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Liga Mexicana de Béisbol Ⅳ



 最終回のマウンド――。

 僕はセンター方向を振り返ると、帽子を目深に被り直し、右手を胸に当てた。

 リガ・メヒカナ・デ・ベイスボル最終節。

 チームは既にプレーオフ進出を決めていた。

 そして僕にとってリーグ戦の最後の登板となったこの試合、ここまで相手に得点を許していない。

 今シーズン、既に六つの完封を記録している僕だったが、昨シーズンと比べて投球が安定した大きなポイントは変化球だった。

 ひとつはシンカー。

 これは去年のウインターリーグで、アメリカのマイナーから来ていた人に教えてもらったボールだった。

 落差はそれほどないと思うが、左打者から見て「逃げるようにして沈む」このボールは自分でも「使える」という感触を得ていた。

 そしてカーブ。

 これは日本にいたときに、後輩の佐々木に教えてもらったのだが、去年の終わり頃からなんとなくしっくりくるようになった。

 これも大したキレがあるとは思わないが、この遅い変化球を手に入れたことで速球が更に有効な武器になっていた。投球に幅を持たせることができるようになっていた。


 打席に目を戻すと、九番のフランコがバットを構えていた。

 昨年のコッチでのデビュー戦、僕は左打席に入ったこのベテラン選手に三安打されていた。

 しかしいまの彼はあのときの彼とは違うし、僕もまたあのときの僕とは違っていた。彼は衰え、僕は成長した……そういうことかもしれない。

 キャッチャーのサインに、僕は一度首を振った。

 もう一度首を振る……三度目のサイン交換でようやく僕は頷き、ゆっくりと振りかぶった。


 初球――。

 インコース低めに外れた速球にフランコのバットは動かなかった。

 見逃したというより手が出なかったというのは、彼の眼を見れば明らかだった。

 二球目はすぐにサインが決まり、僕はゆっくりと振りかぶった。


 ストライク。


 外角低めの速球。この球にもフランコのバットは微動だにしない。

 三球目は、最近のお気に入りのカーブ。

 インコース低めに外れた……と思ったのだが、フランコはフルスイングし、自打球を踝の辺りに当てた。

 彼は足を引きずりながら打席をハズし、僕は球審から受け取ったボールを捏ねながらプレートをハズした。

 三塁手のデルガドがマウンドに近寄ってきて何かを言った。

 僕は「おまえのところにだけは打たせねえから安心しろ」と、お互いに一方通行の言葉を交わしてからキャッチャーに向き直った。

 フランコは既に打席に入っていた。

 僕は短いサインの交換を済ませると、ゆっくりと振りかぶり、インハイを目がけて思い切り腕を振った。


「……OK。まずひとつ」

 この試合12個目の三振で、試合終了まであとアウト二つ。

 打順はトップに還り、今日2三振のデラクルスが右打席に入った。

 去年まではチームメイトだった彼は、ミートがうまく足が速い。デルガドの前に転がされると面倒な事になるかもしれない。

 キャッチャーはシンカーを要求してきた。

 僕は軽く頷き、ゆっくりと振りかぶった。


 外角低めのシンカーにデラクルスのバットは止まったが、際どいコースに決まってストライク。

 彼は不満そうな表情で首を捻っている。


〈意外と細かいことを引きずるタイプなんだよな〉

 僕はスパイクで打席を均す元同僚を横目で見ながら口元を弛めた。そして早めのサイン交換をし、投球モーションに入った。

 

 二球目の速球はインコース一杯に決まるストライク。

 デラクルスはまた不満そうな顔をした。たぶん今度は僕に対して。

 彼はミートが上手い。ボールを芯で捉える技術は高い。しかしムラがある。

 自分ので勝負ができるときは恐ろしいチカラを発揮する。だから僕は「僕の間」で勝負をする。わざわざ相手の土俵に上がる必要なんてないし。

 僕はキャッチャーからボールを受け取ると、間をおかずに投球モーションに入った。


 球審の手が挙がる。

 同じコースの速球に、デラクルスのバットは動かなかった。

 見逃しの三振でツーアウト。

 苛立ち気味に首を振りながらベンチに戻るデラクルスと入れ替わるようにして、左打席には二番のロメロが入った。

 この選手のことはあまりよく知らない。

 だが、いまの僕にとって脅威になる存在ではなさそうだった。


 ツーストライクツーボール。

 速球を四つ続けての並行カウント。

 キャッチャーからの要求はチェンジアップだったが、僕は首を横に振り、帽子のつば、左肩、左肘……と、右手を動かした。

 サインが決まった。

 キャッチャーはインコース寄りにミットを構える。

 僕は足元に視線を落として小さく息を吐くと、ゆっくりと投球モーションに入った。




「――はい。完了、と」

 インハイの速球にバットが空を切るのを見届けると、僕はマウンド上で拳を握りしめた。


 リガ・メヒカナ・デ・ベイスボル最終節。

 僕は十六勝目を完封で飾り、リーグ最多勝を確定した。

 そしてチームは南部の首位でプレーオフ進出を決めた。

 スタジアムは歓喜に湧いていた。

 僕はデルガドに促され、帽子を取ってスタンドに手を振ると、ダッグアウトでリカルドと握手を交わし、いつものようにロッカールームへと向かった。

 リーグ首位は嬉しい。だけどまだ先があるし、できるだけいつものリズムを崩したくなかった。


 いつものようにシャワーを浴び、着替えを済ませ、荷物をまとめてロッカールームを出る。

 そこにはいつものようにタイラが待っていた。


 僕はタイラに連れられ、球場事務室の隣の応接室に入った。

 応接室には煙草の煙が籠もっていて、少し前まで誰かがいたような痕跡が残っていた。

「……マリセラは?」

 いつもはいるはずの彼女がいない。

「さっき、来るよ。ココにいて」

 タイラは笑顔でそう言ったが……なんなの、その日本語。

 通訳として信用できない理由が正にコレだった。

 

 僕は窓を少し開けると、ソファに身を沈め、足を投げ出した。

 今日は心地のいい疲労感があった。

 シーズンに何度かある、試合後の至福のとき――

「杉浦――。」

「ん?」

「ありがとう、ね」

 タイラは笑顔で言った。

 しかしそれはいつもの調子のいい笑顔とは何処かが違っていた。

「はあ? まだ終わってねえじゃんよ」

 僕は目を逸らした。

 あらたまってそんなこと言われると、どう反応したらいいのかわからない。

「約束……杉浦が守ってくれたよ」

 タイラはマジメな顔で右手を僕に差しだした。


 そう言うのは嫌いなんだよな――。

 僕はため息を吐いた。


 一ヶ月くらい前の十二勝目を挙げた晩、僕はマリセラから一枚の写真を見せられた。

 ソコに映っていたのは、十六歳の藤堂さんと十九歳のタイラ、そして十四歳のマリセラだった。

 メキシコにきたばかりの藤堂さんは、日本語が話せるタイラといつも一緒にいたらしい。

 日本人の父親を持つタイラだったが、当時の彼が話す日本語はだいぶ怪しいモノだったそうだ。いまでも十分怪しいと思うが。

 そんな彼らが話すことと言えば、将来の夢のことくらいしかなかったようだ。

 藤堂さんはアメリカに行くと言っていた。ドジャースでプレーするのが夢だと聞いたことがある。

 タイラの夢もアメリカでプレーすることだった。

 彼らは練習の合間にそんな話題で盛り上がったりしていたらしい。

 で、あるときからオーナーの娘であるマリセラがソコに加わるようになったそうだ。

 彼女の夢はとくに話題にならなかったそうだが、いつかチームを優勝させて祝杯を挙げるという約束を交わしたんだそうだ。

 なのに藤堂さんは約束を果たさないままアメリカに行ってしまったし、タイラに関しては解雇になって、野球そのものから離れてしまった。

 そして可愛らしい女の子だったマリセラは甘やかされてわがまま娘に……と、三者三様のその後を辿っている。人生は無常だ。

 で……その話を聞いた僕はタイラに言った。「その約束、おれが引き継いでやるよ」と……。


 いまでは言ったことを少しだけ後悔してる。

 優勝するのは僕の目標でもあったし、自信も当然あったのだが、タイラが妙に感動したようで目を潤ませて何度も「ありがとう」というもんだからちょっとめんどくさくなってきた。

 期待をされるのは仕方がない。それにはもう慣れた。

 だけど、そんな目で僕を見るのはヤメテ欲しい。僕まで釣られて泣いてしまいそうだから。


 そんなことより――。

「……まだ来ねえのかよ。」僕は時計に目をやった。

 もうすぐ二十分くらい経つが、マリセラは姿を現さなかった。

 そろそろマジで腹が減ってきたのだが……。


「マリセラさん、ビジンになったよ」

 タイラは何の脈絡もなくそう言った。

「こんな、小さかったよ」

 笑いながら腰の辺りで手のひらを水平に揺らした。

「ま、女は変わるからね……」

 僕は知ったような口ぶりで嘯いた。我ながら嘘臭くてイヤになるが。


 でも確かに女は変わる。

 麻柚なんかは最初は男そのものだったし、幸子なんか優しい姉ちゃんだった。

 そして麻衣子。

 初めて会った頃の彼女は伏し目がちの大人しい子だった。どちらかというと彼女はいつも聞き役で……ん、聞き役?

「――野村さん、来てたヨ」

 唐突にタイラが言った。

 野村さんとは今年シーズンが始まる直前に会っている。

 一年位前にも会っているが、そのときは僕ではなく藤堂さんに用事があったみたいだったが。

「誰か一緒、だったよ」

 誰か……それじゃまったくわからんがな。

「……誰? 日本人、外人?」

「わからないね。さっきまでいたよ」

 彼はテーブルを指さすと、にんまりと笑った。


 僕はソファからカラダを起こし、テーブルを覗いた。

 テーブルの上の灰皿には金色の吸いさしが残っている……ちょっと趣味が悪すぎるな。


「杉浦――。」

「ん?」

「その人、すごいでぶ・・だったヨ」

 怪しげな日本語でそう言ったタイラは、何か知らんが嬉しそうだった。




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