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【024】 suspended sentence


 さて……と。そろそろ行ってみんべかな――。

 僕は机の引き出しを開け、散らばった小銭を数枚摘み上げてジーンズのポケットに押し込むと、二つのフルフェイスのヘルメットを両手に掴んで階段を駆け下りた。


 居間では婆ちゃんが食い入るように『紅白』を見ていた。

 幸子は三時間くらい前に出かけた。

 爺ちゃんは九時前には寝てしまった。どうやらこの人だけは「大晦日だから」といって生き方を変える気などまったくないらしい。  


「じゃ、おれ出掛けるからさ」

 婆ちゃんに声を掛けたが、テレビに釘付けの婆ちゃんは振り返ることも、言葉を発することなく、まるでハエを追い払うかのような仕草で手を振った。

 どうやら僕よりもサブちゃんの方が大事ってコトらしい。



 ガレージでは数時間前に磨き込んだRZが艶やかな輝きを放っていた。

 あと三十分ほどで日付が変わる。この時間ならギリギリで今年中に麻衣子に会えるはず……僕はエンジンを掛けると、はやる気持ちを抑えて住宅街を走り抜けた。

 海岸方面に向かう道は、大晦日と言うこともあるのだろうが思っていたより交通量が多かった。

 あまりのクルマの流れの悪さに、身を乗り出して前方を覗くと、四、五台前にガラの悪そうなワンボックスカーがチンタラ走っているのが見えた。

 こういう時期になると必ず「ああいう人たち」が出没するがまったく迷惑極まりない。

 僕はメルシャンの前のカーブでインを突いて一気に車列を抜き去った。とたんに前方の視界が開け、藤沢橋の交差点に辿り着く頃にはさっきまでの遅れを十分に取り戻せていた。

 海へと向かう一直線の道を走りながら、気持ちばかりが急いていた。なんでこんなに焦ってるのか不思議で仕方がないくらいに。

 小動から国道134号線に出て、七里ガ浜を左に入り分譲地を駆け上がる。

 下り坂の途中でバイクのエンジンを切ると、玄関先に麻衣子が立っているのが目に入った。僕はそのまま惰性で走り、彼女の目の前で停止した。


「遅い。」

 彼女はクチを尖らせた。

「は? 遅くはねえべよ」

 僕はフルフェイスのシールドを開けて言った。

 麻衣子はコートのポケットに手を入れ、首を竦めていた。家の中で待ってればいいと思うのだが……意外とせっかちな人なのかもしれない。

 僕はバイクに跨ったままフルフェイスを彼女に差しだした。

「え。置いていくんじゃないの?」

 彼女はバイクを指さした。

「いや。途中までバイクで行くから」

「でも……八幡宮だよね? 電車で一本だよ?」

「まあ、細かいことは気にすんな」

 敢えてソレには答えずに彼女の手を引いた。


 麻衣子の提案で駅に向かう道を二人並んで歩いた。踏切の少し手前で新年を迎えた僕らは、そこでカタチだけの挨拶を交わし、僕はRZのエンジンを掛けた。

 国道の信号を左折し、由比ヶ浜方面へ。

 砂浜では誰かが花火を打ち上げていた。まったく季節感のない奴らだ。

 滑川の信号を直進し、橋を渡ったトコロの信号を左へ。逗子駅の近くにあるファミレスの駐輪場にRZを頭から突っ込んだ。


「なんでわざわざ逗子なの?」

「ま、あとで話すよ」

 僕は怪訝そうな麻衣子からフルフェイスを取り上げ、持ってきたチェーンで僕のフルフェイスと一緒にバイクに括り付けた。

 逗子駅は混み合っていた。しかし鎌倉駅の混み具合は逗子駅の比じゃなかった。ハグレたら間違いなくアウト……僕は躊躇なく彼女の左手を掴んだ。

 ごった返す人ごみにもみくちゃにされながら改札を抜ける。小町通りまで来ると若干人ごみもばらけてきた。そこで僕はいつの間にか彼女の肩を抱いていたことに気付いた。まったく無意識に……。


「な、なんか食わねえ?!」

 僕は露店を覗き込むフリをして彼女の肩に回した手をそっとハズした。なるべく不自然にならないように注意して……。

 しかし麻衣子は「ちゃんとお参りしてからね。」と言って僕がハズした左腕を掴み、「コッチの方が歩きやすい」といって腕を絡ませてきた。こういうとき、ジツは女の方が度胸があるってことを僕はこのとき初めて知った。


 僕が初詣に来たのは多分生まれて初めて。もともと信心深い方ではないし。

 だけど……悪いもんじゃないかもしれない。彼女と寄り添い歩きながらそんなことを考えていた。


 延々と続く人の波に揺られながら参道を進み、やがて目の前に現れた長い石段を登り切り、正面の門をくぐる。

 ゆっくりと歩を進めて来たヒトの群れが、やがて僕らを最前列に押し出した。

 僕はポケットを探り、用意してきた小銭を取り出して賽銭箱に投げ入れた。そして予め用意しておいたお願い・・・をした。その間も彼女は僕の左腕に掴まったままだった。



「ズイブン長かったね」

 麻衣子は悪戯っぽく笑った。「なにお願いしてたの?」

「……内緒に決まってんべよ」

 僕も彼女に負けないくらいに悪戯っぽく笑った。


 僕らは人波を掻き分けて売店に向かい、そこで御神籤をひいた。そして再びごった返す人波を掻き分け、本殿の横のスペースに移動した。

 人の密度が比較的少ないこの場所でようやく僕は御神籤を開いた。しかし――

〈末吉……〉

 中途半端具合が僕としては親しみを感じるが。

「どれどれ……」

 麻衣子が覗き込んできた。

 僕の『末吉』を一瞥すると、彼女が手にしていた『大吉』を僕の鼻先に突き出してきた。 

「やっぱり、神様はよく見てるわ」

 彼女は妙に納得した顔で何度も頷いた。


「まあ、中に書いてあることが大事なんだよな」

 そう言ってもう一度御神籤に目を落としたが、あまりに哲学的で意味不明だった。

「ちょっと見せて」

 麻衣子は僕の手から御神籤を取り上げた。そしてそれをシゲシゲと眺めた。

「就職……叶う、だって。よかったじゃん」

 彼女は他人事のように言った……ま、他人事には違いない。ただ、いまだけは思い出したくなかったのだが。


「ふ~ん。ま、大したことは書いてないね、お互いに」

 彼女はそう言うと、御神籤を二つまとめて細く折りたたんだ。

「え。おまえのも見せろよ」

「どうせ見たってわからないわよ」

 そう言って本当に僕に見せてくれることなく『枝』に結びつけ、僕を振り返った。「じゃ、なんか食べに行こうよ」。



 僕らはまた、人込みに揉まれていた。

 麻衣子は何も言わずに僕に身を寄せ、僕もまた当然のように彼女の肩を抱きよせた。無意識だったさっきまでとは明らかに違う意味がそこにはあって……人込みって意外と好きになれるかもしれない。



「タコ焼きでも食う?」

「お好み焼きの方がいい。でも少しでいい」

 僕らは一番繁盛してそうな店でお好み焼きを一つ買った。

 彼女は二口くらい食べると「あとは全部食べちゃっていいよ」と言った。


 帰りの小町通りは相変わらず混み合っていた。

 八幡宮に向かう『一方通行』だったさっきと比べて、帰りのヒトが増えて『対面通行』になった今のほうが流れは断然悪い。

 べつに急いでいるワケじゃないから、時間がかかったとしても問題はない。それより、これだけの人がいるのに知ってる人に会うコトってないもんなんだなと思った。そして酒井たちはドコに初詣に行ったんだろ? とそんなどうでもいいことばかりが頭に浮かぶなか、鎌倉駅にたどり着いたのは午前三時のちょっと手前だった。


「じゃ、ココで。今日はありがとうございました」

 麻衣子は僕に向かって恭しく頭を下げた。

「は……?」

「初詣は無事終了。あたしのウチはこっちだし、あなたのバイクはあっち」

 彼女は二方向を指で差し、もう一度軽く頭を下げた。

「なにワケわかんねえこといってんの?」

「だって初詣にはちゃんと付き合ったじゃない」

 麻衣子はそう言って僕から目を逸らした。

「まあそうだけどよ……」

「あたしもそれほどヒマ・・じゃないので。」

 彼女は『ヒマ』の部分を強調した……なるほど。そういうことか。意外と根に持つタイプなんだね。


「おれが悪かったよ……」

 僕は投げやりに言った。そして彼女に頭を下げた。

「それならちゃんとした誘い方ってあるよね?」

「え……土下座かよ……」

 さすがにちょっとココでは――。

「そんなわけないじゃない……」

 彼女は哀れむような目で僕を見ていた。

 しかし僕はどうしたらいいのかよくわからず、中途半端な愛想笑いを浮かべた。

「まったく――。」

 そんな僕を見ていた麻衣子はため息混じりに言った。

「なんでまだ帰っちゃダメなの? 他にもまだナニか用事があるの?」

 彼女は腰に手を当て、問いつめるような目で僕を見上げていた。その容赦のない視線に気圧されて、僕は渋々クチを開いた。

「いや、まあよ……初日の出でも見に行こうかと思ってさ。いいべ? どうせ――」

 僕は言いかけ、口を噤んだ……が、しかし遅かったようだ。


「ほんと……0点に近いよね」

 麻衣子はさっきよりもさらに深いため息を吐いた。

「まあ残念ながら『どうしても』っていう用事がある訳じゃないから付き合ってあげるけど……『執行猶予付の有罪』ってカンジ」

 僕には『シッコウユウヨ』がよくわからなかったが、そうとも言えず黙って項垂れた。

「あと『ヒマだべ』っての絶対にクセになってるよね? 気をつけた方がいいよ。それから――」

 次々と出てくる麻衣子のダメ出しに、僕はただ頷くことしかできなかった。



 僕らは逗子に移動し、さっきRZを停めたファミレスで時間を潰した。僕がコーヒーを一杯を飲むあいだに、彼女は甘いもんを次々に注文した。

 それは僕のオゴリだということで罰ゲームのつもりなんだろうかとか、こんな時間にそんなもんばっかり食って平気なのかとかイロイロ頭に浮かんだが、取りあえずいまは機嫌が良さそうなので余計なことは言わないようにしておいた。


「ところで、初日の出って……ドコに行くの?」

 麻衣子が言った。

「ああ。ココのさきの――」

 僕はココからワリと近い公園の名前を出した。

 ここ二週間くらい、僕は日の出のポイントを探していた。

 以前、見に行って感動したからってのもある。べつにあの場所でもよかったが、折角だから自分で探してみようと思いつき、東は三浦から西は大磯まで、早朝の海岸線を走り回った。で、選んだのがその場所。海が見渡せる高台の公園だった。

 時計を見ると、ようやく六時を回ったところだった。三時間近くココにいたってことになる。

「じゃ、そろそろ行こうか」。



 逗子マリーナ方面に向かった途中を左に折れ、坂道を延々と登っていくと現れる住宅地とそれに隣接した公園、そこが目的地。

 公園には疎らだが、ヒトが集まりだしていた。

 いまは六時二十分。日の出の予想時刻は確か六時五十分だったはず。

 僕らは、猿の檻の横を通り抜け、公園の一番海よりの柵に歩み寄り『場所』を確保した。


 海に面した高台の公園。

 障害物もなく、日中はおそらく景色もいいのだろう。しかし寒い。風を遮ってくれるようなモノがナニもない。麻衣子も寒そうに僕の左腕にしがみついている。


 僕はポケットから『使い捨てカイロ』を取りだし、彼女の頬に当てた。

「あ、暖かい……」

「貸しといてやるよ」

 不思議なもので、カラダが冷えると顔が火照ったりする。ちょっとぼーっとするカンジ。冬山で遭難するのってこんな感覚なのかもしれないな。


「まえに亜希先輩が『まったく気が利かない男だ』って言ってたのから考えると成長したのかもね」

 ずいぶん変わったわ――。

 麻衣子は感慨深そうに呟いた。

「そんなことねえべよ。おれは昔っから――」

 僕は言ったが、彼女は首を振った。

「初めてあった頃はいっつもイライラしてるっていうか、寂しそうっていうか……話しかけられなかったもん」

 そう言ったが僕を非難している感じではなかった。


「でも……おまえだって似たようなもんだったぞ」

「なになに。そのフシアナにあたしがどう映ってたのか気になるわ」

 彼女は僕の言葉に興味を示したみたいだった。


「そうだな……最初はなんつうか、大人しそうな娘だなって思ってた。ま、それ以外に特別な意識はなかったけど『話がハズまねー』っていつも思ってた」

 共通の話題なんてなんにもなかったからしょうがねえんだけどな――。

 僕は思い出しながら、懐かしさに頬が弛んだ。


「病院についてくるようになったときも、最初はちょっと『めんどくせえ』って思ってた。試合にもよく来てくれてたけど、そのときに限って試合に出れねえから『ひょっとして疫病神なんじゃねえか』って本気で疑ってたこともあったし……そう考えるとあんまり印象はよくなかったのかもな」

「ちょっとぉ、疫病神は酷くない?」

 彼女は不満げに顔を顰めたが、僕は笑って話を続けた。

「ま、電話で話すようになったのもいつからだったか憶えてないけど、いまじゃもう日課っつうかさ、電話がないとちょっと心配だったりして。面白いことがあったりなんか変わったことがあったりすると『麻衣子に教えてやんべ!』ってすぐに顔が浮かんだ。たまに罵倒されて凹んだりもしたけど……ソレでも一緒にいることが多くて、ただソレだけなんだけどソレでもいいような気がして、でもソレじゃちょっと物足りなかったりで……取りあえず現在に至る」

 僕は話し終えると首を傾げた。


「……なによ、それ」

 彼女は上目遣いに僕を睨んだ。

「いや、つまりさ……」

「つまり……?」

「あ、いや、やっぱ野球続けようかと思って」

「はあ?」

「いや、なんつうかさ――」


 僕は昔見てた夢の話をした。彼女にはまだ話したことのなかった大層な夢の話。

 彼女は相槌を打つこともなく、黙ったまま僕の話を聞いてくれた。ただ目を閉じたまま、柔らかい笑みを浮かべて僕の声に耳を傾けていた。

 彼女に向かって話すうち、途中で妙な感覚が僕のカラダを走り抜けたが、その正体が僕にはわからなかった。


「――なるほど。」

 僕が話し終えると彼女は頷いた。「で、どうしてそんな話をあたしに?」

「だって、おまえってさあ……」僕は彼女を窺った。

「絶対おれのことヘタだと思ってんべ?」

「え。そんなことないよ」

 彼女はそう言ったが声が思いっきり裏返ってた……図星だな。


「それ、大きな勘違いだから。マジで――」

 僕はため息混じりに首を振った。

「だから、おれが復活したアカツキには最前列でおまえに見せてやるよ」

「はあ……それはどうも」

 彼女は怪訝そうな目で僕を見上げた。

「つうことで……ソレまで付き合ってもらうことにしたから。」

 僕は出来る限り普通に言った。


「……なんなの、それ。」

 麻衣子はそう言って僕から目を逸らし、まだ暗い海の方に視線を伸ばした。

 彼女は何も言葉を返してはくれなかった。僕の告白はまたもや有耶無耶のウチに葬り去られてしまうのだろうか……あの夏の日の悪夢が胸を過ぎった。

 しかし勝算があったぶん、ここでフラレるのはちょっとキツイ。そうなったら僕はもう立ち直れないかもしれない。



「でも……こんなトコよく見つけたね」

 沈黙を保っていた麻衣子が急に呟いた。

「え。ああ、まあな――」

 僕はここを見つけるまでのだいたいの経緯を端折って話した。

「ふ~ん。杉浦ってそう言う『陰の努力』が認められにくいタイプだよね」

 彼女は不思議そうに呟き「ま、あたしはそれなりに評価してるけど」と笑みを浮かべた。



 やがて顔を出した太陽を、僕は不思議な気持ちで眺めていた。

 二人で並んで見た『初日の出』は、それなりに神々しいカンジで……でも、僕としては初めて見たときほどの感動もなかったのは事実なんだけど。



「下見したのって何カ所なんだっけ?」

 麻衣子は興味深そうな目で僕を見た。

「え~と。八カ所……だったかな」

 ほー、スゴイね。

 彼女は脳天気な声を出した。「じゃあ、全部連れてってね。初日の出・・・・

「え、さすがにムリだべ。初日の出限定は」

 順調に消化しても八年かかっちまうし――。

「問題ないでしょ?」

 事も無げにそういった彼女の表情は優しかった。



 ふと周りを見渡すと、さっきまでいた人影がもうなくなっていた。

 すっかり明るくなった公園には、僕らの他には檻の中に猿がいるだけ。



「でも……八年後にはないトコもあるんだべな」

 あの品川の廃ビルみたいによ――。

「いいじゃない。そしたら他の新しいトコロを探してよ。毎年違うところ」

 彼女は軽く言った。

 僕は首を竦めてソレを受け流した。僕の苦労を彼女はやっぱり理解していないみたいだな……。



 結局、僕の告白に対する明確な答えはなかった。少なくとも僕がイメージしてたようなものは何もなかった。

 でも……まあいいやって気持ちにもなっていた。

 取りあえず伝えることは伝えたし、それでも一緒にいようという気持ちはあるみたいだし……ま、いままでとナニカが変わるわけではなさそうだけど。

 残念なような安心したような……僕の気持ちは複雑だった。




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