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【021】 夢のあとさき


 亀戸駅に着いたのは、予定していたよりも早い時刻だった。

 駅前にはまだ迎えの姿は見えない。当然だ。約束の時間まではあと一時間くらいあるのだから。


 三日前の夜、峰岸さんから電話があった。ちょっと会わせたい奴がいるから家に来い、と。

 咄嗟に強い警戒心が働いたが、峰岸さんの頼みじゃ断りづらいし、もしかしたらいい話かもという甘い考えもあってココまで来てしまった。僕としても峰岸さんに相談したいことがないわけじゃなかったし。

 峰岸さんは結構顔が広い人だった。ま、本人がそう言ってただけだから実際はどれほどのモノかわからないけど。

 ただ、いまの僕は「縋れるモノがあるのならどんなモノにでも縋り付きたい」という追い込まれた心境だった。例えそれがボロボロにささくれだって、今にも千切れそうな頼りない藁だったとしても――。


 駅前の自販機でホットの烏龍茶を買うと、ガードレールに腰をかけ、通りを行き交うクルマを眺めていた。

 歩いて行ってもよかったのだが、それでも十五分程度でついてしまう。予定外に早く来られても困るだろうから、やっぱりココで時間を潰すしかなさそうだ。

 しかし峰岸さんが駅に姿を見せたのは、それから三十分もしないころだった。





「いままで何やってたの? セレクションとか受けなかったのか?」


 峰岸さんは呆れたように言った。

 腕を組んだまま眉間に深い皺をよせ、矢継ぎ早に僕を問い質した。

 峰岸さんの言うことはもっともだった。

 だけど僕としても何でこんなことになってしまったのかよくわからない。

 セレクションについてはおそらく門前払いだったと思うけど、就職活動もせず、受験勉強もせず、ただ毎日を惰性のなかで過ごしてきた結果がこのザマだということは疑いようがない。


「正直言ってキツイぞ。中学の実績だけじゃドコも取ってくれないよ」

 峰岸さんの言うことはもっとも過ぎて耳が痛い。

 基本的に僕には野球を続ける意思はない。正確には野球にこだわっていないってことだけど。

 だけど峰岸さんは「勉強もできないお前が、ヒトよりちょっと自慢できるのは野球くらいしかねえだろ。俺がどこかに当たってやる」といってくれた。

 しかし僕は勉強ができないわけではない。やる気がないだけ。実際に、中学のころは麻柚よりも成績は良かったハズ……そう考えると、僕の人生のピークは既に過ぎてしまっているのかもしれない。

 それはともかく正直なんでもいいから決まって欲しい。進路が決まらないが不安なだけだから。誰かが描いてくれた道をなぞることならいまの僕でも十分できると思うし。


「ところで……会わせたい人って誰なんですか?」

 さっきからソレが気になって仕方がない。

「ああ、もうすぐ来るだろ。それよりおまえ、亮から何か聞いてるか?」

「メキシコ行きのことですか?」

 峰岸さんは静かに頷いた。

「詳しくは聞いてないスけど、納得いくまでやってくる……そんな感じのこと言ってましたよ」

「そうか」

 峰岸さんはそう言って自分のグラスに酒を注いだ。


「……ムリだけどな」

「は?」

「ごまかしは通用しない」

 僕には峰岸さんの言い方がずいぶん冷たいモノに感じた。

 でもアイツの実力を僕はよく知っている。たぶん峰岸さんよりも。

「……まあ、確かにブランクはありますけど」

「そう言うコトじゃない。亮はムリなんだ。もう野球ができない」

 峰岸さんは表情を変えずに言った。

「はあ? ……なにいってるんスか」

「あいつは手首を痛めてる。外傷性の腱鞘炎だ」

 おそらく再起は難しい――。

「は?」

 ガイショウセイ……? サイキハムズカシイ……? いったい、なんのハナシなんだ?

「いや、でも……このあいだやってたじゃないですか!」

「グラブ嵌めて立ってただけだ」

「いや、それは――」

 峰岸さんは僕を一瞥すると、薄い笑みを浮かべて首を横に振った。

「ウソでしょ……」

 僕は首を振った。

「なんスか、それ。冗談スよね? おれ、なにも聞いてないスよ」

 そんな話ひと言も聞いてないし、冗談にしても笑えない。センスがなさすぎる。

「おまえにだけは知られたくなかったんだろうよ」

 意地っ張りな奴だからな――。

 峰岸さんはグラスを呷ると、亮が明桜を辞めた経緯を大雑把に話してくれた。

 それは僕が初めて耳にする話だった。

 考えてみれば、亮が明桜を辞めた理由についてハッキリと本人に聞いたことは一度もない。

 僕が学校を辞めることになったあと、アイツも僕の後を追うようにして自分の意思・・・・・で辞めたと人づてに聞いただけだった。

 でも真相は、僕が辞めさせられたことに逆上して暴れた挙げ句、指を骨折して手首を痛め――。

 馬鹿すぎる。どうしようもない。哀しいくらいに大馬鹿だ……。


「でも、このあいだは喜んでたぞ。『また杉浦のバックで守れるとは思ってなかった』ってな」

 亮はお前のファンでもあったからな。

 峰岸さんは笑みを浮かべてそう言ったが、僕はそれを正面から受け止める気にはとてもなれなかった。

「ところでおまえは行く気ないのか?」

 メキシコに――。

 峰岸さんが冗談で言ってるのか僕にはよくわからなかった。

 僕は曖昧に首を傾げたが、何も言葉にしなかった。自分がどうしたいのかもよくわからなかった。

「それはどっちでもいいが、亮は斎藤さんのトコロで練習してるらしいから近いうちに行ってみたらどうだ」

 きっと斎藤さんも喜ぶだろ――。

 峰岸さんは他人事のように言ったが、それにも僕は何も答えなかった。



「あ……来てたんだ」

 不意にリビングのドアが開いた。

 顔を出したのは麻柚だった。彼女は峰岸さんを押しのけ僕の向かいに腰を下ろすと、いつからいたのかと尋ねてきた。

「もう一時間くらい経つけど……つうか、いたんだ?」

 顔を出さないから出かけてるもんだと思ってた。

「勉強してたの。いちおうこれでも受験生だから」

 麻柚は自嘲するようにクチを尖らせた。


 しばらくして峰岸さんが席を外した。

 タバコをくわえたとたんに麻柚に蔑むような目で睨まれ、灰皿を片手にキッチンの方へと行ってしまった。そのキッチンからはおばさんの小言のようなものが聞こえてきて……峰岸家の微妙なチカラ関係を目にしてしまったようで、僕はそっと耳を塞ぎ、目を伏せた。


「ところで麻衣子ちゃんは元気?」

 麻柚は意味ありげに笑みを浮かべた。

「ああ。かなり元気だね」

 いいながら僕も頬を弛めた。

「そんなことより――」 僕は峰岸さんを横目で見た。

「亮とはどうなってんのよ」


「え。どうってべつに……」

 麻柚は言いよどんだが「おまえを捨ててメキシコに行くらしいじゃん」と茶化すように言うと、堰を切ったように亮を罵倒する言葉を並べ始めた。とてもじゃないが本人には聞かせられないようなことを。

「――でしょ? ホント、バカな奴だと思わない?」

 麻柚は呆れたように言ったが、僕は鼻で笑った。

「何をいまさら……あいつは本物のバカだよ。だって昔よ――」

 僕は僕の知っている亮のバカ伝説を語った。すると麻柚も笑いながら負けじと亮の恥ずかしいエピソードを教えてくれた。僕らは次々と出てくる亮のバカ自慢で盛り上がった。僕は話の一つ一つに声を上げて笑っていた。腹を抱えて、そして涙を滲ませながら。



「でもさ――」

 麻柚は微笑を浮かべて呟いた。「いい奴なんだよね、あいつ」

 独り言のようなその言葉に、僕は小さく頷いた。

 亮はいい奴だった。そして付き合いのいい奴だった。

 僕が明桜に進学することを決めたとき、アイツは「おれもおまえと同じ高校に行く」そして「一緒に甲子園に行こう」と言った。

 そしてその言葉のとおり僕らは明桜学園に進み、同じ夢を追いかけ始めた。しかし程なくして僕は挫折し、付き合いのいい亮も僕の後を追うように夢を諦めてしまった。

 亮と出会わなければ、中学時代の僕はあり得なかった。だけど……アイツはそうじゃなかったのかもしれない。僕と出会わなければ高校を辞めることもなかったはずだし、今ごろはその才能を開花させ華やかな表舞台に立っていたのかもしれない。

 僕らは疑いようもなくバカだった。そして愚かだった。だけど僕はそれ以上に罪深かった。

 自分のとった軽はずみな行動……それをいまさらのように後悔する。それが自分だけでなく、亮の生き方まで変えてしまった。

 斎藤さんの元で練習に参加している亮の心境を考えてみる。

 何を思い、何を目指して練習に打ち込んでいるのか……それを考えると胸が痛くなる。自己嫌悪の深みに嵌っていく。


 きっとあきらめもつくさ――。

 あの日の醒めた口調は僕の知ってる亮のものではなかった。

 あのときの亮の覚悟を思ったとき不意に視界がぼやけた。

 こみ上げてきた涙をごまかすように、僕は目の前のグラスを手に取り、烏龍茶を一気に飲み干した。




 麻柚が自室に戻ってしばらく経った頃、玄関からチャイムが聞こえてきた。峰岸さん曰く「僕に会わせたい人」がやってきたらしい。

 僕は心もち背筋を伸ばしてその人を迎えたが……なんだ。期待して損した。

 顔を出した坊主頭……それは僕の後輩、江東球友クラブの奴だった。

「このあいだ会ったから顔はわかるよな?」

 峰岸さんは僕に向かってそう言うと、客人の肩を叩いて言葉を促した。

「こんにちは! 大沢です!」

 彼は元気よくそう言った。名前はいま初めて知った。


大沢コイツがどうしても杉浦と話がしてみたいって言ってよ」

 峰岸さんがそんな話をするあいだ、大沢はお預けを喰らった犬みたいな顔で僕の方を見ていた。

 彼の名前は大沢貴彦。

 江東球友クラブの現在のエース。つまり中学二年生。

 峰岸さんの話では、二年生ながら水面下では私学による熾烈な争奪戦が繰り広げられているとか……つまりそれだけの有望株だってことらしい。


「おまえとそっくりでな。頭を使わないピッチングをするんだよ、な?」

「はい!」

 おいおい……ハイじゃねえだろ、そこは。

 しかし大沢は僕の心中になど思いが及ばないようで、ニコニコと僕の顔を窺っていた。


「なんかおまえに弟子入りしたいんだとよ」

「はい! お願いします!」

「はあ? 弟子ってなんなんスか……」

 僕はそういうのは嫌いだ。

 ソレを知ってる峰岸さんはニヤニヤしながら僕を窺ってる……性悪親父め。


「俺、最近迷ってたんです。試合に勝つためのピッチングと、自分らしいピッチングっていうものが違うような気がして……でも、このあいだの杉浦さんのピッチングを見て『やっぱコレだ!』って思ったんです! 俺、頑張ります!!」

 大沢は熱く語った。

「はあ……そうスか」

 ちょっとメンドクサそうな奴だ。


「やっぱり杉浦さんもプロを目指してるんですよね!」

「いや、べつに。……キミは?」

「はい! 絶対プロに行きたいと思ってます!」

 大沢は目を輝かせている。

「はあ。なれるといいね……」

 ダメだ。コイツのテンションにはついていけそうにない……。


 その後も大沢は非常に高いテンションを保ちつつ、僕に質問をぶつけ続けてきた。

 僕はそのひとつひとつに、彼とは対照的な口調で訥々と答えていった。そして峰岸さんはそんな僕らを見て、笑いを堪えながら手酌で酒をちびちび飲んでいた。

 一時間ほどして、大沢は帰った。なんでも塾があるんだとかで。

 彼がいなくなったあと、この部屋は急に静かになった。不意に寒気を覚えるくらいに。


「なんなんスか、あいつは」

 僕は鼻で笑った。

「おまえとそっくりだろ? マエしか見てない」

 峰岸さんは僕のグラスにウーロン茶を注ぎながら笑った。

「ドコがですか。ぜんぜん似てないと思いますけど」

 僕はもうちょっと落ち着きのある人間だったと思う。それに前しか見ていないワケじゃない……少なくともいまの僕は。


「ま、どっちでもいいが、年明けの練習に顔出せよ」

 峰岸さんは自分のグラスに酒を注ぎたした。「で、キャッチボールの相手でもしてやってくれよ」

 そう言ってグラスを僕のグラスにぶつけた。

「そうスね……。まあ、時間があったら」

 僕は言葉を濁した。



 いつか絶対追いつきますから――。

 帰り際、大沢は僕に向かってそう言った。

 その清々しいまでの不敵さがいまの僕には羨ましく思えた。ちょっと的はずれにも思えるその言葉が、なぜか胸に迫ってきた。



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