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【019】 無名校の秘密兵器



 テレビではセンバツ高校野球の決勝が大詰めを迎えていた。

 九回の表、四点を追う神奈川・東峰学園の最後の攻撃が始まろうとしていた。



「近藤さんは見たことあるんでしたよね、ナマで」

 長谷川がテレビを指さした。

 最終回のマウンドに立っているのは羽曳野学院のエース・用田誠。今大会屈指と言われる好投手のひとりだった。


「まあな。中学生のときだけどな」

 近藤は缶のビールを呷った。



 近藤は長谷川のアパートに来ていた。

 京急蒲田駅から南に向かい、環八を渡って少し行った先にあるこのアパートは近藤たちのたまり場になっていた……半年前までは。

 しかし久しぶりに訪れたこの部屋は、居心地の悪い空間に様変わりしていた。



「しかし、この用田って奴はホントにスゴイッスね。高校生じゃ打てないんじゃないスか?」

 長谷川が感心するというより、呆れたというような声で言った。


 用田は八回まで被安打2の無失点。奪った三振は12個。

 準決勝まで持ち前の強打で勝ち上がってきた東峰学園打線が、快速左腕の前に完全に沈黙していた。


「確かに用田はいいピッチャーだな。でもな、もっとスゴイボールを投げる奴が――」

「はいはいはい。存じ上げておりますよ、スギウラくん……でしたよね」

 長谷川はへらへらと笑った。

 まるで信用してませんと言わんばかりのその態度にハラを立てた近藤だったが、冷静に考えればそれも仕方のないことだと思った。



 テレビでは用田が躍動していた。

 九回の先頭打者からこの試合13個目となる三振を奪い、マウンド上で小さく拳を握りしめていた。


 それに引き替え……

 近藤は表舞台からすっかり姿を消してしまった杉浦のコトを考えていた。

 中学時代、熾烈な争奪戦の末に特待で明桜学園に進んだ杉浦だったが、その年チームが甲子園に出場し快進撃を続ける陰で、彼はひっそりと明桜学園を去っていた。

 そして神奈川の公立に転校して以降、彼に関する噂はまったく聞くことがなくなってしまった。

 そんな男といまテレビに映る超高校級左腕……


〈比較する方がどうかしてる――。〉

 近藤はセブンスターの最後の一本を取り出してくわえると、カラになったパッケージを捻り、ゴミ箱にむかって放り投げた。 

 パッケージは「カサッ」という乾いた音を立ててゴミ箱の脇に落ちた。

「ちょっとぉ!」

 長谷川は嫌そうな顔をして立ち上がると「カンベンしてくださいよ」と呟きながら、ソレを摘み上げゴミ箱に落とした。


「悪いな」

「ホントに……ヒトんちにきて散らかさないでくださいよ」

 長谷川は顔を顰めた。

 本当に嫌がっているようだった。

 長谷川がというよりいま・・の同棲相手がきれい好きなんだろうと近藤は思った。そういえば壁に掛かっている時計も以前までのモノとは違う……当然、長谷川の趣味だとは思えない、かわいらしいものだった。






「う~ん……完勝って感じスね。隙がないんじゃないッスか」

 長谷川はテレビに目を向けたまま、大きくノビをした。


 テレビでは、用田が最後の打者からこの試合14個目の三振を奪い、マウンド上で拳を突き上げていた。

 マウンドになだれ込む笑顔の選手たち――。

 その光景を近藤は不思議な気持ちで眺めていた。

 近藤の記憶にある中学時代の用田はいつも泣き顔か仏頂面だった。それがいまでは駆け寄ってくる選手たちの中心で誇らしげな笑顔を振りまいている――。


〈名嘉さんの教育のタマモノ……そんなワケないか〉

 近藤はこみ上げてきた笑みを煙と一緒に大きく吐き出した。



 今年のセンバツは、羽曳野学院が四年ぶり三回目となる優勝を飾り、幕を閉じた。

 秋の大阪大会、近畿大会を制し、続く神宮大会では準優勝で二連覇こそ逃したモノの、今大会では優勝候補の最右翼と目されていた羽曳野学院。

 そんなプレッシャーなど微塵にも感じさせない羽曳野ナインの強さは、名嘉村の言っていた「史上最強チーム」の完成に確実に近付いているように見えた。

 過去のセンバツ優勝校が陥った「優勝校の呪縛」も、彼らにとっては心地いい緊張でしかないのかもしれない――。


 テレビのインタビューを受ける名嘉村の満足げな表情を見ながら、『春夏連覇』への予感が近藤の脳裏を駆け抜けていった。




「で……未だ会えず、なんスか? その杉浦って奴とは」

 近藤が振りむくと、長谷川が口元を歪めていた。

「いや……遭えたといえば会えたんだが」


 近藤は今年になってから何度か神奈川に足を運んでいた。

 いまの杉浦を見るために、彼の状況を知るために……時間が空くたびに茅ヶ崎までクルマを走らせていた。

 近藤が最後に杉浦を見たのは、彼が中学三年の七月頃だった。当然、顔も体格も変わっている可能性がある……だが近藤には自信があった。


 地方の公立にあんなレベルの奴がいるわけがない。練習を見れば簡単に見分けられるハズだ――。


 しかし近藤が何度となく訪れた茅ヶ崎湘洋高校のグラウンド。ソコに杉浦の姿は確認できなかった。正確に言うと野球部の練習にすら遭遇したことがなかったのだ。


〈いくら冬場でボールを使わないっていっても……短すぎやしないか、練習時間が〉

 まだ沈む気配のない太陽を見上げ、無名の公立高校のやる気のなさに首を傾げるしかなかった。



 そんな近藤がようやく杉浦本人を確認できたのは春の湘南地区大会だった。

 しかし……収穫と言えたのは数枚の写真だけ。

 一塁手として出場していた杉浦は、確かに攻守にわたってその才能の片鱗を垣間見せてくれてはいた。だがあの夏、大阪で初めて彼を見たときに感じたような輝きはソコにはなかった。

 やっぱり彼が彼らしさを発揮できるところ、輝ける場所……それはマウンド以外にはない。

 近藤はその思いを更に強くしていた。


 それにしても……なぜ杉浦はマウンドに立たないのだろう……?

 茅ヶ崎湘洋の現在のエースは杉浦とは比べるレベルにはないように見える。

 試合中の守備やボール回しを見るかぎりでは、故障していた肩については問題があるようには見えない――。

 近藤がそう考えたとき、ひとつの仮定がアタマを過ぎった。


〈もしかして……〉

 茅ヶ崎湘洋高校の夏の最高成績は数年前に一度だけあるベスト8。しかし最後の夏、もし杉浦がマウンドに立つことがあるのだとしたら――。



「なあ、長谷川。賭け、しないか?」

 近藤は短くなったタバコを灰皿に押しつけた。


「賭けっスか? いいですけど、ナニでですか?」

「高校野球の神奈川大会。俺は茅ヶ崎湘洋に張る。お前は?」

「じゃあ、東峰でもいいスか?」

 長谷川が名前を出したのは、たったいまテレビに映っていた学校だった。


「堅いな、お前。……まあいいや、わかった。じゃあ俺が勝ったら五万寄こせ。お前が勝ったら一万な?」

「え、なんか俺、不利じゃないスか?」

「センバツ準優勝校を選んでおいて不利もクソもねえだろ。じゃあ、もし湘洋が三回戦までに負けたら、東峰の結果に関係なく俺が五万、お前に払う。それでどうよ?」

「わかりました。それならいいスよ。六万ってことですよね?」

 長谷川は勝ちを確信したような笑顔でそう言った。




「で……ひとつ頼みがあるんだけどな?」

 近藤は傍らに置いていた鞄から写真を取りだし、長谷川に向かって放り投げた。

「夏まで、コイツを追っかけてくれないか?」

 長谷川は写真を手に取り、しばらく眺めていた。

「コイツが杉浦スか?」

 近藤は小さく頷いた。

「張り付いてくれとは言わない。時間があるときだけで構わない。練習の様子だとか、試合の結果だとか……それを知らせてくれるだけで構わない」


「なんか……アイドルの追っかけみたいスね?」

 黙って近藤の話を聞いていた長谷川が不思議そうに呟いた。


 長谷川の言うとおりなのかもしれない――。

 近藤は思った。

 実際ナンのために追いかけているのか説明ができなかった。

 ただ、自分が杉浦に感じた才能――。それが本物なのかどうか見届けたいという気持ちはあった。


「わかりました。時間の許す範囲でいいんスよね。ま、六万も貰うんだししょうがないスね」

 長谷川は舌を出した。



 近藤は密かに予感していた。

 無名の公立校が夏に旋風を起こすことを。復活した剛腕投手がマウンド上で躍動する姿を――。


 それは『願い』にも近い感情でもあった。






***



「お前のクジ運て、ホントにスゲエのな?」

 僕はトーナメント表を指で弾いた。

 みんなからの冷たい視線の中、坂杉は引きつった顔で首筋の汗を拭っていた。


 昨日決まった春の県大会の組み合わせ。

 坂杉にはあれほど口を酸っぱくして言ったのに、とんでもないところを引いて来やがった。

 トーナメント表の左の上から二番目。上隣にはセンバツ準優勝校の名前があった。


「それにしてもよぉ。なんで東峰のヤマなんか引いてくんだよ」

 酒井の言葉にも坂杉は無言だった。

 相変わらず、顔を引きつらせたまま……ムリに笑おうとしているのが心苦しいし、見た目に怖い。


 去年の秋の県大会優勝、関東大会準優勝、そして今年のセンバツ準優勝の東峰学園。

 僕らが順当に勝ち進めば三回戦で彼らと対戦することになる。

 正直言ってこんなに早く当たるとは思ってもみなかった。

 ツイているような、ツイていないような……部室内には微妙な空気が漂っている。

 いまの僕らのチカラを計るには最高の相手なのかもしれない。

 しかし夏の大会のシード権を目指していた僕らとしては、絶対にまだ・・当たりたくない相手だというのも事実だった。


「東峰ってお前の弟がいるんだっけ?」

 僕は俊夫の肩に手を掛けた。

 奴の目には微かに不快そうないろが浮かんだが「まあな。ムコウはレギュラーだけどな」と自嘲気味に呟いた。


「え。東峰のレギュラーってスゲエじゃん」

 渋谷が目を丸くした。

「守備は下手だぞ? 打つ方は……まあ、打つよ。ケッコウな」


 俊夫の弟・鈴木晋也は、二年生ながら東峰学園の正捕手だった。

 センバツでも全試合でマスクを被り、ホームランを一本放っていた。俊夫の言うように打撃面での能力は高いのだろう。



「でもそう言う場合……オマエんちの親って、どっちを応援すんだべな」

 涼が呟いた。意地悪そうな笑みを浮かべて。

むこうに決まってんべよ」

 俊夫は馬鹿なことを聞くなと言わんばかりに間髪入れずに答えた。



 僕はふと思った。

 兄弟対決が見てみたい……と。

 単純に興味本位からで、深い意味なんてないんだけど。




「ま、心配すんな。アイツには一服盛っとくからよ」

 俊夫は冗談めかしてそう言った。だけどその眼はマジで……少しコワイな。

 






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