【006】 Skin-Head
あれから一週間――。
先週と同じく、僕は藤沢駅で高橋先輩を待っていた。
今日の試合会場は先週のような『私学のグラウンド』じゃなく、ちゃんとした『球場』らしい。
小田急線の桜ヶ丘駅から少し歩いたところにあるらしいが、その駅がドコにあるのかは僕には皆目見当がつかない。だから僕は黙ってみんなについていく以外にない。
「え。……どうしたのぉ?」
僕より少し遅れてやってきた高橋先輩は、僕を見るとそう言って目を丸くした。
「いえ。……ただの気分転換ス」
興味津々な彼女の視線を避けるように、僕はすっかりイメチェンしたアタマに手をやった。
今日の午前中、僕は学校を休んで『髪』を染めにいった。
しかし……店のジジイが「髪が傷む」と大げさに脅かすモンだから『染める』ことは断念した。代わりに金髪の部分を『切る』ことにした……結局はほとんど剃ったのと変わらない感じになってしまった。
「まあ、いいんじゃないの?」
高橋先輩は笑いを堪えきれないみたいだったが、僕としては金髪のときの方が違和感があったので、これはこれでまあいいかっていう気がしていた。
「じゃ、行こっか」
彼女はそう言って僕の肩をポンポンと軽く叩いた。
「え。他の皆さんは?」
「ウチは基本、現地集合、現地解散だから」
当たり前のように彼女は言った。
***
「――ええ! どうしたんだよ?!」
球場が見えてきたころ、背後からそんな声が聞こえてきた。
振りかえると、坂杉が大口を開けて突っ立っていた。
「……なにがよ?」
僕はため息を吐きつつ惚けてそう言うと、彼は僕のアタマを指さした。
「ああ……似合ってんだろ?」
僕は顔を背け、素っ気なく言った。
さっきから顔を合わせた人がみんな「なんかあったのか……?」と同じコトを訊いてくるモンだから、僕としてもいい加減うんざりしていた。
だいたい野球部員にとっては坊主なんか珍しくもなんともないだろう……と思ったが、そういえばなぜかコイツらは坊主じゃない。
「――ええ!!」
〈今度は誰だよ……〉
振り返ると酒井が僕のアタマを凝視して絶句していた。でも絶句したいのは寧ろ僕の方だと思った。
球場にパラパラと集まり始めた茅ヶ崎湘洋高校の面々――。
野球部員ではない僕は少し離れた壁にもたれかかって、彼らの方を眺めていた。
明桜学園では試合の移動はいつも専用バスだった。
専用のバスを持たない公立校が電車で移動するのは理解できるが、試合会場にバラバラで行くことの意味が僕にはよくわからなかった。
学校が休みだった先週はともかく、今日はさっきまで学校にいたはず。一緒に来た方が自然だと思うのだが……ひょっとしてコイツらは仲が悪いのか?
そんなことを考えていると坂杉と目があった。
彼は一瞬白い歯を見せると、輪から離れてこっちに向かって歩いてきた。僕は右手はポケットに入れたまま心もち斜に構えた。
「よろしく――。俺、キャッチャーなんだ」
僕の前までやって来た坂杉は躊躇いがちに右手を出してきた。
まるで僕がピッチャーだということを知っているような口ぶりに若干の違和感を覚えたが、コイツの言うことに意味なんかあるとは思えない。
取りあえず僕も右手を差しだし握手に応じた……確実に外濠が埋まっていく気配を感じながら。
「一緒に甲子園に行こうぜ!」
坂杉はそう言って握った手にチカラを込めてきた。
「はあ?」
〈ナニを言ってるんだ? コイツは〉
冗談で言ってるのかと思ったが、坂杉は真顔だった。
僕はココのチームのことをそれほどよく知っているワケではないが、ソレが実現可能な夢ではないということは断言できた。
しかし……あまりにも真剣な坂杉の表情に思わず目を逸らした。そして僕は堪えきれずに軽く吹き出した。
それを見た坂杉は爽やかな笑顔のまま頷くと、握った手に更にチカラを込めてきた。僕の失笑を好意的な微笑みと勘違いしてるらしい――。
そこにクラクションとともに一台のバスが入ってきた。
バスは僕らの目の前を通り過ぎると、球場の選手用出入口の付近で停まった。
車体の側面には『北相学園櫻陰高等学校』の文字。専用バスで来るところが、やっぱり私学って感じだ。
二回戦の相手、優勝候補の櫻陰高校。
バスから降りてきた『テレビで見たことのあるクリーム色のユニホーム』の集団。
櫻陰の選手たちの表情は、さすがに強豪校らしくみんな落ち着き払っている。
彼らにとってはこの試合が初戦のハズだったが、そんな緊張感を微塵にも感じさせない――「ん?」
クリーム色のユニホームの中に、僕は見覚えのある顔をみつけた。
こっちに顔を向けて仲間と談笑している背の高い、なで肩の男――。
広瀬マルシオ。ブラジル人とのハーフ。
名前が珍しいというのもあってよく覚えていた。
きっと向こうも僕のことは覚えているだろう。おそらく……忘れようと思っても忘れられないんじゃないかな。確か僕より年齢は一つ上だったハズ……不意に、視線のさきの広瀬がこちらに背を向けた。
「ほお。アイツがエースなんだ……」
僕は思わず呟いた。
「なんか言ったか?」
坂杉が僕の独り言に反応して振り返った。
「ん? ああ……今日の相手、強いんだろ?」
「強いな。今年の本命だろうな」
僕の適当な問いかけにそう答えた坂杉はどこか他人事のようだった。
坂杉は本当の意味での私学との差を理解していないように思えた。
おそらく漠然と『私学は強い』と考えてるだけ……多分あんまり強い相手と試合をした経験がないんだろうな……。
「ま……期待して見さしてもらうわ」
僕は鼻を掻いた。
「おう、見せ場ぐらいは作るからよ!」
坂杉はそういって親指を立てた。
しかし……予想通りというかなんというか、試合はたいした見せ場もなく、五回コールド十二対〇。
櫻陰・広瀬の前に一安打無四球、手も足も出ない『完封負け』だった。
***
「――どう? 感想を聞かせてくれない?」
試合後、高橋先輩は、惨敗に肩を落とす『みんな』の前で僕にそう尋ねてきた。
「いや、残念だったな、と思いますけど?」
こんな完敗だった試合の感想……彼らを目の前にしては、さすがにコメントしづらい。
「違うわよ。広瀬を見た感想よ」
高橋先輩が厳しい視線を向けてきた。
広瀬を見た感想と言われても……取りあえず、僕は彼のことをよく憶えていた。
中学一年の全国大会、僕は広瀬と投げ合った。その試合、僕は参考記録ながらノーヒットノーランを達成し、打つ方でも広瀬から二本のホームランを放ち、チームのコールド勝ちに貢献している。 あれから三年――。
久しぶりに見た広瀬は、あの頃から大きく成長しているようには思えなかった。
だから今日の試合、本音としてはアノ程度のピッチャーをなんで打てないのか不思議だったし、何の工夫も見えない打線に苛立ちもした。
でもそんなことココじゃ言えないし、いう必要もない。
「まあ、意外と球は速い方、スかね? あとは……え~と、なんだろ……?」
なるべく当たり障りのない言葉をさがした。
「あの球を杉浦くんなら打てた? それが聞きたいのよ」
〈……なんでそんなことを訊くんだ? そんなに僕を悪者にしたいのか……?〉
「どう?」
高橋先輩は急きたてるように言った。
「いや……打席で見てないからよく判んないスよ……」
僕は遠慮気味に言葉を濁した。
「判る範囲でいいから。キミなら打てた?」
僕は心の中で舌打ちした。
彼女の意図がわからない。
ただ、何かに苛立っていることだけは間違いない。「――どう? 打てた?」
「……打てたんじゃないスかね」
僕は観念して呟いた。
彼女に煽られ続けた僕は半分ヤケになってしまっていた。
「スピードもそれほどないし、コントロールが抜群なわけでもないスから。それに球種が少ないから絞りやすいし……櫻陰のエースっていってもたいしたピッチャーじゃないスね――」
言い終えたとき、僕の周りだけ気温が下がってしまったような気がしたのは錯覚じゃないかもしれない。
僕は横目で野球部員を見た。
しかし彼らは僕の『感想』に対して怒っている様子はなかった。寧ろ彼らの目に、僕に対する同情のいろが一斉に浮かんだのを僕は見逃さなかった。
「――OK。それでよし」
高橋先輩は視線を幾分やわらげ、満足そうに頷いた。
「じゃ、アタシは帰るね。杉浦くん、行くわよ」
「え……」
〈喋らすだけ喋らせておいてフォローなしかよ……〉
僕は深くため息を吐くと『野球部員』たちに軽く頭を下げ、彼女のあとを追いかけた。
***
いま隣を歩く高橋先輩の横顔は穏やかな表情に戻っていた。
つい五分ほど前の『イラだった表情』が嘘だったかのようだ。
僕は考えていた。『彼女は何に苛立っていたんだろう』と。
確かに負け試合は気分のいいものではない。僕自身も負けることは大嫌いだからよくわかる。
今日の相手は強豪だった。
だけどスキがまったくないわけじゃなかった。先週の試合で見せたような泥臭さを発揮してればもう少し長い試合になった可能性は十分にあったのだ。
唯一のランナーを出した初回の攻撃もそう。アノ場面、僕だったら間違いなく――
〈……アホらしい……〉
自然に笑みがこぼれた。
僕は途中で考えることを辞めた。試合に出てない人間が結果を見て言うのは簡単なコトなんだ。
今日の試合、『苛立っていた』のは僕も同じだったみたいだ。
それは僕自身に対して、試合を見てるだけの歯痒い自分に対して……だったのかもしれない――。
「あの……先輩、来週あた――/ゴォォォ―――ォォォォ―――ォォォォッォォ/――ですが……」
僕は空を見上げた……。
しかし僕のコトバをかき消した飛行機の姿はもう見えなかった。
あとから知ったが、このすぐ近くに米軍基地があるらしい。
「……何かいった?」
高橋先輩は立ち止まり、首だけを僕の方に向けた。
「はい。来週ぐらいから練習に参加させてもらえたら、とか思いまして」
「え……本当――?!」
彼女は大袈裟に声を上げると、両手で僕の手を強く握りしめた。
さんざん迷っていたが、コレだけ喜んでもらえると『入部を決めてよかった』と思う。
誰かに必要とされてる……そう思えるだけで今の僕は充分だったし。
「それで……もう一人、連れてきたいヤツがいるんですけど」
もう一人、歯痒い男の顔を思い浮かべていた。
「ひょっとして……鈴木くん?」
「え。知ってたんですか?」
彼女は小さく頷いた。
「なんか……独りじゃ戻りにくいとか言ってましたので」
僕は言いながら、俊夫の拗ねたような表情を思い出して頬を弛めた。
「ふ~ん。もう気にすることなんかないのに……三年生は引退したんだし」
「……なんスか? それ」
僕は尋ねたが、彼女は何も答えずに笑顔ではぐらかした。
「それより……さっきは悪かったわね。みんなのまえであんなこと聞いちゃって」
そう言って彼女は遠くに視線を伸ばした。
「ああ、別にいいスよ。気にしてないスから」
大いに気にしていたが、今さらそれをいっても始まらない。
「今日の試合ね、もちろんチカラの差があったのは事実だけど、最初っから『名前負け』しちゃってるのが気に入らなかったのよ。先生も含めてね」
彼女はそういって唇を噛んだ。
「だからキミの言葉を聞いてみたかったの。打てないって言われたら困っちゃうトコだったけどね」
そういう意味ではキミの答えは合格です――彼女は指で○を作り、微笑んだ。
何度か会ってるうちに僕は気が付いた。
高橋亜希子という人は凄く負けず嫌いだということに。そして……どこか僕に似ているのかもしれないと。
***
小田急線の湘南台の駅に着いたところで高橋先輩は席を立った。
彼女は僕に向かってココで降りるように言った。
「え~と。ドコへ?」
「このあいだのファミレス。そろそろ麻衣のバイトが終わる頃だから」
〈だったら独りで行けばいいのに〉
そう思いながらも口には出せず、僕は彼女のあとについていった。
後輩の娘はまだバイト中だった。
「お茶でもしてこっか?」
「いや、いいです。この前も奢ってもらっちゃいましたし」
僕は彼女の申し出を断った。
「じゃあ、今日はご馳走してもらおうかな。それならいいでしょ?」
「え。」
「冗談よ。黙ってついてきなさい」
彼女はヒトサシ指で僕を促し、店内へ入っていった。
先週と同じ窓側の席に座ると、彼女はアイスコーヒーを、僕は冷緑茶をオーダーした。
しばらくして、高橋先輩が僕の顔を好奇な目で見ていることに気が付いた。
「……なんスか?」
僕の問いにも彼女は動じる様子もなく笑みを浮かべている。
「杉浦くんはさあ、麻衣子のことどう思う?」
「は?」
マイコって誰だ? さっきまでいたもう一人のマネージャーってそんな名前だったっけ……?
記憶を辿っていったが、どうしても思い出せなかった。
「マイコさんて……誰でしたっけ?」
僕が言うと、彼女は僕の背後を指さした。
振り返ると高橋先輩の後輩が歩いてくるところだった。彼女は僕を見て驚いたような顔をしていた。
僕はアタマに手をやりながら愛想笑いを浮かべた。
「杉浦くん。続きはまた――」
高橋先輩は笑みを浮かべたままそう言うと、伝票をつまんで立ち上がった。
後輩の娘は僕の方を向き少し首を傾げていたが、僕も曖昧に首を捻った。
結局この日も僕は高橋先輩に奢ってもらった。
丁重にお礼を言うと、彼女は「いつかご馳走してよね」と笑みを浮かべ、「もう一箇所、付き合って欲しいところがある」と言った。
奢られっぱなしの僕には彼女に従う以外の選択肢はなかった。
***
「あの……ドコまで行くんスか?」
「洋光台よ」
高橋先輩はにべもなく言った。
「ヨウコウダイ……? ドコですか?」
「ついてくればわかるわよ」
それ以上、高橋先輩は教えてくれなかった。
「……洋光台は、大船の先ですよ」
大船から三つ目ですよ。後輩の娘が代わりに教えてくれた。
「ありがとうございます」
僕は何となく敬語でお礼を言っていた。彼女は笑顔で応えてくれた。
藤沢駅で東海道線へ乗り換える。
いったん駅の外に出なくても東海道線へ乗り換えができることを、このとき初めて知った。でも口にはしなかった。
〈あれ……?〉
ここで江ノ電に乗り換えると思っていた後輩の娘が一緒についてきた……とは言っても僕の前を歩いているのだが。
「え~と。佐藤さんは江ノ電でしたよね?」
僕は聞いてみた。
高橋先輩は歩く速度を一切緩めず「麻衣も一緒なの。いいでしょ?」と言った。
後輩の娘は一瞬振り返り「……いいですか?」と僕の表情を窺うような素振りを見せた。
「……はあ。べつに問題ないス」
ドコに向かっているかわからない僕には問題がないのかどうかもわからなかった。