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Love,Truth & Suspended


「――ええ、聞いてますよ。……はい。おれは……そうですね、でも……え? いや、あ、ちょっと待っ……」

 マジかよ……。

 電話は切られた。僕の話はまだ途中なのに。

 確かに向こうから掛かってきた国際電話ではあったが、あまりにも一方的だ。

 まあ、あの人は昔からそうなんだよな――。

 そんなことを考えながら立ち尽くしていると、今度はテーブルの上にあった携帯が振動をはじめた。

 発信者を確認してから受話ボタンを押す……聞こえてきたのは懐かしい声だった。




「忙しそうね」

 電話を切った僕の背後に麻衣子が立っていた。

「亜希先輩でしょ? いまの」

 彼女は携帯を指さした。僕はなにも答えず、白々しく首を傾げた。

 僕と高橋先輩が仲良く話していると、麻衣子は軽いジェラシーを掻き立てられるらしい。

 ちょっと性格に問題がある僕は、そんな麻衣子の気持ちを知りながら、彼女の様子を見ては一人悦に入っている。

 とは言っても、当然ながら僕と高橋先輩は麻衣子がやきもちを妬くような関係ではないし、なにより彼女たちは相変わらず姉妹のように仲がいい。

 だから僕も笑っていられるのだろうけど――。

 僕は携帯をテーブルの上に置くとソファに身を沈めた。

 彼女も当然のように僕の隣に腰を下ろした。


 一昨日、今シーズンの全日程が終了した。

 野球漬けの毎日から解放される束の間の休息――。

 また携帯が震えた。

 僕は携帯に手を伸ばし、発信者を確認すると、一度ため息を吐いてから電話に出た。



仕事・・?」

 電話を切ると、それを待っていた麻衣子が呟いた。

「ああ。なんかの対談だってさ。まったく、くだらねえ――」

 球団広報からの電話は、テレビ出演の命令・・だった。

 なんでも僕と同年代の女優さんとの対談らしいが……どうせまた野球を知らない人なんだろう。今年に入ってから三回目だ。

「でもいいじゃない。毎回きれいな人と話ができて」

 彼女は言った。

 少し棘のある言い方が気になるが。


 プロとしての生活にも少しは慣れてきた。

 しかしどうしても馴染めないものもある。

 どうやらプロってのは野球だけをやってればいいってわけじゃないらしいから。

 そしていつでも誰かに見られてる気がしてなんとなく落ち着かない気分になることがある。

 まあ、自ら望んで飛び込んだ世界だから文句は言えないのだが。


「なあ。コーヒーでも飲まない?」

 僕は言った。

「どうぞ。」

 彼女はキッチンの方に手を翳し、にっこりと笑った。

「いや、麻衣子が淹れたコーヒーがいいんスけど」

 僕はもう一度言ってみた。

 すると彼女は「仕方がない」というふうに無言で立ち上がり、キッチンに消えた。


 僕が帰国して三年が経っていた。

 そして南青山にあるこのマンションに移って一年になる。

 球団から特例として「半年での退寮」を認められていた僕は、一年目のシーズンが終わると同時にマンションを探し始めた。

 僕自身は場所についての拘りはなく、ある程度の広さとプライバシーが守られていれば、あとは球場まで通える常識の範囲内であればどこでもいい……と思っていた。

 そんなわけで、いまの住まいは、ほとんど麻衣子が決めたようなものだった。

 いくつかのモデルルームに足を運んだときも彼女は普通についてきたし、営業マンの説明も僕よりもよっぽど熱心に聞き入っていた。

 で最終的にココに決めたのは、表参道に近いというロケーション……つまり、彼女のたっての希望というわけだ。


 写真週刊誌に「熱愛発覚――」の見出しが躍ったのはその頃の話だ。


 ドラフト一位で入団し、新人王とリーグ最多勝を獲得した逆輸入右腕を『次世代のエース』として売り込みたいと考えていた矢先のスキャンダル――。

 球団からは多少のお小言をいただいた。

 しかし、スキャンダルと言われることには強い抵抗があった。

 僕と麻衣子の仲は、事実かどうかは別として高校時代から周知の仲だったわけだし。

 だから僕はシーズン中でも可能な限り彼女と一緒にいるし、いまでも表参道のカフェには普通に二人で出没する。

 反対にマウンドでは徹底してクールな自分を造り上げた。

 それは僕がイメージする『投手像』とは少し違っていたが、それが球団が僕に対して望む『エース像』であったから、僕は素直に・・・それに従っている。

 いまでは、僕の登板日のスタンドには、僕と同じ背番号のユニフォームを着た女性ファンが溢れかえっている。

 バッテリーを組む亮は、そんな僕を見て不思議そうに首を傾げる。


 ずいぶん変わった。大人になったんだな――、と。

 でも、僕に言わせれば亮こそ変わったと思う。

 キャッチャーという特殊な役割をそつなくこなす亮は、僕が知っている中学時代の亮ではなかった。まあ、もともとセンスがある奴ではあったのだが。

 そして岡崎と用田は相変わらず僕に対するライバル心を燃やしている。

 とくに入団が同期になった岡崎はそれを隠すことなく公言している……だけどまだ僕の脅威とは成り得ていない。

 大学でノンビリと四年も過ごしてきた奴と、いまの僕が同じなわけがない。

 僕らの立場は再逆転したってことになる。

 しかし面倒なのは、必要以上に僕らを煽る外野の声だった。

 中学時代のチームメイトでもある僕らを面白可笑しく取り上げるのは仕方がないが、一番気の毒だったのは森本だった。

 僕が辞めた後の明桜でエースになっていたことから、必要以上に注目を浴びるようになった彼は、プロ入り初登板となった一昨年の試合で相手の四番にいきなり死球を与えてしまった。連続試合出場中の『国民的大打者』の手首にヒビを入れてしまった。

 以降、右打者のインコースを突けなくなり痛打を浴びるという不様を繰り返している。

 まあ、イップスって奴らしいが、森本のような繊細なタイプは、やっぱりプロには向かないってことなんだろう。

 それはともかく、僕は二年連続でリーグ最多勝を獲得し、年俸は跳ね上がった。コーラと食パンで腹を満たした数年前の日々が嘘のようだ。

 だけど僕は揺れていた。

 造り上げられた偶像と生身の自分とのギャップ……本当の自分を見失いそうで戸惑っていた。


 やがて彼女がリビングに戻ってきた。

「はい。どうぞ」

 目の前に置かれたマグカップ……可愛らしい柄は少なくとも僕の趣味ではない。

 僕が寮を出るときに思い描いていたクールな生活――。

 少なくともマグカップに描かれたこの猫とは共存できそうにはなかった。

 カップに口を付け、僕は呟いた。

「マンデリン、だな?」

「ブ~、ハズレ。グアテマラでした」

 彼女は舌を出した。

「これで四連敗ね。バカ舌決定だわ」

 永遠に当たりそうもないわ――。

 彼女は高らかに笑ったが、僕としても反論はできない。

 だけどウチにはもともとニ種類の豆しかなかったのに、いつの間にか増えてるし、それにグアテマラなんて名前聞いたことなかったし……。

 確かに永遠に当たらないのかもしれないな。


 そして……麻衣子がココに居座るようになってから半年が経つ。

 メゾネットのこのマンションは、一人で住むには確かに広すぎた。

 彼女にしてみれば、大好きな表参道には近いし、彼女の勤め先にも実家から通うよりラクだというのもあるのだろう。

 僕としても留守がちな生活を強いられているぶん、家を守ってくれる誰かがいるのは心強いとも思っていたし。

 いまでは彼女の方がこの家のことは知り尽くしている。まるで僕の方がお客様のようだ。 


「そういえば坂杉くんから電話もらったわ」

 麻衣子はカップを両手で持ったまま、急に思い出したように言った。

「なんで?」

「え。同窓会があるから伝えてくれって――」

「そうじゃなくて、なんでおれに・・・、じゃなくおまえに・・・・、なの?」

 まったくあの野郎は昔から――。

「妬いてるの?」

 彼女はにやりと笑った。

「は? いや、そうじゃなくてよ――」

 僕は言いかけてやめた。

 いまの気持ちを上手く説明できそうもないし、へんな言い訳のようにも聞こえそうだし。


 ただ……なんだか最近の僕はおかしい。

 彼女との距離は以前より間違いなく近くなっている。ハッキリ言っていまの僕らの状況に不満なんて何一つない。

 でも……やっぱり最近の僕はドコかがおかしい。

 彼女のことが気になって仕方がない。いままでも気にしてなかったワケでは絶対にないが、それとはまた少し違っている。

 そして僕らはお互いに少しだけ嫉妬深くなっている。

 少なくとも僕は彼女のことばかり気に掛けている。

 一緒にいられないときほど気になって仕方がなくて……ちょっと病的な匂いがするほどだ。


 長すぎる春はあまりいい結果を生まない――。

 これは数多くの浮き名を流した自称・恋愛伝道師の先輩からいただいたありがたいお言葉である。

 そんな彼も昨シーズンの終了後に北の大地へと転勤・・していったのだが。

 それはともかくとして、彼に言われるまでもなく誰よりも僕自身がこの感情の正体も、解決方法もわかっているつもりでいる。

 そしていまの宙ぶらりんな状況が既に限界を迎えているということも。

 やがて麻衣子は立ち上がり、空になったマグカップを手にキッチンに向かった。

 僕はその後ろ姿を見送ると携帯を片手にバルコニーに出た。



「なにやってるの?」

 バルコニーから戻ると、麻衣子は既にリビングに戻っていた。

「さっきからコソコソと――」

 彼女は僕が手にした携帯を一瞥すると冷たい視線をコチラに向けてきた……たぶん誤解されてるんだろうな、いろいろと。

 僕は徐に携帯をポケットにしまうと、訝る彼女の肩を抱え、耳元で囁いた。

「いまからちょっと出掛けんべ」――。



 駐車場では僕の愛車の濃紺のボディが艶やかな光沢を放っていた。

 現在の僕の愛車カレラ2は、同じチームの先輩・荒井英至が乗っていた車だった。

 彼がメルセデスのSLに買い替えたときに譲ってもらった。

 中古とは言っても三年落ちで程度もいい。僕はかなり気に入っている。

 しかしウチのエースでもある別の先輩は「やめとけば」と何度も僕に言った。

 なんでも濃紺=ノーコンで縁起が悪いと……くだらないことを気にする人だ。

 そんなヤワなメンタルだから毎年勝負所であんな不様な――


「ねえ、杉浦――。」

 助手席に乗り込んだ麻衣子が僕の方を向いていた。

 不安げな眼差しは真っ直ぐに僕に向けられている。

「あのさあ……もういいかげん"スギウラ"って呼ぶのやめにしない?」

 僕の言葉に彼女は固まった。

「……じゃあ、なんて?」

 彼女は小さく首を傾げた。

 僕もマネして同じように首を傾げた。


 高樹町から首都高速に乗り、谷町JCTを羽田方面に向かった。

 取りあえず羽田空港に寄って適当な洋菓子でも買って――


「ねえ。ドコに行くの?」

 彼女は不安そうに呟いたが、僕は黙ったままフロントガラスの正面を指さした。


 以前、メキシコ行きを切り出した夜のことは、彼女の中でトラウマになってるらしい。

 だから僕が普段より少しだけテンションが高かったり、優しかったり……とにかくいつもと違う様子をみせると彼女は不安になるようだ。

 彼女はそれを決して口にはしないが、見てればなんとなくわかってしまう。

 そしてそのたびに僕は自分が犯した罪の深さを再確認している。


「ねえ。ホントにどこ行くの?」

「べつに……どこでもいいべ」

 ただのドライブだよ――。

 僕は口元を弛ませて言った。

「よくないわよ。ほんとにドコに行くの?」

 彼女は食い下がってきたが、僕はなにも答えなかった。

 しかし……今日に限って結構しつこい。

 目的地に着くまでこんな調子じゃちょっとキツイな、マジで……。

「ねえ――」

「しつこいな~」

 僕は耐えきれずに苦笑いした。

「おまえんちの実家だよ。」

「ウチ……?」

 麻衣子は怪訝そうに眉を顰めた。

「ああ。さっき電話しといた」

「……なにしに?」

「なにしにって……べつにいいじゃん」

 僕は意識して余裕の表情を取り繕った。


 さすがにいまのままではマジイだろと、ちょっと前から思っていた。

 高橋先輩からも「いい加減に覚悟を決めろ」と再三煽られている。

 しかし覚悟が決まってないワケじゃない。

 僕の気持ちは何年も前から変わっていないし、寧ろその気持ちはどんどん強くなって来ている。

 ただ何となくキッカケがなかったと言うか何というか――


「やっぱり……。あたしを追い出す気なんでしょ」

 彼女は消え入りそうな声で言った。

「なにか気に障るコトした……?」


 僕はため息を吐いた。

 いったいなぜ、今の僕らの状況でそんな悲観的な発想がでてくるのか……まったくわからん。

「あのさ……おれが追い出すわけねえじゃん」

 そんなことあるわけがない。

 それじゃ何のために日本コッチに帰ってきたのかわからない。

「じゃあ、なんで――」

「おまえをもらいに行くの!」

 彼女は目を真ん丸に見開いた。

「だって、ずっとこのままってワケにはいかねえべよ、さすがに」

 びっくりさせんべと思ってたのによ――。

 僕は視線を前方に戻すと、下唇を突き出した。


 幸い僕は麻衣子の両親からのウケはよかった。

 とくに麻衣子の母親からは、週に一度は電話があるくらいだ。

 いつも娘がお世話になってます、と。いえいえコチラこそ、と。

 麻衣子の父親からも「サインを送ってくれ」と頼まれ、先週十枚ほど色紙を送ったりして……まあ、超が付くほど外面がいいからな。いまの僕は。


 やがて羽田空港に到着した。

 首都高速から直結する空港の到着ロビーの前を走り抜け、そのまま右車線のカーブを抜けると空港の立体駐車場に吸い込まれた。

 駐車場に車を停めると、グローブボックスから眼鏡を取り出した。

 しかし麻衣子の「似合わないからやめたら」のヒトコトで、僕はそのまま眼鏡をグローブボックスに戻した。

 もっとも彼女と一緒にいるところを誰かに見られたとしても、いまさらべつになにも問題はない。


「……ホントに勝手だよね」

 連絡通路を歩きながら麻衣子が呆れたように呟いた。

「なにがよ」

「だってそういう大事なことは、まずあたしに言ってからじゃない?」

 彼女は不満そうにクチを尖らせている。

「言ったべよ。」

「え……?」

 麻衣子は足を止めた。

「ちゃんと三年前に、稲村ガ崎の海で――。」

 忘れるワケがない。

 帰国してすぐに言いにいったんだから。

「ええ~、あれ? ダメでしょ、あれじゃ――」

 彼女は大袈裟に目を見開いた。

「もう一回、ちゃんと言って」

「ははは――」

 なんの冗談だ。

「……なに笑ってるの。マジメに言ってるんだけど」

 彼女は食い下がってきたが、僕は鼻歌を唄いながら完全に無視を決め込んだ。

 あんな恥ずかしい台詞、二度とクチにしたくない、というか絶対しない。


 二階に降り、売店で適当な洋菓子を物色し会計を済ませると、気付かないうちに小学生くらいの子供を連れた親子に囲まれていた。

 僕は彼らの求めに応じて握手をしたり、一緒に写真に収まったり……そのうち周りの人たちも僕に気付き、即席のサイン会が始まってしまって……迂闊だった。

 その間、麻衣子は少し離れたところで僕が解放されるのを待っていた。


「オツカレサマ。」

 彼女は人込みから解放された僕を見て口元を歪めた。

「大変なんですね。人気のある人って――」

 棒読みの彼女の言葉には若干のトゲがあったが、それは「本当の僕」と「見せ物の僕」の両方を知る彼女だけが理解できる「憐れみ」を含んでいるみたいだった。

 僕にとって彼女は一番の理解者でもあった。

 彼女と会っているときだけは素の自分に戻ることができる。

 どうしようもなく自分勝手で、我を押し通すかと思えばときどき弱気で、生きていくための打算もなにもない本当の僕……それはいまでは彼女の前にしか存在していなかった。

 彼女と二人で過ごす時間は、虚飾と現実の間を行き来する僕にとって、精神的なバランスを保つための重要な時間だった。

「なあ。せっかくだから寄ってかない?」

 僕は上を指さした。



 展望デッキには思ってたより人はいなかった。

 またさっきみたいなコトになったら面倒だと思ってたからほっとした。

 やや西に傾いた陽が眩しい。

 時折吹き付ける風が髪をかき乱す――。

 僕は彼女を後ろから抱きしめた。

 彼女は一瞬だけ微かに身を固くしたが、抵抗することもなく僕の胸に寄りかかってきた。


「――ファンの人たちに恨まれちゃうかもね」

 不意に彼女が呟いた。

「そりゃそうだろ――。」

 僕が笑うと、彼女は肘で僕の腹を小突いた。


 僕は順調すぎるいまの自分が不思議で仕方がなかった。

 高校時代の挫折が、僕を疑り深い性格にしてしまったのかもしれない。

 考えてみれば、彼女と僕の始まり・・・は、いつだって僕の挫折と同時に訪れた。

 初めて出会ったのが、鼻っ柱を折られた中二の秋で、次に再会したのは自暴自棄になりかけてた高一の秋。

 どっちも、高橋先輩が言ってたサスペンデッドゲームの中断中の出来事みたいなものだ。

 だから麻衣子は知っている。

 本当の僕がどれだけ弱い人間で、頼りない男なのかということも――。


 あのときからはだいぶ時間も経ち、中断していた試合は既に動き出していた。

 僕は幼い頃からの夢だったプロのマウンドに立っている。

 そして……僕は本拠地での登板日には必ず麻衣子を招待している。

 彼女がいるから最高のパフォーマンスを発揮できるし、試合後には必ず自慢話という名の報告をしている。

 もちろん藤堂さんとの約束を忘れたワケではないが、いまの僕を突き動かしているのは紛れもなく麻衣子の存在だった。

 だから彼女が僕に何も期待しなくなったら、僕はすべてを諦めてしまうのだと思う。

 マウンドに上がる意味も見いだせなくなって、すべてを投げ出してしまうのかもしれない。


「いまよりいいコトあるのかな……」

 彼女は微かに首を傾げた。

「あるよ。」

 僕は言った。

 根拠を示せと言われたら困るけど、僕には揺るぎない自信があった。

「ホントに……簡単に答えすぎ。」

 彼女は僕の腕を解き、僕の方に向き直った。

「いまより幸せって結構たいへんなことよ? ちゃんと考えて言ってる?」

 麻衣子は悪戯っぽく微笑んだ。少しだけ瞳を潤ませて。

「ちゃんと考えてるよ」

 僕は苦笑いした。

 確かにこの瞬間と比べたらハードルは高いのだろうけど――。



 目の前に広がる滑走路には次々に飛行機が降りてきていた。

 飛び立つところが見たかったのだが、どうやらココからは見えないみたいだ。



「あっち……行ってみない?」

 麻衣子は展望デッキの先の方を指さした。

「いや、そろそろ道が混み始める前にさ――」

 僕は時計を指さして言ったが、彼女は聞き入れずに僕の腕を引っ張った。 


 麻衣子を独占したい――。

 僕はずっと自分がそう願っているんだと思っていた。

 物理的な意味でも精神的な意味でも……とにかく彼女を独り占めしたい、と。

 でも……実はそれは違ってたんじゃないかと思い始めている。


「ほら、やっぱりコッチの方がよく見えるわ」

 彼女は無邪気に微笑んだ。

 確かにコッチの方が滑走路を遠くまで見渡せるようだ。

「ねえ。ちょっと耳貸して?」

 彼女はまた悪戯っぽく微笑んで……だいたいナニを考えてるのかは想像が付くが。

「ちょっとだけだぞ?」

 僕は言われるままに身を屈めた。

 彼女ははにかんだように微笑むと、僕の首に両腕を絡めてきた。

 そして耳元に顔を寄せてきた。

「――――。」

 彼女の囁きが僕の耳を擽った。

 僕にとっては当たり前すぎるのに新鮮で、そしてドコか気恥ずかしいフレーズ……。

「……意外と照れるな、それ――」

 言いかけた僕の言葉を彼女が奪った。

 その至福の息苦しさに包まれながら、僕ははっきりと確信していた。


 僕はずっと彼女に独り占めされたかった。

 彼女だけに見られたくて、彼女だけに愛されたかった。

 そして……いま、僕は最高の幸せを手に入れたということに気付いた。



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