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子檀嶺城始末―こまゆみじょうしまつ―  作者: 神光寺かをり
二

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己の価値

 杉原四郎兵衛は逃げた。


「冗談を言うんじゃ(オタクラこくで)ねぇ! なんで俺があんな山猿に頭を下げなけりゃなんねぇンだ!」


 吠(ほ)えて、杉原四郎兵衛は塩田平の中を逃げた。逃げて、逃げて、逃げ回った。

 他の離(り)散(さん)者(しゃ)たちとの違いがあるとすれば、山を越えず、川を渡らなかったこと、だった。

 それはつまり、

『真田から逃げると言いながら真田の勢力圏(せいりょくけん)に留まり続けている』

 ということなのだが、もしだれかがそれを指摘したならば、四郎兵衛は、


「大きく動けば、いくら真田のヤロウドモが愚鈍(トロクサ)くても、見付かっちまう。だから遠くまで動くようなマネはしねぇんだ」


 などと理由をつけて、己の作(・)戦(・)の巧(・)妙(・)さ(・)を自慢することだろう。


 小さく逃げ回ったお陰なのか、それとも真田側に探索する気がなかったからなのか、四郎兵衛は捕らえらることなく、今日まで生き抜いた。

 しかし勢力圏の境を超えないということは、その外側にいて真田と『敵対』している上杉や諏訪、あるいは後北条や徳川には接触できないということでもある。

 彼は「真田より精強な勢力」に加わることができなかった。


 狭い範囲を逃げ回るのに疲れて、


「いっそ、侍身分なんぞは捨ててしまえ。どこか山の中を開いて耕せば、喰って行くぐらいのこたぁできる」


 と提案した者がいた。無論、四郎兵衛はそんな「弱音」などは一(いっ)蹴(しゅう)した。


「隠(おん)田(でん)なんぞ開いたところで、直ぐに嗅(か)ぎつけられちまう。そうなりゃ領主に年貢を収めにゃならねぇ。

 つまりは、俺が汗水垂らして作っ(こさえ)た物が、あの忌々(いまいま)しい真田のヤロウドモに喰われるってことだぞ。

 そんな胸くその悪いことがあるか!」


 その親族は四郎兵衛と縁を切って、真田方に付いた。

 彼らが自分の元から去ったと知った時、四郎兵衛は恐れ、怯(おび)えた。


 あいつらが昌幸に自分のことを密告するのではないか。そうなれば自分は真田に謀殺(ころ)されてしまう!


 真田昌幸に「速やかに切り落とすべし」と思われるほどの値打ちが彼の首にあるのか……彼の周囲には首を傾げる者が多かったが、四郎兵衛は自分の価値を信じて疑わない。


 その後、真田の配下(て)の者が自分を探している風はなかったが、四郎兵衛は不安だった。

 彼は前以上にあちらこちらに逃げ隠れた。それはつまり、ますます飯に困るようになる、ということだ。


 四郎兵衛は、先祖伝来だと称する時代遅れな大(おお)鎧(よろい)を詰めた鎧(よろい)櫃(びつ)と打刀(かたな)一振りを除いて、財産といえそうなものは全て売り払った。

 元々、彼の手元にあった売れそうな物はごく僅(わず)かだったのだから、手に入った金(かね)もまたごく僅かで、直ぐに尽きた。

 空き腹を抱えて、以前には自分の「領地」だったあたりの農民の所へ顔を出した。尾羽打ち枯らした四郎兵衛を哀れんだ彼らがいくらかの食い物を別けてくれた。

 それもすぐに食い尽くした。

 もう一度「領地」に行ったところで、痩せ百姓が二度目の施(ほどこ)しをしてくれるはずもない。憐憫(れんびん)の情もくり返す内に軽蔑に変わるだろう。誇り高い塩田衆の武士が、百姓に馬鹿にされるなど、あってはならないことだ。

 だから四郎兵衛は、自分には縁故(ユカリ)のなかった集落に押しかけて、刀を振りかざして「兵糧の徴収」をした。

 四郎兵衛のやっていることは、つまり強(ゆ)請(すり)集(たか)りに強盗(ぬすっと)だった。四郎兵衛は鎧を抱えた賊徒に堕(お)ちた。


『それもこれも、全部真田が悪い』


 四郎兵衛が吐き捨てた唾は、切り立った崖下に落ちて行った。

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