第一話
扉を叩くを音がする。どうやらメイドが来たようだ。
「入っていいぞ」
「失礼します。リーベルト様。当主様がお呼びです」
「分かった。ありがとう。すぐ行くよ」
我が家に仕えるメイドとはいえ感謝の言葉は忘れない。メイドが笑顔で部屋を出ようとする。……何か違和感があるな。そうか!コツコツと音を立てて歩いているんだ。俺は足音に隠れた音を聞き逃さなかった。メイドはリズミカルに小さなオナラを繰り返し、足音で隠していたのだ。
「オナラは決められた場所でするように」
「は、はい。申し訳ありません」
メイドは恥ずかしそうに部屋を出て行った。全く……何度言っても聞かないんだから。さて、父上の部屋に行くとするか。待たせるわけにもいかんしな。
「父上、リーベルトです」
「入れ」
ログストーン侯爵家当主である父ミルファート、武人らしい体格と立派な髭を持つ威厳のある人物だ。
「リーベルト。お前にはこの家を出て行ってもらう……理由は分かってるな?」
理由は俺の研究か?父上、何故分かってくれないんだ!
「父上。一体オナラの何が悪いのですか!?この研究が形になれば我が家の財政は……」
「その研究は品がなさすぎる!貴族としてあるまじき姿だ。形になればログストーン家はいい笑いものになるだろうよ」
くそっ!研究はもう少しだってのに……。だけど父上が宣言した以上覆ることはないだろうな。
「だがこのまま放逐しても醜聞が悪い。いくらか渡してやるから、それを元手に王都で商売でもするがよい。お前の才覚なら商人としてもやっていけるだろう」
これには正直驚いた。我が家の財政はそんなに良くない。元々鉱山で成り立っていた家なのに資源が減ってきていたからだ。体一つで出て行くと思っていたから正直ありがたい。でも俺は自分の研究で食っていくって決めたんだ。
「父上。金は必要ありません。そのかわり魔晶石をいただきたく……」
魔晶石は鉱山で大量に獲れる特殊な石だ。売っても雀の涙。少なくとも今はな。
「っ!! そんなに研究を続けたいか。ならば好きにするがいい。ただしその研究で家の名前を使う事を禁ずる。さあ、今すぐ去るがいい。」
そうして俺は家から追い出された。持ちだしたのは僅かな路銀と馬車一杯の魔晶石だけだった。昔から兄弟で遊んでいたから馬の扱いは慣れたものだ。少しなら攻撃魔法も使えるから盗賊くらいなら問題ない。
しばらく道を進んでいると俺を呼ぶ声がした。一旦馬車を止めて後ろを確認する。
「おーい。リーベルト待ってくれ」
追ってきたのは長兄のフェリブルと、メイドのネネコだった。
「黙っていくなんて酷いじゃないか」
「ごめん、ごめん。親父が怖いからさ」
そういって笑い合う。こんなのも終わりになるのかな。そう思うと少しだけ寂しい。
「俺はいいよ。それよりネネコはリーベルトに付いて行くってさ。連れてってやれよ」
ネネコは俺より一つ年上の20歳。幼い頃からログストーン家に尽くしてきた。彼女の家事スキルは大したものだし、俺自身はそっち方面はてんで駄目なので、この申し出は嬉しい誤算だ。二つ返事でOKを出した。
「よろしくお願いしますニャ」
生活費は二人分になるが、研究さえ完成すれば問題ない。それにネネコのオナラは質、量ともに素晴らしいので大いに研究に役立ってくれるだろう。尤も、これからしばらくは質が下がるだろうが、量だけでもありがたい。
兄に別れの挨拶をして、二人旅が始まった。ネネコは隣に座ると手綱を俺から奪い取った。
「もらったニャ」
俺たちは交代しながら馬車を進めて行った。
「ネネコはなんで俺に付いてこようと思ったんだ?」
「お金ニャ。ログストーン家にはお世話にニャったけど、お先真っ暗ニャ。でもリーベルト様からはお金の匂いがしたニャ」
うん、素直でよろしい。
「それで研究はどうニャんですか?」
まあ、気になるところだろうな。
「もう一息ってところなんだけどな……」
俺が研究しているのはオナラに含まれている魔力の活用方法についてだ。
魔力というのは、この世にある全てのものに含まれている。人間だろうが、動物だろうが、植物や鉱物だってそうだ。コンクリートにも魔力はある。その魔力を使って魔法を繰り出すわけであるが、一定以上の魔力がないと魔法は発現しない。
ところが魔力が足りない者が多く、わずかな者しか魔法が使えない。庶民はほとんど使えないし、一部の貴族も使えない。俺はここに商機を見出している。
貴族にとって見栄というのは俺が思う以上に重要視されて、魔法を使えないというのはそれだけで侮蔑の対象となる。ところが現在、魔力を溜めておける物は市場に出回ることはなく、困っている貴族も多いという。
精霊の涙と呼ばれる水には魔力が蓄えられているが、霊峰プックルに僅かに湧き出る水なのでおいそれとは入手できない。一部の貴族や、高位冒険者が保険に持つような超高級品だ。
そこで魔晶石の登場というわけだ。
魔晶石には魔力を溜めておける特性がある。だがそれなら安値で取引されるはずがない。魔晶石が発見された時は、世紀の大発見だと持て囃されたと聞いている。ところが実際に魔力を送ろうとすると魔晶石はあっという間に壊れてしまうことが分かった。魔力を持つ人間が自分の魔力を込めようとしてもすぐに壊れてしまうのだ。
発見した時から魔力の入った魔晶石もあった。この違いは魔晶石の質によるものかと考えられたが、使いきってから魔力を入れようとするとこれも壊れてしまった。その後の調査の結果、魔晶石は出口は広いが入口はとても狭い特質を持つことが判明した。
魔力を取りだして使う時は問題ないが、入れる時は自然に入るのを待つほかない。狭い入口から強引に入れても壊れてしまう。一流の魔導士がどんなに魔力を丁寧に絞って注ぎ込んでも壊れるのだ。これでは使い道がなかった。
このような経緯により、魔晶石は売れなくなってしまった。
だが俺は発見した。
魔晶石は付近に漂う魔力が一定以上であると吸収を開始するのだ。ただ魔力を感知して吸収する際に魔力以外にもその場にある空気も取り込んでしまうので、混ざり合って濃度が薄くなり、質の低い魔力になってしまう。これでは魔法一回分にも満たず売り物にならない。
それならば魔力濃度の高いオナラを使えばいい。それが俺の結論だった。