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【004】 Regrets & Sudden Change

 次の日、その次の日と、高橋先輩は僕の前に顔を出すことはなかった。

 あれだけ休み時間のたびに押しかけてきていたのに、潮が引いたようにぱったりと。

 だからといって別に淋しいってことはないけど、なんかあったんじゃないかと少しだけ心配にはなる。



 

 僕は教室の窓にもたれ、外を眺めていた。

 視界を遮るようなビルが周囲にないココから見る景色。東京から来た僕にはそれだけで充分新鮮な風景だった。



「よお。お前もやんねえ?」

 僕は声の方へ目をやった。

〈またコイツか〉

 最近やたらと僕に声をかけてくる素行の悪そうな男……鈴木俊夫っていうヤツ。

 本人は親しげな雰囲気を演出しているだけのかもしれないが、僕としてはいい迷惑だった。もともと馴れ馴れしくされるのはあまり好きじゃないし。


「麻雀。一人足りねえんだ」

「やらねえ。やり方知らねえし」

 僕はそう言うと窓を離れ、自分の席に戻った。

「それじゃあしょうがねえな」

 彼はそう言うと、僕のあとを追うようについてきた。


「なあ。お前、野球やってたんだって?」

〈コイツも野球の話かよ〉

 僕は舌打ちしそうになったが、何も答えず睡眠の体制に入った。

「そんな嫌そうな顔すんなよ。俺も野球部にいたんだよ、この間まで」

 僕は顔を上げた。

 笑みを湛えた俊夫の顔がすぐ近くにあった。

「……だからナニ?」

「お前、やんねえの? 野球」

 僕は少し棘のある言い方をしたつもりだったのだが、俊夫は意に介さないようで笑顔のまま質問をぶつけてくる。

 僕は彼に対して何とも言えない苛立ちを僕は覚えた。


――ガタッ


 僕はワザと大きな音を立てて立ち上がった。

「よお、ドコ行くんだよ?」

 僕は無言のまま『上』を指さした。



 僕は屋上を目指していた。

 階段を昇りきった屋上への出口付近は照明をおとしてあるため、そこだけが暗かった。

 近づいていくと暗がりの中で何かが点滅している――。

 目を懲らしてよく見ると、悪そうなのが数人が屯していた。点滅しているように見えたのは煙草の火だった。

 突然の部外者・・・の登場に、彼らは一瞬慌てた様子だったが、現れたのが教師でないことに気付くと立ち上がり凄んできた。


「ナンだ、おめぇ……あ!」

「あ。」


 そのなかに顔見知り・・・・を見つけた。

 このあいだ、僕に絡んできたヒトたちのうちの一人。名前は確か……『はしやん』とか呼ばれていた。

 僕は彼に向かって軽く会釈した。

「何だよ。橋本の知り合いかよ?」

 一番手前にいたヤツが呟くと、はしやんは少しの間をおいてから頷いた。

 よく見ると、はしやんの左の頬はまだ少し腫れていた。彼の自業自得だとはいえ少しだけ罪悪感を覚える。

「屋上……行きたいんスけど、いいスか?」

 僕は肩を窄めて扉を指さした。

 はしやんはコリをほぐすかのように大仰な仕草でクビを回すと、「ココは通行止めなんだが……特別に通してやんわ」と恩着せがましく言った。彼はちょっと偉そうだった。

「すいませんね」

 僕は中途半端な笑顔でそう言うと、刺すような視線を向ける彼らの間を通り抜けた。

 そして重いスチール製の扉を開いた――。

 その瞬間、外から吹き込んできた強い風はこの場所の澱んだ空気を洗い流してくれるようだった。




***


 思った通りだった。

 教室にいたってあれだけ眺めがいいんだから、屋上に行けばもっといいはずだと思っていた。

 ココから見ると海岸線が弧を描いたようになっているのがよくわかる。

 振り返ると北西の方向には丹沢山系の稜線が浮かび、その横には富士山が見える。


 僕は一段高くなった貯水槽の土台のコンクリートに腰を下ろすと、靴を脱いで足を投げ出した。

〈 願わくは誰もここに来ませんように 〉

 僕はここからの景色を独り占めしたい気分だった。

 そういう意味では、あの不良せんぱい方も門番がわりになってくれてちょうどいいのかもしれないな――。



 しばらくして、呆けていた僕を現実に引き戻すように昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。


 僕は立ち上がると、大きくノビをした。

 そして少し後ろ髪を引かれる思いでドアノブに手をかけた。


――ん? あれ……開かない……?

 

 力を込めて、ドアノブを捻ってみた。押したり引いたりしてみた。しかしビクともしない。

 どうやら閉め出しをくってしまったらしい。

「……あのヤロウだな」

 はしやんの腫れた顔を忌々しく思い浮かべた。同時に教頭の顔とありがたい説教オコトバを思い出した。

〈これは問題を起こしたってワケじゃないよな。不可抗力だし〉

 僕は冷静に今の状況を分析した結果、さっきの貯水槽のところへ戻った。

 そして靴を脱いで寝ころんだ。


 さっきまでの開放感はなくなっていた。代わりに虚しさのようなものを感じていた。

 わざわざ実家から離れてココに何しに来てるんだろ……?


 そんなことを考えながら目を閉じた。まもなく僕の意識は深い闇に取り込まれていった――。




***


「――コラ不良坊主、なにやってんの!」


 声に目を覚ました。

 するとそこには高橋先輩が立っていた。

「……アレ?」

「あれ、じゃないでしょ。教室に行ってもいないし。で、なにしてるの」

「いえ。べつに、なにも……」

 僕は閉め出された、とは言い出せなかった。


「……まあいいわ」 

 彼女は小さく息を吐いた。

「ちょっとアタシに付き合って」

 そう言うと僕の返事を待つこともなく歩き出した。



 僕は黙って彼女のあとについていった。

 階段を下りて、渡り廊下を通って……彼女が向かっている先がドコなのか、まったく見当がつかない。

「ドコ行くんスか?」

 僕は一応尋ねてみたが、彼女はこちらを横目で見ただけで何も答えてはくれなかった。



 二階の廊下の突き当たりのちょっと手前。ある部屋の前で彼女は立ち止まった。

 部屋の入口には『茶道部』と書かれている。

「入って」

 中は畳が敷いてあった。茶道部だから当たり前か。

「座って待っててネ」

 高橋先輩はそう言うとウインクして、部屋を出て行った。

「……」

 独り残された僕。

 部屋を見渡してみる。入口に茶道部と書いてあったはずだが、それらしきものはナニも置いてない。フツウの教室に畳を並べただけのインチキ臭い和室――



――ガチャ


 ドアが開く音がして僕は顔を上げた。

「――!!」

 入ってきたのは、見知らぬ強面の男だった。

 男は僕の動揺などお構いなしのようで、靴を脱ぎ散らかすと僕の前に胡座をかいた。そして黙ったまま腕を組むと、僕を睨みつけてきた。


「お前が、杉浦か?」 

 男は何の前触れもなく口を開いたが、ひと言発しただけでまた石のように固まってしまった。

〈誰……? コノヒト?〉

 人相はこの上なく悪い。多分、僕がいままで出会ってきた誰よりも。

 もしかして僕がぶん殴っちゃったヒトの仲間か? てことは……高橋先輩アノヒトもグルだったってことか?


――ガチャ


 高橋先輩が戻ってきた。

 僕は彼女に恨めしげな視線を送ったが、それにはまったく気付かないようで「はい、コレ」と言って、手にしていたトマトジュースを僕と男に差しだした。

「で、話聞いてくれた?」

 彼女は僕の方に向き直るとニッコリと笑ってそう言ったが、僕には話が全く見えていない。

「……ナンのですか?」

 僕は首を傾げた。


――ちっ。 


〈え?〉

 僕は耳を疑った。彼女が舌打ちした……?

「ちょっとアンタ何しにきたのよ。アンタが話をしたいっていうから探し出して連れてきたってのに!」

 彼女はそう言って、岩のような男を睨みつけると、その後も容赦ない言葉を彼に浴びせ続けた。


 高橋先輩は豹変した……。

 いま僕の目の前にいる高橋先輩は、昨日までの彼女とは明らかに違うヒトだった。 

 僕は呆然としたままそれを眺めていた。まだ事情が呑み込めていない。


「……あ、ゴメンね。この人、ウチの主将なの」

 高橋先輩は僕の視線に気付くと、そう言って男の肩を叩いた。

「はあ。なるほど」

 なにが『なるほど』なのか自分でもよくわからないが適当な相槌を打った。


「石黒だ」

 石黒と名乗る男は右手を差し出してきた。

「はあ。ども……杉浦ス」

 僕はそのごつごつした手を握り返した。


 

「ほら。はっきりいいなさいよ」

 高橋先輩が石黒の背中を平手で叩き、次の言葉を促した。


「……ウチに入ってくれ」

 この口数の少なそうな男は、たったそれだけの言葉を絞り出すように呟いた。

「はあ。でもその話しは……」

 そう言いかけて僕は口を噤んだ。

 僕はもう野球とはかかわらないつもりでいた。そう心に決めてこっちへ来た。

 でも……僕には野球以外に夢中になれるモノがないのも事実だった。この数年間、それしかやってこなかったのだから当然かも知れない。

 石黒はそんな僕の心の内を理解してくれたのか、答えを急かす様子もなく、ただ次の言葉を待ってくれているみたいだった。

 しかし――

「だー! 焦れったいわねえ」

 高橋先輩が焦れた声を上げた。「杉浦くんもそろそろ決めちゃいなさいよ!」

 僕と石黒は顔を見合わせた。

〈……何なんだ、コノヒトは〉

 彼女のあまりの豹変ぶりに僕は言葉を失った。

「ね。OKでしょ? ね?」

 彼女の猛攻に僕は困り果てていた。

 もうちょっと時間の猶予はないんだろうか?


「……ならよぉ」

 石黒が僕に助け船を出すように呟いた。「一度見学に来るってことでどうよ」

「またそんな中途ハン――」「あ、いいスね!」

 高橋先輩の言葉を遮り、僕は声をあげた。

 せっかく僕に気を使ってくれた石黒がこれ以上罵倒されるところは見たくない、というのもあった。

 それ以上に『見学』という中途半端な響きが、『野球』という言葉に食傷気味だった僕の心にもすんなりと受け入れることができたのだ。


「……まあ、杉浦くんがいいなら文句はないけどね」

 こうして『見学』を約束させられて、僕は解放された。




***


 放課後、高橋先輩がやってくる前に急いで教室を逃げ出すつもりだった。しかし授業が終わったときには、彼女は既に教室の前で僕が出てくるのを待っていた。僕の『脱走計画』は未遂に終わった。



 グラウンドではフリーバッティングが始まっていた。

 右側のゲージに入った打者に見覚えがあった。このあいだ僕のところに来たヤツ……サカスギだった。

 しばらく眺めていたがすぐに飽きた。

 彼はあんまりバッティングは得意じゃないらしい。打ち損じが多すぎてあれじゃ話にならない。



「どう? 投げてみたくなったんじゃないの?」

 高橋先輩は僕にボールを差し出してきた。

「投球禁止なんスよ」

「え、そうなの?」

 彼女は少し残念そうな顔をした。


「まあ……投げようと思えば投げられるんですけどね。一応は」

 そう言って肩を軽く回すと、彼女の顔にうっすらと安堵の表情が浮かんだような気がした。

 

 

 ゲージにはサカスギに替わってサカイが入った。

 サカイはまあまあだ。外見とは似つかないような柔らかいバッティングを見せている。それでも……僕と比べるようなレベルじゃないな。


 

「――今年の夏は四回戦までいったのよ」

 声に振り返ると、高橋先輩の誇らしげな顔があった。

 それって凄いのか? 僕にはよく判らなかった。

「あ。今バカにしたわね」

「え。そんなことないスよ」

「神奈川で県立が三つ勝つってなかなかのモンなのよ。まあ何年か前にはベスト8まで行ったことがあるんだけど……杉浦くんが入ってくれれば、もう一つ上も目指せるかもね」

 グラウンドを見渡していた高橋先輩の視線が僕の前で留まった。


「……そんなにいいモンではないですよ」

 僕は彼女の視線に耐えられずに、足元に視線を落とした。

「でも明桜の野球部って一般ではほとんど入れないらしいじゃない。キミも特待生かなんかでしょ?」

 彼女は細い顎に指を当て、探るような視線を向けてきた。


「肩壊す前の話ですから。それに……仮に僕がココに入って、しかも投げられたとしても公式戦には出られませんよ。今スグには」

「あ。そっか」

 一度高野連に登録された選手が転校した場合、転校先では一年間公式戦に出ることができないらしい。

 余程の理由があって転校した場合は何とかなることもあるらしいが、僕のケースがその余程の理由・・・・・に該当するとは到底思えない。そもそも野球を辞めるつもりでココまで来たのだから。


 高橋先輩は何かを考え込んでいるみたいだった。

 彼女の興味が早く別のところに行ってくれることを、僕はただひたすら願っていた。




***



 次の日――

 教室に来た高橋先輩は「今度の日曜日に試合を見に来るように」と言った。

 有無を言わせず僕に約束を押しつけた彼女は、意気揚々と教室を出ていった。




「なあ、やっぱ野球やんだろ?」

 鈴木俊夫だった。

 僕は何も応えず背を向けた。

「おいおい、そんな嫌そうな顔すんなよ」

 俊夫は笑いながら、僕の前の席に腰を下ろした。

「今の二年はいい人が多いぞ。去年よりはダイブ弱そうだけどな」

 彼は僕の背中に向かって話し続けていた。

 僕は黙っていた。

 コイツとは何となく気が合いそうな感覚もあった。ドコか自分に似ているような気もする。しかし確信めいたものは何一つないから、自分から話を切り出すことに何となく抵抗があった。




「……もう一回やんべかなあ」

 俊夫は独り言のように呟くと、やや俯き加減のまま勝手に喋りだした。 

「ウチも昔はケッコウ強い時期があったんだよ。だから元々は野球をやろうと思ってココに入ったんだ。それが……まあ、イロイロあってスグに辞めちまったからさ……なんつうか、その……やり残したコト……つうかよ、ナンカそんなのがあるんだよ」

 俊夫は照れ笑いを浮かべながら、言い訳じみた言葉を並べていた。


「とはいうものの、自分から飛び出しちまった手前、一人じゃ戻りにくいんだよな……」

 彼は縋るような視線を僕に向けてきたが、「戻りゃあいいじゃん。オレに関係なく」と僕は突き放すように言った。

「でもよぉ……カッコ悪いべ? 何となく――」

「はあ? 何となく、じゃねえだろ」

 僕は言葉にするつもりはなかったのだが、声に出してしまっていた。

 俊夫は不意をつかれたように目を丸くした。


「やっぱ、そうだよな」

 俊夫はバツが悪そうにアタマを掻いた。そしてやや間をおいてから「……未練がましいよな」とぽつりと言った。

 

 未練――。


 僕はその言葉を反芻した。


 コッチに来てからいつもアタマの隅にこびり付いていたモヤモヤした感覚、そして僕と俊夫に共通するモノ……その正体はまさしくソレだったのだ。

  





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