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【007】 明と暗と……

 テレビでは「かつてのライバルたち」が熱闘を繰り広げていた。

 全国高等学校野球選手権大会決勝戦、大阪・羽曳野学院と東東京・成京学館の対戦は大詰めを迎えている。

 五対三。

 羽曳野学院が二点をリードした最終回、成京学館の反撃がはじまっていた。

 この回、二死からヒット三本を集中させ一点差に迫り、なおも三塁に同点、そして二塁には逆転のランナーを置いて、打席には四番・岡崎準基。

 今日の第一打席でホームランを放っている主砲を迎えていた。


 マウンド上には羽曳野学院のエース・用田誠ようだ・まことを中心とした輪が出来上がっていた。

 一打逆転サヨナラのピンチに羽曳野ベンチは堪らず伝令を送ったが、選手たちの表情は意外なほどに明るかった。 

 やがて輪が解け、選手がグラウンドに散った。

 最後までマウンドに残っていたキャッチャーの吉村が、用田に近づき耳元で何かをいった。

 用田はそれに頷くと、定位置に戻る吉村の背中を見送りながらスパイクでマウンドをならした。


 打席では岡崎がゆったりとバットを揺らして構えている。

 そこには気負いのようなモノは一切感じられない。静かすぎる表情は何を考えているのか解りにくい。

 だけどコイツほど負けん気が強い男はいない、僕はそう思っている。

 岡崎がこの場面で燃えていないわけがない。彼の頭の中には「絶対におれが決めてやる」という雑念にも似た考えが渦巻いているはずだった。


 一方の用田もその表情に変化は見られなかった。

 マウンド上での落ち着き払った佇まいは、ピンチになると半ギレ状態だった中学の頃とはまるで別人のように見えた。


 吉村はインコースにミットを構えていた。

 一発のある強打者を相手に無謀なんじゃないかと思った。

 しかしそんな大胆さは昔から変わっていない。ピンチにもまったく動じない彼のリードには、僕自身も何度となく助けられた憶えがある。もっとも構えたところに投げられたかどうかはべつとして、だったが。


 そんな吉村の要求に用田は迷わず頷いた。

 そして背負ったランナーを無視するように小さく振りかぶった。



 ――バシィィ!



 初球、インコースいっぱいのストレートに球審の右手が挙がった。

 しかし打席の岡崎はピクリともしなかった。

 膝元のボールを悠然と見送ると、何事もなかったかのようにグリップを握りなおし、バットを構えた。

 用田は早くも二球目のモーションに入っていた。

 ワインドアップから、さっきよりもややクイック気味に左腕を振り下ろす――。



「――!」



 投げ込まれた変化球スライダーがワンバウンドした。

 ホームベースの手前で跳ねた難しいボールを吉村はカラダを張って前に落とした。

 そして俊敏な動作で拾い上げると威嚇するように三塁ランナーを牽制したが、自重したランナーはそれほど三塁ベースから離れていなかった。

 用田はマウンド上で一度大きく息を吐いた。さすがにいまのは肝が冷えたはずだ。

 しかし表情を変えないままキャッチャーに向き直ると、相変わらず早いテンポで三球目の投球モーションに入った。



 ――バシィィ!



 球審の右手が挙がった。

 アウトコース低めの際どいボールだったが、岡崎は僅かに反応しただけでバットを止めた。

「なんだよ。簡単に追い込まれちまったな」

 僕はテレビに向かって呟いた。

 これでツーストライクワンボール。とりあえずは羽曳野バッテリーが追い込んだ形になった。

 打席の岡崎は相変わらず無表情のまま構えたバットを揺らしている。

 マウンド上の用田は、一度プレートを外して天を仰ぐと、キャッチャーに向き直った。

 そしてサインに頷くと小さく振りかぶった。



 ――カキィッ!



 インコースの速球に岡崎のバットが反応した。

 鋭いスイングから弾き出された打球は、レフトポールの手前で外側に切れ、三塁側のスタンドに吸い込まれた。

 その瞬間、球場に沸き上がった歓声がため息に変わった。


「ほお。打つんだ、アレを」

 意外だった。

 羽曳野バッテリーが四球目に選択したのはインハイのストレート。どちらかといえばローボールヒッターの岡崎が苦手にしているコースだった。

 中学のころから何度も対戦している用田もそのことは知っていたはずで、もちろん同じチームだったキャッチャーの吉村が知らないはずがない。

 つまり、彼らが勝負球として用意していたボールは岡崎には通用しなかった……というわけだ。


 マウンド上の用田は地面に置いたロージンをポンポンと指先で弾いていた。

 その忙しない仕草は、動揺しているとき彼の癖だった。


「成長してねえなあ……」

 思わず意味のない安堵が口をついた。しかし同時に自分自身のあまりの変わり様に気付き、少しブルーな気分になった。


 用田が五球目を投じた。

 インコースをついたスライダーが僅かに外れた。

 平然と見送った岡崎の表情には、余裕というより凄味を感じる。

 テレビに映る岡崎準基――。それは僕の知っている「岡崎」ではないような気がした。

 そしてこの試合、僕はもちろん岡崎を応援していた。

 しかし縺れた展開になったこの終盤、いったいどっちを応援しているのかよくわからなくなっていた。

 たぶん……それは僕がピッチャー目線だったからなんだろう。



 ボールカウントはツーストライク、ツーボール。

 その後、ファール、ファール、そしてボールでフルカウントになった。



 用田は窮屈そうにプレートを外した。

 連投からくる疲れの影響か、終盤以降はスライダーの制球に苦しんでいた。とくにこの回、彼のウイニングショットでもあるスライダーはことごとくストライクゾーンを外れている。バッテリーの選択肢はかなり狭まっているといえた。


敬遠あるかしちまったほうがよくねえか?」

 僕はテレビに映る用田に向かって語りかけた。

 一打逆転のこの場面じゃ緩いカーブは投げにくい。かといってストレートオンリーで押し切れるかといえばそれもちょっと怖い。

 五番つぎに控える西田が怖くないかといえばそんなことはないが、フルカウントで岡崎と勝負するよりはよっぽど勝算があるように思える。


 吉村がベンチを窺っている。

 やがて大きく頷くと立ち上がって外野手をやや左に寄せた……どうやら羽曳野ベンチは岡崎との勝負を選択したらしい。


 用田は帽子を深く被り直すと、ユニホームの胸の部分を強く握った。

 そして吉村のサインに小さく頷くと、ゆっくりと投球モーションに入った。「……ん?」

 一瞬、用田の口許が弛んだように見えた。


「――え?!」

 次の瞬間、アウトコースのボールに岡崎のバットは空を切った。


 スタンドが歓声に沸き、マウンド上には歓喜の輪ができ、その中心では長身の用田が何度も拳を突き上げている。

 そしてその向こうでは、打席で膝をついて崩れ落ちる岡崎の姿があった。


 勝者と敗者の明暗がわかれる瞬間――。

 僕は思わず目を背けた。


 用田が最後に投じたボール……外に逃げるように沈んだボールはおそらくチェンジアップだろう。

 中学三年の夏に僕が教えた変化球を、用田はこの三年間ですっかり自分の武器にしたらしい。

 ま、成長していないのは僕だけだった、ということか。


 僕らの短い夏が終わってから一ヶ月とちょっと。一番長い夏が今日終わった。

 結局、僕は約束を守れなかった。

 中学の頃に交わしたいくつもの約束を、なにひとつとして果たすことができなかった。

 確かにあのまま明桜にいれば可能性があったのかもしれないが、辞めたことに関してはいまでも後悔はしていない。いまあのときと同じ状況になったとしても、僕が選ぶ道はたぶん何も変わらない。

 だけど……だとしたら、いったい何の為に僕は野球を続けていたんだろう。

 そしてなぜ、日本こっちに残ってしまったんだろう――。




***


 高校生活最後の夏休み。あまりに暇すぎて何をしたらいいのかわからない日々を過ごしていた。

 坂杉たちはバイトに明け暮れていたし、麻衣子は大学受験のための勉強に勤しんでいる。

 だから休みに入ってからはまだ誰とも会っていない。

 誰とも会わないまま、時間そしてムダな体力をもてあましていた。


 ……ん?


 電話が鳴っていた。

 いつもなら3コール以内に上がる受話器……しかし今日に限っては上がる様子がない。


「なんだよ、誰もいねーのかよ」

 僕は階段を駆け下り、居間を覗いた。

 そこにはばあちゃんの姿はなかったが、耳の遠いじいちゃんが鳴り響く電話の横で新聞を広げてお茶を飲んでいた。

「絶対に聞こえてんべ……」

 僕は苦笑まじりにため息を吐くと、仕方なく受話器を取り上げた。


「はい、もしもし――」

『あ、杉浦くん?! 久しぶり! 誰だかわかる?』

 畳みかけてきた声の主……わからないはずがなかった。

「……高橋先輩、すよね」

 僕はいった。

『よくわかったわね! 元気にしてた?』

「はあ、まあ……元気っスよ」


 声の主は去年までウチの野球部マネージャーだった高橋亜希子たかはし・あきこ

 転校してきた僕を野球部に誘ってくれた人で、色んな意味で恩を感じてはいるが……少し苦手なところもある。


「で、なんでしょうか」

『うわ、出た! その素っ気ないしゃべり方』

「そうスかね」

『そうよぉ。キミは初めて会ったときからそんな感じだったし』

 彼女はいったが、僕にはそんな意識はない。

「……で、ホントになんかありました?」

『何か早く切りたそうね。まあいいわ。じゃ手短に――』


 用件は僕らの引退試合の件だった。

 僕らの代は部員が少なかった為、監督の納村が高橋先輩に相談して、一年上イッコうえの先輩で都合のつく人を手配したらしいのだが……。


「でも、退部届も出しちゃったんスよね」

 つまり、いまでは立派な部外者だ。

『何いってんの。関係ないでしょ』

 彼女は僕の報告をはねつけると「ただでさえ人が足りないのに」と尖った声でいった。

「じゃ時間があったら――」

『ダメよ。全員参加』

 彼女はきっぱりといった。僕の妥協案は受け入れてもらえなかった。

 しかし僕としても「断固として参加を拒否」というスタンスではなかった。

 ただ引退届を出してしまった手前、納村と顔を合わせるのが気まずい、というだけの話……ま、覆面でも被って行けばいいか。

『それから……麻衣には連絡してあるから』


 そういえばこの人は麻衣子の中学の先輩だった。

 なぜかこの人たちは「麻衣」、「亜希先輩」と「子」を省略して呼び合っている。


『麻衣がいってたわよ。杉浦は野球部なのに野球をやってるトコは見たことがないって』

「ま、確かに」


 麻衣子は練習試合も含めて何度か見に来てくれてはいた。でもそんなときに限って僕は試合に出ていなかった。


「でも、おれのせいじゃないスよ」

『そんなことはどっちでもいいのよ』

 彼女は笑った。

『最後くらい、いいトコ見せてあげなよ、ね?』

 そういうと彼女は電話を切った。参加しなかった場合の脅し文句を添えて。


「……いいところ、か」

 僕は受話器を置くと階段を駆け上り部屋に引き返した。

 そしてタンスの奥からジャージを引っ張り出した。



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