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【プロローグ】 夢の続き


 京成の高砂駅をおりたとき、南の空は薄く淡い雲で覆われていた。

 予報では雨だと聞いていたが、ここまで降られることもなく、また降り出しそうな気配もない。

 僕はシューズのヒモを結び直すと、おおきく深呼吸した。

 時折吹く冷たい風と目の前に広がった変わらない街並み――。その何もかもがココを出発ったあの日と変わらない。

 僕は懐かしさに頬を弛めると、風をよけるようにジャケットの襟を立て、小さなボストンバッグを左肩に掛けなおした。


 さびれた商店街を通り抜け、白い壁沿いを歩き続け、やがてたどり着いた駐車場。

 そこでは小学生くらいの子供たちがキャッチボールをしていた。

 薄っすらと西日が射すなか、延々と往復する山なりのボール。投球の軌道は安定してないし、捕球の姿勢も危なっかしい。

 しかし何とも言えない懐かしい光景に思わず笑みがこぼれる。



 なんだよ~、ドコ投げてんだよ――。



 グラブの先をかすめたボールが僕の足元に転がってきた。

 手のひらにすっぽりと収まる小さな軟式球。僕はそれを拾い上げると、指先で強くスピンをかけるようにして真上に弾いた。そして駆け寄ってきた子供の胸のあたりにトスした。



 ありがとうございます――。



 帽子を取った少年に僕は右手を挙げて微笑んだ。

 彼はにっこりと笑うと帽子を被りなおし、元気よく駆け出していった。

 そして山なりのキャッチボールが再開した。

 僕は真剣な表情の彼らの邪魔にならないよう、遠巻きに眺めながら通り過ぎた。

 そのとき、駐車場に黒っぽいクルマが入ってきた。

 ゆっくりと近づいてきたのはメルセデス・ベンツだった。まっすぐコチラに向かってきたベンツは、まるで僕の進路を阻むかのように停止した。押し出し感の強いグリルが、威嚇するように正面から僕を捉えていた。


 西日を浴びた黒いメルセデスベンツ。

 フルスモークのガラスに包まれ、車中にいる人物までは確認できない。ただひとついえるのは「僕の知り合いにベンツに乗ってるような人間はいない」ということ。


 無視すんべ――。


 僕は頭の中でそう結論づけると、遠巻きに迂回しようとした。ま、君子危うきに近寄らず、ともいうしね……。

 そのとき重厚な音を立てて運転席のドアが開いた。

 顔を出したのは、おおよそベンツには似つかわしくないジャージ姿の大男……それは意外にも僕のよく知る顔だった。


「――やっぱりココかよ」 

 男はいった。

 右手はポケットに突っ込んだまま、絡みつくような視線を僕に向けてきた。

「いつ帰って来たんだよ」

「いつって……さっき?」

 僕は惚けたように肩を竦めると、彼から視線を外した。


 僕はため息を吐いた。

 久しぶりに会ったというのに愛想もなにもない。ま、確かに昔からこういうところはあったのだが。

 男は僕にとって幼馴染みといえる存在だった。まさかあの頃は「将来ベンツにお乗りになるご身分」になられるとは思いもしなかったのだが。


「成田まで行くっていったじゃねえかよ? 連絡待ってたんだぞ」

 男の顔には明らかな不満のいろが浮かんでいた。

 僕は首を傾げると「そうだっけ」とあごを撫でた。

 確かに日本コッチを出るときにそんなことをいってたような気もする。だけど何年も前のそんな約束、もうすっかり忘れていた。だいたい僕は約束なんか守ったためしが――


 ……ん?


 ふと視界の端にさっきの小学生たちが映った。

 彼らはキャッチボールを止め、こそこそと話し込みながらこちらの様子を窺っている。ヘンなヤツに絡まれちゃってカワイソウとか心配してくれてるのかもしれない。


「まったく、ずっと連絡もなしでよ。峰岸さんから聞かなかったら――」

「おまえこそずいぶんヨユウじゃん」

 僕は彼の言葉を遮ると、ベンツのピラーに肘をかけてもたれかかった。

「いいのか? こんな時期にこんなトコに――」

「あのぅ――」


 振り返るとさっきの小学生たちが僕の背後に立っていた。

「なに?」

 とっさに尋ねたが、彼らの視線は僕を無視するように通り越し、大男の顔に注がれていた。


「もしかして……」

 僕を無視した子供たちは恐る恐るといった感じで男の名前を口にした。

 男が照れたような顔で頷くと、彼らは顔を見合わせ「僕たち、ファンなんです!!」と破顔した。


 なるほど……。

 俄かには信じがたいが、どうやら男はそれなりに顔を知られる存在に成長しているらしい。

 しかしそう考えると、やっぱり迎えに来てもらわなくて正解だった。あんなヒトゴミ・・・・の中、コイツに来られても面倒が一つ増えるだけだった。しかもコイツはその面倒の責任を取ることまでは絶対にしないタイプだ。ま、それはともかくとして……。


 僕は大男と子供たちに目をやった。

 子供らは興奮を抑えきれないようで、ただ強ばった笑みを浮かべて固まっていた。

 一方の大男も硬い表情のまま立ちつくしている。どうやらコイツにはサービス精神というモノがまったく備わっていないらしいな。

 僕は小さく息を吐くと、バッグから真新しいボールを二つ取りだした。

「ほら、ぼぉっとしてないでサインでもしてやったらどうよ?」

 そういって男に向かってボールを放り投げた。



 憧れのプロ野球選手にサインボールをもらい、嬉々として立ち去る少年たち。

 そしてそれを見送る大男――。


「ったく、おまえは変わんねえな。相変わらず気が利かねえっつうかなんつうか」

 僕が半笑いで呟くと、男は目をつり上げてコチラに向き直った。

「おまえはなんなんだよ、そのツラ! 向こうで流行ってんのか?」

「おう、似合ってんだろ?」

 ガラスを覗き込み、あごの無精髭を撫でた。


「そんなことより、ホントはナニしに帰ってきたんだよ」

 男は険のある声でいった。笑っちゃうくらいに怖い目つきだ。

 久しぶりに会ったっていうのに、まったくコイツは――。 

「そうだな……忘れ物を取りに来た、って感じか?」

 僕はあごに手を当てたまま、少しおどけていった。

 あえて軽い調子を装って。


 男は無反応だった。

 どうやら僕の次の言葉を待っている様子だったが、いつまで経ってもしゃべり出さない僕に痺れを切らしたのか、諦めたような表情を浮かべてため息をついた。

「杉浦――。おまえ、ホントに後悔してないのかよ?」


 僕は頬を弛めただけで、何も応えなかった。

 いまの僕にそれは愚問だった。


 もう後悔しない――。

 そのためだけに、僕は日本コッチに戻ってきたのだから。



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