【023】 クジ運のない男
「なんか悪いな。付き合わせちまってよ」
僕は隣を走る佐々木に声を掛けた。
僕らは学校の外周を走っていた。
他の奴らはシートノックの最中だったが、僕は納村の命令で学校の周りを走らされている。一人で走るつもりでいたが、付き合いのいい佐々木がついてきていた。
「自分の練習に戻ってもいいんだぞ?」
「いえ、納村から言われてるんです。杉浦さんにくっついてるようにって」
「納村が……?」
なるほど。
僕がサボらないように手を打ったってワケか……陰険なやっちゃな。
でも生憎サボる気持ちなんてサラサラない。
今日は朝からよく晴れていた。
梅雨明けはまだだったが、強い陽射しが剥き出しになった腕を灼いていく。こんな日は少し距離を延ばして海沿いのサイクリングコースにでも走りに行こうかって気にもなる。
「あ。あれ、坂杉先輩ですよね」
佐々木が道路の先を指さした。
ソコには県大会の抽選に行ってた坂杉がマネージャーの岸と一緒に歩いているのが見えた。
***
部室の前にはちょっとした人集りができていた。
シートノックを受けていた奴らも練習を中断して部室に集まってきていた。
「初っぱなはドコとよ?」
腕を組んだ姿勢の俊夫が、人集りを遠巻きに見ながらそう言ったが、坂杉はナニも応えずバッグから大きな紙を取りだすとソレを僕らの前に広げた。
坂杉が広げたのはトーナメント表だった。僕らは食い入るようにソレに見入ったが――
「……お前、舐めてんのか?」
酒井が呆れたように呟いた。
渋谷は涼と顔を見合わせて首を竦めると、俊夫に向かって指で×サインを送った。
「え。まあまあだべ……?」
坂杉は惚けたように首を傾げた……完全に開き直るつもりらしい。
「だって……初戦は楽勝だべ?」
坂杉は卑屈な笑みを浮かべてそう言ったが、それには誰も何の反応も見せなかった。
僕らの視線は一点に集中していた。
トーナメント表の僕らの隣……ソコには第1シード・東峰学園の名前があった。
二回戦でいきなりの再戦……出来の悪い映像を繰り返し見せられたような錯覚に陥った。
「さて――。組み合わせも決まったことだし……気合い入れてくべ!」
坂杉は声を張り上げたが同調する奴は誰もおらず、しらけた雰囲気のまま人集りが解けていった。
"――なんであんな奴、主将にしちまったの?"
"いまからでも解任すべきだべ?"
"そういや、あいつは中学のときからあんな感じだったな"
"だったら先に言えよな……"
酒井たちは口々に坂杉に対するダメ出しをしながらグラウンドへと戻っていった。
部室前には坂杉と岸、そして佐々木と僕だけが取り残された。
「ホントにお前のクジ運って……」
僕も呆れて言葉が続かない。フォローのしようがない。
ウチみたいな平凡な公立校がセンバツでベスト4入りするような学校と二大会連続で当たる確率ってどれくらいあるんだろう。しかも200校近くあるなかで……俄には信じがたいクジ運の悪さだ。
「そんなことより、ココ見てみ」
坂杉はトーナメント表を指さした。
そこには坂杉の汚い字で『繕南』と書いてあった。
「ゼンナン……って何だっけ?」
急いで書き写してきたらしいが僕には記憶がない名前だった。
「バカだな、おまえ。リョウナンだよ、去年やったべ?」
坂杉は片眉を上げると、鼻で笑ってそう言った。
「はあ? バカはてめえだろ――」
僕の言葉に怪訝そうな顔をしていた坂杉だったが、字が間違ってることを岸に指摘されると、とたんに頬を紅潮させて照れたようにアタマを掻いた。
〈こんな阿呆が主将って……監督もアレだし、大丈夫なのか?〉
僕はため息を吐いた。
そんなことより、綾南の試合は僕らの隣……ということはもしかして――
「これって同じ球場じゃねえよな?」
僕はトーナメント表を指で叩いた。
「同じだよ。オレラが第一試合で、綾南は第二試合」
坂杉は事も無げに言った。
〈ウソだろ……なんちゅうクジ運……〉
僕は絶句した。
「お前って……絶望的にクジ運がいいよな?」
「おう。いい仕事すんべ」
そう言って鼻の穴を膨らませた坂杉を横目に、僕はまたため息を着いた。
試合当日に杏子と出会う可能性は限りなく高い。
あの日以来、会うことはもちろん、電話で話すこともなくなった僕らだったが、球場で顔を合わせながらナニも言葉を交わさないのも不自然な気がする。
だからといって、僕から話すコトなんて思いつかないし、彼女にしてみたっていまさらナニがあるってワケじゃないだろうし……。
それにしても今回の組み合わせには作為的なニオイを感じる……それもこれもコイツのクジ運の悪さがすべて――。
不意に苛立ちを憶えた僕は坂杉の尻に蹴りを入れた。
***
「ねえ。やる気あるの?」
麻衣子がため息混じりに呟いた。
「やる気はあるけど……納村が出してくんねえんだからしょうがねえわな」
僕は投げやりに応えた。
合同練習という名の練習試合。
県大会前最後の試合を麻衣子が見に来てくれた。
彼女が試合を見に来たのは半年ぶりくらいだったがこの日も僕の出番はなかった。正確に言うと春の県大会三回戦を最後に試合には出ていない。
麻衣子はさっきからちょっとだけご機嫌がよろしくない。
どうやら「僕が試合に出ない」理由が「僕の意志」によるものと思っているらしい……そんなコトあるわけないのに。
「……ホケツ。」
突然、麻衣子が呟いた。
「え。ナニ?」
「そういうの、ホケツっていうんでしょ?」
彼女は醒めた表情で言った。
いったい、どこで覚えたんだ……僕はホケツというストレートな響きが嫌いだった。
「控えとも言うけどね……」
コッチの方がの方が慎ましいカンジでいいと思っている。
「べつにどっちでもいいんだけど……」
彼女は僕を見上げた。
「杉浦ってヘタなんでしょ?」
そう言って麻衣子は軽く吹き出した。
「はああ? なにいってんの? おれはかなり上手いよ、マジで。ただ出番が少ないだけ!」
僕は即座に反論したが、彼女は疑わしいといった目で僕を見ていた。
どちらかというと哀れんでいるようにも見える……。
「お前、信用してないべ?」
彼女は迷うことなく頷いた。
悔しいが仕方のないことなのかもしれない。彼女に僕の活躍を見せる機会は今までなかったわけだし。
それに野球を知らない彼女に口で説明して理解させるのもムリだと思うし……でもヘタだと思わせたままなのもどうにも耐え難い。どうやったら彼女に僕の凄さを伝えられるんだろ――。
考えてはみたもののナニも思い浮かばなかった。
「お、試合の帰り?」
藤沢駅を出たところで同じクラス奴と会った。
普段はそれほど話をすることはなかったが、奴は僕と目が合うと親しげに手を挙げて歩み寄ってきた。もっとも奴が興味があったのは麻衣子の存在だったようだが。
「なに、スギウラの彼女?」
奴はイヤらしい笑みを浮かべたまま不躾な質問をぶつけてきたが、僕は「ちげーよ」と手で払うと、麻衣子を促し目的地へと急いだ。
僕らは藤沢駅の近くにあるファミレスに向かっていた。
いつもは藤沢駅の南口を出た橋の上で待ち合わせをして……というよりさせられて、そのファミレスに向かう。
なんとなく行きつけになってるそのファミレスで、試合の報告をさせられ、次のスケジュールを訊かれる。
「え……平日なの?」
彼女は意外そうな顔をした。
僕らの初戦の十四日は火曜日だった。
対戦相手の横浜泉が丘高校は県内でも最弱と呼ばれる層に属している……と涼が言っていた。
夏の大会では未勝利の学校なんだそうだ。
「見に行けないな……」
麻衣子は拗ねたような声でそう言うと、ストローで氷をつつきだした。
「べつにいいべ。どうせ見ててもおもしろくねえだろ?」
「まあそうなんだけどね」
「次は日曜だしよ。そっちにくればいいじゃん」
二回戦の東峰学園戦。
多分、試合としてもそっちの方が面白くなるはず……ま、野球を知らない彼女にとってはあまり関係のない話ではあるのだが――。
「そうね……二つか三つは勝つって言ってたもんね」
彼女は自らを納得させるように何度も頷いた。
そういえばそんな話をしたこともあった。
あのときはまさかこんなに組み合わせに恵まれないなんて思ってなかったし……でも悪意のないその表情は「前言の撤回」を許してくれそうにはないみたいだ。
いずれにしても東峰学園との試合は僕らにとって大きな意味を持つ試合だった。
それはもちろん僕個人にとっても大事な試合なんだという予感がしていた。僕の野球人生の締めくくりに相応しい……もちろん負けるつもりはないけど、それでも大きな意味を持つ試合になることは間違いないと感じていた。
そしてその試合には麻衣子に見に来て欲しかった。
なんでそんなことを思ったのか理由はよくわからないし、いまの僕が試合に出られる保証なんてまったくないんだけど……それでも僕は彼女の応援を必要としていた。
***
「お! なになに? 何かあったのか?」
クラスの奴らが口々に言ったが、そんなに騒ぐようなコトじゃないと思う。
「なんだよ、急に」
俊夫が僕のアタマに手を伸ばしてきた。
「別にィ……気分転換みたいなモン?」
僕はその手を払いのけて言った。
開会式にあわせて僕は髪を切ってきた。
前の学校ではずっとボウズだったが、辞めてからはその理由もなかったし、ココの学校ではボウズにしろとも言われなかったので敢えてしてこなかった。
しかし最後の大会に臨むにあたり、自発的にボウズにしようと決意した。しかし一回伸ばしちゃうとボウズにするって抵抗がある……でちょっと短めの今の状態に落ち着いた。
「オレも切ってくんべかな――」
俊夫が呟いたが、僕は聞こえないふりをしていた。
翌日――。
部室にはアタマを短く刈り込んだ面々が並んでいた。
最後の大会に臨む決意の表れ……しかしボウズの奴は一人もいない。この辺りが僕らの決意の弱さでもあるように思えて、妙に笑える。
それでもこの夏の大会が、他の大会とはまったく異質のモノであるってことにあらためて気付かされた。
開会式を明日に控え、独特の緊張感が僕らを包み込んでいた。