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【016】 Last inning


「キミは薄情な奴だよねえ……」

 隣を歩いていた高橋先輩が僕を横目で見て呟いた。

「なんスか……イキナリ」

「キミだけよ。涙を見せなかったのは」

 そう言った彼女だったが、それほど僕への非難が含まれているカンジではなかった。



 空は抜けるような青さだった。

 真っ青な夏の空は眩しすぎた。ナミダが出そうになるくらいに。

 川崎と聞くと、僕の中では工業地帯のイメージがある。現に僕の通うクリニックの周りは大きな工場ばかりだったし。

 しかし多摩川に近いこの球場の周りには緑があふれていた。

 もし別の機会にココを訪れていたら、多分もっと爽快な気分に浸れたんだろうな――。




***



 その日、彼女の涙を初めて見た。


 県大会三回戦に臨んだ茅ヶ崎湘洋高校は、善戦虚しく四対五xでサヨナラ負けを喫した。

 両チームともに決め手を欠いたまま延長戦にまでもつれ込んだこの試合、十二回のオモテにウチがいったん勝ち越したものの、エース酒井があと1イニングを踏ん張りきれなかった。

 そのウラ、相手校の選手が相次いでホームを駆け抜けた瞬間に先輩たちの夏は静かに幕を下ろした。 


 僕は不思議な気持ちでグラウンドを見つめていた。

 中学のときの先輩は、最後まで勝ち続けたまま引退していった。

 一年前、僕のいた学校は甲子園出場を果たしている……とは言っても僕が学校を辞めた後の話だったが。

 それはともかく、夏の大会に限って言えば、先輩たち・・・・が負ける姿を見たのはコレが初めてのことだった。



 試合後、球場の横のヘンな銅像の下に集まり、最後のミーティングが行われた。


 監督の納村に続いて挨拶した主将の石黒先輩は号泣していた。

 この試合も三塁のベースコーチを努め、結局最後まで出場機会を与えられなかった彼の無念さ――それを考えると居たたまれない気持ちになる。

 嗚咽を漏らし言葉にならない彼から、僕はそっと視線をハズした。

 ずっとスタンドから見守るだけだった僕が、彼らの悔しい気持ちの全部・・を理解するのはムリかもしれない。

 ただ、明日からは先輩たちがいないと考えるととても寂しかった。彼女がいないと考えると胸が締め付けられるような、言いようのない気持ちになった。

 


***



 球場のバス停は混雑していた。

 高橋先輩はバス停に立ち寄ろうとはしなかった。

 僕は彼女のあとを追った。対戦相手の学校の人たちと一緒のバスに乗るのは、僕としても多少の抵抗があったし。

 

 斜め前を歩く彼女の背中は、いつもより更に小さく見える。その足取りも心なしか重そうで――。


「……今日は聞かないんスね?」

 府中街道に出たところで僕は口を開いた。  

「何を?」

 高橋先輩は立ち止まり、僕の方へ振り向いた。まだ少し赤くなってる目元が僕の胸を締め付ける。

「試合の感想ス。いつも聞くじゃないスか」

「ああ……」

 彼女は何も答えず、再び歩き出した。




 僕は彼女の後ろ姿を見守るように数歩下がった後ろを歩いている。 

 昨年の入部以来、僕は試合のたびにこうして彼女のお供をし、試合の感想を聞かれるままに話した。

 野球を辞めるという僕の頑なな心を解きほぐしてくれたのは紛れもなく彼女だったし、彼女がいなければ今の僕もありえなかった。

 ただそんな僕らの関係も今日で終わり。

 武蔵小杉駅から東急東横線で横浜へ、そこから東海道線に乗る。

 そして……彼女とは大船でサヨナラ――。



 マネージャーと助手・・の関係をとったら、僕らには何も残らない。

 そんなことはとっくに気が付いていた。

 気が付いていたと言えば、僕にとってのゲームセットの瞬間も確実に近付いているってことも。

 自分の正直な気持ち――。

 それを伝えるチャンスをみすみす逃し続けてきた僕にとって、今日を逃したらチャンスは二度と来ないような気がしていた。





 横浜駅のコンコースは平日の昼間だというのに混雑していた。

 行き交う人の波に呑まれて、前を歩く彼女を見失いそうになる……僕は彼女の腕を掴んだ。反射的に彼女の細い腕を強く掴んでいた。

 彼女は驚いたように振り返った。


「痛いんだけど」

 彼女は眉を顰め、腕を指さした。

「あ。」

 慌てて手を離した。


「――ったく、体育会系の男はコレだから……」

 彼女は笑みを浮かべながら僕を睨んだ。


「いや、先輩が迷子になりそうだったんで、つい――」

「そんなわけないでしょ」

 彼女は鼻で笑った。




「でも……先輩でも泣くことあるんだなあ」

 僕は独り言のように呟いた。

 彼女はムキになって何かを言い返してきたが、それを制して僕は言葉を続けた。

「だから今日は送っていきますよ。泣き顔のまま、『じゃ。』ってワケにもいかないし」

 僕は軽く手を掲げるポーズをした。

 彼女はさっきよりも更に驚いたように目を見開いていた。

 しばらくして、その表情が淡い笑みにかわると、上目遣いで僕を見上げた。


「……生意気、言うようになったじゃない」

 彼女は笑みを浮かべたまま、僕の胸を軽く小突いた。「――――」続けて何かを呟いた。


 だけどその言葉は駅の雑踏にまぎれて、僕の耳に届くことはなかった。





第二章(終)

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