六根清浄
「慚愧、懺悔、六根清浄。慚愧、懺悔、六根清浄……」
灰色のボロ雑巾のような鈴懸を着た山伏らしい男が、口の中でなにやらぼそぼそ唱えながら、胸を突くような坂を昇って行く。その後ろに、更に酷いボロ雑巾のような筒袖を着た男達がついて歩く。
男達の先頭を行く者は杉原四郎兵衛という。
四郎兵衛は山伏――悟円坊と名乗った――より五歩ほど遅れて酷い坂にしがみつき、登る。
切り立った岩の塊が地面から突き出たような奇妙な形をしたその山は、小県の郡の内、青木という郷の北側にそびえている。名を子檀嶺岳という。
子檀嶺の名は「駒斎み」乃至は「駒弓」、あるいは「胡麻忌み」が転訛したものだという。
古来この地には牧場があって、都に献ずる良馬を産したという。それ故に「駒」を冠する名が付いたのだろう。
「胡麻忌み」の説は、
「その牧場の冠者(荘園などの現場責任者)の某が落馬した拍子に植えられていた胡麻の鞘で目を傷つけた。以降この地域では胡麻を忌み、胡麻を育てなくなった」
という伝承に基づくらしいが、古い由緒由来のことだから真偽は定かでない。
子檀嶺の山肌を九十九折に昇って行く細い道を、悟円坊はどうにか立って歩いているが、四郎兵衛以下の十数人の男達は、ほとんど這っているといっても良い。
男達は、四郎兵衛の一族の者と、かつて彼の同僚だった者と、最近知り合った者だ。
共通点が一つある。
皆、食いっぱぐれている。
先頭を行く悟円坊などというもっともらしい法名を名乗る山伏崩れも同様だ。
激しく厳しい修行をする修験者だというのに、
「数日の間、十分な飯を食えなかった」
ぐらいのことで山裾の森の中でへたり込んでいたところを四郎兵衛に拾われた。
四郎兵衛が、ほんの一握りの乾飯を投げ渡して、
「子檀嶺の山頂には城跡がある。そこまで道案内するなら、もっと喰わせてやる」
というと、一も二もなく先導役を買って出た。
だからこの「登山隊」は、食い詰め者の集まりなのだ。ただの一人も、そうではない人間はいない。
「慚愧、懺悔、六根清浄。慚愧、懺悔、六根清浄……」
己の過ちを省みて恥じよ、そして罪悪を悔い改めよ、迷いを断って我が身を清めよ……。
これは修験者が山中を行く時に唱えるお題目のようなものだ。おのれの身を律するための呪文であり、歩く進度を整えるための拍子取りの言葉である。
悟円坊はそれを繰り返し唱えて歩む。