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【022】 nostalgie



 二学期の終業式の日の午後、僕はバイクで千葉に向かっていた。

 昨夜、京葉工科大学野球部総監督の斎藤さんから直々に「顔を出せ。」と電話で呼び出された。

 僕にとって思い入れの深い場所でもある京葉工科大。だがそこに行くのは中学三年の夏以来だった。いまは亮も練習に来ているはずだし本来ならワクワクしても良さそうな気もするのだが、生憎そんな気分にはなれそうもなかった。まったく気が乗らない。さっきから気が緩むたびにスピードが落ちて、後ろのクルマに煽られそうになってる。

 気が乗らない理由は二つあった。一つは先日斎藤さんからもらった手紙。

 その中にあった封筒はまだ封を切っていない。当然なにが書かれているのか見当もつかない。だからソレについて何かを尋ねられたとしても、僕には答えようがない。

 そしてもうひとつは亮のこと。

 峰岸さんの話を聞いて以降、あいつとは話をしていない。もともと年に数回しか会わなかったから珍しいコトではない。だけどいまはちょっとだけ違う。あんな話を聞いてしまったもんだから、普通に顔をあわせられるのか心配でもあった。


 京葉工科大の駐車場にはあまりクルマは停まっていなかった。僕は一番隅の邪魔になりそうもないところにRZを停めた。

 エンジンを切り、フルフェイスを脱ぐと辺りを見渡す――。

 あまり代わり映えのしない風景に、僕はなんだかほっとしていた。



「おう。よく来たな」

 僕を迎えてくれた斎藤さんは珍しくスーツを着込んでいた。

 しかし……まったく似合ってない。喉元を緩めたネクタイはなんだか短くて、でっぷりとした腹の上に乗っかっちゃってるし。こうしてあらためて見ると、ずいぶん爺さんになってしまったように見える。


「なんだ。バイクに乗ってるのか?」

 斎藤さんの目が僕の持つフルフェイスに留まった。

「はい。もともと従姉が乗ってたバイクなんですけど――」

 僕は朗らかにそう言った。しかし……

「感心せんな――。」

 斎藤さんは苦虫を噛みつぶしたような表情でそう言った。

 そして「バイクがいかに危険な乗り物であるか」ということを丁寧に説明してくれた。以前にも誰かに同じ様な話を聞かされたことがあったような気がするが、それが誰だったのかまったく思い出せない。でも少しだけいつかの麻衣子の気持ちがわかるような気がした。

「とにかくケガなんかされたらかなわん。もうバイクには乗るなよ」

 斎藤さんは語気を強めていった。

 無茶を言うなあとは思ったが、納得したフリをして頷くことにした。


「それよりこのあいだはスイマセンでした。ちゃんと挨拶もできなくて……」

 僕は頭を下げた。

「できなかったんじゃない。しなかったんだろ?」

 似てるようで全然意味は違うぞ――。


 久しぶりに会ったというのに、今日の斎藤さんはちょっと攻撃的だった。べつに優しくして欲しいわけではないが、小言を聞かせられるために呼ばれたのかと思うとあんまり気分がよくない。呼ばれるままにふらふらと来てしまった自分がズイブン浅はかな人間に思えてしまう……僕は下唇を突き出して、精一杯の抗議の気持ちを表した。しかし斎藤さんは気にも留めていないようだった。


「そう言えば、このあいだ少しだけ聞こえてきたが――」

 斎藤さんは僕が過ごしてきたココまでの高校生活に興味を持っているようだった。

 おそらく明桜を辞めた経緯については知ってるのだろうから、それ以降のハナシ……茅ヶ崎湘洋高校で野球部に復帰したこと、高野連のくだらない取り決めのお陰で不遇を味わった一年間、そして出番に恵まれないまま幕を閉じた最後の夏までの出来事を一気に話した。

 約二年間の出来事だったが、こうして振り返りながら話をしてみると十分もかからない。薄っぺらな高校生活を送ってきたってことをあらためて思い知らされたような気分になる。

「――だいたいそんな感じです。面白くないスよね」

 あまりに高揚感のない話ばかりで溜息が出た。

「いや。なかなか興味深かった」

 斎藤さんは真顔でそう言った。この爺さんがいったい何に興味を持ったのか……僕には理解できそうにない。


「ところで肩はどうだ」

 斎藤さんはそう言って肩を回したが、僕は曖昧に首を傾げた。

 岡崎と対決したあの日以降、僕はボールを握っていない。だから「どう?」と訊かれてもなんとも答えようがなかった。

「痛みはあるのか?」

「いえ。まったくないスけど……ぜんぜんダメですよ」

 岡崎ごときに打たれちまうんスから――。

 僕が半笑いで首を捻ると、斎藤さんは声を上げて笑った。

「――相変わらず図々しい奴だな。だが、あれだけ投げられれば問題はない」

 そう言って何度も頷いた。


 問題はないってなにが……?

 僕は思ったがその疑問を口にはしなかった。僕が気になっていたのはそんなことではなかった。


「あの、お聞きしたいことが一つあるんスけど」

 僕は心もち背筋を伸ばした。「亮の手首のことなんですけど」。


 斎藤さんは驚いたように顔を上げた。

 そしてじっと僕を窺うように見据えていたが、やがて合点したように「正一だな」と言った。

 僕は頷いた。峰岸さんのことを下の名前で呼ぶのは、僕の知る限りでは斎藤さんだけだった。

「正一からはどんな話を聞いてるんだ?」

「どんなというか――」

 僕は峰岸さんから聞いた話をそのまま斎藤さんに告げた。

 その間、斎藤さんは目を瞑ったまま、ただ僕の言葉に頷いていた。

「――なるほど。だいたい・・・・は聞いてるようだな」

 斎藤さんは分厚い掌で目をゴシゴシと擦ると「どう思った」と僕の顔を窺った。

「いや。どうって言われても……」

 そう言われても困る。カワイソウってのは違うし、気の毒だとか申し訳ないってのもちょっと違う気がする。僕に出来ることがあるならなんでもやってあげたいとは思うが、あいにく僕は医者ではないし――。

「よくわからないです」

 僕は曖昧に首を傾げた。

 すると斎藤さんは表情を変えることもなく、小さく息を吐いた。

「確かに彼はケガをしている。しかし野球を続ける意思がある。ただそれだけだ」

 キミには関係のない話だよ――。

 斎藤さんは素っ気なかった。

「いや、でも亮はもう野球ができないって、峰岸さんが――」

 斉藤さんは無表情のまま僕に眼を向けた。

「どんなことがあっても目標を見失わない奴もいれば、すべてを失ってからじゃないと自分のやりたいことに気が付かない奴もいる。そして……すべての条件が整っていても動き出さない奴……足を踏みだす勇気がない奴もいる」

 斎藤さんは捲し立てた。「さて……キミはどのタイプにあたるんだろうな」。


 僕は目を伏せた。

 勇気がない奴……僕のことを言ってるんだろうってことはわかったが、反論する気力もなかった。


「ところで手紙は読んだか?」

「……斎藤さんからのは読みました。もうひとつの封筒はまだ見てないですけど」

「なんだよ。渡した意味がないじゃないか」

 斎藤さんはクチを尖らせた。そして手紙は斉藤さんが生前の山路さんから預かっていたモノだと言った。その手紙を僕に渡すべきか、斉藤さんは迷っていたのだという。それは僕が封を開けられないでいることと同じ理由だった。

 しかし先日久しぶりに会った際、僕に渡すべきだと思ったんだそうだ。なぜそう思ったのかは教えてくれなかった。


「……なにが書いてあるんでしょうか」 

「さあな。山路が最後に伝えたかったこと、それだけだろう」

「最後に伝えたかったこと、スか?」

 山路さんが僕に伝えたかったこと……まったく想像がつかない。ただ山路さんがいまの僕を見たらどう思うんだろうと考えると胸が痛む。


「読むか読まないかは、キミの好きにすればいい。ただ読まないのであれば早めに処分したほうがいい。大事に持っててもいいことはない」

 斉藤さんは厳しい表情でそう言うと、急に頬を弛めた。

「じゃ、友だち・・・のところに行こうか」。



 斉藤さんに連れられて向かった室内練習場には誰もいなかった。

 人工芝が一面に張り巡らされたグラウンド。

 一礼してからそこに足を踏み入れたとき、ふと懐かしい記憶が甦ってくるのを感じた。ココに通い詰めてたころの密度の濃い時間が脳裏を過ぎり、僕の心を強く揺さぶった。

 一塁ベンチ脇の入口からちょうど五〇歩。三塁ベンチの脇にはブルペンの入口があった。僕は斎藤さんに促され、ブルペンに足を運んだ。


「お。おお――」

 ブルペンには僕の知ってる顔が二つあった。一人は亮、そしてもう一人はココの大学のマネージャーでもある大久保さん。僕を見て声を上げたのは大久保さんだった。彼とは三年ぶりの再会だった。

「なんだよ。大きくなったなあ」

 大久保さんは嬉しそうに僕の肩を揺すった。

 彼はあのころと変わらない人懐っこい笑みを浮かべていた。当時は学生だった大久保さんだが、卒業後はココに残り、野球部のコーチをしているのだといった。


「じゃ、帰りに顔出してくれ」

 斉藤さんは僕に向かってそう言うと、大久保さんを連れてブルペンを出ていった。僕と亮を置き去りにして――。



「で……なんでそんな格好してんの?」

 僕は口元を歪めた。亮はレガースを着けていた。

「おお、似合ってるだろ?」

「まあ似合ってなくはねえけど……」

 それでは僕の質問の答えにはなっていない。しかし亮はナニを聞いてもはぐらかすような言葉しか返してこなかった。

 僕らはブルペンを出て、室内練習場を横切り、練習場の外にあるベンチに向かった。


「ポカリでいいよな」

 僕は言うと、答えを聞くことなく自販機でポカリを二本買い、一本を亮に手渡した。 

「おお、サンキュ。」

 亮はそれを受け取ると「一月の初めにはメキシコに渡る予定だからよ」と言った。

 僕は目を合わせなかったが、視界に映る亮の表情は涼しげで、悲壮感のようなモノはまったく感じられなかった。


「見送り、行かねえからな」

 メンドクセーしよ――。

「おお。泣かれても困るから来んなよ」

「誰が泣くんだよ」

 僕は亮の脇腹に拳を入れた。


 亮は右手にプロテクターのようなものを着けていた。甲の部分をそっくり覆ったソレは、ボクサーが捲くバンテージのようにも見えた。

 

「で……どうよ、腱鞘炎・・・の具合は」

 僕は亮を見据えた。

 亮も僕の目を見返してきた。それは僕の言葉の意味を量っているようにみえた。

 やがて亮は目を逸らし「――問題あるわけねえだろ」と小さく笑い、ポカリの缶に口を付けた。

「……ならいいんだけどよ」

 それについて深く追求する気はさらさらなかった。

 弱音を吐かない亮の強さ……それが僕には羨ましかった。しかし同時に酷く悲しい気持ちになった。何も言ってくれないことが寂しかった。

 恨み言の一つでもぶつけてくれたら……僕は思っていた。しかし亮はそんな素振りはいっさい見せなかった。そう言ったモノをすべて一人で抱え込んでいるように見えて――。


「もし逃げ帰ってくるようなマネしたら絶対に赦さねーからな」

 僕は言った。それは僕が投げかけたかった言葉とは違っていたが、他には何も出てこなかった。

「バカ言うなよ――。」

 亮は笑った。「向こうで成功したらマネージャーとして雇ってやるよ」

「おまえ、マネージャーの仕事、絶対舐めてんべ」

 僕は亮の額を叩いた。


 亮はいつもと何も変わらなかった。いつもと同じように軽口を敲き……どうやらヘンに意識していたのは僕の方だけだったみたいだ。


「なあ、杉浦――」

「あ?」

「野球、続けろよ」

 亮はそう言って微笑した。


「そうだな……」

 僕は言葉を濁した。亮はそんな僕に向かって微笑みかけてくると、立ち上がって大きく背を反らした。

「でよぉ……また一緒にやろうぜ」

 いつか必ず、同じチームで――。

 僕と目を合わせることなく呟いたその顔からは、なんの感情も窺い知ることはできなかった。しかしそのシンプルな願いがもう叶うことがないということは、本人が一番知っているはずだった。

 僕は何も応えなかった。僕もまた亮の目を見ることができなかった。






***


 その日の夜、僕は夢を見た。

 内容はほとんど覚えていなかったが、目が醒めたとき何とも言えない余韻が僅かに残っていた。

 ベッドの上でカラダを起こした。

 同時に何かが頬を伝う感触……それが夢の残滓をすべて洗い流してしまった。



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