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【014】 羨望と期待と嫉妬とⅠ


「はあ……」

 近藤はデスクに肘をつき、大きくため息を吐いた。

 


「なんだよ、らしくねえな」

 湯飲みを手にした蒲田が、近藤に歩み寄った。

「女か……?」

 蒲田は小指を立て、ヤニだらけの歯をむき出しにしてにんまりと笑みを浮かべた。

「そんなんじゃないですよ」

 近藤はチカラなく首を振り、デスクにあったハガキを蒲田に差しだした。

「なんだよ――」

 蒲田は受け取ったハガキに目を通した。

「OB会……なんだ、高校のOB会かあ。いいじゃねえかよ、行ってくれば」

 蒲田はそう言ってハガキを近藤に突き返した。

「いや、だから冴島先生とね……」

 いいかけたところで思い出した。このあいだ明桜に行ったことは蒲田にも話してはいなかったのだ。


 近藤はデスクの上の煙草に手を伸ばすと、パッケージから一本を抜き取りくわえて火をつけた。

 恩師でもある冴島だったが近藤とはもともと疎遠だった。もっとも近藤の方が寄りつかなかったというだけの話だったのだが。

 そんな中、先日久しぶりに会ったというのに気まずい別れ方をしてしまった。

 さすがにもう怒ってないとは思うが……気が重い――。

 近藤は紫煙と一緒に大きくため息を吐いた。


「そういえば、明桜っていったら森本がいるだろ?」

 デスクに向かいかけた蒲田が振り返った。

「娘がファンらしくてな……サインもらってきてくれよ」

 ちゃんと『美菜ちゃん江』って書いてもらってくれよな――。

 蒲田は嬉しそうに近藤の肩を叩くと、お茶を啜りながら自分のデスクに戻っていった。


 近藤は夏に会った森本の顔を思い浮かべた。

 確かに人気の出そうな顔ではあるな――。近藤は妙に納得して独り頷いた。





***


 OB会の当日、東名・横浜インターはガラガラだった。

 夏に母校を訪れたときには酷い渋滞だった。それを見越していつもより早く家を出た近藤だったが東名のインターを出て、国道246号線を抜けて町田街道に入ったのは、予定より一時間以上早い時間だった。町田街道はさらに空いていた。明桜学園まで続く道は、近藤の早めの到着を促しているかのようにスムーズだった。


「なんだ。一番乗りはお前か……」

 駐車場には冴島がいた。

 

「どうも……ご無沙汰しております」

 近藤は深々とアタマを下げた。

「適当なことをいうな。このあいだ会ったばかりだろ」

 まったくおまえという奴は――。

 不用意な近藤のひと言が冴島の小言スイッチを入れてしまったようだ。


「あの、先生。森本は……?」

 近藤は慌てて森本の名前を出した。

 その名前が冴島の機嫌を取り戻す唯一の呪文のハズだった。

「アイツならまだブルペンだが」

 冴島は言った……が、表情に変化は見られなかった。

「見せてもらってもいいですか?」

「ああ。だが邪魔はするなよ――」

 近藤は既に走り出していた。

 森本を早く見たかったワケではない。一刻も早く冴島の元から逃げ出したかったのだ。


 ブルペンは駐車場からは一番離れた場所にあった。

 距離にするとそれほどでもないのだが、全力で走りきった近藤の呼吸は乱れていた。

 深呼吸をして息を整えながらブルペンに目をやると森本が投球練習をしていた。彼は近藤の姿を見つけると、帽子を取り深く頭を下げた。そしてクールダウンを始めた。


「近藤さん、でしたよね?」

 森本が近藤に駆け寄った。そして再び一礼した。

「覚えててくれたか?」

「はい!」

 近藤はこの後輩に好感を持っていた。

「取りあえず、おめでとう……でいいんだよな?」

「はい。ありがとうございます」

 森本は深くアタマを下げた。

 彼は先日のドラフトで、在京のパリーグの球団から三位で指名を受けていた。

 本格的な入団交渉はこれからのハズだったが、森本本人のプロ入りの意思は固く既に『入団は確実』と報じられていた。


「冴島さんも喜んでたんじゃないか?」

「はい。でも、僕らの代は甲子園に連れて行くことができなかったので……」

 森本は小さく息を吐いた。

「たしかに夏は残念だったよな……」

 今年の夏、第一シードで西東京大会に臨んだ明桜学園は、準決勝で東央大付属に敗れ、甲子園出場を逃していた。

 連投で制球の甘くなった森本が終盤に連打を許して逆転負けをしたその試合、近藤は神宮球場のスタンドから声が嗄れるほどの声援を送っていた。

「たぶん杉浦がいてくれたら――」

「え……?」

「あの試合、杉浦がいれば絶対に勝ってたと思います。近藤さんも知ってますよね、杉浦優って」

 近藤は頷いた。

「アイツはスゴイ奴でした。もちろん実際に投げてるところを見たワケじゃありません。でも、キャッチボールをしただけでもわかっちゃうんですよ。球筋が違うんです」

 森本は呆れたように呟いた。


 球筋が違う――。

 近藤は先日三年ぶりに目の前で見た杉浦の投球を思い返した。夏に打席で見た森本の投球と自然に比べていた。


「でも、森本だって……」

 近藤の言葉に森本は首を振った。

「いや、僕なんか全然です。あんな風に辞めなければ、アイツがエースだったハズですから……」

 それは間違いないですよ――。

 森本は口元を弛めた。そして訥々と話し出した。




***


 三年前の三月二十七日、僕らはココの寮に入りました。

 だから僕ら野球部員は入学より、野球部への入部の方が早いってことです。つまり僕らは野球をするためにこの学校に連れてこられたってことです。

 一学年二十五名、総勢七五名。うち一六名が投手……これが多いのか少ないのかわかりません。ただ全員が推薦で、そのうちの一部が特待生でした。

 特待生にもいろいろあるらしいのですが、それは僕らにはわかりませんでした。ですが僕らの代では杉浦と藤堂の二人は特別な存在だということはわかっていました。

 二人が中学時代に全国大会で優勝した話は人づてに聞いて知ってましたし、当時の主将だった山城先輩が杉浦がいたチームと対戦したことがあったらしく、彼らのことをよく覚えていたということもあります。山城先輩はよく藤堂の兄貴の話をしてくれましたが、僕はその人をみたことはありません。ただ先輩の話しぶりから凄い選手だったと言うことは伝わってきましたが。

 とにかく僕らの代の連中は『杉浦と藤堂が僕らを甲子園に連れて行ってくれる――。』そういう共通の意識をココロの何処かで持っていたハズです。


 入寮した日、僕は杉浦と同室だと言うことをはじめて知りました。

 僕らの部屋は三人部屋で、僕らの他には二年生の椎名隼夫が一緒でした。彼も投手でした。

 杉浦という奴は掴み所のない奴で、いつも寮の部屋から外を眺めているというちょっと不思議な奴でした。

 でもそれ以外は至って普通の奴で、周りからさんざん『怪物』だと聞かされていた僕としては拍子抜けするくらいでした。

 そして椎名……コイツは最悪でした。

 僕らの代の奴らに聞けばみんなが同じことを言うと思います。

 いまにして思えば、この部屋割りが杉浦を退部に追いやったと言えるのかもしれません。


 入部したころ、僕ら一年生は所謂『パシリ』でした。

 野球部っていうのは、ご存知の通り「先輩の言うことは絶対」の世界でしたから。寮に入ってた僕らはなおさらです。

 つまり僕と杉浦は、椎名のパシリだったということです。

 実力的には杉浦の足元にも及ばない椎名がその杉浦をアゴで使うってことに、僕は強い嫌悪感を持っていました。

 しかし椎名はそんなことはお構いなしで、僕らに面倒を押しつけては喜んでいるという歪んだ性格の持ち主でした。それでも杉浦本人はそれほど気にしている様子もなく、言われたことを淡々とこなしては自分の世界に閉じこもるという生活を繰り返していました。


 椎名は肩を痛めている杉浦に「いつになったら投げられるんだ?」とたびたび訊いていました。

 僕はそのときの椎名の半笑いの顔と目つきが特に嫌いでした。答えを求めてる訳ではなく、ただの意地悪だというのはわかってましたから。

 しかしそのたびに杉浦は「まだ投げられません」と無表情で応えていました。


 僕らと椎名のやり取りはいつもこんなカンジでした。これを六畳間で延々と繰り返される訳です。

 体罰の類であれば、高校に入ればそれくらいは仕方がないと考えてた部分もありますのでまだマシです。

 だけど椎名はしつこい男でした。

 同じことを何度も聞く。何度もやらせる。何度も何度も何度も……。

 先輩なので我慢していましたが、我慢が限界になる前に卒業してくれないかなと本当に思っていました。

 

 そんなこともあって、僕は寮の自分の部屋にいるときが一番落ち着きませんでした。

 でもあるとき気が付いたんです。

 椎名が絡む相手は、特待生と言われる一部の人間に対してのみだったのです。

 アイツは嫉妬してたんです。彼らに対する周囲の期待に。もっと言えば奴にはない彼らの才能に。

 そう考えると急にアイツが気の毒になってきました。

 杉浦の肩が治れば椎名の出場機会は減るでしょうし、僕も特待生ではないけどチカラは椎名より上だと確信していました。つまり椎名は来年のベンチ入りすら危ういかも知れない。 

 気の毒な奴だ――。

 そう思うようにしていました。そう考えれば大抵のことは我慢できました。


 僕は椎名が嫌いでした。

 しかし杉浦はそうでもなかったようです。相手にしていなかったとも言えますが。

 椎名の方も杉浦に対してくだらないイヤミは言うんですが、それ以上のことはありませんでした。それはドコかセーブしてるようにも見えました。

 もしかしたら杉浦が三年生からも一目置かれているということも影響していたのかもしれません。

 ですから椎名が嫌なヤツなのは寮の部屋にいるときだけで、グラウンドなどではドコにいるのかわからないくらいに存在感の薄い奴でした。

 そういう意味では表向きの椎名と杉浦の関係は良好だったと言えるのかもしれません。


 そのころの藤堂ですが、彼は既にチームの主力に交じって練習をしていました。

 さっきもお話ししたとおり、藤堂も随分と期待されてたんです。

 あの年、一年でベンチ入りを果たしたのは彼だけでしたし、六番・右翼は藤堂の指定席になっているハズでした。

 でもあんなことがあったので西東京大会では二試合しか出ませんでしたけど。


 藤堂は入学早々から試合に出てました。

 当初は代打中心でしたが、五月に入る頃になるとスタメンでの出場もだんだんと増えていきました。

 そして六月に入って最初の日曜日。

 その日は千葉の高校を招いて練習試合が行われました。


 その試合に先発出場した藤堂の活躍は凄まじいモノでした。

 得点圏で回ってきた三度の打席すべてで二塁打を打ち、勝利に貢献しました。

 実際、あの試合でレギュラーを勝ち取ったんだと思います。

 相手の学校の一番打者も一年生でした。それがこのあいだのドラフトでドコかに指名されていた安藤龍二です。

 安藤も目立つ存在でした。

 でも一番驚いたのは、彼が杉浦たちと同じチームだったということです。成京の岡崎と羽曳野の吉村……そしてあの東央大付属の笹本までもが一緒だったと聞いたのはそれよりずっと後のことでしたが。彼らが一つのチームでプレーしていたと聞いたとき、なんとも言えない高揚感が湧き上がってきたのは自分でも不思議でしたが。


 そしてそこの学校には僕の同級生もいました。

 下田という奴なんですが中学時代のチームメイトでした。


 試合後、僕は下田と久しぶりに話をしました。

 近況報告というか、どんな練習をしてる? という程度の探り合いみたいなものでしたが。


 下田の話では、安藤っていう奴は入学してきたときから別格だったらしいです。「アイツの守備は芸術の域だな」と舌を巻いていました。

 どんな打球もなんなく捌いてしまうらしいです。ボールの方からグラブに吸い込まれにきてるような錯覚を起こすくらいだって言ってました。

 下田って奴はあまり人を褒めたりしない奴なので、よっぽど印象に残っていたんだと思います。

 その安藤がよく杉浦の話題を口にするらしく「安藤かいぶつが凄えっていう杉浦かいぶつってどんな奴よ」と下田が興味深そうに聞いてきました。

 僕は僕から見た杉浦の話をしました。至って普通の奴だと。

 でもそれじゃ話が盛り上がらないので、椎名の話をしました。

 嫉妬深い奴で特待生を目の敵にしている、とかそんな話しです。

 でもそのとき、下田が不思議そうな顔で僕を見てひとこと言ったんです「おまえは嫉妬しないのか?」と――。




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