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【007】 九十六点。



 家の近くのコンビニを出て、きっかり三十分。

 神奈川県立綾南高等学校は相鉄の駅からほど近い小高い丘の上にあった。

 さすがにこのままバイクで学校まで参上するわけにもいかず、正確な場所を確認してから少し離れた区役所の駐輪場にバイクを乗り入れ、そこからブラブラと歩いていった。それでも校門の前にたどり着いたのは集合の予定より随分早い時間だった。


「ちょっと早えけど、いいんだよな?」

 僕は涼を振り返った。

 しかし涼から返ってきたのはチカラのない声というか、ため息だけ……。

 僕はそっと肩を竦めると校舎の方に向かって歩き出した。


〈それにしても……ドコに行ったらいいんだ?〉

 いつなら坂杉や酒井が先に来ているから、奴らのあとについていけば間違いがない。しかし今日に限ってはめずらしく僕らの方が先に着いてしまった。


「よお――。なんか喋れよ」

 僕は頼りにならない涼を一瞥すると、少し尖った声で言った。

 しかし返ってきたのはやっぱりため息だけ……。

〈ダメだな、こりゃ……〉

 呆れて思わず首を振った。

 すると校舎の入り口付近に揃いのジャージを着た女の子たちがいるのが見えた。

 彼女たちも僕らに気付いたらしく、顔を見合わせて何か言葉を交わすと、そのうちの一人がコチラに向かって駆けだしてきた。



 駆け寄ってきた小柄な女の子は息を弾ませながら「茅ヶ崎湘洋高校の方ですか?」と尋ねてきた。


「……あい。」

 音程の外れた僕の返事に彼女はにっこりと笑った。そして「お待ちしてました」と朗らかな声で言った。

 黒いジャージ姿の女の子たちは綾南ココのマネージャーだった。


「今日はよろしくお願いしますね」

 彼女はそう言うと校舎の方に手を伸ばした。「更衣室まで案内しますね。コチラです――」



 案内してくれたそのマネージャーはよくしゃべる娘だった。

 しかしその相手をしていたのは僕だけ。涼も一緒にいたのだが、ヤツは焦点の合わない目で遠くを見ているだけだった。



「――茅ヶ崎からだとどのくらいで来れるんですか?」

「バイクで三十分くらいスかね」

「え。オートバイで来たんですか?」

 彼女はわざとらしいくらい大袈裟に驚いた。

綾南ウチは厳しいんで……絶対にありえないですね」

 そう言って何度も首をひねった。





「コチラです――」

 案内された更衣室は一階の一番端の教室だった。


「それじゃ、なにかあったら言ってくださいね。わたしたちはさっきのところにいますので――」

 彼女はそう言うと踵を返し、さっきと同じように走っていってしまった。







***


 

 僕らが着替え終わってからしばらくして、茅ヶ崎湘洋野球部の面々が続々と集まりはじめた。僕と涼が一番乗りで、しかもユニフォームに着替え終わっていることに、奴らは驚いたようすだった。



「ナンかあったのか?」

 坂杉が歩み寄ってきた。

 声をひそめるように言った坂杉の視線の先、そこには涼がいた。

「さあ? ハラでも減ってるんじゃね?」

 僕は適当な言葉でごまかした。

「え。誰がハラ減ってるって?」

 俊夫がなぜか僕の言葉に反応した。

 僕は手で払うようにして、奴が話の輪に入ってこようとしたのを拒絶した。俊夫が混ざると話がややこしくなる、というか大きくなるような気がするし。


 それにしても……涼は一〇分くらい前から同じ体勢のままだ。幽体離脱でもしてるんじゃないかと心配になってくる。


 ここに来る途中で涼は立ちゴケした。信号待ちのときに、立て続けに二回も。

 さっきから項垂れているのは、おそらく立ちゴケしたときにカウルに大きなキズがついたから。

 こういうときはそっとしといてやるのが一番だと思う。


「それより綾南って強いのか?」

 大して興味があった訳じゃなかったが、一応尋ねた。

「強くはねえと思うよ。県大会にも出てこなかったしな」

 坂杉もよくは知らないらしい。



「じゃ、そろそろ行くべか」

 僕は立ち上がってグラウンドコートを羽織った。


 教室を出ると、いつものように僕の右隣に俊夫、左には坂杉が示し合わせたわけではないのに歩み寄ってきた。

「――今日は期待できそうな気がする」

 俊夫が僕の肩越しに声をかけてきた。僕は黙って頷いた。


 軽く一礼してグラウンドへ入る。

 それは試合に臨む僕ら三人にとって緊張の瞬間でもあった。

 とくに今日は、僕らが使う三塁側のベンチへは、一塁ベンチの前を通らないと行けない――。




「よお。見た?」

 三塁側のベンチにたどり着いたところで俊夫が言った。小さな声で、笑みを浮かべて。

「当然。審査委員長・・・・・は?」

 僕はそう言って坂杉を振り返った。

 坂杉は満足そうに頷くと「九十六点」と低い声で呟いた。

「おお~。」

 最終戦に飛び出した今年の『最高得点』に僕と俊夫は声を揃えて拍手した。


 僕らの視線の先、綾南のベンチにはマネージャーとおぼしき女子が四人いる。

 その中に一人、あきらかに可愛い娘がいた。ちなみに僕らを案内してくれた娘ではない。


「久々のヒットだろ。大船西の娘に匹敵すんべ?」

「いや。間違いなく今年の一番だな」

「いやいや、オレのデータによるとだな――」

「――なんの話?」

 振り返ると、ウチのマネージャーが立っていた。

 彼女がいつからいたのか気付かなかったが、話の内容は聞かれていないらしい。


「いや……なんでもないっスよ」

 僕らは一様に微妙な愛想笑いを浮かべると、蜘蛛の子を散らすようにその場から立ち去った。彼女の訝る視線には気付かないフリをして。


 ウチの今年マネージャーは不細工だった。それは疑いようがない。去年の高橋先輩がキレイな人だった分、そのギャップは大きすぎた。

 もちろんマネージャーの容姿で野球が強くなったり弱くなったりすることはない。しかし間違いなく選手の士気には影響する。

 そこで僕らはそれを対戦相手に求めた。

 いまの僕らにとっては、対戦相手のマネージャーを見るコトが試合の楽しみのひとつでもあった。



 試合前の練習が終わり、ベンチ前に集合する。

 いつものように納村が『どこかで聞いたことのあるような訓示』を垂れはじめる。それに続いて先発メンバーが発表される。


 ふと綾南ベンチへ目を向けた。

 アッチも先発メンバーが発表されているらしく、選手たちはコチラに背を向けているが……ユニフォームの着こなしを見ただけでもあまり強くなさそうなカンジがする。

「……?」

 綾南のマネージャーの一人、あの可愛い娘がコチラを見ていた。僕と目があった瞬間、どちらからともなく軽く会釈した。

「――おい! 杉浦!」

 納村の声に振り返った。

「ちゃんと返事をしろよ。七番・一塁ファーストだ――」



 その日、僕は高校に入って初めてのスタメンに選ばれていた。









***



「なんだよ。杉浦おまえってアシ速ええのな」

「べつに……フツウだべ?」

 坂杉が呆れたように呟いた言葉を僕は軽く聞き流した。



 高校に入って初のスタメンとなったこの試合は、11-2でウチが勝った。

 僕個人としては、五打数四安打一打点、そして四盗塁を記録していた。

 もともと走るのは速い方だった。

 ただ中学のときにはもっと速いヤツがいたし、ポジション的にも高いレベルの走塁を求められていないみたいだったので、披露する機会がなかっただけ。

 フツウに試合に出てれば「まあ、このくらいは……」てカンジだ。



「じゃ、外で待ってるからよ」

 先に着替え終わった酒井は、僕らに声を掛けて一足先に教室を出て行った。

 今年の最終戦が終わった今日は、反省会の名の下にメシを食いにいくことに決まっていた。

 二週間くらい前から決まってたコトだったが、実は今日はコレを楽しみにしていた。なにしろ今日は邪魔が入らないハズだから安心だ。




「おお、遅えぞ!」

 先に外に出ていた酒井が声を張り上げた。

 酒井は校門の前で綾南のマネージャー二人とナニかを話していた。そこにはあの可愛い娘もいた。

「彼女たちも一緒に行くからさ!」

 そう言った酒井ははちきれんばかりの笑顔だった。



 取りあえず僕らは駅に向かって歩き始めた。

 酒井は綾南のマネージャーと何かを話しながら先頭を歩いていた。彼のあんなに和らいだ表情を見るのは初めてのことだった。見ているコッチも思わず頬が弛んで――。 

「お前見過ぎ」

 ニヤケ顔の俊夫が僕の耳元で呟いた。

「あ? べつに見てねーよ」

 僕は俊夫の尻に軽く蹴りをいれた。


 綾南の可愛い方のマネージャー。

 彼女とは試合中にも何度か目があった。特別な意識があった訳じゃないけど、それだけ目が合うと、気にならないワケでもなくなってくる。

 彼女は澤井杏子と言った。

 物静かなカンジの娘だった。妙に落ち着いているというか……大人びているといった方がいいのかもしれない。



 僕らは駅に近いファミレスに来ていた。

 いつもよりも大人数の今日、全員が揃って座れるのはファミレスくらいしか思いつかなかった。



「――でもよ、納村のヤツ、ナンカ知らねえけど怒ってたぞ。『アイツの暴走は何とかならんか』とか言ってよ」

 渋谷が僕に向かって言った。

「暴走? 好走塁の間違いだべ」僕は鼻で笑った。

「納村はそう言う奴なんだよ。」

 僕の言葉に坂杉が反応した。「チームの和がどうこうとか、すぐに言い出すんだよ。なあ?」

 坂杉は俊夫に話を振った。

 しかし俊夫は相変わらずその話題に触れたがらないようで――。


以前まえから気になってたんだけどさ、俊夫おまえ、ナニやっちゃったの?」

 俊夫の肩に手をかけたが、俊夫は憮然として顔を背けた。

俊夫コイツは納村に嫌われちゃったんだよ」坂杉が答えた。そしてゆっくりと喋りだした。

 

「去年の春の県大会にさ、一年ではコイツ一人だけがベンチ入りしたんだよ。 それで確か……あれは二回戦だったよな? コイツがスタメンで出てて……え~と、三回くらいだっけか? ランナーを三塁に置いてコイツにまわったんだよ。そしたらさ――」

 坂杉は勿体ぶるように間を取った。そして低い声で言った。「ホームラン打ちやがったんだ……スクイズのサインを見落として――」


「ほう。スゴイじゃん」

 僕は感心した。やっぱり俊夫は勝負強い打者なんだな、と。

 ところで……俊夫が干された理由は?

「で……?」

 僕はムリヤリ笑みを浮かべ、坂杉の言葉を催促した。

「いや、だからよぉ……ちゃんと聞いてたか? スクイズのサインを見落としたんだよ」

「でもホームラン打ったんだべ?」 

 じゃ、いいじゃん。僕は言ったが、同調してくれるヒトはいないようだ。


「……まあそれは置いといてよ。ナンかそのあとに揉めたんだよな? 三年の奴らと」

「なんで?」僕としてはそっちの方が興味がある……なんとなく。

「知らんがな」

 俊夫はカラになったグラスの氷を口に含み、ガリガリと音を立てて噛み砕いた。

「ま、結局は納村が仲裁に入ったんだが――」

「仲裁じゃねえだろ。説教されてハズされただけべよ」

 俊夫は坂杉の言葉を遮り、吐き捨てるように言った。

「ま、とにかくよ、アイツの言うチームワークってのは『ジコギセイの精神』ってことらしいから、ベンチの指示通りに動かないヤツは嫌いなんだよ。指示を出す前に動く奴もな」

 坂杉は力強く拳を握りしめた。



「ちょ~、お前らいい加減にしろよ!」


 珍しく話の輪に参加していなかった酒井が声を上げた。

 酒井は腰を上げ、僕らに向かってこんこんと説教を垂れた。「――つうことで、ココからはいっさい野球の話はナシ!」

「平気ですよ。私たち野球部のマネージャーですから、一応」

 一人の娘が笑った。杏子ではない方が。


「でも杉浦くんって本当に走るの速かったですよね。ずっと杏子さんと話してたんですよ」

「え、オレ……スか?」僕は自分を指さした。

 綾南のマネージャーの口から唐突に出た僕の名前……何で名前を知ってるんだ?

「あ、私たちスコアつけてたので……」

 僕が怪訝そうな顔をしたのがわかったのだろう。彼女は補足するように言った。その隣では杏子がクスクスと笑っている。


 また顔を覗かせた自意識過剰の悪い癖。

 スコアブックをつけてたのなら僕の名前を知っててもおかしくない……。

 僕はバツの悪さをごまかすように首を巡らせて……店内の壁に掛かった時計に目が留まった。


「げ!……やべえ。涼、帰えんぞ!」

 僕は涼の肩を叩くと、バッグを掴んで立ち上がった。時計は四時五十分を既にまわっていた。


「何だよ。帰えんのか?」

「おお、役所にバイク停めて来ちゃったんだよ」

 僕はそう言いながら、財布から千円札を取りだした。

「これで足りんべ……明日、絶対・・にお釣りくれよな」

 僕は念を押すように言ってから酒井に千円札を手渡し、出口に向かって歩き出した。


「じゃ、杉浦クン。またね――」


 振り返ると、澤井杏子が小さく手を振っていた。

 僕は軽くアタマを下げると、涼を引き連れて店を出た。



 澤井杏子――。

 結局、彼女とは言葉を交わすことはなかった。

 カンジのいい娘だったので惜しいような気もするが……ま、そんなもんだろ。

 


「涼……走るぞ。」

 駅に向かう人の流れと反対方向に、僕らは全力で走り出した。




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