第二章 【001】 次世代の胎動
頭角をあらわしはじめたライバルたちと、再び目標を見失った僕。
高校一年の夏以降の話です。
■ 西の剛腕@大阪
投球数が二百を超えても、ピッチャーの用田誠はマウンドを降りようとはしなかった。
「そろそろ切り上げよう」
キャッチャーの吉村は立ち上がり、マウンドに向かって言った。
ブルペンには用田と吉村の二人しか残っていない。
さっきまで投球練習をしていた先輩たちはとっくに練習を切り上げ、既に宿舎に戻っているはずだった。
「じゃ、あと十球――」
そう言いかけた用田に向かって吉村は首を横に振った。
用田はそれほど疲れを感じていなかった。
球数が「二百を超えてる」と聞いたときも、それほど投げ込んだ感覚はなかった。
しかし……吉村が終わりだと言うんじゃ仕方がない。 用田は仕方なくマウンドを降り、渋々クールダウンを始めた。
「ムリすんなよ。明後日、先発だろ?」
吉村は用田に向かってタオルを放り投げた。
「あ? ムリなんかしてねえよ。 俺は投げ込んで肩作ってくタイプなんだよ」
用田はムキになって吉村に反論した。
彼はことある毎に吉村に反発していた。
中学時代『西の剛腕』と呼ばれ、当時のチームでは一年のときから『エースで四番』としてチームを引っ張ってきた用田。
ワンマンチームの中で、正面から彼に「NO」を突きつける者などドコにもいなかった。それは監督やコーチ、そして先輩たちも同じだった。
だが羽曳野学院に進み、環境は一変した。
監督はうるさい。コーチは厳しい。先輩たちはどうしようもなくワガママ。そしてバッテリーを組むこの男の存在――。
キャッチャーの吉村は一年生とは思えない落ち着きとごつい風貌で、入学早々から監督や先輩たちにも一目置かれる存在だった。
実力的にも抜きんでていた彼は、入学から一月ほど経ったいまでは一年生全体の防波堤のような役割を担うようになっていた。
それは用田にとっては『自分より目立つ存在が同じチームにいる』という初めての経験でもあった。
用田は、吉村とは中学の頃からの顔見知りではあったが、高校にはいるまで話をしたことはなかった。
豪快なスイングとケタ外れの強肩、そしてアバウトなリード……そんな中学の頃に抱いていた勝手なイメージは入学後すぐに吹き飛んだ。
吉村は意外と細かい、そして頑固な男だった。
「吉村って意外と繊細なリードをするヤツなんだな」
用田は呆れたように、少しバカにしたように言ったことがあった。
すると吉村は、
「今まではできなかったからな。なにしろ、構えたトコになんか来ねえんだから――」と笑った。
あのときの吉村はどこか懐かしそうで、用田をさらに苛立たせた。
「――なあ。 オレの球と杉浦の球、どっちが速い?」
アンダーシャツを着替えた用田は、吉村に向かって呟いた。
吉村は用田の目を見返したが、鼻で笑うと目を逸らした。
「なんだよ? 気分悪いな、それ」
用田が食い下がると、吉村は大きく溜息を吐いた。
「用田と杉浦はタイプが違う。比べたって意味ないだろ?」
「そうゆうことじゃなくてよ! どっちが速いのかって訊い――」
「杉浦の方がゼンゼン速い……間違いなく」
吉村は突き放すように言った。
つい一年前までは杉浦とバッテリーを組んでいた吉村。杉浦を誰よりもよく知る彼の言葉に、用田は拳を握りしめていた。
「……だけどアイツは真っ直ぐしかなかったからな。だから総合力ではオマエの方が上だろ、多分な」
「多分てなんなんだよ……」
用田は吉村を睨みつけたが、吉村はまったく意に介さないようだった。
「なあ、用田――」
「あ?」
「明後日の試合、全力で投げて来いよな。オレを信用してくれよ」
吉村は穏やかな表情で言った。
「はあ?……だ、誰がてめえなんか信用するか! バカヤロウ……」
用田が動揺を隠せずに悪態を吐くと、吉村は柔らかい笑みを浮かべたまま背を向け、ブルペンをあとにした。
中学時代、周囲から注目されるのと同時に、チーム内では浮いた存在になっていた用田。
腫れモノ扱いされていることに、彼自身もうすうす感づいていた。
中心選手の象徴とも言える『エースで四番』という立場は、同時にチーム内における『用田の孤立』を表すモノに他ならなかった。しかし――
「――絶対、いつか……てめえが捕れねえくらいの球を投げてやるからな」
初めて意識した『仲間』の存在に、用田は込みあげてくる感情を押し殺した。
■ 東の強打者@東京
――カッキィッ!
インコース低めのボールをすくい上げた打球が、高い放物線を描き、左中間のフェンスの向こうへ消えた。
「――っよっしゃあああ――おらああ!!」
「うぉぉし、よくやったああ!!」
つい数分前まで敗色濃厚だった成京学館ベンチに、怒号と雄叫びがわき上がった。
起死回生のサヨナラホームラン――。
春の東京都大会準々決勝、一点を追う最終回。
この試合が初スタメンの一年生が放った『この日、二本目のホームラン』は、成京学館監督の善波にある決断をさせることとなった。
***
「ナイスバッティング!」
主将の榎田が岡崎に歩み寄り、肩を組んだ。
「スライダーだったろ?」
「はい。やっぱり榎田さんの読みはさすがですね」
岡崎は頭を下げた。
中学ナンバーワン遊撃手の称号を引っさげ、鳴り物入りで成京学館に進んだ岡崎準基。
彼が成京に進んだ理由のひとつに榎田の存在があった。
中学時代のチームの先輩でもある主将の榎田は岡崎にとって尊敬し、目標とする選手の一人だった。
「次は明桜ですよね」
岡崎の言葉に榎田は小さく頷いた。
準決勝の相手は西東京の明桜学園。岡崎にとっては負けられない相手だった。
「……杉浦は間に合うのか? 夏には」
榎田が呟いた。
「きっと間に合わせてくるハズです。アイツはそういうヤツですから」
岡崎は自信ありげにそう呟いた。
***
三枝昌二は中庭のベンチに腰を下ろすと、タバコをくわえた。
成京学館野球部寮の管理人にして打撃コーチでもある彼は、さっきまで監督である善波と部長の太田、そして投手コーチの吉武の四人でミーティングをしていた。
四人は成京学館のOB、そして三枝以外の三人は同級生だった。
主将の善波にエースの吉武、それにマネージャーだった太田。
彼らが入部した当時の主将が三枝だった。つまりその中では最年長だ。
善波は席上「夏の大会で一年の岡崎を四番に抜擢したい」といった。
異論を唱えたのは三枝だけだった。
いつもは意見が割れたときには三枝の意見が採用されることが多い。
しかし……今回は善波がまったく引かず、話は平行線のまま次回に持ち越しになっていた。
三枝はポケットを探った――しかしライターは見つからなかった。
微かな苛立ちを憶えながらも仕方がなく重い腰を上げたとき、建物の向こうから風を切るような音が聞こえてきた。
建物は西寮。一年生が入っている寮だった。
三枝は足音をたてずに建物に近づくと、そっと覗きこんだ。
するとソコには一心不乱に素振りをしている坊主アタマが見えた。
一年生の岡崎だった。
「――おい」
声を掛けると岡崎は跳ね上がるように振り返ったが、それが三枝であることに気付くと駆け寄って頭を下げた。
「まだ、やってるのか? まったく……野球バカだな、お前も」
三枝は岡崎の顔とバットに、交互に視線を向けた。
岡崎が手にしているマスコットバット――テーピングを巻き付けたグリップが赤黒く染まっている。
三枝は岡崎からバットを取り上げると、バットの先端で地面を小突いた。
「もう消灯時間は過ぎてる。それを破った理由はなんだ。三十字以内で答えろ」
「はい。ゼッタイに負けたくない相手がいるからです」
岡崎は直立不動のまま、毅然とした態度で言った。
その堂々とした態度に三枝は面食らった。
「ほお。感心だな――。その負けたくない相手というのはココにいるのか?」
三枝は円を描くように『寮』を指さした。
「いえ。中学のとき、同じチームにいたヤツです」
岡崎は背筋を伸ばしたまま、ハキハキと答えた。
その揺るぎない眼差しに、三枝からは自然と笑みがこぼれた。
三枝はその豊富な経験の中で、一年から中軸に定着してダメになっていった連中を数え切れないほど見てきていた。彼らはいわゆる『テング』になってしまったのだ。 しかし……岡崎には関係ないかもしれんな。
バットを持ち直した三枝は、そのグリップを岡崎に向けた。
「オジサンも負けず嫌いなヤツは嫌いじゃない――」
三枝は胸を反らせた。
「でも今日はもう終わりだ。明日からはオレが直々に付き合ってやる……覚悟しておけよ」
「はい! よろしくおねがいします!」
岡崎が寮に戻るのを見届けると、三枝は大きく息を吐いた。
〈一応……善波に電話しておくか……〉
三枝は耳に挟んでいたタバコをパッケージに戻すと、自室に向かって歩き出した。
***
七月に開幕した全国高等学校選手権大会の大阪府大会、優勝候補の羽曳野学院は、背番号10の用田と吉村の一年生バッテリーを中心にした堅い守りで無失点のまま、甲子園への切符を手にした。
東東京では、成京学館が四番・岡崎を中心とした強力打線で三年連続、西東京では明桜学園が二年ぶりの甲子園進出を果たした。
注目された明桜学園の杉浦は、この大会の登録メンバーには入らなかった。