【013】 紅白戦
絶対に勝つ! そう意気込んでいたのだが……やっぱりそれほど甘くなかった。
結局、試合は3-5X。Bチームは善戦も虚しく敗れた。僕は監督としての初陣を飾ることができなかった。
「先輩、すみませんでした」
柴田を先頭に頭を下げてきたBチームの面々……。
「なんだよ。べつに謝るコトじゃねえだろ?」
三塁側ベンチに座った僕は、善戦した後輩たちを労うように笑った。
ジッサイ上出来だったと思う。本音ではコールドになってもおかしくないと思っていたから。
「ま、おまえらのが鎌商より強えってことは確かだな」
僕の言葉に何人かの一年生が白い歯を見せた。
鎌倉商業には秋の地区大会でコールド勝ちしていた。佐々木が公式戦初完封を達成した相手だ。
それはともかく、後輩たちは個々にいい働きをしてくれた。それは僕が期待していた以上のモノだった。
彼らのチカラを見くびっていた僕の方こそ、彼らに謝らなければいけないと思うくらいに……まあ思うだけで絶対にコイツらにアタマを下げることはしないが。
「ま、あとはスタミナだな。精神的なスタミナ。ちょっと諦めんのが早えー奴がいるな。上田、聞いてるか? てめえのことだぞ」
「はい!」
返事は良かったが、たぶん上田は僕の話を殆ど聞いてなかったと思う。
ベンチに座って采配を振るう――。
ちょっとだけ楽しみにしてたのだが、それほど面白いモンではなかった。
サインを見ようとしない奴はいるし、勝手に走り出す阿呆はいる。ウェイティングのサインを出してるのに思いっきり空振りする奴に関してはなんというか、もう……ま、いいや。終わったことだから。
それにしても野球ってものは、やっぱり他人にやらせるより自分でやった方が簡単だし、そっちの方が楽しい……つまり監督というポジションは、僕にはあまり向いていないってコトだな。
「じゃ。つうわけで柴田、あとはよろしくな――。」
僕はそういうと、グラウンドを後にした。
「おう。お疲れだったな」
ユニホーム姿の納村が部室の前で待っていた。それは僕の予想通りだった。
「ちょっといいか?」
納村は手にしたスコアブックを掲げた。
「いいスよ」
僕にも以前ほどの拒否反応はなかった。
「まずはご苦労さん。あそこまでヤルとは思わなかったがな」
納村が笑顔で握手を求めてきた。
警戒心が働いて一瞬躊躇したが、動揺を悟られるのも癪なので静かに応じた。
「いくつか聞きたいことがある。マズは……先発・上田」
「ああ……今日は『良い上田』でしたね」
僕はそう言いながら口元がほころんだ。
納村の疑問は当然だった。
Bチームには二番手投手である曽根がいた。フツウに考えれば先発は奴なんだろうし、そしてそれは納村なりの配慮でもあったはずだ。
しかし僕が先発に抜擢したのは上田。ここまで公式戦での登板のない一年生だった。
「僕は基本的に球の速いピッチャーが好きなんで……それに確かにコントロールは良くないスけど、投げ分けができないっていうか、融通が利かないだけだと思いますし」
「融通?」
納村は片方の眉を上げ、僕の言葉を繰り返した。
「ええ。キャッチャーのリード通りに投げられないってカンジですかね」
だから武山とは合わないんスよね――。
僕の言葉に、納村は首を傾げた。
「それがなんで先発に選んだ理由になるんだ?」
「いや、上田はブルペンではいい球投げるんですよ……ま、これは渡辺情報なんですけどね。じゃあ試合とナニが違うんだろうと――」
僕は顎に指先を当て、考える素振りをした。
「で、思いついたんです。好き勝手に投げさせてやろうって。渡辺はキャッチングの技術は高いんで上田のショボイ変化球くらいじゃノーサインでも問題ないと思ったんで。だから渡辺には『真ん中にどんと構えて後ろには絶対逸らすな。ゴールキーパーになれ』と……まあ、勝ってればMVPは渡辺だったんですけどね」
ゴールキーパーという言葉に納村の頬が弛んだ。
「上田にも『四球は何個出してもいいから、困ったときはホームベースに叩きつけろ』とだけ一応いいましたけど。それ以上は覚えらんないでしょうから」
アイツは本当のバカですから――。
僕は上田のアホヅラを思い出して笑った。
「じゃ、三回の攻撃。あれはなんだ」
「ああ、あれは――」
三回の表、僕らのチームは一気に三点を挙げた。
四球で出たランナーが足で揺さぶりを掛けて相手バッテリーのリズムを乱し、エラーを誘い、完全に試合の主導権を握った……一時的に、だったが。
「佐々木は対右打者の方が被打率が低かったと思うんです。どっちかっていうと左打者を苦手にしてるような気がしたっていうか。でも確信がなかったんで一、二回は様子を見ました。打席に立つ位置を少しずつ動かすようにして。左打者がベース寄りの前の方に立ってたときは、随分と窮屈そうでしたね」
先頭打者に粘られた挙げ句に四球で出塁を許した佐々木は、執拗な牽制球を挟んだ結果次打者に今度は死球を与えた。そこから先はイライラした武山と動揺を隠せない佐々木とのあいだで呼吸が合わず、自滅するように三失点。四回以降は立ち直ってチャンスらしいチャンスを作らせてくれなかった分、バッテリーとしては悔いが残るイニングになったハズだ。
「ま、あのあとグダグダにならなかったあたりが成長してるんじゃないスかね、佐々木も」
「そうならいいんだが……どうだかな」
納村は口をへの字に結んだまま、クビを傾げた。
「おまえ……以前に武山をコンバートしろっていってたよな?」
納村は腕を組んだままアゴを上げてそういった。
僕は頷いた。
べつに捕手・武山が悪いっていうことではない。
ただ、いまのウチのピッチングスタッフに対して武山のリードは必要がない。
武山って奴はやたらとリードをしたがるタイプだった。極端にいえば自分のリードに酔うタイプ。だからコントロールの悪いピッチャーと組むとすぐに半ギレ状態になる。
しかしウチに武山のリードに応えることができる奴がいるとすれば、せいぜい調子のいいときの佐々木くらいなもんだった。
確かに奴のリードするとおりに完璧に投げられれば、ソコソコの強豪と当たってもそれなりに抑えることはできるのかもしれない。
だが……奴は何もわかっていない。ピッチャーが何たるかを理解しようとしていない。
だいたい構えたところになんか投げられるわけねーだろ。
そこらへんがわかってないからいっつもイライラしている……愚かだとしか言いようがない。
「――とまあ、そんな感じです。あと武山はキャッチングの時に目を瞑るクセがありますし……渡辺も悪くないと思うんですよね」
俊足でもある武山にはもっと向いているポジションがあるような気がしていた。
「渡辺……。いいかぁ、あれが?」
納村は訝しげに僕の方を窺った。
彼からみた渡辺の評価は相当低いようだが……。
「チャンスがあるようだったら試してみてもいいんじゃないスかね」
ま、ギャンブルだと思って……と言おうとして口を噤んだ。
納村はギャンブルの類は好きそうにみえない。手堅い男……僕に言わせればツマラナイおっさんだ。
でも、今日の上田先発はある意味ギャンブルだった。
公式戦ではあり得ない起用だったのは間違いがない。負けても構わない……わけではないけど、負けてもいい試合だからできたことだった。
ウチの学校は練習試合の勝率は比較的高い。
それは当然いいことだとは思うけど、勝ちに拘るあまり大胆な手を打つことを躊躇っているように見えた。
負けられる機会には思い切って負けてもいいんじゃないかと思うのだが……納村は勝率に拘っているようにも見える。それは対戦校の選択からいっても明らかだった。やっぱりそれは数学の教師だからなのだろうか?
でも上田みたいな駄馬でも、試合で使ってるウチに勝負勘ってやつが出てくるハズだし、そうすればそのウチ『良い上田』の出現確率が上がってくる……そんなもんなんじゃないかと思うのだが。
納村は腕を組んだまま目を閉じていた。その眉間に深い皺を刻み込んで。
僕はアタマを掻きながら息を吐いた。そして納村に負けないくらいに深刻そうな顔をしてみた……でもあまり意味がないのですぐにやめた。
「杉浦。そう言えば、おまえ……進路は決まったのか?」
納村は話題をまるっきり転換させた。半ば強引に……。
「いえ……なんにも決まってないス」
それが何かイケナイことなのか、と卑屈な感情が胸を過ぎる。
「だったら、コーチにならんか?」
唐突に納村はいった。
一瞬、何を言われているのか理解ができなかった。
納村が誰に向かって言っているのかわからず、思わず後ろを確認してしまった。当然だが周りには僕と納村以外には誰もいなかった。
「どうだ。やってみる気はないか?」
納村は穏やかな表情でもう一度言ったが、そんなことは僕も考えたことがなかった。
プレーをする以外の道に興味なんてまったくなかったし――。
「俺も高校野球の監督になる為に教師になったようなものだからな」
納村は声をひそめてそういった。
「え。そうなんスか?」 初耳……。
「だからおまえも……まあ、大学はムリか?」
「さあ……どうスかね?」
僕の個性を認めてくれる特異な大学があればべつだが、勉強のみで評価されたら確実にムリ。
「だったら近くの会社にでも就職してウチでコーチでもやれよ。それで行く行く教員を目指すというなら俺が直々に勉強を見てやるぞ」
ただし有料でな――。
納村は笑った。
僕は驚いた。相当ビックリしていた。
納村はそう言うことをいうタイプではない……少なくとも僕に対しては。
でも少しだけ嬉しかった。
思いがけない奴から進路に関するアドバイスをもらったっていうだけで、意味もなく感じていた苛立ちがすーっと引いていった。まだ何かが進展した訳でもないのにどこかほっとするような――。
「じゃ春まで何にも決まんないようだったら相談します」
僕は感情を込めずに言った。
「おう。」
納村はそういうと僕に背を向け、後ろ向きのまま軽く手を振っていってしまった。
僕は部室で独り着替えながら、大きくため息を吐いた。
進路のことでこんなにごちゃごちゃ考えるなんて思ってなかった。
薄暗い部室の壁を眺めながら、先輩たちもこんなコトで悩んだりしたんだろうかと考えた。
顔も知らない先輩たち……あのベスト8に行ったときのエースだった人も迷ったりしたんだろうか……というか、その人はいま何をやってるんだろう――。
僕は手にしていた黄色いグラブを見つめた。
しかしソコには前所有者の痕跡を示すモノは何も見当たらなかった。
僕はグラブに手垢まみれのボールを挟むと、丁寧にグラブケースにしまった。そしてイスにもたれ、足を伸ばし、しばらく目を閉じた。
高校野球の監督か――。
僕はアタマをフル回転させて、イメージを膨らませていた。
しかしどうやってもイメージはカタチになってくれなかった。