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Liga Mexicana de Béisbol Ⅱ

 宿舎を出た僕らは、Colonias-Calle通りを南に向かっていた。

 僕らの本拠地までは、片側二車線のこの通りを進めば二十分ほどで着くはずだった。



「ま、取りあえずマークすんのは三番のアレックスだけだな」

 ステアリングを握る藤堂さんが呟いた。

「あいつの前にさえランナーを出さなきゃ、あとはどうってことはない」

 楽勝だ――。

 自信満々にそう言い切ったが、そんな簡単なもんじゃないと僕は思う。


 僕は窓の外を見上げた。

 上空は雲ひとつない青空だった。ため息が出るくらいの晴天に恵まれていた。

 窓から吹き込む風は夏の匂いがした。

 それはつい二日前までの汗くささとはまるで違う爽やかな夏の香りだった。


 僕がメキシコにやってきて二年目。

 メキシカンリーグ、Liga Mexicana de Beisbolは、開幕から既に二週間以上経っていたが、僕らのチームの戦績は芳しいモノではなかった。


 コッチに来て一年目の昨季、僕ははじめの一ヶ月を下部リーグの『タバスコリーグ』で過ごしたが、そこではほとんど見せ場がないまま、五月の中頃には全日程を終了した。

 その後メリダに戻ったものの、プレーオフ進出を逃した僕らのチームは七月中にはシーズンが終了してしまった。つまり、なにも存在感を示すことがないままシーズンオフに入ってしまった。

 しかし、そんな僕に転機が訪れた。

 十月に開幕するウインターリーグ、Liga Mexicana del Pacifico――。

 そこのあるチームに藤堂さんと僕は誘われたのだ。

 下部リーグではほとんど出番のなかった僕だが、ココでは違った。

 過密日程の中で僕の登板機会は多く、しかもプレーオフに進出したチームの事情で、スプリングトレーニングが始まる直前まで野球漬けの生活を送ることができた。


 そして今季。

 僕は開幕ロースターから漏れ、昨年と同じように下部リーグに参加していたのだが……一昨日、急遽ココに呼び戻された。

 なんでも故障者が出て先発ローテーションに大きな狂いが生じているらしい。

 で、取りあえず投げられそうな奴を、ということで僕が呼ばれたらしい。

 だけど今日いきなり先発って……リカルドって奴は相当イカれてるんだと思う。



 そんなことを考えながら外を眺めてると、やがて右手にポッカリとした空間が現れた。

 ほどなくカマロは大きな右カーブに差しかかった。

 カーブを曲がりきると右手に球場が見えてきた。

 Parqhe de Beisbol Kukulkan――。

 僕らのホームグラウンドだった。





*** 


「なんなんすか、これ。」

 投球練習を終えてダッグアウトに戻った僕は、足下に散らばった何かをスパイクの先で払いながら呟いた。


「おう。おまえも食うか?」

「いや……いいス」

 僕は藤堂さんが差しだしてきたヒマワリの種が入った袋を掌で制した。

 さっきまではきれいだったダッグアウトは、いまではヒマワリの種と噛み煙草で足の踏み場がないほどに散らかっていた。

 顔を顰める僕に向かって「すぐに慣れるさ」と藤堂さんは笑ったが、僕にはムリだと思う。自分が意外とデリケートな人間なんだと僕はこのときはじめて知った。


 それにしても……いまにして思えば、下部リーグの環境は酷かった。

 グラウンドはボコボコだし、シャワーは水しかでないし。

 さらに移動はオンボロバスで、しかもメシと称して配られるのはホットドッグとコーラが一本……たったそれだけ。

 こんなモノで腹が膨れるワケねーだろ、と本気でムカついた。

 しかし選手もそれなりだった。とにかくエラーが多かった。たぶんそれはグラウンドのせいばかりではない。だってフライを見失っちゃう奴も多かったし。まあ照明が暗いせいもあるが……いや、デーゲームでもやってた奴がいるからやっぱり関係ないか。とにかく酷い状況だった。


 ところがウインターリーグはまったく違っていた。

 本気で上を目指してるプロたちが集まってるから凄い奴ら・・・・がたくさんいた。

 特に打つ方ではそのパワーと技術の高さに驚かされた。

 外国人選手=ローボールヒッター、というイメージが僕の中にあった。

 しかしウインターリーグを通して感じたのは、やっぱり高目のボールの方が危ないというごくごく当たり前のことだった。

 僕はもともと高目の速球が武器だったが、ココでは簡単には通用しない。ちょっと甘いコースにいくとあっさりとサク越えをされてしまう。

 現に僕は、昨季のウインターリーグではリーグワーストの七本の本塁打を浴びた。

 しかしそこから学んだモノは計り知れない。少なからず僕にはいくつかの収穫があった。



 球場ではスターティングメンバーが発表されはじめていた。

 後攻の僕らは観衆の疎らな声援に背中を押されてグラウンドに飛び出した。


 ロージンを片手に上がったマウンドで、僕はプレートを指先で軽く撫でた。

 コッチに来てから新しく加わった僕のルーチン。

 また野球ができる感謝の意味を込めて。

 そしてきれいに整備されたまっさらなマウンド……さすがに下部リーグのマウンドとはまるで違う。

 だいたいあそこのマウンドには岩が埋まってたしな。この間なんてスパイクを引っかけて酷い目に――

「杉浦――。」

 振り返ると藤堂さんが笑っていた。

「ちょっとは緊張してきたか?」

「いえ――。全然スね」

 僕は首を竦めた。

「そうか。ならいいが……いきなり連続ホームランとかはもう・・勘弁しろよな」

「……。」

 ホントにロクな事を言わない人だ。

 それが初登板の後輩にかけるべき言葉なんだろうか?

 確かにウインターリーグの初登板で、いきなり二者連続ホームランを打たれたのは記憶に新しいが。

 しかしスプリングトレーニングを経て、いまの僕は少し変わっていた。

 ただチカラ任せに投げればいいってもんじゃない――。

 そんな当たり前のことに気がついた。

 僕が戦うべき相手はスピードガンじゃなく、打席に入ったバッターだということ。

 それをこのグラブが教えてくれたような気がしていた。



 規定の投球練習を終え、プレイボールがコールされた。

 デビュー戦。プロとしての本当の第一歩。

 しかし自分でも驚くくらいに落ち着いていた。

 根拠のない自信と、なるようにしかならないという開き直り。

 いまの僕には緊張なんて無縁だった。


 左打席に入った先頭打者が、強い視線で僕を睨みつけてくる。

 生活がかかった本気の眼。

 殺気のこもった刺すような視線――。


 だけど僕は怯まなかった。

 静かにその視線を跳ね返すと小さく笑った。

 そして意識してゆっくりと投球モーションに入った。






***


 結局、八回を投げて五安打二失点、四死球ゼロ、奪三振は七個。

 僕はデビュー戦を白星で飾った。

 相手打者の早打ちのお陰もあって投球数は百球に満たなかったから疲れはまったくなかった。 


 宿舎に戻ると、さっそく僕らは祝杯を挙げた。

 参加したのは僕と藤堂さんを含めて八人。メヒカーナとドミニカン。みんな陽気な人たちだ。


「なんか雰囲気が変わったよなあ」

 藤堂さんはワカモレの付いた指を舐めながら、ふふんと笑った。

「そりゃ、中学のトキとは違うんじゃないスか」

 僕はコーラを左手に持ったまま、タコスに手を伸ばした。

「いや、ウインターリーグのときともちょっと違うっつうかよ……妙な凄味があったよ。今日のオマエは」

 ま、取りあえず呑めや――。

 藤堂さんは僕からコーラを取り上げ、テキーラの入ったグラスを持たせた。

 まったく……むちゃくちゃな人だ。僕はまだ未成年だというのに……。

「さっそく彼女に報告しねえとな」

 また手紙書くんだろ――。

 藤堂さんはそう言ってグラスを持った手を僕に翳した。

「で、どんな娘なんだよ?」

 藤堂さんは声を潜めた。

「は? どんなって……」

「写真みせろよ?」

 そう言って僕に手のひらを向けた。

「いや。ないスよ」

「ウソツケ! なんで隠すんだよ?」

 おれは寂しいぞ――。

「いやいや。ホントにないんスけど」

 もともと写真なんか持ってないし。

「……一枚もねえのか?」

「はあ。そうなんスよね……」

 不思議なことに一枚も写真を持っていなかった。


「ク~! なんだ。そうだったのか――」

 藤堂さんは右手で額を抑えた。

「片思いだったんだな」

 彼はそう言って憐れむような目を僕に向けた。

 なぜそういう解釈になるのか……。

 僕は反論しようとしたが、藤堂さんは「すまん。おれが悪かった」の一点張りで、僕の話を聞こうとしてくれなかった。まったく困った勘違いをする人なんだよな……。




「お~い。呑んでるか……?」

「はいはい。呑んでますよ」

 僕は微酔いの藤堂さんに向かって、空になったグラスを掲げた。

 藤堂さんは満足そうに頷いた。


 日付が変わっても宴が終わる気配はなかった。

 ドミニカンが話しかけてきた。僕は曖昧に首を傾げた。

 メヒカーナが手巻き寿司のようなトルティーヤを僕に差しだしてきた。僕はそれを受け取り、一口かぶりついてから親指を立てた。

 みんなが何を喋ってるのかわからなかったが、それでも雰囲気だけで楽しい気持ちになれた。

 僕はこの日、やっとチームの一員になったような気がした。


 生まれてはじめて口にしたテキーラ。

 その喉を灼くような感覚と初勝利を上げた高揚感――。

 十代最後のその夜を、僕は一生忘れないだろうと思った。



―――――――――


 お元気ですか?

 僕は今日、メキシカンリーグでのデビュー戦に勝利しました。

 二年目のデビューは早いのか遅いのか、僕にはよくわかりませんが、チームの人たちが喜んでくれてるのを見るのは僕としても嬉しいものでした。


 そして藤堂さんは、いまやチームの要です。

 ベンチの信頼も厚いようです。

 僕も早くそうなりたいと思っています。


 そういえば、このあいだ球場の近くでイグアナを発見しました。

 一応写真を撮ったので今度、現像して送りますね。


 それではまた。


―――――――――




※補足

■ Colonias-Calle (コロニアス-カジェ):メリダを南北に走る幹線道路。カジェ=道。

■ Liga Mexicana de Beisbol (リガ・メヒカナ・デ・べイスボル):メキシコの夏季リーグ。

■ Parqhe de Beisbol Kukulkan (パルケ デ ベイスボル ククルカン):メリダにある野球場。

■ Liga Mexicana del Pacifico (リガ・メヒカナ・デル・パシフィコ):メキシコの冬季リーグ。

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