開戦、そして終戦
東の空に茜が差している。
練兵の行き届いた真田の兵士達は、若殿様が立てた作戦通りに行動した。
源三郎隊も源二郎隊も計画どおりに別々の参道を進み、それぞれが途中の社に着いた。
真田兄弟が各々単身で山頂へ向かって出立してからきっちりと小半刻後に、鉄砲足軽達が銃口を空に向けて、弾丸抜きの早合を連続射撃に撃つ。
そのほかの者たちは、担ってきた木箱や、自分が被ってきた陣笠――鉄を薄くのばして作られている――を打ち鳴らし、大いに叫んだ。
弾を撃ち出さぬ大砲の轟音。叩かれる担い箱の進軍太鼓じみた音。打ち鳴らされる陣笠が立てる千万の鎧武者の歩みに似た音。腹の底から叫び上げる鬨の声。
絶え間なく鳴り続けるそれらは、僅か二十名ほどの足軽達が立てている音とは思えぬ程の大きさで、山中に響き渡った。
その音は古い山城に立てこもった「一揆衆」の二人の心を折り、また進軍する侍二人を奮い立たせるのに十分な音だった。
山道を登り切った源三郎が北東から、同じく源二郎が西南から、山頂に顔を出したとき、杉原四郎兵衛と次郎太は互いの背に互いの身体を預けていた。
真田の兄弟が山頂に立つと、杉原の従兄弟は喚きながら闇雲に刀を振り回した。抵抗する素振りを見せた杉原四郎兵衛と二郎太だったが、互いの背中から離れることはできなかった。
源二郎が刀の柄に手をかけつつ、兄の方を見る。
源三郎は首を横に振った。
『その必要はない』
声にならぬ言葉を受け止めて、源二郎は柄から手を放した。
真田兄弟は無言で、身じろぎもせず、ただじっと杉原従兄弟を見つめた。
やがて、泣き叫ぶ声が枯れた。デタラメに空を切っていた刀の動きが止まった。
杉原四郎兵衛と次郎太は、背中を付け合ったまま、尻餅をつくようにへたり込んだ。
四郎兵衛の手から刀が落ちた。それを、歩み寄った源三郎が拾い上げ、
「我らにご同道いただきたい」
低く、小さく、有無を言わせぬ声だ。四郎兵衛たちが抗う手段は、もう残されていない。
源三郎は拾った刀を、石を積んだ小さな祠の前へ置いた。山頂を「戦場」にしてしまった詫びと、戦の終焉の報告のために、山神に刀を奉じたようにも見えた。
塚に礼を捧げた源三郎は天を仰いだ。
持参した氷垂の法螺を唇に当て、吹く。
力強く、淋しげな音が山々にしみこみように響く。
それを合図に、山中の社で打ち鳴らされていた轟音が、ピタリと止んだ。
秋の山は、静寂に包まれた。
源三郎は四郎兵衛たちを虜囚扱いにはしなかった。
彼らは縄を打たれることなく、真田源三郎隊の隊列の中央に配置された。前後左右に置かれた兵は監視と言うよりは護衛の役目をしている。
上田城へ向けて塩田平を歩く道中で、数度、部隊の前に痩せ男達が飛び出してくることがあった。
昨日までの間に子檀嶺城から逃げ出していた者たちだった。
彼らは結局の所、どこにも行き場がなかったのだ。かといって再び子檀嶺城に戻ることもできかねた。ずっと山中で木の実や草の根を囓って息を繋いでいた。
彼らは、自分たちの「城」の方角で騒ぎが起き、その後に「殿様」が連行されるのを見て、覚悟を決めて「戻ってきた」のである。
「人望のあることですな」
真田源三郎は感嘆して言った。その感心に、偽りはなかった。
丸子城から上田城へ戻ってきた真田昌幸の前に引き出された彼らは、思いのほか堂々と振る舞った。
いざ捕まってみると、四郎兵衛の恐怖心は綺麗さっぱりと消えたのだった。
彼らの垢じみた顔をしばらく眺めた後、昌幸は神妙極まりない真面目顔で、
「杉原家は、あの辺りでは名のある家だ。丁重に扱うように」
源三郎に向けて言った。
倅は父に向かって一礼した。安堵の笑みが顔にあった。
一方、四郎兵衛達は茫然していた。死ぬ気であったのに命を拾ったのだ。そのことが直ぐには理解できないでいる。
そんな四郎兵衛へ向かって源三郎が、
「私は塩田の平には不案内ゆえ、そこもと方にご助成を願いたい。いかがか?」
父親にしたのと同じぐらいの深さで頭を下げたのだ。
「はっ? ……ははぁっ」
張り詰めていた糸が切れたように、四郎兵衛はその場所へ崩れ落ちる格好で平伏した。
否も応もない。杉原四郎兵衛とその一党は、真田源三郎信幸の配下となった。
さて、その後に彼らがどうなったか?
残念なことに、史書はそれを語ってくれない。
【了】




