自分の父を殺して今は王位に就いた男との間にふたりの跡継ぎまで儲けているのだ。だが、ハムレットが三女神たちの申しておられた通り、真に王の器であるならば、次第次第にその自覚に目覚めてもゆこうぞ』


『まったくその通りだ』と、ナズルの右隣に座っていた長老マーロン。『昨年、ユリウスが亡くなった時には今後どうなるかと思ったが、やはり星神・星母は我らをお見捨てにならなかった。ギベルネさまが共にあってくださるとはいえ、ハムレットの前途には同時に苦難が待ち受けてもいよう。確かに、年老いた我々には、今ハムレットと一緒に砂漠を旅する気力もない。だがその代わり、以前にも増してここヴィンゲン寺院においては、ハムレットが王位を確立し、その後千年も続く平和の礎を築くことを熱く祈り続けねばならんだろうて』


 他の長老らが全員、何度となく頷く姿を見て――ギベルネスは何故だかほっとした。例の三女神がどうこうといったくだりについては、彼にしても若干まゆつばものというのか、(科学的に考えた場合、ただの集団ヒステリーということもありうる)と頭の隅のほうで考えていた。だが、ここヴィンゲン寺院にいる三百名以上もの僧らが、真夜中にまったく同じ霊的感覚に囚われ、眠っていることが出来なくなったというのだ。今のギベルネスとしてはただ、(まあ、そんな不思議なこともあるのかもしれない)という、それ以上のことは何も言えないといったくらいの立場である。


 とはいえ、このヴィンゲン寺院の僧侶のおそらく全員が、今後自分がハムレット王子が王位を確立する水先案内の役目を果たすと信じきっている顔つきや目線と出会うたび……ギベルネスは心苦しい気持ちを覚えた。先ほど、彼自身が口にしたことは(とりあえず何か言わなきゃならない雰囲気……)を敏感に察知し、(まあ、このくらいのことは当然知っているに違いない)と思い、言ったに過ぎないことでもあったのだから。


(だが今後、言動についてはよくよく注意しなければならないのだろうな。何より私は、なるべく早くヴィンゲン寺院の背後に控えるフォーリーヴォワール連山へ向かい、そこにある第四基地から宇宙船カエサルのほうへ戻らなきゃならないんだから……)


 こののち、この寺院としては最大級といっていい歓待の席を設けられ、ギベルネスとしてはますます困惑に磨きがかかるばかりだったと言える。(これで自分が突然いなくなったりしたらどうなるのか)ということもそうであるし、かといってロルカ・クォネスカの病状のことを考えるとぐずぐずしてもいられない。普段はロンディーガ大老が座るはずの座席に腰かけ、それだけでも恐縮であるのに、乏しい食糧の中から彼らが『もっとも良い食事』を用意してくれたことからみても――ギベルネスとしては苦悩が深まるばかりだった。


 だが、結局のところ『調査対象惑星の歴史に関わることは御法度』であるし、彼としては「帰らない」という選択肢は絶対にありえなかった。そこで、『ハムレットを連れてきましょう』と長老のひとりに言われた時も、『ご加減のほうがお悪いのであれば、無理をしないほうがよろしいでしょう。それよりも、王子さまのほうから私のほうへ出向くなど、あってはならぬことです。私には医術の心得もありますゆえ、のちほどお許しがあれば、ハムレットさまの寝所まで私のほうから出向きましょう』と答えておいた。ナズル長老らにしてみれば、(仮病を使って隠れておるのだろう)くらいの気持ちだったらしいのだが、ギベルネスは(そうとも限るまい。もしや本当に具合が悪いのでは……)と想像していたわけであった。


(まあ、確かに私の手許には今、緊急用の医療キットと、頭痛薬や制吐剤や腹痛の薬くらいならあるが……こうしたものも本当は現地人に使ってはいけないものだしな。だが、神の人として、せめてもそのくらいの不思議なことでもして帰ったほうが、のちのちハムレット王子が王位に就いた時、その伝説に箔がつくということにでもなるのかどうか……)


 実際、ある程度のところ食事を終えると、ギベルネスはハムレットの寝所のある岩室へ行ってみることにした。すると、タイスが一緒に来て、案内してくれると言う。


『失礼ながら、ギベルネさま。ギベルネさまの人となりの素晴らしさに驚くあまり、俺も長老たちも、すっかり言い忘れていたことが……』


 この時、何故かすでにタイスの頭にも、他の長老たちの頭の中にも――『ギベルネはもしかしたら最初、一緒に来たがらないかもしれない』云々といった三女神の言葉については、すっかり雲散霧消していた。だが、赤い髪の女神に『(もし彼が一緒に来たがらなかったとすれば)デンパショーガイで今は帰れないと言え』と言われたことについてのみ、<絶対に伝えなければならない>事柄として、強く記憶に残っていたわけであった。


『三女神のひとりが、『あなたは今は、デンパショーガイによって帰れない』と、そう仰っていたのです。あなたが来たらそう言えと……ええとすみません。それで、『任務を果たしたとしたら、無事帰れるようになる』と、そのように……』


 タイスはそのように三女神たちの言葉を口にしながら、再び心の内が畏れの念によって満たされるのを感じた。赤い髪の女神にそう言われた時には何のことやら彼にしてもさっぱりわからなかった。だが、『帰れない』、『戻れない』ということは、ギベルネ自身もまた神々に連なる者か、あるいは神々とコンタクトを取ることの出来る預言者か何かなのだろうと、あらためてそう思われたわけである。


(俺はこれからますます畏敬の念を持ってこの方にお仕えしなくてはなるまい。もしかしたらハムレットが王位を取れるも取れぬもこの方次第かもしれないのだから……)


 ハムレットが私室としている岩室の前までやって来ると、「ギベルネさま、少々ここでお待ちを」と言って、タイスは先に中へ入っていった。無論、ドアもなければ、何か垂れ幕のようなものが入口に下がっているというわけでもない。ゆえに、ふたりが話す言葉自体はすべて筒抜けではあった。


『ハムレット、具合が悪いと聞いたが……どうせ仮病なんだろ?今、ギベルネさまがおまえに会いに、すぐそこで待っておられる。王子のおまえが自分に会いに来る必要はない、むしろ自分がお訪ねすべきだとそう仰せられてな。いいか、これからお通しするぞ』


『タイス、待ってくれ。オレにだって心の準備ってものが……』


『何を言ってる。ギベルネさまの来訪で、我が僧院は上や下への大騒ぎだぞ。そうとわかっていながら、食事の席にも顔さえ見せぬとは……三女神さまの託宣を、なんと心得ておる。失礼にもほどがあろう。いいか、せめても印象を良くするよう心がけろ。わかったな!?』


『印象良くったって……』


『せめてもこんな田舎僧侶が王子だって?馬鹿も休み休み言えというようなアホな様子だけは見せるなという意味さ』


『ばっ……馬鹿も休み休み言えってのは、こっちのセリフだ、タイスっ!!』


 この次の瞬間、何かが床に叩きつけられるようなズッダーン!!という音がした。それはハムレットがハンモックから落ちる音だったのだが、ギベルネスはよせばいいのに、心配になってちらと部屋の中を窺ってしまった。途端、『いっててて……』と、腰のあたりをさするハムレットと目が合い、ギベルネスはすぐ姿を隠した。


『タイス、下がっててくれ。オレはこれからギベルネさまと一対一で話がしたい』


『わかったよ』


 タイスは、ふたりの話が聴こえぬくらい距離を取った廊下の角から、ギベルネが話を終えて出て来るのを見守ることにした。本来なら、こんなことをするのも失礼に当たることかもしれない。だが、三女神との約束があるにも関わらず、ギベルネが雲か霞のように突然消えてしまわないか、彼もまた心配だったのである。




 >>続く。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ