オーディオの話
小学生の時、父親がステレオを買った。
ずいぶん高いものであったらしい。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のレコードを聴きながら、
「このプレーヤーは高いんだぞ。性能がいいから、こんな高音まで出るんだ」
と言っていた。
父親は普段、感情を表さない人であるのだが、この時は嬉しそうだった。
趣味の多い人で、車、バイク、スキー、登山、カメラetc… と当時としては珍しく、いろいろ手を伸ばしていた。そしてとうとうステレオまでやりはじめたわけだ。それまでも安いレコードプレーヤーやスピーカー、FMチューナーなどはもっていたようだが、本格的なステレオはこれが初めてだったのだろう。フローリングの応接室に置いて満足げに聞いていた姿を思い出す。
とはいえ、仕事も忙しく、あまり聞く時間はなかったようだ。レコードこそ100枚以上、持ってはいたようだが、実際にはほとんど聴いてはいなかった。もしかしたらオーディオ機器を所持するだけで満足してしまったのかもしれない。
実際購入したレコードは、歌謡曲やシャンソン、サイモン&ガーファンクルのようなPOPS系、しかも正規盤ではなくカバーの廉価盤である。そういうものしか買わなかった。
音楽自体にはあまり興味がなかったようだ。
一方で母親は音楽系の職業についており、仕事上で必要なため、また趣味でもあるためクラシックレコードを集めていた。様々なレコードがあり、中には一般的にはあまり知られていないものもあったが、子供だった私にもわかりやすいクラシック、チャイコフスキーやモーツアルト、ベートーベンなども聴いていた。
当時のレコードは高いものでも2000円ぐらいだったが、大卒の初任給が4万ぐらいだったことを考えると今よりも感覚的には高額な商品だったのかもしれない。まあともかくそういうわけで私はレコードに関しては裕福な子供時代を過ごすことができたともいえる。
そのためか現在、趣味の一つがオーディオになっている。
ところでオーディオはいろいろ楽しみ方があり、いかにして良い音を聞くかということが共通のテーマなのだが、そのプロセスが異なるため、オーディオファンという人種は何種類にも別れる。
例えば、数千万の機器を数十個買い、大きな専用の部屋で聴いている人もいる。そしてその中でもCDやレコードは10枚程度しかもっておらず、何度も同じものしか聞かないというスタイルの人がいる。彼らは機械の性能が良いということがすべてなのだろう。いやそれ以前にブランド物の高額な機械を持っているということ自体が楽しいのかもしれない。
別に良いと思う。趣味なのだから、どのようにして楽しむのもありだ。
釣りを趣味としている人が一本100万の釣り竿が欲しいとする。それは釣りという行為自体の効率にはほとんど影響しないだろう。だが、趣味としては成り立つ。他にも高額な自転車、高額な茶道用の茶碗、高額な宝石、バッグなどなど。
他人には、理解できないことなのかもしれないが本人にとっては「これでなきゃだめ」なのだ。趣味とはそういうものだろう。
ところでオーディオファンの中にはそういうことを許せない人がいるようだ。
「電源を変えても音は変わらない」「アンプを変えても音は変わらない」等々。そしてそういうことを主張するだけならいいのだが、たまに攻撃的な人がいる。
「高い機械を買う人はバカだ、騙されている」
お茶の茶碗(高い宝石、バッグその他なんでもいいのだが)を買った人に「その茶碗で飲んでも味は変わらないよ」という人がいたとする。自分としてはその時点で常識を持った社会人としてはどうなのか、と思うのだが、さらに贋作ではなくきちんとした販売店から買ったにもかかわらず「そんな高いバッグ(茶碗などなど)を買うのはバカだ、メーカーに騙されている」と面と向かっていわれたとしたら、そういう人はなんというか、あまり友人にはなりたくない人である。
しかしどうやらオーディオファンの中にはそういう人がけっこう多いようなのだ。SNSとか見ると罵詈雑言の嵐である。音楽って人の心を豊かにするはずだよね? なんて思ってしまうほどには(笑)
本人が楽しんでいるんだからいいじゃない。
思えばなろうの「感想」もそうなのかな。批判って時には人を傷つけるよね。
さて今回は具体的な機械の名前や、レコードにはふれなかったけど、次回からは少しふれていきたいと思います。よろしければどうぞいらしてください。