【003】 suddenly gift
「とにかく、まずはストレート。しっかりとしたフォームからしっかりと投げる。基本中の基本だべ?」
僕は投球練習を止め、佐々木に向き直った。
佐々木はさっきから直立不動で僕の話を聞いている……大したことを言ってるわけではないので、もうちょっとカルい気持ちで聞いてもらえると僕としても助かる。
「オレが中学のころは、よく四股を踏まされてた。股関節とナイテンキン? とかの強化がどうとか言われてたけど……もう忘れた」
四股という言葉に佐々木は一瞬怪訝そうな表情を見せたが、すぐにいつもの真剣な表情に戻った。
「まあ、ダマされたと思ってやってみな。効果があるかどうかは判断しにくいけどな」
実際、僕にも効果のほどはわからない。
「あとそうだ、明日いいモン持ってきてやるよ。昔、医者にもらったんだけどよ、インナーマッスル……インターマッスルだったかな? まあ、なんかソレを鍛えるゴムひもなんだけどよ」
佐々木は曖昧に頷いた。説明している僕がよくわかっていないんだから佐々木にわかるはずもない。
僕が自主練習を始めて二週間が過ぎていた。
このブルペンで渡辺を相手に投げ込みをしながら、佐々木の求めに応じて時々アドバイスをする。
最初は不思議そうな目で僕を見ていた後輩たちも、いまではすっかり慣れたようだ。
「先輩、お願いします!」
僕の肩がほぼ出来上がってきたころ、柴田がブルペンまで走ってきた。
「OK――」
グラウンドではシートバッティングの準備が整ったようだった。
僕は先週の練習からシートバッティングに登板するようになっていた。それは納村から提案されたものだった。
奴がいうには『今までナンの貢献もしなかった奴に練習の場を提供してやってるんだから、それぐらいのコトはしてもいいだろ』とのコトだった。
僕としてもブルペンで黙々と投げているより、バッターがいた方がより実戦的な練習になる。
理由はともかく僕と納村の利害が初めて一致した瞬間だった。
「じゃ、続きはまた後でな」
佐々木をブルペンに残し、キャッチャーの渡辺を引き連れグラウンドに駆け出した。
マウンドに上がり、プレートを指先で軽く撫でる。
まだ誰も上がっていない真っさらなマウンド。その感触の懐かしさに思わず頬が弛む。
投球練習の初球――。
ミットを叩く乾いた音がグラウンドに響く。
バックネット裏には納村が腕を組んで立っている。僕は丁寧に投げ込んだ。納村に見せつけるように一球一球チカラを込めて――。
「オレの方はOKです」
五球ほど投げたところでバックネット裏に向かって言った。
納村は頷くとメガホンを口に当てた。
「よし、じゃあ一死一、三塁。ワンストライクツーボール――」
納村が設定したシチュエーション。
内野は併殺も意識した中間守備を敷いている。
三塁ランナーは小さくリードをとっている。
僕はキャッチャーの渡辺と短いサインの交換をするとセットに入った。
神経を集中させ、一球目……を投げる前に三塁へ擬投し、反転してそのまま一塁へ――――え。ええ……?!
一塁ランナーは完全に飛び出していた……もちろんアウト。
〈マジかよ。勘弁してくれよな……〉
僕は恐る恐るバックネット裏の様子を窺った。
納村はチカラなく首を振っていた。なんか余計なことをしてしまったようで申し訳なく感じる。
「……取りあえず、最初っからやり直し……でいいスよね?」
納村は渋々といった感じで頷いた。
***
練習後、納村が僕を呼び止めた。
納村にこうやって呼び止められたのは何度目くらいだったろう。あんまりいい印象はない。小言をいわれることが多かったし。
「どうだ、今年のチームは」
納村はそう切り出してきた。
「……ナニがです?」
「お前から見た今年のチームの印象だ」
納村は相変わらず無表情のまま言った。
新チームの秋の公式戦の成績は、地区大会を勝ち抜き、県大会出場を果たしたものの一回戦であっさりと敗退……これはここ数年続いている悪いパターンだった。それについては意見がないわけではないが――。
「いいチーム、なんじゃないですか?」
僕は言った。
納村の質問の意図が読めない以上、余計なことはいわない方がいい。僕はソレをココで十分すぎるほど学ばせてもらった。
「質問の仕方が悪かった。どうやったら強くなれるとお前は思うんだ」
納村は同じく無表情のままそう言った。
なるほど。まだネに持ってるってことね――。
「フツウでいいんじゃないスかね?」
僕も表情を変えずに言った。そんな挑発に付き合うほど僕はヒマな人間じゃない。
「フツウって……ナニカあるだろ、具体的に」
僕は「べつにないスよ」と話を切り上げようとしたが、納村は珍しく食い下がってきた。そのあまりのしつこさに「ブルペンのマウンドが低いから直した方がいい」と言った。
「ブルペンか……」
納村は僕の言葉を反芻し、小さなノートにメモし始めた……取り調べかなんかのつもりか?
「他にはナンかあるか?」
「え……他、ですか?」
納村は僕がナニかを話すまで解放してくれそうになかった。
僕は仕方なく思ってることを素直に言葉にした。
練習内容からコンバートの案まで……納村は時折眉間にしわを寄せながらも、黙って僕の話を聞いていた。そして――
「なるほど。だいたいわかったが……やっぱりお前と俺の考えは合わんな」
「ははは……そうスね」
人にこんだけ喋らせといてソレかよ。もう笑うしかないな。
「ま、参考にさせてもらうこともあるかも知れんが……じゃ、お疲れ」
納村は軽く手を挙げると、コチラを振り返ることなく立ち去った。
「はあ……失礼します」
最後のヤツの言葉……どこかに皮肉が隠されてるハズだったが、僕にはそれを見つけることができなかった。
***
練習後、僕は神社まで走り、そこからバイクで藤沢駅に向かった。
帰りがけに納村に捕まったので、待ち合わせに間に合うかちょっと微妙だが……。
「遅い――。」
麻衣子は腕を組んだままそう言った。
やっぱり間に合わなかった。僕が待ち合わせの場所に着いたのは約束の時間を五分オーバーしたころだった。まあ、自分では頑張った方だとは思うんだが。
「で、ドコ行くの?」
「え、ああ、海の方――」
僕は東南の方角を指さした。
僕は麻衣子を後ろに乗せると、アクセルを軽く煽った。
かつての僕には「バイクのケツに女なんか乗せてたまるか」というポリシーのようなものがあった。だがいつの頃からか当たり前のように麻衣子を乗せるようになっていた。
彼女が被ってるフルフェイスは幸子のものだった。幸子に「麻衣子にメットを貸したい」と言ったら意外なくらいにあっさりと無条件で貸してくれた。
片瀬山の下から江ノ電の線路沿いを走り、小動の信号から国道に出る。
宵闇に包まれはじめた国道はストレスを感じさせない交通量だった。
僕は逗子に向かっていた。
昨日、酒井に聞いた「洋食屋」に向かっていた。
アイツがあんまり美味そうに話すから、どうしてもその店に行ってみたくなった。そろそろファミレスも飽きてきた頃だったから尚更だった。
途中、由比ヶ浜を過ぎたところで路肩にバイクを停めた。
僕はポケットから取りだしたメモを広げた。酒井が書いてくれた地図だった。
「ふ~ん。それで何かわかるの?」
麻衣子は地図を覗き込み、不思議そうに呟いた。確かに汚い字だったが、ぎりぎりで判読できそうだった。
「この先を曲がって……OK。大丈夫、問題ない」
僕は自分に言いきかせるように呟くと、車列の切れた国道にRZを滑り込ませた。そして――
酒井おすすめのハンバーグは確かに美味かった。もっと味わって食うべき……だったのかもしれない。
「ごちそうさま……半分出そうか?」
会計を済ませて店を出ると、麻衣子が心配そうな顔で呟いた。しかし僕は無言で首を振った。
洋食屋はすぐに見つかった。思ってたよりわかりやすい場所だった。
料理も美味かった。量的にも申し分ない。
でも……値段は高かった。これは酒井に聞いてた話とはだいぶ違ってた。『Aランチ』なんて、メニューのドコを探してもなかったし……ダマしやがったな、アイツ。
帰りの国道もガラガラだった、僕の財布と同じくらいに。
店を出てから稲村ヶ崎駅の入口まで、十分くらいでたどり着いた。
しかし僕はそのまま信号を通り過ぎ、七里ヶ浜のハンバーガー屋の前を右に曲がり、踏切を渡った。
そして住宅街の直線道路を一気に駆け上がり、突き当たりを右に折れ、クランクした先を更に右へ……途中の下り坂でエンジンを切り、そのまま惰性で100mくらい進んだところでRZを道路脇に寄せた。
「到着――。」
僕はフルフェイスを脱ぐと、独り言のように呟いた。
「いつもご苦労。」
麻衣子はそう言ってバイクを降りると、被っていたフルフェイスを僕に預けた。そして――
「ねえ、ちょっと待ってて」
「え、ちょっ……おい……」
麻衣子は僕の言葉を振り切って、家の中に飛び込んでいった。
〈なんなんだ……いったい〉
僕はバイクに跨ったままその場に佇んでいた。
夜の住宅街は静かだった。人は確かにソコにいるはずなのにあまり気配を感じない……真夜中の海岸より、寧ろこちらの方が孤独を感じることができるのかもしれない。
そういえば……いまさらだったが、ここは海まで非常に近い場所にあることに気づいた。
僕は空を仰ぎ、大きく息を吸い込んだ。しかし期待していた潮の香りはまったく感じなかった。
しばらくして麻衣子が出てきた。手には紙袋を持っている。
「はい、これ。」
彼女はソレを僕に押しつけるように手渡してきた。
「え……なにこれ」
「中見て」
彼女は僕の問いに答えることなくそう言った。僕は言われるままに袋を開いた。
袋から出てきたのはグローブだった。
黄色っぽいローリングスのグローブ……ただし新品ではなさそうだった。しかしそんなことよりなんでこんなもの……?
「杉浦のボロボロだったじゃない」
麻衣子は僕の心中を察したように笑顔で言った。
確かに僕のグローブはボロボロだった。所々擦り切れてるのをゴマカシながら使っている。
「で……これ、オレに?」
「亜希先輩から。」
「は。」
「杉浦に渡しておいてって頼まれただけだから」
高橋先輩から僕に……?
「……なんで?」
「さあ。そこまでは聞いてない」
彼女は首を傾げたが、僕も首を傾げた。
取りあえず高橋先輩に連絡を……と思ったが、電話番号なんて知らねえや。考えてみれば僕から連絡をとったことなんて一度もなかったんだっけ。
***
「先輩の球って、ヘンな回転してますよね?」
キャッチャーの渡辺が、僕にそう向かってそう言った。以前にも誰かに言われたことがある。
「そうか? 自分じゃわかんねえけどな?」
僕が気のない返事をすると、渡辺はそれ以上は何も言わなかった。
彼は二年生の控えキャッチャーだ。いまの僕の練習相手でもある。
バッティングに関してはまあそれなりだったが、キャッチング全般については上手い方し、肩だって強い。
体格的にも恵まれているのだが、性格的にちょっと問題があった。
彼はビビリなのだ。
大人しいとか、落ち着いているとかそういうモノとは違う。どうも消極的なタイプで……こういうのを内向的と言うのだろうか。
「ヘンな回転って、どんな回転よ?」
大した答えが返ってくるとは思えないが一応聞いてみる。上級生のマナーとして。
「え~、あの、スライドしてるっていうか……」
「ふ~ん。で、問題あるのか?」
僕はちょっと強めの口調で言った。これも渡辺の成長を願ってのことだったが――。
「いえ……スミマセン……」
渡辺は大きな肩を窄めてしまった。
コイツを独り立ちさせるのはナカナカ骨の折れる作業かもしれないな。
いつものようにキャッチャーを立たせたまま二十球ほど投げてから、座らせる。
渡辺は打ち合わせ通り、ストレートとチェンジアップと二種類のカーブ(曲がるカーブと曲がらないカーブ……投げ分けはできないが)を要求してくる。
僕は投球フォームのメカニズムを確認しながら、丁寧にその要求に応えていく――。
今年の茅ヶ崎湘洋の投手陣は全部で四人。
エースで左腕の佐々木。10番をつけた二年生右腕の曽根、11番の河野、一年生右腕の上田。佐々木以外は計算の立たないショボイ投手陣である。
僕のココでの練習メニューは、ストレッチに始まり、ランニング、キャッチボール、ブルペンでの投げ込み、そしてランニングして、ストレッチ……だいたいそんなことを繰り返している。
以前は投手陣は全員が一緒の練習をしていたのだが、いまでは二つの班にわかれて練習をしていた。一つの班がブルペンを使っているときは、もう一つの班は走り込み行うといった具合に。
ブルペンが二つしかないウチにとって、なによりも必要だったのは練習内容の効率を上げることだった。当然僕が後輩たちの練習の邪魔になってしまうことだけは避けたかったし。
そして一日おきに投手と捕手を集めてミーティングを行うようになっていた。
僕を含めた五人の投手と、正捕手の武山、二年の渡辺、一年の志度の八人で、気になったことなどを確認しながら週毎の各自の練習メニューを決めていった。
とにかく僕はストレッチには時間をかけるようにしていた。一度肩を痛めている僕にとって、その部分はどうしても神経質になってしまう。
「――じゃ、あと何かあるか」
僕は全員の顔を見渡したが、ここには積極的に発言をしたがるヤツはいなかった。
「渡辺、オマエなんかないか?」
僕が名指しで尋ねると、渡辺はモジモジしながら「練習メニューとはあんまり関係ないんですけど……」と話を切り出した。
「え。マジで?」
僕は耳を疑った。
「はい……ちょっと肘の先が見えるか見えないかの違いなんですけど……本当に少しだけなんですけど……」
渡辺が指摘したのは僕の投球フォームだった。
ヤツの話では、僕のフォームはストレートのときとそれ以外のときで若干の違いがあると言うことだった。
正直ショックだった。
フォームには人一倍気を遣っていたつもりだったから尚更だ。そしてそれを渡辺ごときに指摘されるまで気付かなかったってことにも。
そして次の日の練習から、ブルペンにはビデオカメラが登場した。
渡辺が家から持ってきたものだった。
練習終了後、僕らは視聴覚室を借りてビデオをチェックした。なぜか納村も興味深そうな目をしてソコに参加していた。
「意外といい投げ方してんじゃん」
僕はテレビに映る自分の投球フォームを見て自画自賛した。
高校に入ってから、ほとんど陸上部と変わらないんじゃないかというほど走り続けてきたから下半身が安定している。
全体的な投げ込みは不足しているから「球離れ」にバラツキはあったが、指に掛かったときのボールはイイカンジに見える。
そんなことより、こうして画面を通して自分を見るのは久しぶりだったが……誰かに似てるような気もする。それが誰だったか、まったく思い出せないけど――。
「それじゃ、スローにします……」渡辺はリモコンを操作した――。
「なるほど……全然ダメだな、こりゃ……」
思わず呟いた僕の言葉に、渡辺たちは微妙な笑みを浮かべた。
あらためてスローで見るとつっこみどころ満載だ。
取りあえず確認できたのは……やっぱりストレート以外に現時点で使える球はなさそうだということと、他のボールを仕上げるにはあまりにも時間が足りないという事実だった。