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【023】 stove league


「――本当に悪い奴だな、おまえは」

 斎藤は笑みを浮かべたまま、カウンターのグラスを手に取った。

「まさに『鬼の正一』ってわけだな」


「いやいやいや――」

 峰岸は笑いながら「おれだけを悪者にせんでくださいよ」と斎藤の言葉に過敏に反応したが、斎藤は首を振り、「いいや。おまえは悪い奴だ」と嬉しそうに繰り返し言った。


「まあ、そう言わんでください……」

 峰岸は薄笑いを浮かべた。

「あいつは素直な男です。でも取り扱いを間違えると厄介でして……簡単にヘソを曲げるんですよ」

 だから上手~くソトボリを埋めてやらないと、ね――。


「なるほど――」

 斎藤は苦笑いを浮かべた。「確かに厄介だな、あれは」

 彼にはヘソを曲げられた経験があった。

「だが、まだ迷っている様子だったぞ」

「でしょうね。でも向いてる方向は間違ってないんじゃないですか」

 峰岸はそう言うと、静かに首を巡らせた。


「それにしても珍しいですね、麻布十番なんて」

「ああ。今日のゲストの指定でな。この近くで打ち合わせ・・・・・をしてるらしい」

 そろそろ来る頃だろ――。

 斎藤は言ったが、ゲストが誰であるのか峰岸は知らされていなかった。


 二十年来の師弟関係にある彼らは年に数回、不定期で酒席をともにしていた。

 普段は有楽町界隈に席を設けることがほとんだだった彼らだが、今日訪れていたのは仙台坂にあるダイニングバーだった。

 斎藤と峰岸がサシで飲むようになってからもう五年になる。そしてそこにゲストが加わることは稀なことでもあった。


「で、誰なんです? その、ゲストって奴は」

 峰岸の問いに、斎藤はあるプロ野球の球団の関係者の名前を出した。

「まだ若いが、しっかりとした野球観を持ってる男だぞ」

 ちょっと政治力チカラがないようだが――。

 斎藤は目を細め、グラスに手を伸ばした。

 峰岸はソレを聞いて頬を弛めた。

「なんだ。結局、自分だって裏でコソコソと――」

「当然だ。」

 斎藤は峰岸が言い終える前に口を挟んだ。

「杉浦をこのまま辞めさせたら、山路が化けて出てきそうだ」

 いくら教え子でも幽霊は怖いからな――。

 斎藤はそう言うと、子供のように首を竦ませた。





***


「……ご無沙汰しちゃっててすいませんでした」

 僕は小さな墓石に花を手向け、小さな声で詫びた。


 京成の高砂駅を降りたとき、どっちに行ったらいいのか一瞬とまどった。

 取りあえず適当な方向に歩いたら、たまたま目に入った小学校に見覚えがあって、なんとかココまで辿り着くことができた。合理的だった彼がもし生きていたら、きっといまの僕の行き当たりばったり具合を見て閉口するのかもしれない。

 何年か前まで、僕は彼の月命日である七日には欠かさずここに来ていた。

 いつのころからか足が向かなくなり、いまでは最後に来たのがいつだったのか憶えていないくらい記憶の隅に追いやってしまっていた。


「手紙、一応読みましたので――」

 僕はジーンズの尻ポケットに手を突っ込んだまま、墓石に向かって話しかけ、耳を傾けた。

 当然ながら返事はなかった。お告げのようなモノもない。

 もしかしたら山路さんは僕にナニカを伝えようとしているのかもしれない……なんてオカルトチックなコトを考えたが、聞こえてくるのは住職が竹箒で砂利を掃く音だけ……残念ながら僕には霊感とかそういうモノは備わっていないらしい。


「じゃ、また来ますね」

 僕は深く頭を下げ、墓石の前から立ち去った。

 帰りに住職に挨拶をしたが、住職は当然ながら僕のことを憶えてはいないようだった。

 寺を出て、僕は駅とは反対方向に歩き出した。京成沿いに荒川方向を目指した。このまま歩いて実家に寄って行こうと思った。

 四つ木を抜けて木根川橋の上から左手を見ると、河川敷のグラウンドで小学生らしき子供たちがキャッチボールをしているのが見えた。以前ココで試合をした記憶がよみがえってきて思わず頬が弛む。

 橋を渡ると左に進み、ナナメ右方向に真っ直ぐ。この先の警察署の手前に明治通りが出てくる。この辺りは自転車でよく来てたから間違いないはずだ。しかし――


「やっと明治通りかよ……」思ってたよりゼンゼン遠い。

 小村井駅の前で電車に乗るかどうかでしばらく考え込んだ……で、結局電車に乗ってしまった。

 思ったより疲れたので実家に寄るのは断念した。いま母と話をする気にはとてもなれなかった。

 僕は座席に着くとすぐに目を閉じた。そして昨日、封を開いた山路さんからの手紙について考えた。


 甲子園で優勝した君へ――。

 手紙はそんな書き出しで始まっていた。

 懐かしい角張った文字。

 普段からノートで目にしているぶんそれほど感慨深いものではなかったが、文章からにじみ出る優しさがいまの僕にはキツかった。

 山路さんは、僕が明桜学園のエースとして甲子園に出場し全国制覇を果たすことになんの疑いも持っていなかったようだった。当然あのころの僕もソレを信じて疑っていなかったが。

 書かれている内容と、いまの僕の置かれた状況のあまりギャップに、途中で何度か読むのを断念しそうになった。それでも読み続けることができたのは、山路さんが僕に伝えようとした『ナニカ』に興味があったからだった。

 もともと山路さんのことを僕は何も知らない。でも手紙を読めば何かがわかるような気がした。手紙の中に彼のことを知る手がかりのようなモノがあるような気がしていた。



 電車は亀戸駅に到着した。

 一瞬、峰岸さんの家に寄っていこうかと思ったが、突然来られても困るだろうから今日のトコロは自重した。そういえば何日か前にもここで同じようなコトを考えていた気がする……足踏み状態のいまの僕らしくて、なんだか笑えた。

 総武線に乗り換え、東京駅から東海道線に乗る。車両の中程まで進み、ボックス席の窓側に腰を下ろした。

 やがて電車が動き出した。窓の外の景色が前から後ろへと流れ始めた。

 僕はジーンズの尻ポケットに差していた封筒を引っ張り出した。そして昨夜斜め読みした手紙をあらためて開いた。


 手紙に書かれていたのは、主に山路さんが思い描いていた夢についてだった。

 山路さんは選手として甲子園に行きたかったらしい。野球を始めた頃から、あのマウンドに立つことを夢見ていたらしい。そして叶わなかったその夢はやがて、指導者として教え子をそのマウンドに立たせることに変わっていったのだという。


 僕も甲子園を目指していた。だけどそれは「夢」とは違っていたような気がする。

 僕の夢はプロ野球選手になることだった。プロ野球選手になって荒井英至から三振を奪うことだった。

 その夢は荒井英至のケガとともに一度は見失った。しかしそのとき僕の目の前に現れたのが藤堂さんだった。


 彼は僕を硬式野球に導いてくれた。

 僕に勝つことの楽しさや厳しさを学ぶ機会を与えてくれた。そして新しい夢を与えてくれた。

 藤堂さんに唆され、全国制覇を目指した中学一年の春。その次は二連覇、そして世界の頂点、そして甲子園での全国制覇――。

 いつだって僕の夢には続きがあった。もっとも叶わないモノもたくさんあったのだが。

 でも、僕が本当に目指していた夢はプロ野球選手になる、ただそれだけだったはず……。

 冷静に考えてみれば、僕は甲子園を夢見てはいなかった。

 ただ、そこに行けば戦うべき相手がいるから当たり前のようにそう思いこんでいただけ。もっと言えば、山路さんの夢に便乗するうち、いつしかソレがはじめから僕の夢だったかのように錯覚してしまっただけ――。

 つまり僕は山路さんの夢を具現化するためのキャストの一人だったってことなんだろう。

 僕は見事に役になりきり、甲子園を目指しはじめた……あたかもそれが生まれ持っての夢だったかのように。

 しかし僕は躓いた。躓いた弾みで舞台から転がり落ちてしまった。そして――。


「――隣、よろしいですか?」

 不意に掛けられた声に僕は顔を上げた。

 ソコには小学生くらいの男の子を連れた母親らしき人が立っていた。


「あ……どうぞ」

 僕は心もちカラダを窓側に寄せ、大きく開いていた足を閉じた。そして手紙を封筒にしまうと、ジーンズの尻ポケットに差し込んだ。


 車内はいつの間にか混み合っていた。立ってる人こそいないものの、座席はほぼ埋まっているみたいだ。

 僕は窓枠に肘を乗せ、窓の外を眺めた。と同時に『相席』の親子の会話が耳に飛び込んできた。


 男の子は野球をやってるようだった。彼は投手だといった。そして彼にはお兄ちゃんがいるみたいだった。

 彼は「お兄ちゃんはズルイ」と何度も言った。

 なんでも、お兄ちゃんは彼の投げるボールを容赦なく打ち返してしまうらしい。ドコに投げても抑えることが出来ない彼は途方に暮れている様子だった。

 そしてお兄ちゃんに対する呪詛をクチにしていたが、やがてひと言「お兄ちゃんみたいに上手くなりたい」と呟いた。それはどこか拗ねたような口ぶりだった。


 なんか、素直じゃないなあ――。

 僕は可笑しくなって、さりげなく口元を手で覆った。

 亮みたいだ、と思った。アイツも兄貴を尊敬して、目標にして……なのに比較されるコトはホントに嫌ってた。兄弟のいない僕にはよく理解できない感覚だ。


 その亮は、年が明ければメキシコに渡る。遠くなってしまった兄貴の背中を追いかけて。

 アイツは明桜を辞めてからも「叶わない夢」に挑戦するために練習に打ち込んできたのだろう。黙々と、ある種の覚悟を胸に秘めて。

 だけど同じ頃、僕は何もせず漫然と時間を浪費してきた。ただ言い訳を繰り返しながら。

 僕は自信過剰だった。

 何もしなくても「いつかは誰かが認めてくれる」と疑いなく信じ切っていた。だから存在をアピールすることもなく、ただドコかから声がかかるのを待ち続けてきた。

 つまり、周囲から注目されることに辟易しながらも、そんな状況に胡座をかいていたのもまさしく僕自身だったのだ。


 情けないよな――。

 嗤うしかなかった。いまの僕は明桜を辞めてしまったあのころと何も変わってない。まったく成長してないのかと思うと呆れて涙が出そうになる。

 だけど同時に、このままでいいのか? という疑念も湧いてきた。

 甲子園には行けなかったけど、僕の夢はそれで終わってしまったワケではない。

 夢が破れても、また次の夢がその先にはあって……いつだって僕は新しい何かを追いかけてきた。

 それに自信過剰で諦めが悪くて……少なくとも一度の躓きですべてをなくしてしまえるほど、僕はモノワカリのいい人間ではなかったはずだ。



……ご乗車お疲れ様でした 次は――



 車内のアナウンスに、僕は顔を上げ、窓の外に目を向けた。

 見慣れた街並み――、電車は辻堂駅に到着した。

 僕は立ち上がると親子に頭を下げ、彼らの間をすり抜け、早足でホームに飛び降りた。

 階段を駆け上り、改札を通り抜ける頃には僕の決意は固まっていた。



 このままでは終われない――。

 勝負に拘ってきた僕がこんなところで不戦敗を決め込むわけにはいかない。

 いま何をすべきなのか、僕にはそれが少しだけがわかったような気がしていた。

 取りあえず……家に帰ったら峰岸さんに電話しよう。まずはそれからだ。



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