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【016】 early bird


 午前五時――。

 

 目覚まし時計がけたたましい音を立てた。

 僕は布団のなかから手だけを伸ばすと、手探りで音源を探し当てその息の根を止めた。

 静けさを取り戻した僕の部屋。

 暗がりのなか焦点の合わない目を擦り、カーテンの隙間から外を覗く……当然だがまだ陽は出ていない。

 僕はベッドに座ったまま、もう一度目を閉じた。

 起きなければいけないということはわかってる。ココで寝たらもう終わりだと言うこともよくわかっている。

 だが、あまりにも眠かった。こうしているだけでも意識が飛びそうになるくらいに……やばいな、このままだとマジで二度寝しちまいそうだ――。

 僕は意を決して布団を跳ね上げると、立ち上がって大きくノビをした。

 そして昨夜脱ぎ捨てたハズのジーンズを手探りで拾い上げ、心持ちシワを延ばしてからダラダラと着替え始めた。





『おまえ、日の出って見たことあるか――』

 昨日の休み時間、僕のもとにやってきた渋谷がそんなことを聞いてきた。

 渋谷の話では、このあいだの週末にバイト先の人たちとメシを食いに行ったらしい。で、そのときにいいカンジになった女とカラオケに行ったんだそうだ。で、明け方まで騒いで二人で日の出を見てから帰ってきたんだそうだ。

 なんでそんなハナシを渋谷がしてきたのかというと、彼女ができたってことを誰かに話したかっただけらしいがそんな話はべつに聞きたくもないし、まったく興味がない。

 でも日の出には興味があった。どうしても見てみたい――。そう考えだしたら気になって気になって仕方がなくなって現在に至っている。





 クローゼットから革ジャンを引っ張り出した。

 この黒い革ジャンは、僕が初めて自分の意志で買ったTシャツ以外の服だった。結構いい値段だったが買ってよかった。買ってからまだ一回しか着てないがとても満足している。

 革ジャンに袖を通すと、硬い皮を馴染ますように何度か肘を曲げ伸ばしした。そしてヘルメットを抱えて階段を静かに下り、音を立てないように注意して玄関をくぐり抜けた。


 RZはガレージの外にあった。

 朝っぱらからシャッターをガラガラ開けるのも気が引けるので、昨夜のうちに爺ちゃんの盆栽コレクションの横に出しておいた。

 僕はフルフェイスのヘルメットを左腕に引っ掛けるとRZにキーを挿し、大通りに向かってゆっくりとバイクを押しはじめた。


 夜明け前の静かな住宅街。

 どこかで犬が吠えているのが聞こえるが、それ以外は僕の吐息くらいしか聞こえない。咳払いをするのも気が引けるほどの静けさだ。

 RZを押したまま通りまでたどり着くと、フルフェイスを被りエンジンをかけた。

 早朝の冴えた空気を裂くようにRZの甲高い排気音が響き渡る――。


「さて……と。行くべしか」

 小さな声で呟くと、アクセルを軽く煽り、まだ誰もいない通りに飛び出した。


 中央けやき通りを南へと向かう。

 まだ誰も通った形跡が感じられない道は、まっさらなマウンドに登ったみたいで気分がいい。

 左カーブを抜けると、道は緩やかに下りながらトンネルへと続いている。オレンジ色の照明に照らされたトンネル内、排気音が反響してスピード感覚を麻痺させる。

 スピードに乗ったままトンネルを抜けると、正面の国道一号線の信号が青に変わったのが見えて、僕はさらにアクセルを開けた。

 歩行者信号が点滅しはじめた国道の交差点。

 その手前でスピードを落とすと、ブレーキをやや余したままRZを右に倒し、下り方面に向かった。


 人気ヒトケのない夜明け前の国道。

 見慣れたハズの見慣れない景色が流れていく。前も後ろも対向車も、僕の周りには誰もいない。湧き上がってくるのは孤独というより爽快感。スピードも自然に上がっていく。

 小和田の緩い右カーブを抜けると僕はさらにスピードを上げる。

 TOTOの工場と教習所の前を過ぎ、茅ヶ崎駅前の交差点を過ぎ、茅ヶ崎警察署が見えてきたところで僕はアクセルを緩めた。そして十間坂の交差点の手前で、僕はRZを左側の狭い路肩に寄せた。

 ここまで一度も停まることなく辿り着いた。これは奇跡だと言ってもいいだろ……そんなことを考えながらエンジンを停め、フルフェイスを脱いだ。


「――っしゃいませ!」

 朝っぱらから元気な声の店員。

 牛丼弁当の大盛を一つ注文した僕は、カウンター席のイスに腰掛け、店員が用意してくれたお茶を啜った。

 暖かいお茶は冷えたカラダに優しかった。縮こまっていたカラダの隅々に血が行き渡っていくようだった。


 牛丼弁当をGetした僕は、弁当の入ったビニール袋をミラーに引っ掛け、十間坂の交差点を右に入った。

 国道に別れを告げた僕が向かっていたのは、ウチから比較的近い場所にある大学の駐車場だった。その大学は辺鄙な場所にあったが、渋谷が言うには何にもないから逆にいいこともあるんだとか……アイツの言ってることは時々よくわからない。


 スリーハンドレッドの前を通って七曲がりを抜け、途中で見つけた自動販売機に立ち寄り温かいお茶を買う。

 温かいお茶を懐に忍ばせて現地に着いたとき、ソコには既に先客がいた。

 白っぽいクーペ……乗っているのはカップルみたいだった。

 運転席の男が「邪・魔・す・ん・な」というようなブロックサインを送ってきたが、僕は一切気が付かないフリでクルマの横をすり抜け、彼らから少し離れた位置にバイクを停め、エンジンを切った。


 駐車場は高台にあった。ここから東南の方向に見下ろすように校舎が建っていた。

 僕は一番端っこの輪止めに腰おろすと、懐からお茶を取り出し、プルタブを引き起こし、口に含んだ。


〈暖けえ……〉

 お茶はほっとする暖かさだった。暖冬だとは言っても既に十一月も終わりに近いこの時期、朝晩は結構寒い。僕は缶を両手で包むようにしてしばらくぼーっと周囲を眺めていた。


 夜が明ける少し前の薄暗い駐車場――。

 静かだった。時折ドコかから鶏に混じって得体の知れない何かの鳴き声が聞こえてくる……そういえばさっきからなんの鳴き声なんだ、あれは? 危ない種類のモノとかだったらマジでやばいよな。

 それはともかく、ここから見える景色は全体的に青みを帯びていて幻想的にすら感じる。まるで夢の中にいるような……そういえば夢と言えば僕の中学時代。あれ一体はなんだったんだろうと思うことがある。ひょっとして夢でも見てたんじゃないかと思うことすらある。いろんな高校が「是非ウチに」と言ってくれて、断るのが面倒なくらいだったのだ。

 ところがいま、僕のことを誘ってくれるトコロはない。大学・企業を問わず皆無だ。たかが三年でこんなに状況って変わるものなのか……そう考えるとちょっと恐ろしいよな。


 そんなくだらないことを考えてたら、ふとRZのミラーに引っかけてあった『牛丼弁当』が目に入った。

 僕は慌ててビニール袋に手を伸ばすと、弁当を取り出し蓋を開けて箸を割った。


 危ないところだった。でも完全に冷め切るまえに気づいてよかった。

 明るくなりかけた東の空を見ながら、僕は牛丼をパクついた。

 普段なら間違いなく寝てる時間だったが、どういうワケか空腹感があって牛丼ひとつじゃたぶん足りない。途中でカップラーメンでも買ってくればよかったと思ったが、考えてみればココにはお湯がないよな――。

 それにしても最近の僕はドコかおかしい。

 眠すぎたり、ハラが減りすぎたり、怒りすぎたり……つまらないことに拘りすぎたりする反面、周りのことに関心がなさすぎたり。つまりちょうどいいって言う感覚がない。どうでもいいことに過敏に反応しすぎる……なんでなんだ?




「あ……」

 

 僕は思わず立ち上がった。

 牛丼を半分くらい食べたところで校舎に後光が差した。校舎の向こうから太陽が顔を出した。みるみる周りが明るくなっていく――。


「おおおおおっほっほっほ……すっげぇな……おい」

 興奮して声が出てしまった。意味もなく笑っていた。

 眩しさに眼を細めながらも、僕はその眼を逸らすことができなかった。

 サングラスを用意してくるべきだったのかもしれない、と僕は思った。でもサングラス越しに見るのはもったいないような気もするよな――。



 僕はしばらくぼーっとしていた。

 初めて見た日の出は、早起きの対価としては充分過ぎるものだった。完全に陽が出たあとも冷め切った牛丼を左手に、箸を右手に持ったまま立ちつくしていた。

 東の空へ目を向けたまま、暫しの余韻に浸っていた。



 気が付くと白いクーペはなかった。

 それにさっきまでは幻想的な世界に見えていたこの場所も、すっかり明るくなった今では、そこかしこに空き缶が散乱している……。

 なにげなく左手の時計に目をやると、針は七時になる少し手前を示していた。

 いったん家に帰って、着替えて、メシ食ってから学校に行くにはちょうどいい時間。きっと国道も混みはじめているハズ――。

 僕は大きく息を吐いた。

 夜明けとともに魔法は解けちゃったらしい。すっかり夢から醒めてしまったみたいだ。


 そろそろ現実に戻んべか――。

 僕は冷め切った牛丼を掻っ込み、すっかり冷たくなったお茶で胃に流し込んだ。

 


 何かに急きたてられるように駐車場を出た僕は、走り出してすぐのT字路で停止した。そして徐にフルフェイスのシールドを上げた。

 僕の正面……南に開けた空は真っ青だった。

 いつもそうなのか、今日がたまたまそうだったのか、朝が早いからなのか……よくわからないが、とにかくきれいだと思った。

 考えてみれば、空を見上げることなんか最近はなかったよな――。


 そう思ったときには僕は走り出していた。通りを家とは反対の方向に飛び出していた。

 これだけ天気がいいと、たぶん西湘バイパスあたりは海がきれいなんだろうし、いつになくガソリンタンクも満たされてる。それにこんな天気のいい日に学校に行くのはもったいない。いつもと違ったコトをしてみたくもなる。


 明るくなった道は標識や看板ばかりだった。

 見たくないモノほど眼に飛び込んでくるような気がして思わず目を閉じてしまいたくなる。ただ、弾けるような甲高い排気音……それだけは夢を見てるあいだとなにも変わらないような気がする――。

 僕はやや前傾にポジションを取った。

 そして弾む気持ちを抑えながら、軽快にアクセルを煽った。



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