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【027】 agente & descanso


「本当ならウインターリーグに参加させたかったんだが……ま、仕方あるまい」

 斉藤は峰岸を振り返り、口元に笑みを浮かべた。


 峰岸は京葉工科大学を訪れていた。

 OBでもある彼は、たびたび同大学を訪れてはいたが、この応接室に足を踏み入れたのは初めてだった。

 斎藤に促されるままにソファに腰を下ろした峰岸は、テーブルの灰皿を引き寄せると、ポケットから取りだした煙草をくわえたまま室内を見渡した。

 室内練習場が覗けるこんな部屋があったことを、そしてこの部屋が斎藤専用の応接室であるということを峰岸は今の今まで知らなかった。


「なんだ。なにか珍しいモノでもあるのか?」

 斎藤はハンガーに掛けたスーツのポケットを探りながら、含み笑いを浮かべた顔で呟いた。

「いえ――。大学野球の総監督ともなると待遇がよろしいんでございましょうね。斎藤御大おんたい

 峰岸も負けないくらいにいやらしい笑みを浮かべてから、煙草の先に火をつけた。


 京葉工科大学には、学長を凌ぐチカラを持つと言われる二人の人物がいた。

 一人はラグビー部の総監督・西島。そしてもう一人が目の前にいる野球部総監督の斎藤だった。

 地方の一大学に過ぎなかった京葉工科大を全国区にまで知名度を高めた二人を、周りの人間たちはそれぞれ「西島御大」、「斎藤御大」と呼び、リスペクトしていた。


「さっそくだが、野村から連絡があったよ」

 斎藤は大仰な仕草でソファに腰を下ろすと、徐に煙草をくわえて火をつけた。

「で、なにか言ってましたか? あいつは」

 峰岸は斎藤がくわえた煙草を凝視しながら尋ねた。

「ああ……中身は確認した、と」

 ソファに深く身を沈めた斎藤は、目を細め静かに煙草をくゆらせた。

「……それだけですか?」

「なかなか興味深い、と。直に見てみたいからコッチに来る、そう言っていたが……その必要はないと断った」

 斎藤の言葉に納得したように峰岸は頷いた。

 準備は着々と進んでいるらしいな――。峰岸は斎藤の言葉からそれを感じ取っていた。


「どうでもいい話なんですが……派手な煙草ですね」

 峰岸は斎藤の口元を指さした。

「ああ、これか――。」

 斎藤は手にした金色の吸いさしを翳した。

「貰いモノだ。確か……ソブラニー・ブラックロシアンと言ったかな――」

 斎藤は言った。

 黒い紙巻きに金色のフィルター……あまり趣味がいいとは言えないと峰岸は思った。


「ところで連絡はあるのか? 杉浦むこうからは」

「いえ。あいつから連絡が来ることはマズないです」

 コチラからの一方通行ですよ――。

 峰岸は下唇を突き出し、首を傾げた。

 その表情に斎藤は頬を弛めた。

「本当に余裕だな、あいつは」

「余裕というより、当事者であるという自覚が足りないんですよ」

 まだまだ子供なんです、あいつは――。

 峰岸は笑いながら苦言を呈した。


「あ、そう言えば――」

 斎藤はポンと手を打った。

「言い忘れてたが、亮の件は手配済だそうだ。二月のあたまにはロスに向かうことになる……コッチに帰ってくるのは半ばくらいになるだろう」

「二月の半ばですか……もうちょっと早くならなかったんですかね?」

 峰岸は眉を顰めた。


「まったく――。」

 斎藤はため息を吐いた。

「オレの苦労も知らずに勝手なことを……」

 おまえは昔っからそういう男だったよな――。

 斎藤は悲しそうな顔で呟くと、煙を真上に向かって吐きだした。





***


杉浦おまえ、よくすり抜けたな」

 あんなにサボリ捲ってたのによ――。

 酒井は不思議そうに言った。


 僕らは学校を出てコンビニに向かっていた。正確に言えば、コンビニに向かっていたのは酒井で、僕はその先にある神社を目指していたのだが。


「いまの時点で三組の岩井と村松はダブり決定だし、香山さん・・なんて気の毒にトリプっちゃうらしいぞ」

 酒井は気の毒といいつつも、ドコか嬉しそうに見えた。

「まあな。結局、ココの出来が違うんだよ」

 僕は頭を指さし小さく笑った。


 彼らの留年決定については学校から正式に発表があったわけではなかった。

 しかし例年、発表前にどこかから漏れてくる留年決定情報。発表されるころには生徒たちの間では既成事実として伝わっているという……まあ情報の管理がずさんなんだろうな。

 今回、そこに僕の名前がなかったことを酒井が不思議がるのもムリはなかった。

 彼らと僕は補習仲間だった。特に岩井と村松は一年の二学期からずっと一緒だ

 ただ、僕が少しだけツイてたのは奴らと違うクラスになったことだった。奴らはいつも一緒にサボってたけど、僕は一人でサボってた。

 つまり、僕は僕がサボりたいときにだけサボっていたが、アイツらは、岩井がサボりたいときも村松がサボりたいときも、いつも二人でサボってた……だから僕の二倍くらいサボってた可能性がある。卒業できなくて当然だ。


「あ、お疲れっす」

 前から歩いてきた名前も知らない後輩が挨拶してきた。僕と酒井は、示し合わせたわけじゃないのに、同じように右手を軽く掲げた。


 放課後、学校から神社までの道ですれ違う知っている顔たち。

 奴らが声を掛けてくる。それに応えるように僕も軽く手を挙げる。

 この二年とちょっとのあいだ、意味なく、そして何気なく繰り返してきた日常。それももうすぐ終わりを迎えると思うと少しだけ寂しい。

 基本、僕は変化を嫌う人間なんだと思う。変化に順応できないからってのもあるけど。

 変わらない『いま』に縋り付いていられるなら、多分迷わずそうしている。それができないから立ち止まり、考え、そして迷っている――。


「なにぶつぶつ言ってんだよ」

 酒井の声に我に返った。

 気が付くと僕らはコンビニの前にたどり着いていた。




***


「あれ……」

 麻衣子は僕を見て驚いたような顔をした。


「約束してたっけ?」

 麻衣子は首を傾げた。

「いや、してないね」

 言いながら僕は頭を掻いた。


 酒井と別れたあと、僕はいったん家に立ち寄ってから六会駅に来ていた。

 立ち止まった麻衣子と僕の周りを、麻衣子と同じ制服を着た女の子たちが遠巻きに過ぎていく。みんな一様に好奇な目を向けながら……。


「迎えにきてみたんだけど……ちょっと迷惑だったよな」

 僕は周りを見渡し、声を潜めた。ちょっと考えればわかりそうなもんなのに……迂闊だった。

「全然。そんなことないよ」

 彼女は明るくそう言うと、僕の手からフルフェイスを奪い取った。


 六会駅のロータリーを出て海に向かった。

 なんとなく海が見たかった。誰の足跡もついていない冬の砂浜が見てみたかった。

 七里ガ浜にバイクを停め、ファーストキッチンでハンバーガーを買い、海沿いの国道を二人並んで歩いた。

 僕らは稲村ガ崎にやってきた。彼女にしてみれば帰ってきたという感じなんだろうけど。


 冬の海は穏やかだった。

 砂浜には犬を散歩させている人の姿があった。期待していた誰の足跡もついていない真っさらな感じとはほど遠いモノだったが、それでもこの閑散とした冬の海は、僕がこの場所に求めていた景色と大きな相違がないものだった。


「なんかさ、こういうなんてことない景色っていいよな」

 堤防に腰を下ろした僕は、海からの風に目を細め、小さく息を吐いた。

「そうかな……?」

 彼女は同調してくれなかった。


 季節はずれの海――。

 波の音が耳に優しい。薄曇りの空がやけに眩しく感じる。


「なんか……元気ないね」

 隣に座った麻衣子が遠慮がちに呟いた。

「全然……そんなことねえだろ」

 僕は微笑した。

「そんなことあるよ、全然」

 彼女はそう呟くと、僕の肩に手を置き、立ち上がった。

「帰ろ。」

 僕を見下ろし、彼女は言った。

「まだ来たばっかりなんスけど」

 僕は笑ったが、彼女は首を横に振った。

「景色がいいかはともかく、この場所は好きなの」

 彼女はそう言うと、視線を海の方に伸ばし、微かに微笑した。


「でも……こんな雰囲気じゃここのイメージが悪くなるでしょ、あたしの中で」

 だから、帰ろうよ――。

 彼女は僕に視線を戻すと、呆気にとられる僕の腕を掴んだ。


「べつに、ホントに元気なんスけどね」

 僕は仕方なく立ち上がり、苦笑いを浮かべた。

 しかし彼女は「いやいや――。全然ダメだから。」と小さく笑みを浮かべただけで、まともに取り合ってくれなかった。

 どうやら彼女に従うしかないらしい。

 僕は大きくノビをすると、潮の香りを肺いっぱいに吸い込んだ。そして後ろ髪を引かれる思いで海に背を向けた。


 階段を上がった国道の信号は赤だった。

 いつになく交通量の少ない今日の国道。渡ろうと思えばいつでも渡れそうだったが……急ぐ理由はとくに見当たらない。


「ねえ。卒業式っていつ?」

 麻衣子が僕を窺った。

「確か……三月一日、だと思う」はっきりとは憶えていないが。

「じゃ、ウチと同じだ」

 

「ねえ。卒業式の日、学校まで迎えに来てよ」

「いいよ。もちろん」

 一応そのつもりではいたのだが。

「じゃ、そのときに来ようよ。もう一度ココに」

 今度は杉浦が元気なときに――。

「いや、だから……おれは元気なんスけどね。マジで」

 僕がため息を吐いたとき、正面の信号が青に変わった。


「あ。」

 国道を渡ったところで僕は大事なことを思いだした。

「どうしたの?」

「いや。おれのバイクって七里じゃん」

「え~忘れてたの?」

 麻衣子は笑ったが、僕は曖昧に頭を揺らした。

 べつに忘れていたワケではなかった。ただいつもと同じく麻衣子の家に置いてきたような気がしてただけ。

「しょうがねえ。あとで歩いて取りに行くか――」

「付き合ってあげるよ」

 麻衣子は僕の独り言に言葉を返してきた。

「たまたま今日は・・・ヒマなので。でも帰りは送ってよね」


 僕らは国道を七里ガ浜に向かって歩いた。

 今日はたまたまヒマなんだという気まぐれな彼女は、僕に付き合って七里ガ浜まで歩いてくれた。

 彼女は僕に向かって「元気がない」と言ったが、僕自身にはその自覚がなかった。

 卒業が近付いてることで少しだけ寂しいと思ってはいたが、隙さえあれば学校を休むコトばかり考えていた僕……寂しいって言うのもちょっと図々しいような気もするけど――。



 

「もし時間があったらでいいんだけど……今から藤沢まで付き合ってくんない?」

 七里ガ浜に着いたところで彼女を誘った。

「ちょっと買いたいものがあってさ」

 僕はフルフェイスを差しだしながらそう言ったが、彼女は何も言葉を返してはくれなかった。

 ただじっと僕を見ている。

「あ……忙しかったらいいよ。べつに今日じゃなくても――」

「そうじゃなくて」

 彼女は首を振った。

「いま、ちょっとだけ成長が見えたような……」

 僕を覗き込む彼女の目がだんだん悪戯っぽいいろに変わっていった。


「まあ……日々成長しておりますので。お陰様で」

 僕は舌を出した。

「是非そうであってほしいわ。この二年間まったく成長の兆しが見えなかったから、もう止まっちゃったのかと思ってた。このさきずっとこんな感じかと思ったら――」

 彼女はやんわりと僕を貶める言葉を並べ立てた。

 しかしよくこの短時間でそれだけの言葉が出てくるよな……。

「やかましい……チビ。」

 僕は彼女の言葉を遮ると、笑いながら彼女の頭のてっぺんを撫でた。

「あ~そういうこと言う? 自分だって筋肉バカのクセに」

「ああ、いいスね。最高の褒め言葉だわ」

 僕は大袈裟に喜んだ。

「……木偶の坊」

「おお~。なんか強そうだな、それ」

「じゃ、じゃあ――」

 僕は可笑しくなった。ムキになる彼女を見て、声を上げて笑った。

 麻衣子は頬を膨らまして僕を睨んでいた。

 彼女の悔しそうな表情ってのも初めてみたような気がする。大人しそうな顔してるけど、意外と勝ち気な奴だったりして――。


「ま、今日のトコロはそのへんで勘弁してよ」

 僕は笑いながら彼女の肩を叩いた。



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