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【005】 日曜の午後



「おい、杉浦ちょっといいか――」


 わざわざ昼休みの教室に現れた納村は、僕に「今度の日曜、練習試合を見に来い」と言った。

 僕としても週末に特別な用事があるわけではなかったが、なぜいま僕がソコに招待されなきゃならないのか納村の意図がいまひとつわからずに困惑していた。

 しかしそんなことはお構いなしの納村は、僕の週末に勝手に予定を組み込んでいった。


〈なんなんだよ。まったく……〉

 最近の僕は、納村との微妙な距離感に戸惑っていた。

 僕はアイツが嫌いだった。それは疑いようのない僕の本音だ。

 しかし……最近の納村は妙にフレンドリーだった。

 相変わらず感情表現に乏しく、何を考えているのか読みにくい男ではあったが、少なくとも僕に対する敵意・・については以前より薄まっている感じがする……まったくワケがわからん。


納村あいつ、何しにきたの?」

 俊夫は怪訝そうな顔をしたまま、納村が出ていった廊下の方を睨んだ。

「ああ、なんか今度の日曜に練習試合があるだってよ。で、おれに見に来いってさ――」

 僕がそう答えると、俊夫は「なんで?」と眉を顰めた。しかしその理由はわからない。僕は口を結んだまま首を傾げた。


 俊夫も僕と同じかそれ以上に納村のことが嫌いなハズだった。コイツの場合は、納村のせいで高校の三年間を棒に振ったといっても過言ではない。

 僕と同じく冴えない三年間を送ってきたが、コイツの場合は僕より更に不遇だったように思える。


「最近、出てるんだってな」

 そう言った俊夫の目はドコか醒めていた。

「ナニがよ」

「部活だよ」

「ああ――」

 べつに秘密にしてたワケじゃない。もっとも言う必要もないと思っていたが。


「なんか……杉浦おまえってヘンなヤツだよな」

 俊夫は呟いた。

「なんでよ」

「いまごろになって一生懸命になっちゃってよ――」

 俊夫はニヤリと笑った。「その気持ちをせめて半年前くらいに持っててくれれば、おれらも初戦敗退なんつう憂き目に遭わずに――」

「はいはい。悪かったよ」

 僕は苦笑いを浮かべて席を立った。

 そんなことは俊夫に言われるまでもなかった。もっとも奴としても本気で言ってるふうではなかったが。

 しかし僕のなかに芽生えた仲間に対する罪悪感は日に日に大きくなってるような気がしていた。笑って聞き流していられる余裕がいまの僕にはなかった。





***


「ええ~日曜日はヒマだっていってたじゃない」

「え……そうだっけ」

 僕は惚けてみたが、麻衣子は拗ねたような目で僕を見返してきた。

 彼女が言うには、今度の日曜は彼女の買い物に付き合うことになってたらしい。確かに「なんの予定もない」というようなコトは言った気がするが、そんな約束をした憶えはない。というより絶対に約束していない。

 だいたい僕が麻衣子と会う約束を忘れるはずないのだから。まあ、そんなこと彼女が知るよしもないのだが。

 

「三時くらいには試合も終わるだろうし、それからでよければ付き合うよ……それでいいべ?」

 僕が言うと、麻衣子は不承不承と言った感じで頷いた。





 練習試合の会場は、川崎市内の公立高校のグラウンドだった。

 僕は藤沢駅で麻衣子と待ち合わせ、電車を乗り継いで試合会場に向かった。思ったより複雑なルートで僕一人だったら辿り着けなかったかもしれない。

 僕らが到着したとき、グラウンドでは後輩たちのシートノックが行われていた。

 見に来いと言われたものの、関係者とは言えない僕らはグラウンドに立ち入るワケにもいかず、三塁側ベンチ後ろの道路からソレを眺めていた。ホントにナニしに呼ばれたのかわからん。

 しかし、しばらくして僕の存在に気付いた納村は、麻衣子を見て怪訝そうな表情をしたが、ナニも言わずに僕らをグラウンドに迎え入れてくれた。




 僕と麻衣子はベンチから少し離れたところにいた。納村が用意してくれたパイプ椅子を並べて、そこから後輩たちを見守った。

「なんか、このあいだと雰囲気がちがうね……」

 麻衣子が遠慮がちに囁いた。

 そりゃそうだ。さすがに引退試合とは雰囲気はちがう。公式戦ほどピリピリしたものはないが、それでも本気具合は全然ちがっている。



 今日の相手・川崎西高校は、秋の県大会ベスト16に入った学校だった。去年からエースナンバーを付ける注目の右腕・オコノギ(どういう字を書くのか知らない)が急成長したんだとか。

 しかし川崎西の先発はそのエースではなかった。


「柴田――。」

 僕はベンチ前で素振りをする柴田を呼んだ。


「なめられてんぞ。さっさとエースを引きずり出せよ」

 僕が言うと、柴田は笑みを浮かべ、力強く頷いた。


「エラそうに……」

 柴田が立ち去るのを待っていたかのように麻衣子が呟いた。

「は?」

「自分は補欠だったくせに、なんかエラそう……」

 麻衣子は口元を抑えてクスクスと笑っている……。

 ナニも言い返せない自分の無力さに、思わずナミダが出そうになった。



 やがて川崎西の選手がポジションに散り、プレイボールがコールされた。


 試合は序盤から動いた。というより川崎西の先発投手が勝手に自滅した。

 初回から制球が定まらず、三回にウチが押し出しで六点目を挙げたところで、川崎西ベンチは堪らずエース・オコノギをマウンドに送ってきた。

 オコノギは右のオーバーハンドから重そうなストレートを投げ込んでいた。

 しかし緊急登板となったせいか、それともその程度の実力だったのか……評判の好投手だったらしいが、僕の目にはただの粗っぽい投手としか映らなかった。

 この回の彼は、先発投手が残していった走者を全部ホームに帰してくれた。


 結局、序盤に挙げた得点を佐々木-曽根のリレーで守りきり、十対三で県大会ベスト16の川崎西を下した。



 試合後、ベンチ前で車座になった後輩たち――。

 その中央にいた納村が僕に向かって手招きした。


〈なんだよ……めんどくせえな……〉

 僕は麻衣子をその場に残し納村に歩み寄った。

「なんスか……?」

杉浦おまえの意見を聞かせてくれ」

 納村は当然のように僕に試合の感想を求めた。


 後輩たちの前に呼ばれた僕――。

 先日、僕が半ギレになったのを目の当たりにしている後輩たちは、若干緊張した面持ちで僕の言葉を待っている。


「そうスね――」

 僕は、僕から見た試合の感想を彼らに語った。表現としては何重にもオブラートにくるんで……それでちゃんと伝わるのかは甚だ疑問ではあったが。

 そして僕が話してるあいだ、麻衣子は後輩たちの輪から少し離れたところに立ち、僕を見守っていた。

 彼女は時折目を伏せ、口元に手をやり……どうみても笑いを堪えてるってカンジだ。またエラそうにとかなんとか言われるんだろな、帰りの道で。

 それにしてもココの人たちはなぜ、僕に試合後の感想を求めたがるのか……首を捻るばかりだ。





 納村に解放され、試合会場を後にした僕らは「鷺沼」から東急田園都市線に乗り、「溝ノ口」で南武線に乗り換えた。

 麻衣子は「横浜に行きたい」と言った。僕は彼女のリクエストに応え……といいたいところだったが、黙って彼女のあとについていった。


〈ハラが減った……〉

 窓の外に見えるファーストフード店の看板が僕の食欲を刺激する。そういえば昼はコンビニで買ったサンドウィッチを食っただけ……量的に少し足りない感じだ。


「なあ。どっかで――」

「なんですか。杉浦センパイ・・・・。」

 麻衣子は口元を弛めてそう言った。まるで僕が話しかけるのを待っていたかのように。


「……。やっぱ、いいや……」

 飢え死を選ぶことにしよう……。

「ウソウソ、冗談――」 

 彼女は明るくそう言ったが、ドコが冗談なのか僕にはわからなかった。

 


 横浜に向かった僕らは、まずメシを食うことになった。

 麻衣子は不満そうだったが、僕としてもそれだけは譲ることができなかった。そこはまさに死活問題だった。

 僕らはジョイナスの地下に下りると、適当に目に付いたレストランに入った。



「……空いてるね」

 麻衣子が小声で言った。

 彼女の言うとおり店内は空席が目立った。しかし考えてみればまだ五時前だ。メシ時にはまだ早いが、僕としてはこのくらい空いてる方が何だか落ち着く。 


「なあ。」

「なんですか。スギ……」

 麻衣子はナニかを言いかけて呑み込んだが、大人の僕はソレに気付かないふりをした。


「高橋先輩んちの電話番号教えて」

 僕が尋ねると、麻衣子は訝るような目を向けてきた。


「……なんで?」

「いや、このあいだグローブもらっちまったべ。そのお礼」

 いまだにグローブのお礼を言ってなかった。

 ずっと気になってはいたのだが、ナニもしないまま現在に至っていた。

「ああ。じゃ、今日の帰りに寄っていこうよ」

 彼女は合点したように頷き、そんな提案をしてきた。でも……

「いるのか? 家に」僕は言った。

「いるでしょ、たぶん」

 彼女は間髪入れずにそう答えた。麻衣子は電話番号を教えてくれるつもりはないみたいだった。


 メシを食い終えた僕らはCIALに向かった。

 麻衣子は「服が見たい」と言った。僕はそんなものには興味がないって何度も言ってるのに……学習してくれない娘だ。

 しかし麻衣子も以前のように僕を連れ回す気はないらしく、彼女が物色するあいだ僕が店の入り口で地蔵のように突っ立ったままでも文句を言うようなことはなかった。


 店を出た僕らは、混雑しはじめた駅のコンコースを抜け横須賀線のホームに向かった。

 


「あのさ――。」

 僕は目だけを彼女の方に向けた。

「再来週の日曜なんだけど……塾って休み?」


「……なんで?」麻衣子はじっと僕の目を見つめた。

 それは好意ではなく、単なる警戒心からくるものなのだと気付くまでそれほどの時間は必要としなかった。


「いや、ヒマだったらでいいんだけど……見せたいモンつうか、そんなんがあるんだけど……」

「なに?」

 彼女は更に警戒を強めたように見える。

「え。いや、まあ、なんつうか……野球なんだけどさ……」


 僕は一向に警戒を緩める気配のない麻衣子に、中学時代に交わした岡崎との約束のことを話した。

 そしてその約束と、僕の夢に対する僕なりのケジメの付け方……それを隠すことなく彼女に伝えた。

 その上で「見に来て欲しい」と言った。「どうせ、ヒマだべ」という言葉を付け加えて――。


 麻衣子は黙って聞いていた。

 時々僕の言葉を反芻するように頷きながら、黙ってテーブルの一点を見つめていた。


「ふ~ん。野球……辞めちゃうんだ」

 やがて口を開いた麻衣子が独り言のように呟いた。そこにはなんの感情も窺えない。

「ああ。」

 僕は短い相槌を打った。なるべく自然体をよそおって――。



「――わかった。」

 やがて麻衣子は微笑した。

「見に行ってあげる。全然ヒマ・・じゃないけどね」。


 彼女は恩着せがましく言った。

 だけどいまの僕にはそれが却って優しく感じられた。




 

 僕らが稲村ガ崎まで戻ってきたのは午後八時を回った頃だった。

 駅から歩いて十分ほどのところに麻衣子の家がある。そのすぐそばに高橋先輩の家があるらしいのだが、僕は正確な場所を知らなかった。

 麻衣子の家を通り過ぎ、少し行った先の坂の途中……そこに高橋先輩の家があった。


「ココ。」

 麻衣子は無表情のまま玄関を指さすと、躊躇することもなく門をくぐり、ドアの横の呼鈴に手を伸ばした。


ピン、ポ~ン――


 やや間延びしたチャイムが聞こえた。

 程なくして玄関に人の気配があり、ドアが開いた。出てきたのは高橋先輩だった。


「……なに。二人揃って」

 高橋先輩は僕らの顔を交互に見渡すと、僕に向かってそう言った。


「杉浦がお礼を言いたいそうです」

 麻衣子が言った。

 僕は彼女に促され、手に持っていた紙袋をおずおずと高橋先輩に差しだした。


「なにこれ。」

「いや、グローブもらっちゃったので……これ、食べてください」

 そう言ってアタマを下げた。

 さすがにナニも持たずにお礼ってのも不自然だろ……てことでお菓子を買ってきた。まあ、そんなことを言いだしたのも、コレを選んだのも麻衣子だったのだが。


「そんな気を遣わなくてもよかったのに」

 高橋先輩は紙袋を覗き込んだ。

「いや、そういうワケにはいかないス。でも、なんで――」

「キミがまた始めたって聞いたから、ね」

 彼女はそう言って麻衣子に目を向けた。

 高橋先輩の視線を追いかけるように僕も麻衣子の方に目をやったが、彼女はなぜか目を逸らした。


 高橋先輩は僕らにお茶でも飲んでくかと尋ねてきた。

 しかし僕は丁重にお断りした。もともとお礼を言うためだけに来ただけだから、長居をするつもりもなかった。  


「でも……キミもなんでまたイマサラ――」

 高橋先輩は珍しいモノを見るような目で僕に尋ねてきた。

 僕は「何となく」としか言わなかった。どういうわけか、全てを説明する気にはならなかった。

 高橋先輩は探るような目を僕と麻衣子に向けてきたが、麻衣子もソレについてはナニも語らず、僕に合わせて曖昧に首を傾げるだけだった。


「でもグローブなんですけど……いいんスか? 高いスよね」

 ホントに嬉しいんスけどね――。

 僕は遠慮がちに言った。新品ではないと言っても、まだそれほど使い込まれた感じでもなかった。ただ大事に扱われていたんだろうってことは状態を見れば想像がついた。


「いいの、いいの。どうせ使ってないし」

 彼女は笑った。

 そりゃ彼女が使うことないだろうけど……ん? というか、誰のグローブだったんだ?


「それにもともとアタシがあげたものだから」

 彼女は軽い調子で言った。


 グローブの元の持ち主……そんなこと聞くまでもないことだった。高橋先輩が誰かにあげたもの……それだけで十分すぎるほど理解ができた。



「あれ?」

 突然、麻衣子がわざとらしく声を上げた。

「たっつんはいないの?」


 はあ……?

 突然ナニ言い出すの……つうか『たっつん』て、なに……?


「ああ……散歩じゃない」

 高橋先輩が言った。彼女が視線を向けた先には大きな犬小屋があった。

 どうやら、たっつん=犬。どうでもいいがヘンな名前だ。

 そういえば昔、犬を飼ってた友だちが言ってた。犬は毎日散歩をしたがるからめんどくせーって。雨が降ってても関係ないから大変だとも言ってた。僕にはちょっと飼えそうもない。


 玄関先で話をしていた僕らだったが、いつのまにか高橋先輩と麻衣子が二人だけで僕の知らない話で盛り上がり始め、僕は彼女たちの横に立ったまま相槌を打つように適当に頷いていた。完全に僕の居場所はなくなってしまった感じだ。

「じゃ、おれはこれで――」

 僕はアタマを下げた。

 麻衣子を残して一人で帰るつもりだったのだが、それに釣られたように麻衣子もアタマを下げていた。



「グローブ……大事に使ってね」

 帰りがけに高橋先輩は言った。それはいつになく優しい声に聞こえた。





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