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【004】 二つの顔

「何、ぼぉ~っとしてんだよ?」

 声に顔を上げると、坂杉が怪訝そうに僕を眺めていた。


 僕は脱いだばかりのユニフォームを手にしたまま呆けていた。

 泥ひとつ付いてないキレイなままのユニフォーム……とても試合後のモノとは思えない。



 新チームになってから、公式戦三試合を含めてここまで八試合を消化している。

 しかし県大会出場を決めた『デビュー戦』以降、僕の出場は代打として二回、打席に立っただけ。

 通算成績は、八打席で七打数六安打四打点、一四球、一本塁打。

 我ながら立派すぎるくらいの数字だと思うのだが、あまり出場機会には恵まれていない。出番に恵まれないと言えばもう一人、この男も――。


俊夫オマエのユニフォームってホント、キレイだよな?」

 自虐も込めて言った。

「お前にだけは言われたくねえ。」

 そう答えた俊夫は半ばキレ気味だ。

 出番がなくてカリカリしているのはコイツも同じようだ。



 今日の試合もずっとベンチだった。

 試合中に何度か、納村の前でこれ見よがしに素振りをしたりしてみた。しかし納村の目には僕が映っていないかのように完全に無視を決め込まれた。

 あの日交わした熱い握手はいったい何だったのか……?

 それを思い出すたびに、寂しさと苛立ちが交錯して……そして最後にはいつも同じ結論に行き着く。

 試合に出たい――。

 それはどこか飢え・・にも似た感覚で――。


――ギュルルルルゥゥ……


 ハラが鳴った。

 そういえば、さっきから僕のハラは地鳴りのような音を響かせていた。


「あ~、マジでハラへった。なんか食ってくべよ?」

 ユニフォームをバッグに押し込めながら、僕は誰に言うでもなく、うわごとのように呟いた。 


「おお、確かこのへんに、美味いトンカツ屋があったべ」

 そう言ったのは酒井だった。

 ヤツは非常にレスポンスのいい男だった。そして食い物の話に関しては誰よりも頼りになる男だった。


 

 酒井の言うトンカツ屋は、二つ手前の駅を降りたところにあるという。

 しかし土地勘のない僕にとっては、それがどの辺りにあるのか、まったく見当がつかなかった。もっとも今いる場所がドコなのかも判らなかったが。





「――しっかし、何度見ても杉浦オマエのスイングって速えーよな、マジで」

 酒井が呆れたように呟いたが、素振りを褒められたって嬉しくも何ともない。

「そんなことはどうでもいいんだけどよ。ナンで出らんねえんだよ、オレと俊夫は」

 苛立ちをかみ殺して言った。

 僕の言葉に俊夫は無反応だったが、他の奴らは顔を見合わせて曖昧な笑みを浮かべた……イヤな感じだ。 


「俊夫は……まあ、ほとぼりが冷めるまでもうちょっと時間がかかるんじゃね?」

 渋谷がニヤついた顔のまま言った。

「なんだよ、ホトボリって?」

「そっか。杉浦おまえは知らないんだな。俊夫コイツさ――」

 俊夫は右の手のひらを開いて、渋谷の言葉を制した。


「ま、俊夫はともかく、杉浦の場合は明桜カラー・・・・・が抜けるまでは代打専門こんなカンジなんじゃねえか」

 坂杉が言った。

「なんだよ、それ」

「納村は嫌いなんだよな、そういうの」

 坂杉はそう応えたが、僕には意味がわからない。

 それにその意見には異論がある。

 断じて明桜のいろ・・・・・には染まってはいない。それだけは自信を持って言えた。


「あ。杉浦――」

「あ?」

 酒井の声に顔を上げると、ヤツは校門の方にアゴを向けた。

「……――――!」

 そこには僕のよく知る女の子の姿があった。というよりも、いっつもナニしに来るんだ……?


「――そんじゃ、杉浦キミはここで」

 酒井は意味ありげに口許を歪めると、大きく頷きながら僕の肩を叩いた。

「じゃ、俺たちはトンカツ食ってくるから。サイナラ」

 俊夫が親指を立ててそう言うと、それに続いて坂杉と渋谷も、立ち止まった僕の肩をポンポンと叩いて追い越していった。

 そして……みんな行ってしまった。


〈マジかよ……オレのトンカツ……〉

 いつか見たことのある光景――。

 それはまるでデジャヴュを見ているようで、僕はただ呆然と立ちつくした。


 彼女はそんな『独り取り残された僕』を不思議そうに見つめていた。


 




***



「なんだかんだ言って勝ってることが多いよね?」

 麻衣子が呟いた。


 練習試合の帰り道、なぜか僕の隣を歩く麻衣子の姿……。

 僕自身としては、今の僕らの状況をどう考えたらいいのか……首を捻るばかりだ。


「いつから?」

 僕が言うと、彼女は不思議そうに顔を上げた。

「あ……いや、いつから見てたのかな、と思ってさ」

 僕は言葉を補足するようにいった。

 すると彼女は「杉浦が打ったところ……かな?」

 そう言って笑顔を見せた。


「いや……出てないんスけど、オレ」

「え。」

 彼女は一瞬、絶句した。そして「見まちがい……かな?」と呟くと、頻りに首を傾げた。


 適当な女だ。

 つまりほとんど見てなかった、ってことなんだろうな。



 まだ高橋先輩がいた頃は、練習試合の帰りなどに彼女のバイト先に寄ることもたびたびあった。

 しかし高橋先輩がいなくなった今、そこに行く理由なんてあるわけがない。 

 僕らをつないでいたのは間違いなく高橋先輩の存在だった。彼女がいなくなれば麻衣子と会うことも多分なくなるんだろうと、フツウに考えていたのだが――

 いまでは麻衣子の方から来るようになった。それも試合会場にまで。もちろん毎試合ではなかったが。

 そんなわけで今でも僕らが一緒にいることは少なくはない。寧ろ以前より増えているように感じるのは気のせいではないはずだ。

 それにしても、僕がチームの奴らとナニかを食いに行こうとすると、どういうワケか必ず邪魔が入るような気がする……なんでなんだ?



「まだ……肩、痛いの?」

 麻衣子は言った、少し遠慮がちに。

 僕が「痛くはない」と応えると、それ以上彼女は何も聞いてこなかった。じゃあなんで試合に出ないのか? と思っていたのかも知れないが。


――ギュルルルルゥゥ……


 そのとき、僕のハラが地鳴りのような音を立てた。

 すると麻衣子は一瞬、びっくりしたようにコチラを振り返った。しかし音の正体に気付くと声を上げて笑いだした。


〈……ハラが鳴ってナニが悪いっつうんだ〉

 冷ややかな目で彼女を睨んだ。

 しかし彼女はそんな僕の視線にまったく気が付かない、というかナンというか……こういう笑い方をすることもあるんだな。

〈まあいいや〉

 僕は彼女に気付かれないように小さく息を吐いた。



「――何か食べて帰ろうよ」

 やがて笑い飽きた彼女が呟いた。

「お腹すいてるんでしょ?」

 そう言った彼女の目元にはまだ笑みが残っている。


「奢ってくれるのか?」

 僕は鼻で笑った。

「逆でしょ? フツウ」

 彼女は意に介さないようだった。



 結局、僕の熱烈なリクエストで、七里ガ浜のカレー屋に行くことになった。

 そこからは麻衣子の家までも近い。

 食べてから彼女を家まで送って行ってやるにはちょうどいい、と僕は思っていた。



 六時過ぎに店に着いたときには既に満席で、数人が席が空くのを列を作って待っていた。

 僕らはその最後尾でメニューを受け取った。



「混んでるね?」

 麻衣子が小声で言った。

「そうだな」

 僕はメニューを一瞥すると麻衣子に渡した。

「……どうせまたビーフカレーでしょ。ホントにいつも同じだよね」

 彼女は蔑むような目で僕を見ると、メニューに視線を落とした。程なく彼女も決まったようで、開いていたメニューを静かに閉じた。


 しばらくして席が空き、僕らは案内された。

 テラス席もテーブル席もいっぱいだったので、カウンター席に並んで座った。



 すると、隣り合って座った麻衣子が突然スプーンを握り、僕の口元に近づけてきた。

「スギウラ選手! 今年のチームはどのくらいまで行けそうですか?」

 まるでマイクに見たてたように……何のマネだ?

「はあ……ナンなの?」

 僕は敢えて惚けた声で言った。

 すると彼女は拗ねたように頬を膨らませた。

「……ノリが悪いなあ。オタクの学校はどのくらい勝てそうなんですか?」

「来年の夏?」

 彼女は強く頷いた。



 地区予選で強豪を破って、駒を進めた秋季県大会。

 しかし、初戦で公立の高校にあっさり破れた。

 その試合、三連続タイムリーエラーというモノを僕は初めて見た。

 勢いに乗ったときの攻撃力の高さと、守勢に回ったときの切ないくらいの脆さ……このチームに同居する二つの顔。それを目の当たりにした。



「まあ、組み合わせにもよるけど……いいトコ二つか三つだろ。それ以上は……運しだいだな」

 僕は至って冷静に、客観的に、現実的に答えた。

 奇跡がそうそう起こらないということは、コレまでの経験から身に染みてもいたし。


「ええ……。低いなあ……志が低すぎるよ、それじゃ……」

 麻衣子は呻くように言った。

「でもそんなモンだぞ? 現実っつうのはよ」

「え~、十コぐらい勝って優勝するよ! とかいえないの? 二、三コって……やる前から随分弱気じゃない」

 麻衣子は捲し立てたが、そもそも彼女は野球を知らない。

 ついでに言うなら、県大会は最大でも八試合しかないってことも。


「ま、いくつ勝てるかはともかくとして――」

 水の入ったグラスを口に付けた。

「取りあえずいい負け方したいな。完全燃焼っていうか、悔いの残らない負け方。まあ、やる前から弱気なんだけどな?」

 僕はいいながら口許が弛むのを感じた。

 あまりにも現実的に考えている自分がどこか可笑しかった。しかし――

「いいんじゃない。それは弱気とは違うと思うけど」

 麻衣子は微笑んだ。

 ナニが違うのか今ひとつ判らなかったが、彼女が納得してくれたのであればそれはそれでいい。



 やがて店を出た僕らは、国道を避け、踏切を通り過ぎて住宅街の坂を上り始めた。

 ここから二十分ぐらい歩けば彼女の家がある。高橋先輩の家もすぐ近くにあるハズだった。


  

「……亜希先輩がいなくなって、寂しい?」

 彼女は並んで歩く僕を見上げて呟いた。


「まあ……寂しいっちゃあ寂しいけど、解放感の方が大きいな」

 僕は視線を前の方に向けたまま、大きくノビをした。

「なるほど……解放感、ね」

 麻衣子は僕の言葉の一部を反芻して小さく頷くと「報告しなきゃ。亜希先輩に」と言って舌を出した。

「寂しいって方を強調しとけよな」僕は小さく笑みを返した。



 宵闇に包まれ始めた静かな住宅街には、僕らの靴音だけが響いていた。

 振り返ると、眼下には国道を行き交うクルマのライトと、その向こうには漆黒の海が広がっている。 



「杉浦ってさあ……亜希先輩のこと好きでしょ?」

 突然、彼女が呟いた。

「はあ?」

「隠さなくたっていいじゃない。見てればわかるし」

 僕はそう言った彼女の横顔を盗み見た。

 口許には微かな笑みを浮かべているが……彼女の言葉の深意は判りかねる。

「別に……隠してるもなにもないけどな」

 そう言って僕は意味もなくバッグを左の肩に掛け直した。


 麻衣子はナニも言葉を返しては来なかった。

 視界の端に映った彼女は、ただ小さく首を傾げただけだった。





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