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23.あべこべでぐしゃぐしゃ

 チュンチュン、チュン……。

 早起きな小鳥の目覚ましに、ジゼルは身じろぎながらもまだ目が開かなかった。

 ベッドがやけに温かくて心地よい。子供の頃、幼いファビアンを落とさないように抱きしめて眠っていた頃を思い出す。ファビアンが休みなら、朝の仕事もない。もう少し眠っていてもいいだろう。

 そう思うのに、腕の中がもぞりと動く。


「なによファビアン……今日はお休みじゃないの……?」


 まだくっついていたいと訴える瞼をどうにか押し上げて、腕の中を覗き込む。

 まん丸に見開いた灰色の双眸と、目が合った。


「――ま、待てこれには」

「……きゃぁぁああああああッ!?」


 反射的に両腕を突っ張って、腕の中のものを突き飛ばしていた。


「だっ」


 ドサッと鈍い音がベッドの下で上がる。


「なっ、なんでっ、何で!?」


 ジゼルは、それ以外に言葉が出なかった。理由は分からないが、手当たり次第近くのシーツを掻き集めて抱き締める。

 だが心臓は暴走したように高鳴り続けるし、顔に血が集まりすぎて耳が遠いしで、思考が一向に仕事をしない。

 その隙を逃さぬとばかりに、ベッドの下からイザークがすかさず口を挟んできた。


「よ、良く思い出せ! 捕まえてたのはお前だ! 俺はお前が起きる前に離れようと……!」

「…………っ、バカ! バカバカバカバカバカ!」

「わっ、何す――」


 ジゼルは渾身の力を振り絞って枕やらシーツやらを投げつけた。

 そしてベッドの上から何もなくなり、肩で息をする頃には、今度はダッシュで寝室から逃げ出していた。


「何なの……っ、なんなのなんなの何なのよ私……!」


 改めて言われなくても分かっている。ファビアンと間違えて抱き抱えていたのはジゼルの方だ。イザークと目が合ったのは、彼の言葉が嘘でないからだ。

 冷静になれば、それくらいは分かる。だが頭では分かっていても、どうしても受け入れられないこともある。


「何で自分から抱き付いてんのよ……!」


 あんなに嫌っていたくせに、これではまるであべこべだ。


「信じらんない……っ」




       ◆




「……姉さま? 顔が赤いけど、大丈夫?」

「へっ?」


 家に帰ってすぐに朝食作りに取りかかっていると、朝の予習をしに現れたファビアンに真っ先に心配されてしまった。

 忙しくして忘れてしまおうと思ったのに、まるで上手くいかない。


「な、何でもないよ?」


 ジゼルは慌てて笑顔を取り繕ったが、ファビアンはあまり信じてなさそうだった。


(やっぱり、無理があったかな)


 家族には、侯爵邸で夜間の仕事を紹介されたと伝えてあった。すぐに終わって、そのまま寝かせてもらう厚待遇の仕事だから、睡眠もバッチリと言ってある。

 が、やはりこれで信じてくれるのは世間知らずの母くらいのようだ。


「学費とか、母さまの薬とか、姉さまには感謝してるけど……自分の体も、大切にしてよ」


 ファビアンが、不満げな表情のまま席につき、教本を開く。

 いつもの照れ隠しだとすぐに分かったが、家族に嘘を吐いている罪悪感に、ジゼルは素直にありがとうと言えなかった。


(私だけ美味しいごはんを貰って、ふかふかのベッドで寝て……)


 家族に持って帰ろうと、折角無理を言って食事を取り分けてもらったのに、逃げ出してきたことで忘れてしまった。

 そもそも、イザークは家族も一緒に住めばいいと言ったが、それを断ったのもジゼルだ。


(ちゃんと、話さなきゃいけないのに)


 次に使者が来る前にと思うのに、忙しさを理由にいつまでも切り出せない。

 イザークの申し出だって、もしかしたら二人は歓迎するかもしれないのに。

 特に母は、元々貴族令嬢として何不自由ない生活を送ってきた。きっと、慣れない極貧生活のせいで体を壊したのだ。

 ファビアンだって、栄養のあるものを食べれば、すぐに背も伸びるかもしれない。


(今日は、朝の仕事はないし……)


 ジゼルは腕輪に右手を重ねると、スープを温め直す手を止め、ファビアンを振り返った。


「あ、あのね。ファビアン」

「? なに?」

「えっと……」


 勉強の手を止め顔を上げるファビアンに、ジゼルは必死で言葉を探す。そうして絞り出したのは。


「さ、最近夜にいないけど、困ったこととかない? 大丈夫?」


 全く関係のないことだった。


(私の臆病者っ)


 自分を罵っても、覆水盆に返らず。

 とりあえずここから話を繋げようと考えていると、ファビアンが聞いて損したでも言いたげに溜息を零した。すぐに教本に目線を戻す。


「別に、何も困ったりしてないよ。母さまと二人でも、ちゃんとやれるよ」

「……そ、そう」


 その素っ気なさに、ジゼルは何故かちくり、と胸が痛んだ。

 ジゼルがいなくても問題がないのなら、それは喜ぶべきことなのに。


(……なんなのよ、もう、本当に)


 自分の胸の中が、ぐしゃぐしゃに散らかって自分でもよく分からない。けれどそこで沈黙してしまうのは良くない気がして、ジゼルはいつものように笑ってみせた。


「さっ、ご飯ご飯っ」




       ◆




「それで、証拠は見つかりそうか」


 オーリオル公爵フェヨール家の主の書斎で、マルスラン・ヴァンデュフュル・ダリヴェは書類仕事を続ける兄にそう問いかけた。


「難しそうだな。過去の記録を検証しても時期が完全に一致するとは言い難く、決め手に欠ける」


 書類を右から左に流しながら、兄のベルトラン・レアンドル・フェヨールが答える。その声には相変わらず感情というものがなく、とても話題が後妻の浮気調査とは思えない。


(やはり兄上には、愛情というものはないのだろうな)


 爵位の継承者がいないという理由からダリヴェ家に婿入りしたマルスランにも、妻への愛情があったかといえば答えは否だが、家門の繁栄のことしか考えていない兄よりは少なくとも人道的だろう。

 王家から嫁いできた一人目の妻が死亡した時も、兄は決して涙を見せなかった。眉間に皺を寄せ、母の棺に縋って泣く娘をみっともないと諫めたほどだ。

 その後二人目の妻を娶った時も、兄の態度は酷く余所余所しかった。

 妻からは何度か相談を受け、アドバイスをしたこともある。気晴らしをした方がいいと、幾つか遊ぶ場所も教えてやった。

 当時の公爵邸は、自分の生家とは思えないくらい暗く沈んでいたから。


「まぁ、二十三年も前の不貞だからな。男漁りをするような連中の集まりに出たのは確かでも、他人の秘密を暴いて自分に火の粉がかかる愚を犯す者はいないだろう」

「その出入りも、二度か三度というからな。物証も証言も確保するのは不可能だろう」

「今から考えても、妊娠した時期が悪かったな」


 二十三年前、嫡男のルシアンを身籠る少し前の頃。

 夫に冷たくされていた夫人は、マルスランの勧めるままに屋敷を抜け出してはどこかで遊んでいた。ベルトランは束縛や嫉妬という概念がないから、それに口を出したことは一度もなかった。

 それが仇となった。


「証拠の一つでもあれば、奥方を領地の奥に放り込む方便もできるんだが」

「……証拠は、握り潰すために探しているに過ぎない。ルシアンが継承した後に揚げ足を取られてはならんからな」


 その言葉に、マルスランは腹の中で笑ってしまった。自分とともに不義の子かもしれない嫡男を殺す計画を立てているくせに、一方で爵位を継承した後のことを心配しているとは。

 優柔不断というよりは、頭がいい故に思いつく全ての方策を最後まで考えておかないと気が済まないのだろう。

 兄は昔からそうだった。融通が利かず、冗談も通じず、ただフェヨール家の繁栄のためだけに生きている。ダリヴェ家に追い出されると知った時は嫉妬もしたが、今では憐れにさえ思える。

 何せ、唯一の嫡男は血が繋がっていないかもしれず、追放した娘の子供を無理やり養子に据えなければ、御家断絶の危機さえあるのだ。

 家のためだけに生きてきたというのに、なんと報わない結末だろうか。

 だからこそ、マルスランは兄のために再び助言・・をしたのだ。ファビアンを養子にしたいのならば、姉のジゼルを使ってルシアンを殺させればいい、と。

 ルシアンはいなくなり、ジゼルは下手人として抱え込めば、一石二鳥だ。ファビアンは姉が生きている間、決して逆わないだろう。


「お前の方も、進捗があったらしいな」

「あぁ。連れ戻せるのも時間の問題だ」


 ダリヴェ家にも、問題はある。

 前侯爵の妾腹の子シャーリーと王弟テオフィルの間に生まれたとされる息子イザーク。当時、王家で最も自由奔放だった王弟との醜聞ということもあり、マルスランにとっては汚点でしかなかった。

 女遊びの末に捨てられただけだというのに、シャーリーは戻ってくると言って引かなかった。マルスランとしては幽閉か流罪で良かったというのに、兄のベルトランはいざという時のために侯爵家で丁重に生かせと譲らなかった。

 理由は、納得している。継承権を放棄していない王弟がいざ戻ってきた時、シャーリーを正妃に迎える気でいれば、それを見殺しにしたダリヴェ家に未来はない。

 だがそんな未来が来ないことは、誰の目にも明らかだった。


「儂の孫か、お前の甥か……手札は多い方がいい」

「……そうだな」


 立場としてはどちらも危ういことこの上ないが、クロード家の脅威になることにまず意味があると言いたいのだろう。

 マルスランは言葉では同意しながらも、内心では無意味だと考えた。

 クロード家は王子の病を治すため、金と権力に物を言わせて様々なものを買い漁っているというのは有名な話だ。そしてその一方で、王子がいつ早逝してもいいように、王太后の権力を強めたり、王子の婚約者にデュガ家を宛がうなど、好き放題している。

 だが、その程度だ。孫可愛さで通せばどこの家でもよく聞く話にすぎない。

 何より憐れなのは、法案によって何度も未来を書き換えられる羽目になる、第一王女の方だろう。彼女は一度も王位を望むような発言をしたことがないというのに、優秀で健康であるがゆえに、常にある一定の連中から脅威と思われている。

 それに反発するために男装や剣術などの奇行に走るのだろうが、ここへ来てまたそれを利用されそうになっているのだから、報われないのは彼女も同じだ。


「……そろそろ、実行に移すか」


 ベルトランが、やっと手を止めて顔を上げる。いうことを聞かない栗色の癖毛が嫌いで、子供の頃から後ろに撫で付けるばかりの詰まらない髪が、はらりと一筋落ちる。まるで、ベルトランの僅かな葛藤を表すように。


「あぁ。準備は出来ている」


 そんなわけはないかと、マルスランは口元を笑みの形に歪ませた。




       ◆




(また来ている)


 叔父の頻繁な来客に、ルシアンは静かに閉じられた扉にぴたりと耳を付けた。

 父が自分と母のことを調べているのは、もう知っている。そしてその先に何を企んでいるかも。

 そしてそこには、いつも叔父のマルスランがいた。


(叔父上は、父上の味方、なんだろうな)


 結婚したばかりの頃、余所余所しかった父に困惑していた母の相談によく乗ってくれたとは聞いたことがあるが、ルシアンは何となく苦手だった。


「……そろそろ、実行に移すか」


 重々しく響いた父の声に、背筋がぞわりと冷える。

 嘆息とともに吐かれた一言で、自分の命は呆気なく終わるのかと、少し前ならば陰鬱と自暴自棄になったことだろう。

 だが今は違う。


(こちらも、早く手を打たなければ……)


 手遅れになる前に、準備する必要がある。

 ルシアンは、一人静かに覚悟を決めた。


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