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【021】 夏への試金石



 県大会を二試合連続コールド勝ちした僕ら。

 今日の相手は今大会の優勝候補の大本命、センバツ準優勝校の東峰学園だった。

 シード権獲得のためにベスト8を目指していた僕らとしてはまだ当たりたくなかった相手――。

 だけどコイツらに勝たないかぎり甲子園はあり得ないってことは確かだった。



「結構入ってんな……」

 見上げたスタンドには試合前からたくさんの観客が入っていた。

 いままでの二試合とは雰囲気がまるで違う……まあ、目当てはセンバツ準優勝校なのは間違いない。

 さっきからベンチ前でキャッチボールをする奴らの動きに呼応するように、一塁側のスタンドが沸いている。


 東峰学園の選手たちがグラウンドに散った。試合前のシートノックが始まる。

 やや遅れてガタイのいいキャッチャーがベンチを飛び出してきた。

 彼は自分のポジションに就くと、僕らのいる三塁側ベンチの方を向いて深くアタマを下げた。それに応えるように俊夫が小さく手を挙げた。


「あれが弟か?」

 僕はグラウンドに目を向けたまま言った。

「ああ」

「……似てないな」

「まあな」

 礼儀正しいところも俊夫とは大違いらしい。

 




「おお~、さすがだな」

 渋谷が内野のボール回しをを見て声を上げた。


 東峰学園の内野陣は控え選手も含めて強肩揃いだった。

 送球は早く、しかも正確でキビキビとした動作にはムダがない。さすがにセンバツ準優勝校……僕らとは大違いだ。


 既に二試合を消化してきた僕らに対し、東峰学園はこの試合が県大会初登場となる。

 しかし初戦に臨む硬さなんてものはコイツらにはないらしい。ま……当然か。


「アレが小沢だべ?」

 俊夫が外野を指さした。

 東峰の背番号『9』、四番ライトの小沢。

 センバツではホームランこそなかったものの、六打数連続安打を含む12安打と打ちまくった好打者だ。

 だが本人は「守備範囲の広さと肩の強さの方に自信を持っている」というようなことを雑誌のインタビューで話していた。

 その言葉通り、守備練習での小沢は強肩を見せつけ観客を沸かせている――。


「やっぱすげえわ、コイツら」

 渋谷は呆けたような声で言った。

 目の前にいる東峰の選手たちは、渋谷の言うとおり個々の能力の高い『いいチーム』だった。間違いなくウチがいままで対戦してきた中では一番強い。

 だけど――


「スキがないってワケじゃなさそうだな、コイツらも」

 俊夫が呟いた。

 僕は顔を上げ、俊夫を窺った。

「ん? なんだよ」

「いや、べつに」

 驚いた。

 僕以外にもソレに気づいた奴がいるってことに。


「勝ちに行こうぜ――。」

 グラウンドに目を向けたまま、俊夫は拳を握りしめていた。


 去年の秋、湘南学館藤沢と同じブロックに入ったときのコイツらの落胆ぶりと言ったらなかった。

 しかしいま、あのときのような弱々しさは感じられない。どう考えても東峰の方が絶望的な相手だったのだが……ちょっとだけコイツらが頼もしく見えてきた。


「OK――。勝ちに行こう」

 僕らは拳をぶつけ合った。





***



「アイツらでもミスするんだな?」

「だな。先制点もらっちまうべよ」

 打席に向かう僕はネクストバッターの酒井と言葉を交わした。


 一回のウラ、僕らはいきなり見せ場を迎えていた。

 この回、先頭の柴田が死球、二番・渋谷の送りバントが相手のエラーを誘い、無死一、三塁。

 わずか四球でもらったこのチャンスで僕の最初の打席を迎えた。


 東峰のエース・伊東は慌てている様子はなかった。

 荒れ球が武器の奴にしてみりゃおそらくどうってことないピンチなんだろう。甲子園でも立ち上がりにバタついたところを何度も見せていたし。ここまではテレビで見てたとおりだ。


 東峰の内野陣は中間守備を敷いている。

 一点くらいはくれてやってもいいってコトなんだろう。

 外野もほぼ定位置。

 公立高校相手じゃ、クリーンアップを迎えたといっても守備体系を変える必要なんてない……そんなところか。



〈ま、どうせ何にもないんだろうけど……〉

 打席に向かいながらベンチを窺う……え?

 思わずベンチを二度見した。


 納村の指示はスクイズだった。

 決してバントが上手いとは言えない僕に、しかも初球からって……


〈どうなっても知らないスよ……〉

 ちょっとワザとらしいなと思いつつも、軽くスイングして打席に入る。

 そして軸足の位置をスパイクで掻きながら、横目で内野を見渡す――。


 内野に動きはない。

 三塁ランナーの柴田の足を考えれば『転がし』さえすれば先制点は間違いない……だけどそんなに上手くいくとは限らない。

 


 キャッチャーのサインを窺っていた伊東がセットに入った。

 頻りに三塁ランナーを気にする素振りを見せると、クイック気味のモーションから初球を投げ込んできた。


〈げ、やっぱり……!!〉

 ストライクゾーンを大きく外れた『クソボール』に僕はバットを投げ出すように飛びついた……しかしバットは虚しく空を切った。

 初球、東峰バッテリーは思い切ってウエストしてきた。

 スクイズのサインは完全に見抜かれていた。しかし――


 なぜか柴田はスタートを切っていなかった……。


 三塁ベース上の柴田はおどおどしながらベンチと僕を交互に見ている……サインの見落としだな、きっと。


「……スイマセン、タイムお願いします」

 僕は打席をハズし、一度深呼吸した。


「OK、OK。ツイてるわ、オレラ」

 ネクストバッターズサークルから聞こえた酒井の笑い声……言われてみればそのとおりだ。

 僕は酒井に向かって軽く笑みを返すと、もう一度ベンチを窺った


 納村は最前列でうなだれていた。

 拗ねちゃってるようにもみえる。当然なんの指示もない。

 まあココは動きようもないんだろうけど……早めに打っちゃった方が良さそうだな。納村の気が変わる前に。


 僕は打席に入ると右足の位置を固め、マウンドに強い視線を向けた。


 伊東はそんな僕の視線にも動じる素振りを見せず、いったんプレートをはずすとゆっくりとロージンに手を伸ばした。

 そして二塁手に向かって何かを呟くと、焦らすようにゆっくりとセットに入り、さっきと同じように三塁ランナーに視線を向けたまま投球モーションに入った。


カキィッ――!!


 二球目のストレート、インコースよりのボールにカラダが自然に反応した。


〈超えたべ……!〉

 一塁に向かいながらレフトに上がった打球を目で追うと、コチラに背を向けた左翼手の姿が目に入った。


――GO!GO!


 一塁ベースコーチの俊夫が大きく腕を回した。

 僕はベースの角を強く蹴った。

 ギアを一段上げて二塁へ向かい、勢いを殺すことなく足から滑り込む……しかしボールは返ってこない。慌ててホームを振り返る――。


「よっしゃ!!」

 僕は大きく手を叩いた。

 ベンチ前では生還した柴田と渋谷が拳を突き上げていた。


 優勝候補のエースから放った先制タイムリー。

 こんな場面は何度も経験したことがあるはずなのに、なぜか僕の指先は指先は震え続けていた。


 蜂の巣をつついたような騒ぎのベンチ……僕は平静を装って軽く手を挙げる。

 一塁コーチスボックスの俊夫が僕に向かって拳を突き出し、何度も何度も頷いている。

 僕も拳を掲げてソレに応えた。


 2-0――。

 まさかの先制点を上げ、なおも無死ニ塁。

 まだまだ続いているこのチャンス、打席には四番の酒井を迎えていた。

 左打席に立った酒井は典型的なプルヒッターだった。

 ウチの連中は基本的に引っ張り専門の似たようなタイプばかりだったが、酒井が他の連中と違ってるのはサク越えするチカラをちゃんと備えていて……しかも状況に応じたバッティングができるということだった。


 一塁ベースコーチの俊夫と目が合う。

 僕は小さく頷くと、二塁ベース上から外野の守備位置を確認してからやや大きめにリードを取った。


 マウンドの伊東は、一度だけコチラに目を向けたがほとんど無警戒に近い。

 そういえばさっきから一球も牽制球を投げていない。

 センバツでは投げてるのを見た記憶があるから、投げられないってワケではないと思う……つまり僕らくらいの相手じゃ投げるまでもないってコトか――


カキィィッ――


 そんなことを考えてるあいだに酒井は初球を思いっきり引っ張った。

 高く舞上がった打球はライン寄りのやや深いところまで飛んだが、右翼手の小沢が追いつきそうで……その刹那、俊夫と目があった。

 僕はハーフウェーから二塁キャンバスに戻った。そして腰を落とし――。

 

――GO!!


 声に反応した。タッチアップからスタートを切った。


 三塁に足から滑り込んだとき、アタマに強い衝撃が走った。

 続いて聞こえてきた怒声に顔を上げた。

 ボールは三塁後方のフェンスに当たってファールグラウンドを転々としていた。

 そのボールを追いかけてるのは、やや遅れてカバーに入った遊撃手――。


〈いけんべ――〉

 僕は思い切って三塁を蹴った。


 ホーム上ではキャッチャーが待ちかまえている。

 腰を落とし、ブロックの体勢に入ろうとしているが――

 そのとき、キャッチャーのミットがラインの外側に微かに動いた。


 僕はミットの動きに合わせるように一瞬カラダを外に振った。そしてブロックの隙を突いて思いっきり右足から滑り込む。同時にキャッチャーがカラダを預けるようにして肩を入れてきて――。

 激しいクロスプレーに強い衝撃がカラダを走り抜ける。タイミング的にはギリギリ――。




 次の瞬間、球審の手が大きく開かれた。


「――――!!!」

 僕は本塁上で両手を突き上げていた。無意識に何かを叫んでいた――。

 






***


 3-0――。

 大方の予想に反して僕らがリードしたまま、試合は中盤まで進んでいた。

 この展開は僕らとしても予想していなかった。

 しかし、この試合の僕らは確かに神懸かっていた。

 強打を誇る東峰打線に対し、酒井は胸元をつくストレートで真っ向勝負を挑み、バックは好守でソレを盛りたてる……理想的な展開だ。


 東峰のエース・伊東も尻上がりに調子を上げてきていた。

 上背はそれほどないが、ゆったりとしたフォームから繰り出すストレートにはクセがあってタイミングが取りづらい。立ち上がりこそ荒れまくっていたが、リズムを掴んだ中盤以降、僕らは追加点どころかチャンスさえも作れずにいる。



「……低くなかったか?」

 ベンチに戻ってきた僕は、ヘルメットを片手に誰にと言うわけでもなく呟いた。


 第三打席、僕は見逃しの三振を喫した。

 フルカウントからのアウトコース低めのカーブに手が出なかった。


 前の打席までに2本のヒットを打ってる僕に対し、東峰バッテリーは大きく配球を変えてきた。

 速球中心のチカラ勝負から、緩い変化球を多く使ってきた。

 さっきまで通用してたことが次には通用しない――。

 さすがにセンバツ準Vの強豪ともなると応用力もあるようだ。


 そんなことを考えるあいだに、酒井がショートゴロに倒れた。

 これでスリーアウト。

 六回が終了して、いよいよこれから終盤を迎える。


「さて――。」

 僕はファーストミットを掴んで立ち上がった。

〈さあ、あと3イニング。しまってくべ〉


「杉浦――」

 ベンチを飛び出そうとした僕を納村が呼び止めた。





「え……俺、ですか?」


 僕は思わず聞き返した。

 選手交代――。

 七回の守備につく前、僕はベンチに下がった。

 理由は判らないが、それが納村の考える野球なのであれば仕方のないコトだ。 

 でもベンチにいれば、ここだからこそできるコトもある――。

 最近はそう思うようになってきた。だいぶ大人になったってことなのかもしれない。







***


 膨れあがったスタンドから聞こえていた耳鳴りのような歓声も、いまでは気にならなくなっていた。

 試合は進み、九回の表……東峰学園最後の攻撃を迎えていたが、3-1と依然僕らがリードしている。

 しかし、マウンド上の酒井はピンチを迎えていた。

 無死満塁――。

 一打同点、長打が出れば一気に逆転の可能性もある。


 酒井はマウンドで孤立していた。

 ココまで溌剌としたプレーを見せていた内野陣も、この土壇場で迎えたピンチに動揺を隠せずにいた。酒井に声をかけるコトもできず、一様に強ばった表情をしていた。

 坂杉を含めた全員が、目を覚ました東峰打線の迫力に呑み込まれつつあった。

 呑み込まれつつあるといえばココにも……


 納村も呆然としていた。

 投手交代をすることも、伝令を送ることもなく、ただグラウンドへ目を向けている……。


「あの……伝令、いきましょうか?」

 たまりかねて声をかけたが……なんの反応も無い。

 納村は腕を組んだまま微動だにしない。その顔が青ざめているのが傍目にもハッキリとわかるくらいだ。


〈だめだこりゃ……〉

 僕はため息を吐いた。呆れてしまって声を失った。


 酒井は喘いでいた。

 僕は俊夫とともにベンチから声を張り上げたが、グラウンドにいる仲間の耳には届かない。

 奴らはさっきまでの溌剌さを失い、完全に意気消沈してしまっていた。




 シード権獲得を目指して臨んだ春の県大会。

 掴みかけた大金星は土俵際でスルリと抜け落ちていった。

 僕らは三回戦で苦い涙を呑んだ。



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