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撤退命令

 鍛錬が足らず経験が少なく諸将の連携が取れていない徳川勢は、上田城で()()()()()ことから、なにも学び取ることができぬまま、丸子城で同じ事をくり返している。

 歴戦の将が幾人もいるというのに、だ。

 勇猛果敢と謳われた三河(みかわ)武士(ぶし)達が、


「何故そうなってしまうのか」


 ということを考える余裕を失ってしまっている。


 歯ぎしりしながら山城を(にら)み付ける彼らの中に、


「丸子城に真田()()()が入っている」


 と言った者がいた。

 名を()()(より)(ただ)という。


 諏訪氏も以前は武田の臣だった。丸子三左衛門とも、真田昌幸とも面識がある。

 その頼忠が、真田昌幸は信玄の生前に名乗りを「喜兵衛」から「安房(あわの)(かみ)」に変えているということを知らぬ筈がない。

 しかし今この時、自分たちの前に不気味な敵として立ちはだかるその男を、その大層な名で呼ぶことはしたくなかった。

 いや、あの男が五百の足軽を率いる足軽大将であった頃の呼び名でも、まだ足りぬ。


「おのれ、源五郎めが!」


 頼忠は昌幸がまだ「武田への服従の証しのために真田から差し出された人質」であった少年(こども)の頃の名で呼び捨てた。


 実は諏訪頼忠も、真田昌幸の丸子入城を確信しているのではない。

 それは自分たちが勝てない理由が自分たち自身にあることを、認めないための方便(ほうべん)だった。

 自分たちに非がないことを主張するには理由がいる。


「こんな()(そく)なことをするのは、あの男以外に考えられない。

 でなければ、なぜ我らがこの小城を攻めあぐねるものか!」


 頼忠は全てを昌幸に押しつけた。

 狡猾(こうかつ)な敵が、陰険(いんけん)な罠が、卑怯(ひきょう)な作戦が、自分たちを苦しめているのだという理由(いいわけ)が生まれた。

 将兵達はこの理由(いいわけ)を信じることにして、自分で考えることを止めた。


 徳川勢は力攻めを諦めた。


 兵を引いて、調略と交渉のための使者を丸子城へ送り込んだ。

 しかし戦闘を優位に進めている丸子方から、負けている徳川方にとって色よい返事が来ることはない。

 つぎに、城方の補給路を断って持久戦に持ち込む作戦に出た。

 ただこの場合、自分たちも物資が不足しかねない。本国へ援軍と補給を求める使者を出したが、それが来るまでに、どれほどの時間が掛かるものだろうか。

 周辺から兵糧を徴収しようにも、周囲の田畑はもう収穫済みであったし、農家の備蓄分もほとんどがすでに真田方に高値で買い上げられた後で、得られるものはほとんどない。


 しばらくの間、彼らは依田川の川岸から山城を(にら)むだけの日々を送らねばならなかった。


 徳川方の援軍が来たのは(うるう)八月二十七日だった。

 その数は五千。しかもそれを率いるのは、家康が寵愛(ちょうあい)する()()(なお)(まさ)だ。


「よし、これで勝てる!」


 歓喜する諸将が静まるのを待って、井伊直政が主君の命令を伝えた。


「速やかに東信濃より撤退せよ」


 諸将には考え及ばない命令である。


「そんな馬鹿な!」


 大久保忠世(ただよ)忠教(ただたか)兄弟などの主戦派は、これに頑強に反対した。


(まん)()()、おまえが連れてきた五千もの兵はなんだ! 張り子か、それとも臆病者のおまえの()()()か」


 大久保兄弟から幼名で呼ばれ、罵られた直政は、


「これは皆様方を無事帰還させるための殿軍(しんがり)です!」


 苦々しげに答えた。


「重ねて申し上げます。


『速やかに隊をまとめて退転せよ』


 よろしいか、方々(かたがた)

 これは(おん)殿(との)()(めい)(れい)にございますぞ!」


 徳川家康の花押が据えられた命令書が示されると、誰も反論をしなくなった。


 天正十三年(うるう)八月二十八日、徳川勢は上田小県(ちいさがた)の地から撤退した。




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