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12.噂と婚約者

 ジゼルは大きなエスピヴァン侯爵邸を塀の外から見上げながら、何度目かも分からない生唾を飲み込んだ。


(改めて目にすると、狐につままれたようにしか思えないわね……)


 あの後、家に帰って早めに質素な食事を済ませてから、ジゼルはようやっと重い腰を上げた。

 道中、ファビアンと母が教えてくれたダリヴェ家に関する噂話で頭が一杯だったが、辿り着いてしまった今では場違い過ぎて頭が真っ白だった。

 心臓がどきどきと煩く鳴り続け、周りに聞かれそうで何度も周囲を確認してしまう。

 旧市壁の内側は俗に上町や貴族街と呼ばれ、貴族や高位の騎士、富裕層ばかりが暮らしている。市場のある下町のような人通りはなく、もっぱら馬車が通るぐらいだ。

 だからこそ、たった一人の徒歩は目立つ。


(もし誰かに見られたら……)


 客でもない平民が正門を使うのは良くないとのことで、侍女のニネットからは使用人用の通用門を教えてもらっている。

 だがその門すら、ジゼルの家とは比べ物にならないくらい立派で、つい腰が引ける。


(……誰も、いない?)


 びくびくしながら別館への道を歩いていたジゼルだったが、予想に反して誰ともすれ違わなかった。

 就寝前と言えば、通いの使用人などは帰宅し始める時間のはずだ。だが辿り着いた別館は、ひっそりと静まり返っていた。

 遠く庭木の向こうに見える本館は煌々と明かりが零れ、人の気配も多そうなのに。


(二人が言ってた噂って、やっぱり本当なのかな)


 ダリヴェ家と言えば、母の生家であるフェヨール家同様、選王権を持つ最上位貴族であることは、ジゼルでも知っている。

 元々フェヨール家に与する家門で、現在の当主もフェヨール家から婿に来ているとは、母が教えてくれた。血筋で言えば、母の叔父に当たるらしい。

 両家は現在、次期国王の選抜で弱い立場におり、自分たちの血筋から国王を選出するために、継承者の範囲を変更する法案を通そうと躍起になっているのだとは、ファビアンの情報だ。

 だがそんな表面上の情報よりも、やはり確証もない噂話の方が数倍怖かった。

 例えば、使えない使用人はそっと消されて消息不明になるとか。女の幽霊が男を引き入れようと待っているとか。過去には王族を殺そうとしたなどという物騒な話もあるらしい。


(……やばい。貴族こわい!)


 ダリヴェ家について知っていることがあれば教えてほしいと言ったのはジゼルだが、いざ夜の別館を前にすると、聞かなければ良かったと後悔した。

 だが、ここまで来て帰るのは流石に不甲斐ない。と思っていると、おもむろに扉が開いて執事らしき男が現れた。

 六十歳は過ぎているだろうか。白髪交じりの髪をきちんと撫で付けていて、穏やかな表情と相まって好感が持てる。


「お待ちしておりました。ご案内致します」


 優雅に一礼し、先導する。そうして連れて行かれたのは、やはり今朝と同じ部屋――イザークの薄暗い寝室だ。

 その扉を開いた先に。


「来たか」


 イザークが、早速ベッドに腰かけて待ち構えていた。

 気怠げな視線と髪を掻き上げる仕草が無駄に色気があって、ジゼルはまたどぎまぎしてしまった。今朝のことが嫌でも思い出されて、目のやり場に困る。

 だが今回は、一方的に脅されるために来たのではない。

 交渉だ。

 イザークのいう「不利益が生じない」方法を確認し、受け入れられなければ断固拒否する。人の弱味に付け込んで脅す奴の余命など、ジゼルにはそもそも関係がないのだから。


「こっちに来い」

「嫌よ」


 早速命令口調できたイザークに、ジゼルはドアの前で仁王立ちしたまま言った。

 イザークが、往生際が悪いと言いたげに顔を顰める。


「話を受けたからそこにいるのではないのか」

「話を受けるかどうかを決めるために来たの」

「……つまり?」

「あなたの言う、不利益が生じない方法っていうのをまず教えて。私娼の誤解を受けず、侯爵家に金をたかってるとも言われず、あなたの交際相手にも恨まれず、家族にも迷惑がかからない、真っ当な方法を」


 そうでなければ受けないと、ジゼルは敢然と断言した。のだが。


「なんだ。そんなことか」


 イザークは拍子抜けしたとでも言うように肩を竦めた。


「それなら既に良い手がある」


 それから、至って真面目な顔でこう言った。


「婚約すればいい」

「………………。はい?」


 ジゼルは耳を疑った。

 そして次には、碧眼をぱちくりと何度も瞬き、十七年分の知識に総動員をかけた。


「えっと……聞き間違いかな? 婚約って聞こえたんだけど」

「いや、合っている」

「えぇっと……こんやくって、他になんか意味あったっけ?」

「俺の知る限り、男女の間で交わされる結婚の約束のことだと認識しているが」

「…………」


 埒が明かない。ジゼルは致し方なく、話を次の段階に進めることにした。


「で、その婚約をすると、なんで私に不利益にならないの? たった今明らかに私は不愉快になったんだけど」

「…………」


 腕を組んで真意を尋ねれば、イザークは何故か渋面になった。まさか理由はないのかと訝ると、妙な間を開けてからイザークは口を開いた。


「未来の妻が未来の夫の家に出入りするのに、不埒も悪評もないだろう」

「…………」

「…………」

「……え? まさか終わり?」


 理路整然とした納得のいく説明が続くと思っていたジゼルは、またもや目を見開いた。

 イザークが、灰色の目を眇めて首を傾げる。


「他にどんな説明がいるんだ?」

「いやいるでしょう! 何で突然婚約なのよ!? 話が突飛すぎるっていうか、もっと他になんかないのっ?」

「ならばお前には他の妙案があるのか?」

「なっ……いけど!」


 あると叫びたかったが、ジゼルは泣く泣くそう答えた。ここにファビアンがいれば、もっと良い案を出してくれたかもしれいが、生憎ジゼルにそんな知恵はない。

 だがそこで丸め込まれてばかりもいられない。


「でも、婚約っていっても、そもそも私は平民で、あなたはダリヴェ家の子息でしょう? 貴族の婚約がそんな自由にならないこと、私だって知ってるわよ」

「それは気にする必要はない」

「気にするって!」


 母の元婚約者の件しかり、現国王の弟君が平民の女性に恋をした時も、一騒動あって大変だったらしいとは、母から聞いたことがある。

 どちらも社交界からは安否不明扱いになっていると聞けば、誰がそんな危険な橋を渡りたいと思うものか。

 だが続けられた言葉に、ジゼルは何も言い返せなかった。


「それともお前は、婚約の肩書きもなく侯爵邸に出入りする方がいいのか?」

「うっ」

「就寝前や起床後と言えば、もっぱら使用人たちの出入りが多くなる時間帯だぞ」


 その懸念は、先程も感じたばかりだ。別館こそ人が少ないが、本館には普通に大勢の使用人がいるのだろう。

 一度や二度ならまだしも、毎日続ければ嫌でも目撃されるし噂も広まる。人の口に戸は立てられない。気付けば皆が知っているなど茶飯事だ。


(こいつが毎晩色んな女の所を遊び歩いてるっていう噂も、広まってるもんね……)


 それもまた、ファビアンがこっそり耳打ちしてくれたダリヴェ家の噂の一つだった。今朝の話し合いの続きがあると言ったら、十分気を付けてと忠告してくれた。

 などということを考えていたのを、見抜かれたのか。


「ちなみに付け加えると、俺に特定の交際相手はいないが、懇意にしている女たちはいる。下手に身分を隠すと、余計に勘繰られるぞ」

「…………」


 ここに来るまでに、顔を隠すためにほっかぶりをしようかと考えていたジゼルは、しなくて良かったと内心で胸を撫で下ろした。

 その様子を了承と受け取ったのか、イザークはベッドから立ち上がると、ジゼルの前まで歩いてきて足を止めた。頭二つ分も高い位置から、ジゼルをじっと見下す。

 それまでどこか硬質だった瞳が何故か熱を帯びているように見えて、ジゼルは知らず一歩足を引いていた。


「な、なによ……?」

「……これは俺なりの誠意の証だ。事が済めば、お前から婚約破棄なりなんなりすれば、外聞も体裁もそこまで傷付きはすまい」

「事が済むって……宛てでもあるの?」


 解呪の宛てがないと思っていたジゼルは、この言葉に少なからず驚いた。

 だがイザークは、これに微妙な間をとって、結局首を横に振った。


「……それは、ない。だが少なくともこの一か月の内に、決着はつくはずだ」

「? それって、どういうこと?」


 意味深な言い方に、ジゼルは素直に問い返していた。今朝ほどの強引さが薄れて、まともに話ができると思ってしまったのかもしれない。

 けれど。


「……お前が知る必要はない」


 拒絶の言葉とともに、眼前の灰色の瞳から熱が消える。瞬く間に、貴族らしい硬質さに戻っていた。


(ここまでしておいて、今更秘密ってこと?)


 何だかもやっとする。

 そして同時に、やはり無理だと思った。


「やっぱり、引き受けられないわ」

「何故だ」

「一緒に寝て、しかも婚約の名分まで使おうっていうのに、まだ秘密があるようじゃ、誰だって不信感を抱くでしょ」


 ジゼルは呆れたように肩を竦めた。だがそれは後から思えば、事情さえ打ち明けてくれれば受け入れようと、無意識に決断した瞬間だったようにも思う。

 けれど。


「……伝わらなかったようだから言っておく」


 返されたイザークの声は、今までで一番低く冷たく。


「俺はこの呪いをどうにかする・・・・・・ためなら、お前をこの家に監禁することも、お前の家族を人質にすることも厭わない」


 互いの思いは一つも伝わることなく、夜は始まろうとしていた。



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