【008】 RENDEZVOUS-I
――ない。
昨日からずっと探しているが見つからない……いったいドコにいっちゃったんだろ?
野球部の連中全員に聞いてまわったが、みんな口を揃えて「知らねえ」と。
まるで判を押したように同じ答えだった。
行方不明になったのは試合用の帽子。
先週の試合の時にはフツウに被ってたが、そのあとは「?」。
誰かのバッグに紛れ込んでるんじゃないかと軽く考えてたのだが、誰も知らないってことは綾南に置いてきちゃったか、あるいは途中で落としてきてしまったか。
落としたとしたら見つかる可能性はゼロに近いだろう。
今年はもう試合がないから本来なら焦ることはなんにもない。
見つからなかったとしても、今から注文すれば春には十分に間に合う。だけど……あの帽子は僕にとって代わりのきかない大切な帽子でもあった。
***
十二月に入り、ボールを使う練習からトレーニング中心のメニューに切り替わっていた。
メニューとは言っても基本的には自主練習。
それぞれ自分の弱点を補強するための練習と言いつつ、みんな好き勝手な練習をしていた。
僕はといえば相変わらず青い表紙のノートの指示に従い、ひとつひとつの練習をこなしている。この冬からは新たに『筋トレ』を練習メニューに加わえて。
「ホント、よく飽きねえな」
柔道部主将の堀田は僕と顔を合わせるなりそう言った。
「バカヤロウ。練習っつうのはなあ、こういう退屈なトレーニングを繰り返すコトによってだな――」
「オマエらも杉浦に付き合わされちゃってカワイソウにな?」
堀田は僕のありがたい話を最後まで聞かず、僕の連れに向かって同情する素振りを見せた。まったく失礼な男だ。
僕は後輩の佐々木と柴田を連れて柔道部が練習する格技場にやって来ていた。
格技場に隣接したこの小さな部屋には、柔道部の顧問が管理するベンチプレスやなんかが置いてあった。自主練習が始まってからは毎日ここに来ている。
「じゃ、始めんべ。佐々木、六十な」
「はい!」
佐々木と柴田は僕の指示に従い、ベンチプレスの重量を六十キロにセットした。
僕は柔道部の顧問・榊の立ち会いの下で八十五キロまで挙げたことがある。だから六十キロくらいは楽勝だ。
「ベンチプレスを使わせてください――」
十一月の終わりごろ、職員室の榊を訪れた。しかし返ってきたのは「危ないからダメ。」と言うツレない言葉。とは言われても僕としてもココを使わせてもらえないとなると練習メニューに大きな狂いが生じる。仕方なく僕は何度もアタマを下げてお願いした。
「そうだな。じゃ、八十キロを挙げられたら貸してやってもいいぞ」
榊は言った。口の端に不敵な笑みを浮かべたままで……というわけで、その後は約束通り比較的自由に出入りさせてもらっている。「必ず二人以上の補助をつけろよ」榊が出した条件はそれだけだった。
「センパイ聞いてますか? 写真撮影の話って」
筋トレ終了後、柴田がベンチプレスを片付ける手を休めて僕に向き直った。
「は? ナニソレ」
「なんか日曜日にあるらしいんですけど」
佐々木も手を休め、僕らの話に耳を傾けている。
「知らねえ。つうか全く聞いてない。いつ決まったのよ」
「いえ、納村が話してるのが聞こえたんで……さっき職員室でなんですけど」
柴田の話の感じでは、僕だけが知らされてないってことではなさそうで少し安心した。
「ふ~ん。で、何の写真よ?」
「すいません、ちょっとそこまでは……」
佐々木は柴田と顔を見合わせ、頻りに首を傾げた。
「……つうことは、ユニフォームは試合用、だよな?」
「そうだと思います」
やばいじゃん。
急いで帽子を探さないといけない。最悪、一年の誰かから奪うしかないな。
「おう。おめえドコ行ってたんだよ!」
部室に戻ると、酒井が僕を待っていた。彼はその口調とは裏腹に笑顔だった。
「あ? なんか用か?」
「用か、じゃなくてよ。帽子探してんだべ?」
「あった?!」
僕の反応に酒井は鼻の穴を膨らませた。
「綾南の教室にあったってさ。久美ちゃんから電話があった」
酒井は得意げに言ったが、僕は一瞬フリーズした。『クミチャン』って誰……?
そんな僕の様子を窺っていた酒井が舌打ちした。彼は僕のアタマに浮かんだ疑問を読み取ったように、
「綾南のマネージャーだよ。このあいだ一緒にメシ食いに行ったべよ?」とクチを尖らせていった。
このあいだ一緒にメシを食いに行った綾南のマネージャーの二人うちの杏子じゃない方……あんまり顔が思い出せない。印象に残っていないってことだろう。
その綾南のマネージャーがなぜ酒井と連絡を取り合っていたのか……まあ、僕の帽子の為にってわけじゃないんだろうな。
次の日の放課後、僕は綾南高校へ出向いた。このあいだ行ったばかりだから道順はアタマにしっかり入っている。
綾南の校門の前を通りすぎ、しばらく行ったさきの空地にRZを乗り入れた。
僕が行くことは、酒井から久美ちゃんに昨日のウチに伝わってるハズだった。奴が彼女に電話をするいい口実を用意してやったと言うわけだ。
校門に近付いたとき、威勢のいいかけ声が聞こえてきた。
グラウンドでは、野球部の連中がバント練習をはじめているところだった。
十二月とは言ってもここのところ暖かい。ボール使った練習をするのには何の支障もないくらいに。
〈ウチなんかもう自主練習とか言っちゃってんのにな〉
キビキビとした彼らの練習を見ながら、僕は自分たちの練習を思い浮かべ、首を竦めた。
グラウンドにはマネージャーが三人いるのが見えたが、そこに杏子の姿はなかった。
僕が近付くとマネージャーの一人がこちらを振り向いた。彼女は僕の姿を認めると、一度大きくアタマを下げてから駆け寄ってきた。見覚えのある顔……久美ちゃんだった。
「わざわざすみません」
久美ちゃんは息を弾ませ、僕にそう言った。
「いえ。こちらこそすいません」
あんまり時間をかけちゃ悪いので用件だけを手短に――「で、帽子は?」
「いえ……それがですね……」
なんだか彼女は歯切れが悪い。
「杏子さんが持っちゃってるみたいなんです、杉浦くんの帽子」
「はあ。で?」
保管してくれているのが誰でも、べつに僕としてはまったく問題はない。
「それで……今日休んじゃってるんですよね、杏子さん」
「え……?」
風邪ひいちゃったらしいんです。彼女は申し訳なさそうに呟いた。
〈マジかよ。ココまで来たのに空振りスか……?〉
「ちょっと電話掛けてみますね?」
「いやいや、いいですよ」
僕はそう言って彼女を制した。風邪で休んじゃってるのに申し訳ないし、電話をしたところ解決しないことは明らかだった。
「明日でもいいんで……また来ますよ、明日」
久美ちゃんの申し出を断った。満面の作り笑顔で。
そして次の日――
「え……マジっスか?」
杏子はまさかの二連休だった。
久美ちゃんは本当に申し訳なさそうな顔をしている。もちろん彼女が悪いわけではない。
「あの……ご迷惑じゃなかったら家まで取りに来て欲しいと……」
そう言った彼女の肩は昨日より一回り小さくなってしまったような印象を受ける。それくらい恐縮しているのだろう。
〈参ったな……〉
僕としてもそうそう練習を抜けるわけにもいかない。それでなくても納村から『チームの和を乱す者』というレッテルを貼られているらしいのだ。
しかし、病気で休んでいる人の家に行くということにも、女の子の家に行くということにも抵抗がないわけじゃない。親に誤解されたりしたら嫌だとか……まあ、でも帽子を取りに行くだけだし誤解もナニもないよな。
僕は暫しのあいだ考え込むフリをして――。「じゃあ、取りにいくことにします」。
久美ちゃんは僕に杏子の家の住所と電話番号とだいたいの場所を教えてくれた。
「つきみ野駅の近くですから、判らなかったら電話してみてください。……本当にすみません」
しきりに僕に詫び続けていた。
彼女に教わったとおりに厚木街道を抜けて中原街道を横切り、瀬谷駅の近くを右に曲がって海軍道路を北へと向かった。
途中コンビニに立ち寄って道路地図を開き、正確な場所をアタマに叩き込む。
「――R16に出て、R246を渡って……楽勝だべ」
僕は独り言を呟きながら地図を元に戻し、コンビニを飛び出した。
R246の交差点からつきみ野駅までは思ってたよりも近かった。
僕は駅前のスーパー近くにRZを停め、電話ボックスに駆け込んだ。「え~と……046――」
『――はい』
呼び出し音に続いて聞こえてきた電話の声は、静かに「はい」とだけ応えた。声だけでは彼女かどうかは判らない。背筋に緊張が走る――。
「エ……、アノ……杉浦ト申ス者デスガ……」
受話器の向こうからクスクスとくぐもった笑いが聞こえてきた。
『杉浦くん? モウスモノってなあに?』
電話の声は澤井杏子だった。
「エ……ハイ、ドモ、コンニチハ……」
『こんにちは』
やべえ。僕は少しだけテンパッテいた。考えてみれば彼女と話をするのはコレが初めてみたいなものだった。僕は受話器を口元から離し、一度大きく深呼吸した。そして気持ちを落ち着けてからゆっくりと受話器に向かって話しかけた。
「え~スイマセン。あの、俺の帽子のことなんですけど――」
『あるわよ。間違えて持って帰ってきちゃってたみたい』
彼女は平然と言った。
『今どこから?』
「多分……近くだと思うんスけど――」
だいたいの場所を伝えると、彼女は即座に家の場所を教えてくれた。彼女の家はココからすぐ近くのマンションだった。
僕は彼女に指示されたとおりにバイクを移動させた。そしてマンションのエントランスの脇に横付けすると、ヘルメットを腕に引っ掛けたままエレベーターホールに向かった。彼女の家はココの五階にあるらしい。
「え~と……あ、ココだ」
玄関には『K.SAWAI』の表札が出ていた。
僕は意味もなく深呼吸をすると、もう一度表札を確認してから呼鈴を押した。まもなくドアが開き、杏子が顔を出した。
彼女はニッコリと笑った。フツウに元気そうでナニヨリだ。
「どうぞ」
「いや、帽子を取りに来ただけスから。ココでいいスよ」
彼女の肩越しに見える室内……何となく違和感を覚えたが、ナニも言わなかった。
「開けっ放しだと寒いから……取りあえず、ね?」
僕は彼女に促されるまま、玄関の三和土に足を踏み入れた。
重い玄関ドアの閉まる音が響くのと同時に、彼女は僕の腕からヘルメットを取り上げた。
「あれ? 雨が降ってるの?」
「ああ、少しだけ、ね」
ヘルメットには水滴が付いていた。もっとも大した雨じゃない。
「お茶くらい飲んでってよ」
杏子が僕の腕を掴んで言った。「あ、コーヒーの方がいいかな?」
「いえ。じゃ、お茶を。」
結局彼女にペースを握られたまま、僕はダイニングに通された。
「どうぞ。座ってて」
彼女はイスを引き、僕を座らせた。
「あんまりジロジロと見ないように。」
彼女は僕の鼻先に人差し指を突きつけてそう釘を刺すと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
部屋を見回すまでもなく、僕は玄関で感じた違和感の理由が判りかけていた。
「はい、どうぞ」
杏子は揃いのマグカップに入ったお茶をテーブルに置くと、僕の向かいに腰を下ろした。
風邪で二日も休んでるっていうから寝込んじゃってるんじゃないかと勝手に思っていたのだが、いま目の前にいる彼女をみるかぎりではそんな様子は微塵もない。顔色も悪くないっていうかフツウだ。
「思ってたより元気そうスね?」
「え? ああ……」
杏子は口元に持っていったカップをテーブルに置いた。「あれね、嘘なの」
「は?」
彼女は笑みを浮かべていた。
「たま~にこうやって休むの。病気みたいなものかもね」
彼女は悪びれる様子もなくもう一度小さく笑った。というより僕の反応を見て楽しんでいるようにも見える。
〈呆れた……〉
僕はカップを手にしたまま大きくため息を吐いた。
「あれ? なんか怒ってるの?」
杏子は僕の気持ちをサカナデするように呑気な声で言った。
「いや、べつに。」
そっと目を背けた。
彼女の気まぐれのお陰で僕は二日続けて練習を休んでいる。
後輩たちとの練習を放りだし、納村の目を盗み、そして何となく後ろめたい気持ちを抑えてココまでやってきたっつうのに。
確かに「やる気がおきない」っていう気持ちに関しては、僕にもしょっちゅうあるから他人の事を言えた義理じゃない。
だけど……何も今日休まなくたっていいだろ。帽子を返してくれさえすれば、明日以降はずっとサボってもらっても、僕としては一向に困らないんだから。
それに親は何にも言わねえのか? 異常なくらいに寛容な親だったり……するわけはないよな。
「親とかは何にも言わねえの?」
僕は考えるのと同時にクチにしていた。
「さあ? どうなのかな」
彼女はやや間をおいて言った。
「どうって……なんなんだよ?」
「だって知らないと思うから。娘がこんなに病弱だなんて、ね」
彼女は戯けた。
「いや、冗談で言ってるワケじゃなくてさ――」
僕は言いかけて口ごもった。さっきの違和感が再びアタマを過ぎる――。
「あのさ。ひょっとして、ここには――」
「そ、一人よ。一人暮らししてるの」
彼女は当たり前のことように言った。