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Liga Mexicana de Béisbol Ⅲ


「――秋山くんはどう思うかね?」

 正面に座るスーツ姿の男は秋山を窺った。

「是非、君の意見が聞きたい――。」

 眼鏡の奥の目は秋山に対して好意的なものに見えたが、それでも秋山は居心地の悪さを覚えてそっと目を逸らした。


 東京にある球団本社ビル15階の大会議室には、球団の上層部が出席しての編成会議が行われていた。

 高校野球の選手権大会予選を控え、ドラフト候補の絞り込みの時期が来ていた。

 昨年の秋にリストアップした選手は百五十名を超えていたが、いまでは五十名をきるほどしか残っていない。

 このなかから更に三十名ほどに絞り込み、今秋のドラフトに臨むことになる。



「――以上です。あくまで個人的な感想ですが」

 秋山はあくまでも当たり障りない言葉を選んだ。

 他のスカウトが追っかけている選手についてどうこう言える立場ではないことは、自分自身が一番よくわかっているつもりだった。

「なるほど――。それでは引き続き調査を進めてくれ」 

 スーツの男は満足げに頷くと、同僚スカウトに向かって尊大な態度で言った。

 同僚は秋山に向かって目配せすると、やれやれという風に頷いた。


 部長以下、総勢十一名のスカウトの中で一番若い秋山は、これまでは球団上層部の人間からは「顔も覚えられていない」のではないかと思える程度の存在だった。

 しかし、昨年のドラフトを境に彼のスカウトとしての評価は急上昇していた。


「ところで杉浦の方はどうなっている」

 水沢が尋ねた。

 秋山にとってこの年嵩の編成部長は球界に置ける父親のような存在でもあった。選手としての秋山が球団に見きりをつけられたとき、球団職員としての道を模索してくれたのが水沢であり、現スカウト部長の山下だった。


「――まず特筆すべきは"sinking fastball"と呼ばれる高速シンカーです」

 秋山はテーブルの上に厚めのファイルを広げた。

「150km/h近いスピードで曲がり落ちるこのボールはキレ、制球ともに抜群です。本人も自信を持っているようで、カウントに関係なく放るケースが目立っています。もともとストレートの速さには定評がありましたが、最近ではストレートと言うより"Moving fastball"と言われる動くボールを投げるようになっています。今年の初めのウインターリーグではMAX157km/hを記録していますし、打者から見れば相当に厄介な投手になったと言えます」

 秋山は話しながら上層部の様子を窺い、小さく息を吐いた。

「メキシカンリーグで昨年は七勝、今季も既に十一勝を挙げていますし、着実に実績を積み上げてきています」

「なるほど。"逆輸入右腕"か」

 話題にはなりそうだ――。

 上層部の連中が浮かべた下卑た笑いに、秋山は奥歯を噛みしめた。

実力的にも・・・・・即戦力として十分に計算のできる投手だと思います」

 秋山は強調するように言うと、ファイルを閉じた。


「向こうさんとの契約はどうなってるんだ?」

 水沢が尋ねた。

「はい。代理人の話では今シーズン限りでの退団は既定路線で、球団側も了承済だと聞いています。ただ――」

「ただ……なんだ?」

「ひとつはドラフトです。彼が帰国すると言うことになれば、他球団との競合は避けられません」

「それはこのあいだみたいにすればいいじゃないか。藤堂のときみたいに――」

 上層部の軽い意見に苛立ちを覚えた秋山だったが、顔に出すことなく言葉を続けた。

「もう一つは本人の意思です。彼の気持ちがどちら・・・にあるのか……それはまだ確認できていません」

 メジャーからの接触もあるようですし――。

 秋山は手帳を閉じた。

「なるほど――。」

 水沢はテーブルに両肘をつき、顔の前で指を組んだ。

「で、どうするんだ?」

「会ってきます。会って彼の意思を確認してきます」

 秋山は毅然と言った。

「直接か……。大丈夫か?」

 水沢の心配がタンパリングにあることに秋山も気付いていた。

「はい。メキシカンリーグの日程終了に合わせて、京葉工科大の斎藤監督がメキシコに行くようです。そこに同行させてもらうつもりです」

 大学の関係者に紛れていってきます――。

 秋山はそう言って一瞬だけ口元を弛めた。





***


 九回裏、二死二塁――。

 インコースに構えたキャッチャーのサインに、小さく一度頷く。

 セットに入ると、三塁手のデルガドと目があった。

 奴はにっこりと笑ったが、僕はソレを無視しゆっくりとモーションに入った――。



 最後の打者を膝元に沈む高速シンカーで三振に打ち取ると、僕はマウンド上で小さく拳を握りしめた。

 これで十二勝目。ハーラー単独トップに躍り出た。


 マウンドに駆け寄ってきたデルガドが満面の笑みで僕に抱きついてきたが……頼むぜ、マジで。

 今シーズンから藤堂さんに変わって三塁手のポジションに就いているデルガド。

 この陽気なプエルトリカンは、たまにとんでもない凡ミスをする。

 いまも二死からイージーなサードゴロを、これまたイージーにトンネルした。その間に俊足のバッターランナーは二塁を陥れていた。

 点差もあったし、致命傷にならないエラーではあったが……マジで危険な男だ。

 ダッグアウトでリカルドと軽く握手を交わし、ロッカールームに向かう。

 薄暗い通路を抜けると、その先にロッカールームとシャワールームがあるのだが――


「杉浦――。」

 声に振り返ると、通訳のシュウ・タイラが僕に向かって笑いかけてきた。

 三年目の今季、僕には通訳が付くようになっていた。

 僕としては「なぜいまごろ通訳なのか」と疑問を感じざるをえなかったが、このタイラって男はなかなかいい奴だった。昨年まではココでプレーをしていたが、選手としては見切りをつけられ解雇されていた。しかし日本語と英語が話せるということで球団職員としてココに残ることになったのだが……かなり適当な男だった。

 だから通訳としては一抹の不安を感じないわけではなかったが、話し相手としては悪くない存在だった。

「マリセラさん、待ってるよ」

 タイラは出口の方を指さした。

「あっそ。シャワー浴びるから待たせておいてよ」

 僕は言った。

 シャワーを浴び、髪の毛も半渇きのままロッカールームをでると、剥き出しの肩にタイトなジーンズ姿の小生意気な女が腕を組んだまま壁にもたれていた。

 彼女は僕の姿を見つけると、僕を指を差しながら激しい口調で何かを言った。

 何を言ってるかまったくわからんけど、怒っていると言うことだけは間違いがなさそうだ。

「……なに言ってんの」

 僕は彼女をアゴでしゃくると、隣で小さくなっているタイラに尋ねた。

「いいピッチングだったって」

「嘘つけ。」

 だいたいそんな好意的な意味であるはずがない。

「あと……チューしたいって」

 そう言って悪戯っぽく笑ったタイラの脇腹に左ショートフックを見舞った。


 マリセラ・ビジャ・ルハン(Maricela Villa Luján)――。

 彼女はうちのチームのオーナーの娘だった。つまりお嬢様。かなりわがままな部類に入ると思うが、言ってることがわからない僕はそれほど苦痛ではない。

 僕が本拠地であるこの球場で先発した日は、こうして必ず食事に付き合わされている。

 しかしそれは僕に対する特別な好意があって……というものではないらしい。単純に遠い国からきた物好きな日本人に興味があるというだけみたいだった。実際に去年までは藤堂さんの役目だったし、いつもタイラも一緒だし。


 そしてその藤堂さんはもうココにはいなかった。

 ある日、知らないおじさんがドコかに連れて行ってしまった……というのは冗談だが、アメリカのマイナーリーグのチームからスカウトが来て、昨シーズン終了とともに移籍してしまった。

 やっぱりあの人はすごい。いつも僕の一歩先を行ってしまう。

 でも、僕もまた自分の進むべき道筋がしっかりと定まりつつあった。


 球場の駐車場にはマリセラのクルマが停まっていた。

 なんていう車なのかは知らないが、トラックみたいなごっつい車だった。

 僕は言われるままに助手席に乗り込み、タイラもマリセラが運転席に乗り込むのを確認してから後部座席のドアを開けた。

 連れてこられたのはメリダの中心部にあるソカロ(公園)に近いレストランだった。


「――――?!」

 レストランの入り口でタイラが声を上げた。

 店員とタイラがスペイン語で何かを言い合っている。言葉の意味はまったくわからないが、頻りにタイラの服を指さしてることから考えて、ドレスコードに引っ掛かったのだろう。

 確かにタイラの格好は酷い。ヨレヨレのTシャツにヘンな迷彩柄の短パンだし。

 だけど……マリセラはいいのか? 僕に言わせればコイツも似たようなもんだと思うのだが。

 結局タイラは店に入れなかった。

 マリセラはタイラに向かってクルマのキーを投げつけ何かを言った。当然、何を言ったのか僕にはわからなかった。


 レストランは落ち着いた雰囲気だった。いつも連れてこられる店とは確かに違うみたいだ。

 ウェイターがやってきてオーダーを取っていったが、僕はなにもしていない。ただ座っているだけだった。

 言葉がわからないというのもある。だが食べたいものを選ぶことくらいはできるはずなのだが……マリセラが僕のぶんまで勝手にオーダーし、ウェイターは僕が広げていたメニューを慇懃に下げていった。まったく……いつもこうなんだ。

 マリセラはいつものように一方的に話しかけてきた。

 しかし通訳タイラがいない。彼女もそれに気付いたようで、ゆっくりと話してくれてはいるのだが……彼女は根本的なことがわかっていない。

 僕は言葉を聞き取ることができないんじゃなくて、その意味がまったくわからないのだ。

 それでも彼女は根気よくゆっくりと話しかけてきたが、僕にわかったのは「トウドウ」と「スギウラ」と「タイラ」の三種類の固有名詞だけだった。


 不意に彼女はバッグから何かを取り出し、僕に差しだしてきた。

 それは写真だった。僕は受け取り、それを眺めた。

「あ……藤堂さん?」

 僕が呟くと、マリセラは微笑んだ。

 写真に写っていたのはユニフォーム姿の藤堂さんとタイラ、そして僕らと同じ帽子を被った小さな女の子だった。

「これ、タイラ?」

 写真を指さすと、彼女は表情を崩して二度頷いた。

 僕はもう一度写真に目を落とした。

 たぶん、藤堂さんがコッチに来てすぐの頃のものなんだろう。僕の知ってる昔のイメージに近いし。

 タイラも若い、つうか幼い。

 まさかこの頃は、数年後にインチキ通訳をヤラされることになるとは思ってもいなかったんだろうけど……なるほど。

 これは夢見る若者たちがファンの子供と一緒に撮った一枚……つうわけだな。


 僕が一人で納得してると、マリセラが身を乗り出してきた。

 彼女は僕の手から写真を奪い取った。

 そして真ん中の女の子を指さすと、にっこり笑って自分の顔を指さした。





***


「え。峰岸さんは行かないんですか?」

 秋山は声を上げた。 

「行かないんじゃなくて行けないんだよ、な?」

 斎藤は満面の笑みを浮かべて言ったが、峰岸はグラスに手を置いたまま項垂れていた。


 秋山は銀座駅の近くにある寿司屋に来ていた。

 斎藤、峰岸の定例会議にゲストとして顔を出すためだったが、昨年からは毎月第一金曜日に必ず招集が掛かるようになっていた。

 秋山は彼らに認めて貰えたような気がして、なんだか背中がムズガユイような不思議な気持ちになっていた。同時に毎月のこの集まりを楽しみに待つようになっていた。

 今日の店は斎藤の行きつけだった。

 並木通りからひとつ裏通りに入ったカウンター席のみの小さな店だった。


「行けないって……仕事かなんかですか?」

 秋山は遠慮がちに尋ねた。

「まあ、それもないわけじゃないが――」

 項垂れている峰岸の代わりに斎藤が口を開いた。

「杉浦にヘソを曲げられたんだよ。たちの悪い嘘を吐くからこんな事に――」

「ちょっと待ってください。オレばっかり悪者にせんでくれと何度も言ってるでしょ?!」

 峰岸は目をつり上げたが、斎藤は細い目を更に細め、グラスを口元に運んだ。

「いったい……なにがあったんですか?」

 秋山は恐る恐る彼らの顔を窺った。


 ぎゃはははは――!!


 狭い店内に秋山の笑い声が響き渡った。

「いやあ、峰岸さんって悪党だったんスねー」

 秋山は身を捩りながら、おしぼりで目尻を拭った。

 真ん中に座っていた斎藤が大袈裟に秋山を振り返った。

「なんだ、いまごろ知ったのか? コイツは昔っから悪い奴で――」

「だ・か・ら! ココにいる奴はみんな共犯なの!」

 あんたも一緒だよ――。

 峰岸は下唇を突き出し、秋山をアゴでしゃくった。

「でも、私は知りませんでしたよ。ウチの・・・藤堂が再起不能だった・・・・・・・なんて」

 秋山はまた笑った。


 昨秋のドラフト会議で指名した藤堂亮。

 高校を中退した無名選手の獲得には球団内にも強い異論があった。

 しかし秋山は引かなかった。結局、捕手不足のチーム事情もあり、最終的に四位での指名に踏み切った。

 入団当初は高校中退という経歴だけが注目を集めた彼だったが、その評価を一変させたのは春季キャンプの紅白戦だった。

 三試合で二本の本塁打を放った打力を買われ、早々に一軍帯同が決まった。

 藤堂はその後もオープン戦でキッチリと結果を出し続けた。

 特に昨年新人王の左腕・用田から放った特大の一発は、長距離打者としてのある種の予感を見る者に印象づけた。

 そしてシーズン開幕後も、ベテラン正捕手・石井との併用ながら、徐々にその位置を脅かすまでになっていた。


「それにしても再起不能はないですよね?」

「仕方なかったんだよ! つい口が滑っちゃったの!」

 クチを尖らせた峰岸を見て、秋山は笑みを浮かべた。

 藤堂がケガをしていたのは本当だった。右手首と指を痛めていたのは紛れもない事実だった。

 彼はバネ指を患っていた。

 だがそれはオーバーワークが原因で、五年前の事件とは無関係のケガだった。確かにその症状は軽いとは言えないものだったが、いまはなにも問題がない。

 アメリカ・ロサンゼルスで外科手術を受け、リハビリを終え、ドラフトに臨むころにはキズは完全に癒えていた。

 それは秋山としても調査済だった。


「あ~あ、チクショウ。ネギトロでも食うか、久しぶりに」

 峰岸が斎藤を横目で窺った。

 しかし斎藤は「あれは子供が食うものだ」と一笑に付した。

「じゃ、若い人間だけで食いますわ。秋山君は食べるだろ」

「はい。じゃあ、いただきます」

 峰岸は秋山が答えるより早くカウンターに声をかけた。


「ネギトロ、上手いんですか? ココって」

 秋山は峰岸を窺った。

「いや、山路が好きでな。アイツはドコに行っても、まずネギトロでな――」

 そう答えた斎藤の表情はドコか懐かしげで、彼らの師弟関係がどこか羨ましく、そして眩しく見えた。



 暖簾が下げられる時間になっても、斎藤はその重い腰を上げようとはしなかった。

 そしてカウンター内のご主人に向かって手を伸ばした。

 ご主人は心得たように日本酒のメニューを斎藤に差し出すと、斎藤はそれを当然のように受け取り、酒をオーダーした。 

 閉店後の店内で、斎藤たちの酒盛りは続いていた。



「――実は私は迷っています」

 秋山は俯き加減のまま呟いた。

「杉浦は本当にウチにくるべきなのか……少しだけわからなくなりました」

 彼は首を捻り、グラスの酒を飲み干した。

 斎藤は無表情のまま空になった秋山のグラスに酒を注ぎ、峰岸はカウンターに肘をつき、口元を弛めたまま秋山の顔を眺めていた。


「ウチのウエの連中は野球がわかってないんです。それに選手に対するリスペクトというか――、愛情が足りないように思います」

 秋山は球団上層部を強く批判した。

 彼はかねてからフロントの姿勢に不満を持っていた。話題性や即戦力にのみ拘りを見せる球団のやり方に疑問を感じていた。

「だいたい、折角入ってくれた選手をたった数年で解雇にしてしまうなんて、なぜもっと長期的な視野で――」

「だが、それは仕方がないんじゃないか?」

 黙って聞いていた斉藤が口を開いた。

「プロ野球が興業である以上、ある程度商売や話題性に走るのはやむを得ない。毎年何人かの選手を獲得れば、同時に何人かの選手を解雇る必要がある。それは支配下に上限がある以上致し方ないことだ。確かに切られる側にしてみればそれぞれに言い分はあるだろう。しかし可能性のない選手に引導を渡す汚れ役を演じる人間も必要なんだよ。自分の限界は、なかなか自分では認めたくないものだろうしな」

 斎藤は意味ありげに微笑んだ。

「選手に愛情を持ってやれる人間もいれば、ドライに切り捨てる人間もまたいる。だからバランスが取れていいんじゃないか」

「ですが――」

「いずれにしても杉浦については君が心配することではない。いまの君の仕事は杉浦の獲得に全力を尽くすことだ」

 斎藤は秋山の肩を叩いた。

「ま、呑みが足りないからそんな愚痴が出るんだろ」

 取りあえず呑め――。

 斎藤は笑いながら秋山のグラスに酒を注いだ。




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