【018】 球春到来
来週から始まる春季大会を前にした『合同練習』という名の練習試合。
大会前最後となる試合、僕らは会心の勝利を飾った。
「やっぱよ、杉浦がスタメンに入ってから打線がつながるようになってきたよな」
酒井は満足げにそう言うと、俊夫に向かって「あとは、てめえだけだ」と強く肩を叩いた。
僕は今年に入ってからの三試合、全てに一塁手として先発出場、そして俊夫は相変わらず一塁ベースコーチとしてフル出場を果たしていた。
「ま、腐らず頑張れや」
「やかましい」
酒井が肩にかけようとした腕を俊夫は払いのけた。
そんな彼らを見ながら、ふと僕は思った。
酒井が俊夫に対して抱いている気持ち……ソレに俊夫本人はどれくらい気付いているんだろうと。
俊夫って奴はあんまり自分のことは話したがらないから、本心ではどう考えているのかよくわからない。 ただ片思いのライバル関係なんだとしたら酒井が少し不憫に思えるし、僕としても彼らの腐れ縁を知ってしまった以上、見て見ぬふりをしているわけにはいかない。
まずはどうやったら俊夫がレギュラーに返り咲くことができるのかということだったが、まだ僕自身の足場が固まっていない現在の状況でナニを言ったら納村を納得させることができるのか見当がつかなかった。だいたい納村って奴がどういう人間なのか僕自身よくわかってない。監督とは言っても練習に出てくる機会が多くはないから、話をしたのも数回くらいしかないし――
「おい。」
俊夫が僕の肩を叩いた。
「なにぼーっとしてんのよ? みんな先にいっちまったぞ」
気が付くと、酒井と俊夫以外の姿はなかった。
「早く行くべ、さっきのカレー屋」
酒井が僕を急かした。しかし僕は顔の前で軽く手を切った。
「あ、悪い。今日は遠慮しとくわ」
「ええ~。ウソだろ~?!」
「なによ、どっか悪いのか?」
なんなの……コイツらの驚きようは。
僕だっていつも用事がないってわけじゃない。まあ、確かにカレーには興味があったが今日は先約があった。
「わかった……湘北の女だべ?」
俊夫がにやついた顔で言ったが、僕はまるっきり無視した。
「なるほど、そういうことか」
酒井が何かに合点がいったように頷いた。「やっぱ、杏子ちゃんをフった理由って――」
「いや。まったく関係ない――」
僕は顔の前に手を翳した。
「あ、そうだ! 委員長に採点してもらうべ――」
「うるせえ。余計なコトすんな。」
僕は俊夫のアタマを引っぱたいた。
まったくコイツらって……もうちょっと気遣いが欲しいよな、周りの人々に対して。
「なんかズルイ。」
テーブルを挟んで向かいに座った麻衣子は、スティックシュガーの袋を弄びながらそう言った。
「……ナニがよ」
僕は警戒しながら彼女の顔色を窺った。
「だってアタシが見に行ったときには出てこないのに、いけないときにだけ試合に出てる」
彼女は頬を膨らませた。
〈知らんがな……そんなの〉
僕はイスに凭れ、息を吐いた。
確かに彼女が見に来なくなった去年の最終戦以降、僕は全ての試合に出場していた。
だったら来りゃいいじゃん……そう思わなくもなかったが、最近見に来なくなったのはそれなりに理由があるからだろうってことにも気付いていた。
だが来なくなった代わりに、最近では試合後に必ず待ち合わせをして試合結果の報告することを僕に強要した。
野球のルールなんてほとんど知らないハズの麻衣子。とても興味がある話題だとは思えないのだが……僕にはそれが謎だった。そしてソレに素直に応じてしまう自分自身にも。
「そういえば……亜希先輩がいなくなって寂しい?」
「またその話かよ。全然、淋しくないスよ」
高橋先輩たちは三月に入ってすぐに卒業していった。
彼女は別れ際に「今年の八月は目一杯予定を空けておくから」と笑顔で言っていた。笑ってはいたがその目は真剣で……やっぱりゴメンなさいってワケにはいかないんだろうな。
「そういえば……最近あったかくなってきたよね?」
「そうか? ケッコウ寒いだろ」
僕らが会うのは夕方が多いから、まだまだ暖かくなってきたってカンジはしない。
「暖かくなってきたことだし……バイクの免許取ろうと思って」
彼女は独り言のように呟いた。
コイツは……僕の話を聞いてないだろ。
しかしそんなことにハラを立てるよりも、彼女がまだそんなことを考えていたことに僕は驚いていた。
それにしても、なんでバイクの免許なんか欲しいんだろ……まあ僕が言っても説得力がない台詞だが。
「止めときなよ……悪いこと言わないから」
「やっぱりね。絶対にそう言うと思った」
彼女は上目遣いに僕を睨んだ。
「だって、試験とかもあるんだぞ?」
「杉浦でも取れたんでしょ?……ダイジョウブ、全然問題ないから」
彼女はアタマを指さし、不適な笑みを浮かべた。
「それに……ほら、転んだりしたら危ないべ? もし、顔とか怪我しちゃったらどーすんのよ?」
僕は身振りを交えてそう言ったが、彼女は何も言葉を返してはくれなかった。ただ醒めた目で僕を見据えていた。
「心配してくれてるんだ?」
麻衣子が呟いた。
「はい。」
弾みで応えてしまった。
「……わかった。免許取るのいまは止めとく」
麻衣子は拍子抜けするくらいにあっさり引き下がった。あまりにもキキワケが良すぎて気持ち悪いくらい――
「その代わり……杉浦のバイクに乗せてよ」
彼女はすました顔でそう言った。
「……後ろってことか?」
僕が確認すると、彼女はにっこりと頷いた。
彼女は何にも判っていない。
危ないからって言ってるのに後ろに乗せるなんてダメに決まってるだろ……。
僕はため息を吐いた。
でも……まあ一回くらい乗っけてやってもいいか。そこで怖い思いをさせてやれば二度とそんな気もなくなるだろうし――。
「じゃあ、四月になったらな」
僕は呟いた。
「ホント?! じゃ約束ね?」
麻衣子は目を輝かせて喜んでいる。
まったく……僕の考えも知らずに無邪気な女だ。
***
そして開幕した春の地区大会。
四チームのブロックに入った僕らは対戦成績三戦三勝で一位通過し、県大会に駒を進めた。
僕は背番号「3」を背負い、一塁手として全試合に出場。
八打数六安打で相変わらずチームの首位打者に君臨していた。
来週には県大会の抽選がある。
いよいよ僕らの最後の夏に向けた第一段階、シード権獲得を目指す戦いが始まろうとしていた。