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【005】 東東京のスラッガー

 

 家を出て、トンネルと新湘南バイパスをくぐって国道一号線の赤信号につかまったとき、僕の時計は既に九時二〇分を指していた。

 朝、目ざめたときからわかりきっていることだが完全に遅刻だった。

 いまさら珍しくもなんともないコトだったが、最近はとくに酷くなっているような気がする。確か先週も同じようなコトを考えながらココを走っていたような気がするし……。

 不意にこのあいだ幸子にいわれた言葉が頭を過ぎったが、縁起でもないので気付かないふりをした。


 国道一号線を茅ヶ崎方面に向かい、途中のわき道を抜けた先にある小さな神社。

 学校近くのその神社はすっかり僕のバイク置き場になっていた。

 僕は所定の位置にRZを停めると、疎らに住宅が建ちはじめた分譲地の脇を抜け、通り沿いのコンビニへと向かった。


 コンビニの前には同じクラスの倉田がいた。

 倉田と一緒にいる赤い髪の女は、顔は知っているが名前までは知らない。

「スギちゃん、おはよ~」

 倉田の怠そうな挨拶に軽く手を挙げて応えると、そのまま彼らの前を素通りして店内に入った。

 清涼飲料水の棚からトマトジュースをチョイスし、会計を済ませて外に出ると、倉田たちはまだそこにいた。

 僕は彼らを一瞥すると、手にしていたジュースのプルタブを開け、学校に向かって歩き出した。


「おいおいおい、待ってたのにそりゃねえだろ?!」

 倉田と女が僕の後を追いかけてきた。

「そうだったんだ」

 僕は歩を緩めることなく、惚けてそう応えた。

「ったくマイペースだよなあ」

「杉浦君ってそんなにマイペースなのお?」

 倉田の言葉に女が応えた。

 その間延びした声は僕を軽く苛立たせた。

「ねえねえ――」

 不意に女が小走りで僕の横に並んできた。

「杉浦君ってさあ、湘北女子の娘と付き合ってるんだよねえ?」

 この名前も知らない髪の赤い不良娘がいってるのは、麻衣子のことだろう。

「べつに。付き合ってるワケじゃねえよ」

「えぇ~。でもウチのガッコの人たちみんな知ってるよお?」


 知ってるってナニを知ってるんだよ――。

 僕としては逆に尋ねたい気分だった。だいたい僕と麻衣子は……ん?

 横顔に視線を感じて振り向くと、半笑いの倉田が興味深そうな目でこちらを見ていた。

 そういえば思い出した。倉田っていう男は噂話・・の類が大好きな男だった。


 シカトすんべ――。

 面倒くさいので無視することを決めた。こいつらを相手にしてもいいコトなんてひとつもないし。

 僕はトマトジュースを飲み干すと、空になった缶を道路脇の空き地に向かって蹴り入れた。




***


「よお――」

 休み時間にやってきた坂杉が僕を見つけて歩み寄ってきた。

「久しぶりじゃねーか。二日も続けてサボりやがって」

 ニヤけ顔の彼は僕の机に腰を下ろすと、絡み付くような視線を向けてきた。

「風邪だよ」

 僕は気のない声でいったが、坂杉はまるで信用していないといった目で僕を見ていた。

 一昨日、僕は実家に行くために学校を休んだ。それは以前から決めていたことだから仕方がない。ただ夏休みに入る前に行かなきゃならなくなったのは「ついてなかった」としかいいようがない。

 そして昨日はなんとなく休んだ。理由なんてべつにない。

「まったくよ、あのあと大変だったんだぞ? 突然、麻衣子ちゃん連れて帰っちまうし、佐々木は記者に囲まれて怯えてんし――」

 今日の坂杉はいつになく饒舌だった。コイツはコイツでさまざまな呪縛から解放された気分だったのかもしれない。

 それはともかくとして、佐々木のことは今の今まですっかり忘れていた。

 とりあえず、奴にだけは直接「詫び」を入れておく必要がありそうだ。


「ねえ、杉浦くん!」

 声の方へ顔を向けると女子が数人集まっていた。声の主は中心にいる女だった。

「終業式の日なんだけど、終わってからみんなで打ち上げでもって話しなんだけど……もちろん参加でいいよね?」

 彼女は有無を言わせない雰囲気でそういったが、僕は少し考えるふりをしてから「その日は先約がある」と事務的に答えた。 

 すると彼女は大げさに頷きながら「ああ、湘北の娘、ね」と訳知り顔でいった。


 なるほどな――。

 倉田たちの話じゃないが、確かにそんな噂が広まっているらしい。

 しかし、僕にとってはどうでもいい話だった。いちいち否定してまわるのも面倒以外のナニモノでもない。

 一切、放っとくべ――。

 僕はそう心に決めた。



 そして放課後、教室を飛び出した僕は職員室へ向かった。

 チーム屈指の俊足をとばしていったが、たどり着いた職員室に目当ての顔は見当たらなかった。


「ねえ。納村先生は?」

 僕は現国の山田に声をかけた。

 山田は手垢だらけの眼鏡を中指で押し上げると「さっき中庭で見かけたぞ」と億劫そうに呟いた。

 いわれたとおりに中庭に向かった。しかしそこにも納村の姿はなかった。

 僕は通りかかった一年生らしき女子に同じように聞いてみた。

「さっきすれ違いました」

 彼女は体育館の方を指さした。


 納村は野球部の部室の前にいた。彼は野球部の監督だった。

「さがしましたよ、先生――」

 こちらを振り返った納村は、相変わらず不機嫌そうな表情だった。

「おれに何か用か?」

 その億劫そうな態度に舌打ちしたい気分になったが、それを堪えて笑顔で歩み寄った。

「用っていうか、渡したいものがあったんで」

 僕はそういうと、尻のポケットから取り出した封筒を納村の顔の前に突き出した。

「ふん。プロの入団テストでも受けるのか?」

 納村は僕の手渡した「退部届」を一瞥すると鼻で笑った。


 ぶん殴っちゃうべかな――。

 そんな不穏な考えが過ぎったが、佐々木コウハイたちの顔が頭に浮かび、なんとか思いとどまった。


「短い間でしたがありがとうございました」

 僕は納村の問いには答えずに深く一礼した。

 結局この人とは最後まで意思の疎通を図ることができなかったみたいだ。



***


 そして迎えた月曜日――。

 僕は約束通りに六会駅までやってきた。

 路肩にRZを停めると、フルフェイスを脱いであたりを見渡した。

 麻衣子の姿はまだなかった。思ったより道路が空いていたせいか、めずらしく僕の方が早く着いたみたいだった。 

 エンジンを切り、歩道の縁に腰を下ろす。そのとき、少し離れた交番の前に立っていたお巡りと目があった。

 彼は何かをいいたそうにコチラを見ていたが、僕が軽く会釈すると何もいわずに視線を逸らした。


「え~なんで? 早いじゃん」

 しばらくして麻衣子がやってきた。

 彼女は僕が先に来ていたことにズイブン驚いているようだった。

「麻衣子の顔が早く見たくて、かっ飛んできちまったよ」

 僕はヘルメットを差し出しながら、ちょっと調子くれていってみた。

 麻衣子は一瞬目を丸くしたが、やがて口角をきゅっと上げ、「へ~いい心がけね」と目を細めた。

「次の待ち合わせ・・・・・が楽しみだわ」

「……」

 どうやら余計なひと言で自らのハードルをあげてしまったようだ。



 六会駅のロータリーを出た僕らは、藤沢町田線を通って江ノ島方面に向かった。

 片瀬山から西鎌倉へと抜け、腰越から海沿いの国道一三四号線に出る。江ノ電を左手に見ながらしばらく進めば、間もなく彼女の家がある稲村ガ崎の住宅街だった。


「で、どこに行くの?」

 麻衣子がいった。その声は心なしか弾んでいる。

 僕はなるべく目を合わせないようにして「まあ、取りあえずは渋谷方面、かな?」と曖昧に答えた。

「なんか本当にデートみたいね」

 彼女のテンションも上がってきているみたいだったが……僕はそれには気付かぬふりをした。


 麻衣子の家の庭先にRZを停めた僕らは、ゆるやかな坂を下り、稲村ヶ崎駅に向かった。

 取りあえずココから東京方面に向かうのだが、僕は電車が苦手だった。乗り換えがあると目的地までスムーズにたどり着けないタイプだった。

 それで乗り換えに迷ったときの「保険として彼女を誘った」なんてコトがバレたら……ちょっと想像したくない。しかも行き先が「神宮球場」だなんていったら……たぶん怒るんだろうな、マジで。



 そして何とか「外苑前」駅までたどり着いた。

 駅を出てラグビー場を横目に神宮球場へと急ぐ。時間的に考えて「第二試合」はもう始まっているはず……まあ全ては乗り換えゴトキに手こずった自分が悪いのだが。



「え……ナニ?」

 球場の前まで来たとき、麻衣子は呆然とした顔で僕を振り返った。

「なにって……神宮球場だけど」

 僕は彼女から目を逸らし、努めて冷静に呟いた。

「え、ウソでしょ?」

「いや、野球を見ようかな、と――」

 といいかけて横目で彼女を窺った。

 立ち尽くす麻衣子の顔からは表情が消えていた。駅に着いたときの笑顔はもうソコにはなかった。


 まずいな……。僕は自分の迂闊さを呪った。

 こうなることは当然、予想していた。普通に考えられる展開ではあったはずなのだが……その後の対処方法についてはナニも用意していなかった。

 僕は一旦彼女から目を逸らし、いまの状況を整理した。

 しかし何かが思い浮かぶ予感はなかった。ピンチに強いと自負する僕だったが、ココを切り抜ける手立てについてはまったく思いつかなかった。マジでやばいかもな――


 はあぁぁぁ……。

 麻衣子がため息を吐いた。それは沈黙を破るような深い吐息だった。

「……まったく。野球が終わったらアタシに付き合ってよね」

 彼女はそういうと大股で歩き出した。

 その後ろ姿は、華奢でありながらもドコか男気を感じさせるモノがあって――


「なにしてるのよ、置いていくわよ!」

 彼女の声に我に返った僕はそそくさと彼女のあとを追いかけた。




***


 第二試合ははじまっていた。

 東東京の優勝候補・成京学館と都立狛枝工の試合は、二回の裏が終了して六対〇で成京学館がリードしていた。


「なんでわざわざこんな試合を見にきたの?」

 麻衣子は手にしたかき氷をつつきながら僕の顔を窺った。

「中学んとき同じチームだった奴がいるんだ」

 岡崎っつうんだけどな――。

 僕はグラウンドを指さした。

 そこには躍動する背番号「6」があった。きびきびとした動きで内外野に指示を出す姿は中学時代と同じで、懐かしさと同時に居たたまれないような気持ちになる。いまさらながら「来るべきじゃなかったのかも」と思わなくもない。


 三回の裏、岡崎に打順が回ってきた。

 プロも注目するスラッガーに成長した岡崎準基おかざき・じゅんき

 ネクストバッターズサークルを出てゆっくりと打席に向かう彼に、スタンドからは割れんばかりの歓声が浴びせられている。

 第一打席でタイムリーツーベース、二打席目もセンター前にタイムリーを放っての三打席目。

 観客の熱気とは裏腹に、打席の岡崎は静かな佇まいでピッチャーに対峙している。


 カキィ――


 初球を叩いた岡崎の打球が低い弾道でレフトへと伸びた。打球はそのままレフトポールを直撃した。

 その瞬間、神宮のスタンドにひときわ大きな歓声が沸きあがった。

 成京学館応援席のある一塁側だけではなく、三塁側からも黄色い声援が飛んでいる。


 歓声の中、悠然とダイヤモンドを回るかつてのライバル――。

 岡崎のバッティングは既に僕の知っている彼のモノではなかった。中学時代の粗さは影を潜め、スイングも鋭くコンパクトになっていた。

 僕と彼のあいだには、もう埋めきれないほどの「差」がついてしまっている――。

 そんな事実をあらためて思い知らされた気がした。


「……間違いなくコールドだな」 

「え?」

 歓声にかき消された僕の言葉に麻衣子は耳を寄せてきた。

「早く終わるよ、この試合」

「ホント?!」

 麻衣子の表情がぱっと明るくなった。

「じゃあ次はアタシに付き合ってもらうからね!」

 笑顔でそういう彼女に僕も頷いた。


 そして試合は五回コールド、十七対〇。

 投打にまさる成京学館の圧勝だった。


「野球って九回までなんじゃないの?」

 試合後、麻衣子は不思議そうに尋ねてきた。

 しかしソレを説明するのも面倒なので、曖昧な相槌を打ってごまかした。

 そして彼女は上機嫌だった。よっぽど「野球観戦」に興味がなかったってことだろう。

「――さて、と。じゃあ、今度はアタシに付き合ってもらうわよ。ね?」 

 麻衣子はそういって立ち上がると、僕の袖口をつまんだ。



 球場の出入口付近は混み合っていた。

 僕らの試合と比べて記者らしき人たちの数も段違いに多い。さすがは注目される強豪校というカンジだ。こんな環境では僕のように「バイクで参上!」ってわけにはいかないのだろう。

 人込みに押し出された僕らは、球場の外に出てきた選手たちを遠巻きに眺めていた。

 記者がごった返す中、その中心に岡崎がいるみたいだった。もっともギャラリーが多すぎてまったく見えないが。


「いいの? 声かけていかなくて」

 麻衣子が指をさした。

「ああ。いいよ」

 僕は苦笑した。いまの岡崎に掛ける言葉なんて僕には見つからない。

「行くべ」

 麻衣子を促し球場を後にした。



 ――おい、嘘つき。


 僕は慌てて振り向いた。

 そんな声が背中越しに聞こえたような気がした。


「……どうしたの?」

 麻衣子はびっくりしたような顔で僕を見上げていた。


「いや……ごめん。なんでもない」

 僕は微笑した。

 考えてみれば僕に声を掛ける人間がこんなところにいるわけがない。

 そこにはただ、試合後の熱気と興奮、そして僕とは無縁となってしまった世界が広がっているだけだった。


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