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【009】 RENDEZVOUS-Ⅱ


「驚いた?」

 嬉しそうな杏子の言葉に僕は黙って頷いた。

 彼女はソレを確認すると、満足そうな笑顔を浮かべたままマグカップに口を付けた。



 さっきから頭を掠めていた違和感の理由ワケ

 確信は持てなかったが、家族で住むには狭すぎる部屋だな、と。

 だとしても、せいぜい「父+娘」か「母+娘」、或いは「兄or姉+妹」の三つのウチのどれかだと思ってた。まさか一人だとは……ちょっと予想外だった。



「ここはお父さんの所有もちものなの。実家は三鷹」

「ミタカって、東京の?」

 彼女は頷いた。


「親は心配してるんじゃねえの?」

「さあ。最初だけじゃない? 今はそれどころじゃないだろうし」

 彼女は間髪入れずに言った。

 一瞬、余計なことを聞いちまったかと焦ったが、彼女はそんなことは気にならないようでお茶を啜っていた。



 東京の実家から離れて一人暮らし。

 事情はよく判らないが、彼女の大人びた雰囲気はそこから来てるのかもしれない。

 置かれた状況は僕と似ているようでいて、多分ゼンゼン似ていない。



「でも……スゴイよな。一人って大変なんだろ?」

「なんにも大変じゃないよぉ。自由だし、ね」

 彼女はそう言って笑った。

 その屈託のない笑顔は、本当に自由を謳歌しているかのようだった。


「なんか……大人びてるよな。澤井さんて」

 僕は自分を省みて、小さく息を吐いた。

「だって大人だもん」

 彼女は当然と言った顔で僕を見返してきた。「少なくとも杉浦くんよりは、ね」

「はあ?」

 ナニソレ。随分ストレートに喧嘩をお売りになる方のようで――

「私、ダブってるから。」

「え゛」

「つまり、キミたちより一つ年上。」

 杏子はそう言って、平然とお茶を啜った。

「驚いた?」

 僕は二度頷いた。

 一人暮らしをしてるって話よりもよっぽど驚いたが、さっきと同じように黙って頷いた。

 そういえば久美ちゃんが「杏子さん・・」と呼んでいたのはそのせいなんだろうか……そんなことを考えながら彼女の視線を避けるように窓の外へ目をやった。


 まだ雨が降っていた。

 僕は立ち上がり、窓際に移動して外の様子を窺った。雨はさっきよりも少し強まって……ん?


「あ、気付いた?」

 彼女は僕の視線が捉えたモノに気付くとイスから腰を上げ、「よく見えるでしょ」と言って僕の隣にやってきた。


 ソコにあったのは野球のグラウンドだった。

 この部屋はグラウンド全体を見下ろせる位置にあった。


「こんなに近いけど、中に入ったことはないの」

 そう話す杏子を横目で見た。

 隣に並んだ僕と目の高さがそれほど変わらない。最初に会ったときにも思ったが、女の子にしては背が高い方だな。

「ん? なあに?」

 僕の視線に気付いた彼女は口元に微笑を浮かべた。


「いえ――。澤井さんって結構デカいんですね」

 僕の言葉に彼女は一瞬目を丸くした。そして――

「ちょっとぉ、女の子にそういうのは禁句ナシでしょ?」

「え?」ナニかマズかったのか?

「それから、急に敬語もナシでしょ? 同級生・・・なんだから」

「え? あ……いや、スイマセン、でした……」

 慌てて詫びたが、彼女は寧ろそんな僕の反応を楽しんでいるような表情で……なんかおちょくられてるみたいだな。



 それにしても彼女は意外なくらいにおしゃべり好きな人だった。

 僕が一言発するたびに、二言三言返してくるといったカンジで。

 その後も僕は僕のペースで、彼女は彼女のペースで話をし続けていた。



「で、ダブりで仮病癖のあるヒトが、何で野球部のマネージャーなんかやってるんスか?」

 僕は茶化すように訊いた。

 すると彼女は笑ったまま拳を振り上げたが、懐かしむような口調で話し出した。

「ウチのお母さんて高校野球が大好きな人でね、実家が西宮で甲子園の近くにあるものだから、夏休みにその実家に帰ると必ず甲子園に連れて行かれるの。高校野球を見に、ね」

 彼女は時折、何かを思いだしたように微笑みながら僕に『甲子園』での話を聞かせてくれた。もっともそれは僕が知っている『甲子園』とは少し違う、グラウンド外の話が多かったのだが。


「――そんな感じだったから、なんとなく『いつかはマネージャーとして甲子園ココに来てみたい』って思うようになって……それで高校に入ってすぐに野球部のマネージャーになったの……」

 彼女はため息を吐いた。

「でも入ってすぐに後悔したわ。だって綾南ウチ、弱すぎなんだもん……100%ムリ」

 そう言って指で×を作った。

「いや……まだ判んないんじゃないスか、ね?」

 センバツは絶望だが、夏の大会はまだ先だし……可能性は著しく低いが、ゼロではないハズ。

「判るわよ。キミだって判ってるクセに……」

 杏子は拗ねたように言うと「そういうつまらない期待を抱かせるのは優しさとは違うと思う」と僕から目を背けた。



「杉浦優――。」

 彼女が突然、僕のフルネームを呟いた。「――江東球友クラブのエースで全国大会優勝経験あり。」

「え……?」

「驚いた?」

 彼女は意味ありげに微笑んだ。


「なんなんスか?」

 彼女は僕の言葉が聞こえていないかのように完全に無視をした。

 そしてマグカップを両手で包み込むように持つと、口を付ける様子もなく話を続けた。


「私が中学三年のとき、そのころ付き合ってたヒトが野球をやってて……一度だけ試合を応援しに行ったことがあるんだけど、これがまったくいいところなく完敗。 相手が強かったみたいで、とくにそこのピッチャーなんかこんなに・・・・ちっちゃいのに凄い速いタマを投げてて、しかも憎らしいほど落ち着き払ってて……そのとき思ったの。きっとこういうコがプロになるんだろうなって」

 杏子はそう言って僕を見据えた。

「なんとなく憶えてた。……そのピッチャーの名前と、生意気そうな顔を」

 僕はナニも答えずに小さく首を振った。

 だいたい僕は杏子が言うほど生意気じゃなかったし、そんなに小さくもなかった、と思う。


「だからこの間は本当に驚いたのよ? メンバー表を見て、同じ名前の人がいるなあ……なんて思ってたら本物だった」

 彼女はそう言って真っ直ぐに僕を指さした。僕はソレを嫌うように彼女から目を逸らした。



 杏子は確かに僕のコトを知っていた。中学卒業後に明桜学園に進んだことも。

 さすがに明桜を辞めたことまでは知らなかったみたいだが、その理由にはズイブンと興味をもったようで「なぜ明桜を辞めていまの学校に転校したのか」と執拗に問い質してきた。

 当然ソレには一切応えなかったが。



「ねえ。北三鷹BBCってチームの鷹野和久って憶えてる?」

 彼女は唐突に質問をぶつけてきた。


「ええ……と……すいません。誰でしたっけ」

「え? 杉浦くんより一つ上で……さっき言った私が付き合ってた人なんだけど……」

 彼女は小さな声で言ったが、僕は首を傾げた。

「杉浦くんのことをライバルだって言ってたんだけど……まったく憶えてないの?」

 そう言われてもちょっと記憶にない。

 本来なら上手く話を合わせるべきなのかもしれないが……タカノさんには申し訳ないがまったく知らないとしか答えようがない。

「すいません。ちょっとわかんないスね……」

 正直言ってソコのチームと試合をした記憶すらなかった。


「そっか……」

 彼女は残念そうに目を伏せた。

「でも……色んな人が杉浦くんのことを知ってて……ライバル視して追いかけてるのに、当の杉浦くんはその人たちのことを全く知らないって……なんか不公平な気がする」

 彼女はそう言って頷いた。

 自分の言葉に納得したように何度も、何度も。



 僕に対する一方的なライバル視――。

 初めて出会った頃の用田もそうだった。いまではその名前をクチにするのもどうかと思うくらいに差がついてしまったが。

 岡崎もそうだった。

 僕の球を打つ為に違う高校に行くとかいってたっけ。いまでは……やっぱり差がついている。埋めようのないくらいに大きな差が。

 他にもそんな奴らがいたのかもしれない。コッチは知らないけど、向こうはコッチのことを知ってて、いつか僕の球を――止めた。

 これ以上考えてると、自意識過剰の無限ループに入り込んでしまいそうだ。



「ねえ。ゴハン食べてってよ」

 声に我に返った。

「急になんなんスか?」

「いいでしょ。一人だとつまんないのよ」

 杏子はテーブルに片肘をついて手のひらに顎をのせていた。それはどこか楽しげな表情だった。

「でもさっきは自由とか何とか言ってたじゃないスか」

 僕は首を傾げて言った。

 すると彼女はため息まじりに「キミって野球マシンなんだね、きっと」と返してきた。

 そして意味が判らず首を傾げる僕にむかって蔑むように微笑んだ。

「鈍いというか、カンが悪いというか……まずいわよ、人としては」



 そうあらためて言われると少し傷つく。

 まあ、僕の過去には思い当たるフシがまるでないわけではなかったし。



「どうせ雨も降ってることだし……その頃には止むでしょ」

 彼女はそう言って立ち上がると、テーブルに置いてあったRZの鍵をつまみ上げた。

「これは預かっておくわ」

 不敵な笑みを浮かべると、ジーンズのポケットにしまい込んだ。




 結局そのまま彼女に押し切られ、晩飯をご馳走になることにした。


 用意してくれた晩飯は炒飯と名もない炒めものだった。

 普段から作り慣れているみたいで、器用に手際よくテーブルに料理を並べていった。僕は手出しもできずにそんな杏子をただ眺めていた。


「あ、苦手なものとかあった? ピーマンとか?」

 テーブルに並んだ料理を前にして杏子は言った。

「コドモじゃないから別にないスけど、作る前に聞くモンなんじゃないスか? フツウは」

「あ。そっか」

 彼女は舌を出した。

「じゃ、取りあえず食べてみてよ?」

 杏子は採点を待つ子供のような瞳で、僕が食べ始めるのを見つめている――。


「どう?」

「お。美味いスね。マジで」

「でしょ?」

 杏子の作った晩飯は美味しかった。

 僕は女の子の手料理なんて食べたことがなかったからフツウという基準がよくわからないが、素直に美味しいと思った。






***



「雨、止まないね」

 彼女はカーテン越しに窓の外を覗いた。

 晩飯を食べ終わっても雨が弱まる様子はなかった。


「そうスね。でもそろそろ行こうかな」

 時計の針は八時を指していた。帽子を取りきただけなのにズイブンと長居をしてしまった。

「もうちょっと弱まるまで待ってみたら?」

「はあ。でも……弱まるかなあ」

 僕の言葉に彼女は力強く頷くと「大丈夫。そのうち止むから。」と自信満々に言った。


〈仕方がない。取りあえずこのお茶を飲み終えたら考えよう。〉

 僕はカップに口を付けた。

「ところで……タカハシアキコって誰?」

 ブ―――ッ!!!

「ちょっとぉ!」

 杏子は顔を顰め、慌てて布巾に手を伸ばした。

 彼女の口から出た意外な名前に僕は思わずお茶を吹き出してしまった。


「……で、誰? 彼女?」

 テーブルを拭いながら杏子は言った。

「なんなんスか?!」 

「え? だって――」

 杏子はそう言いながら隣の部屋に行き、すぐに戻ってきた。手にしていたのは僕の帽子だった。

 彼女が指さしたツバの裏側には、英語で書かれた一文があり、その横にローマ字で『Akiko Takahashi』とあった。


「ああ、先輩スよ。去年のマネージャーだったセンパイ」

 僕は言った。努めて興味がないといったフリをして。

「えー? ただ・・のマネージャーがこんなコト書く?」


 そう言われても困る。

 だいたい僕にはナニが書いてあるのか意味が判らなかった。英語なんて判らなくても生きていくのになんの問題もないし。


「アヤシイなあ。白状しちゃったら? きっと楽になるわよ?」

「いや、マジで何にもないんスけど……」

 僕は顔の前で手を払った。

 杏子はまるで刑事のように執拗に僕に自白を迫った。しかし……残念ながら彼女が期待するような話などあるわけがない。


「なーんだ。つまらん」

 やがてナニも出てこないことをようやく悟ってくれた彼女は、そう呟いてから僕のアタマに帽子を乗せた。

 僕は長旅から戻ってきた帽子を手に取ると、型を整えてから恭しくヘルメットの上に置いた。


「でも……結構判りやすいヒトなのね」

 彼女は僕を覗き込んで目を細めたが、僕はナニも応えなかった。





 僕は窓の外を眺めていた。

 窓枠に肘を乗せ、少し屈んだ姿勢のまま、雨に霞む夜の街を見下ろしていた……何のアテもないままに。


 さっき杏子に言われた「自称:僕のライバル」という人たちの話。不公平だという彼女の言葉。そして僕が・・一方的に追いかけていたライバルたちの存在――。

 それがアタマの隅にこびり付いて離れてくれなかった。


「雨、止まないね……」

 僕の隣にやってきた杏子が窓に顔を近づけて外を覗いた。


「そうスね。でもそろそろ帰りますよ。ホント、メシまでご馳走になっちゃって――」

 そう言いかけた僕の肩に杏子は頭を預けてきた。

 慌てて向き直ると、彼女は何も言わず僕の胸に顔を埋めた。

「え゛……何スか?」

 彼女は何も応えなかった。


「あ、あのぅ……そういう冗談はニガテなんスけど……」

 やっぱり彼女は何も応えなかった。代わりに微かに鼻を啜った。


〈げげ! なんでよ? 泣いてるのか?〉

 完全に理解不能だった。〈オレ、ナンカシチャイマシタカ??〉




 杏子は僕の胸に顔を埋めたまましばらくのあいだ泣いていた。理由は判らない……というか判りようがない。さっきまで楽しく談笑してたハズなのに。

 ただひとつ言えることは、僕はこういったシチュエーションをとても苦手としている、ということ――。




 まだ雨が降っていた。 

 その耳障りな雨音にも負けないくらいに、僕の心臓も派手な音を立てて暴れていた。

 きっと彼女にも伝わっちゃってるはずで恥ずかしかったが、僕は身動きができずにいた。

 薄手のシャツを透して伝わってくる彼女の体温、そして鼻を擽る彼女の髪……そして僕のアタマの微かな痺れ――。

 ヘタに動けば、その全てのバランスが崩れてしまうような気がして……僕は竦んでしまっていた。



 不意に彼女が僕を解放した。

 そして小さな声でナニかを囁いた。

「え。なんですか――」

 口元に耳を寄せたとき、彼女は僕を抱きしめた。火照った僕のアタマを抱え込むようにして、強く抱きしめた。




 窓の外の雨はまだ止む気配がなかった。

 しかし耳障りだった雨音は少しずつ、僕の意識から遠のいていった。





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