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【003】 消えた剛腕


「――近藤さんいる?!」 


 長谷川は息を切らせて飛び込んだ。

 フリーの記者である彼がやってきたのは都内の出版社だった。


「なんだ、おまえか」

 デスクに新聞を広げていた蒲田が顔を上げたが、長谷川の顔を一瞥するとまるで「顔を上げて損した」とでもいうふうに舌打ちして視線を戻した。


「なんすか、なんすか。ずいぶん冷たいカンジじゃないすか」

 長谷川は苦笑いを堪え、あえてふざけた態度で言った。

 フリーになって五年。ぞんざいな扱いを受けることがめずらしくない彼にとって「お調子者」を気取ることは彼自身の「心」を守る術でもあった。

「近藤さんは……いないみたいスね」

「出かけてる」

 蒲田は新聞に視線を落としたまま言った。「成京に行くっつってたな」


「なるほど。成京っすか――」

 長谷川は窓の外を眺めて息を吐いた。

 近藤がこの時期に成京学館に行く理由……考えるまでもなかった。


「ま、明るいウチには帰ってくることはないわな」

 長谷川は独り言を呟くと、走り書きのメモを近藤のデスクの上に残して出版社をあとにした。 





***


「おう――。なんかオレに用だって?」

 聞きなれた声に長谷川は顔を上げた。

 そこには似つかわしくない笑みを浮かべた近藤が立っていた。


「あ~あ。もう飲んでやがるのかよ」

 近藤は大げさに声をあげると、長谷川の向かいに腰を下ろした。

「悪いっすか。それにココは居酒屋なんすけど」

 長谷川はそういうとグラスを呷った。

 出版社を出たあと、彼はまっすぐにこの居酒屋にやってきていた。靖国通りに近いこの店は彼の行きつけ……まさにホームグラウンドのような場所だった。

「いや、悪くはないけどさ」

 近藤は大きな背中を丸めて苦笑いを浮かべた。

「悪くはないけど、明るいウチから酒なんてよ」

 優雅だな、フリーランスは――。

 近藤は呆れたような口調で呟いた。

「ぜんぜん優雅じゃないっすけどね」

 長谷川は気のない声で呟くと、ビールジョッキをチカラなく傾けた。

「なんだよ、覇気のねえ」

 近藤は長谷川を見下ろし鼻で笑うと、壁に掲げられたメニューを一瞥し、カウンターに向かってビールを頼んだ。

 その声があまりに大きく店内の視線を一身に集めたが、そんなことはまったく意に介していないような近藤の表情に、長谷川は呆れるのを通り越してその図太さが羨ましいと思った。


 長谷川が兄のように慕う近藤雅志こんどう・まさしは一九○センチ近い大男だった。

 かつてはプロ野球選手を目指していたが、故障も重なりその夢がかなうことはなかった。

 その後はスポーツライターを目指して出版社に入ったが、現在は三流週刊誌でネタ元が微妙なゴシップ記事を捏造つくっている。


 ほどなくしてテーブルにビールとお通しが運ばれてきた。

 近藤は店員を掴まえ、矢継ぎ早に注文を入れた。

 それを黙って眺めていた長谷川だったが、店員が注文内容を繰り返すころには、そのあまりの量に胸やけをもよおしそうになっていた。


「――じゃ、取りあえず、お疲れ」

 近藤はジョッキを掲げると、豪快にそれを呷った。

「そんなことより負けちゃいましたよ、茅ヶ崎湘洋」

 長谷川はそう呟くと、ビールグラスを口に運んだ。

「そうか。やっぱりダメだったか」 

 近藤はジョッキを下ろすと、背筋を伸ばすようにしてイスにもたれた。

「で……杉浦はどうした?」

「投げませんでした。というより出ませんでしたよ」

「出なかったのか……じゃ、なんか聞けたか?」

「いや、逃げられました」

 長谷川が顔を顰めると、近藤は苦笑いを浮かべた。


 杉浦という選手を長谷川は知らなかった。

 近藤が追っかけてるくらいだから彼としてもある程度の期待はしていた。しかし……所詮は地方大会の初戦で消えた学校の補欠。これ以上追っかけても「カネ」になりそうもない――、そう思ったとき、彼は大事なことを思いだした。


 長谷川は徐にテーブルの上に手を出した。


「ナニよ?」

 近藤は眉をひそめた。

「ナニ、じゃないっしょ。ホラ!」

 長谷川は手の甲でテーブルを軽く叩いた。

 すると近藤は「あ」と言ってから思い出したように顔を顰めた。

「チッ、しょうがねぇな」

 近藤は財布を取りだし、中身を確認した。

「二万……じゃだめだよね?」

「ダメですね」

 笑みを浮かべた長谷川は催促するように指先で招くような仕草をした。近藤は観念したようにうなだれると、渋々、財布から札を取り出した。


「……三、四、五枚。はい、確かに五万円領収しました」

 長谷川が受け取った札を数えて指でぱちんと弾くと、近藤は恨めしそうな表情を浮かべて深いため息を吐いた。

「いいッスか? コレで東峰が優勝したらもう一万ですよ」

 追い打ちをかけるように長谷川はいった。

「悪いっすけどびた一文・・・・負かりませんから――」

「あれっ?! いま何時よ?!」

 突然近藤が立ち上がった。

「え。いまはですね……」

 長谷川は左腕の時計に目をやった。「もうすぐ七時っすね」

「やっべぇ、戻らんと」

 近藤の目が手にした財布と長谷川の顔のあいだを往復した。

「いいッスよ。ココは払っときますから」 

 長谷川はそう言って、たったいま受け取ったばかりの一万円札をヒラヒラさせた。

「悪い、頼むな」

 ガタガタと音を立てて立ち上がった近藤は、長谷川に向かって手刀を切ると「よろしくな」と告げて走り去った。


「相変わらず慌ただしいひとだなあ」

 長谷川は頬を弛め、飲み残しのビールの入ったジョッキを手に取った。


――ドタッドタドタッ 


 そのとき近藤が戻ってきた。

 陳腐な表現だが血相を変えてというのは、正にこのことだろう。


「……どうかしたんスか?」

「いや、さっきのなんだけどさあ……領収証は出ないよね?」 

 近藤は絞り出すように声を発した。

「はあ? 出るわけないっしょ、どう考えても!」

 どこにギャンブルで領収証を出す人がいるのだろう。だいたいその領収証をドコに出すんだ? 経費として計上おとせるわけがない。

「だよね、フツウでないよね」

 そう呻くように呟くと、長谷川の手からグラスを奪い取り、温くなったビールを飲み干した。

「走って戻ってきたから、ノド乾いちゃったよ。わはは」

 じゃな――。

 近藤はそう言い残し、小走りに店を出て行った。

 そして近藤が注文した料理がテーブルに運ばれてきたのはそれから程なくしてからだった。




***


 いったい何があったんだろ――。

 近藤は煙草に火を付けると、立ちのぼる煙を目で追った。

 

 三年前、全国中学生硬式野球選手権大会の第十六回大会を制した東京の「江東球友クラブ」。

 当時のエースだった杉浦優すぎうらまさるは、私学による熾烈な争奪戦の末、西東京の明桜学園高校に進んでいた。

 しかし数ヶ月後、杉浦は突然野球部を辞めて明桜学園を退学、神奈川にある県立高校に転校してしまった。


「……何でなんだ?」

 近藤はそう度呟くと、抽斗から青い表紙のファイルを取りだし、デスクの上に広げた。

 

 第16回、中学野球――。そう走り書きされたファイルには、十六回大会に出場した全選手のデータと、彼らの進路が詳細に記載されていた。

 近藤はタバコをくわえたまま、ファイルをペラペラとめくった。

 そこに書かれている「進学先」は野球強豪校と呼ばれるものばかりだったが、わざわざ地元以外の高校を進路として選ぶ選手が目立った。


「野球留学ねえ……」

 近藤は自分の高校時代を思い出し首を傾げた。

 ふと、ページをめくる指先が固まった。


藤堂亮トウドウアキラ……ああ、弟の方か――」

 その名前に見覚えがあった。杉浦と一緒に明桜に進んだ選手だった。

 故障を抱えていた杉浦と違って一年の夏からベンチ入りし、西東京大会ではその活躍を耳にする機会もあったのだが、その後は名前を聞くこともなくなった。将来を嘱望されていた彼もまた一年の夏を最後に高校球界から姿を消してしまっていた。

 そして姿を消したと言えばもう一人、藤堂亮の二歳上の兄、純一。


「あいつはドコでなにしてるんだろ……」

「あぁ? なんかいったか?」

 蒲田が反応した。

「いえ、独り言っすよ」

 近藤は苦笑いを浮かべるとファイルを閉じて立ち上がった。

 そして怪訝そうな目を向ける蒲田に向かって「ちょっと、行ってきます」と上を指さした。



 階段を駆け上ってやってきたのは、五階にある関連新聞社のスポーツ部だった。

 ココには近藤の後輩がいた。



「――ああ、彼ならよく知ってますよ」

 伊藤忍いとうしのぶは浅黒い顔をほころばせた。

 彼はココの記者でアマチュア野球を担当している。

「まあ、正確に言うと知ってましたってところですがね――」


 第十四回全国中学生硬式野球選手権大会、初出場で初優勝を果たした東京・南関東ブロック代表の江東球友クラブ。ベンチ入りメンバー十五人中、三年生は二人。残りは全て一年生という異色のチームで当時主将をつとめていたのが藤堂純一だった。


「藤堂はメキシコへ行ったんですよ」

 近藤もそれは知っていた。

 高校へ進む道を選ばず、メキシコだかプエルトリコだかを経由してアメリカ大リーグ入りを目指す、そんな話を聞いていた。

「で?」 

「故障したらしいですね。それほどの怪我ではなかったようですが」

「で?」

「その後はわかりません。ただ……」

「ただ……?」

「名前は聞かなくなりましたね。まだ二十歳位ですし、これからなんでしょうけど……でもなんで急に藤堂なんです?」

 忍は近藤を窺った。

「いや、むかし見たことがあるんだよ。あのころからかなり注目されてたからさ……いまどうしてるんだろ、ってな」

「そういうことですか。でも甘い世界ではないですよ、賞味期限ってありますからね……才能にも」

 忍の言葉に近藤は頷き、そして大きく息を吐いた。


「そういやあ、杉浦はもう投げてないらしいな」 

 近藤はポケットから煙草を取りだし火を付けた。

「へぇ。何かご存知なんですか?」

 杉浦の名前を出したとたん、忍が目を細めた。

「いや、別になにもないよ。ただオレは『明桜』のOBだろ。だから期待してたんだよ、大物ルーキーに」

 中学一年のころから目ぇ付けてたしな――。

 近藤は笑った。

「だけど何でか知らんがウチをやめて地方の県立なんぞに転校しちまった。しかも一年棒に振ってまでって。どうにも解せんのよ」

 忍はコーヒーカップに手を延ばしたが口にすることもなく、ただ探るような視線を近藤に向けていた。


「まあ――」

 黙って聞いていた忍が口を開いた。

「確かにアレはいいPでしたね。選抜チームでサンディエゴに行ったとき、エンゼルスだかドジャースだかの傘下の1Aが狙ってたっていう話もありましたしね。球威、キレ、制球それに度胸。どれをとってもAクラスだったと思いますよ。ただ素行に問題があって明桜を辞めたって話ですがね」

 高野連ってところはうるさいですからね、忍は顔をしかめた。

「まあ気になるなら冴島さんにお伺いしたら如何です? OBの近藤さんにならナニカ話してくれるかもしれませんよ。藤堂の弟も同じ頃に辞めたようですしね」

 冴島は明桜学園の監督だ。

 気むずかしい爺さんで、記者泣かせで有名でもある。確かに冴島を訪ねてみるのが手っ取り早いのだが……近藤には気が進まない理由があった。

「そんなことよりね――」

 忍が続けた。

「今年は成京学館の岡崎と羽曳野学院の用田ですよ。今後の球界は彼らが牽引していくでしょうね」

 確かに――。近藤は小さく頷いた。

「でも本当ならこの世代は杉浦が引っ張るハズだったんだ。俺は今でもそう思っている」

 近藤は短くなった煙草を指でもみ消した。

「確かに三年前ならそうだったかもしれませんが……」

 そう言ってから忍は首を振った。

「今後の球界を引っ張るのは彼らです。少なくとも杉浦ではないですよ」

 彼は過去の選手なんですよ――。


 そう言って薄い笑みを浮かべた忍に対し、近藤は頷くことしかできなかった。



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