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この浦舟に帆を上げて

 天正十三年(西暦一五八五年)閏八月二日(九月二十五日)――。


 上田城から打って出て来た真田軍は、どう見積もっても三百を割り込んだ小勢であった。七千余の兵力を持つ徳川軍が電光の素早さで突き進むと、小勢はあっという間に潰走(かいそう)した。


「真田弱し! 押せ! 押し込め!」


 そう声を出したのが誰であるのかは判らない。


「進め、進め!」


 これは命令か、それとも誰かのわめき声なのか、誰にも判らなかった。

 そもそも多くの者たちが、誰が指揮を執っているのか、命令は誰が出しているのか、誰に従えば良いのかを理解していなかった。

 しかし今この時は、そんなことは()(まつ)(ごと)だと言える。

 敗走軍を追い立てるのは勝ち組の定法なのだ。

 装備の多い弓隊と鉄砲隊は後方に残して、徳川勢は逃げる田舎侍どもの背中に襲いかかった。


 軽装備の騎兵と歩行(かち)兵達の足は速かった。

 皆、脇目も振らずに突き進んで、城下町へなだれ込んだ。

 町といってもそれほど立派なものではない。小屋に毛が生えたような家が道なりに並んでいるだけのことだ。しかも人の気配がない。

 道筋のあちこちに()(ぼう)(さく)に似たものが中途に張り出していたが、その程度のものが「勢いに乗った兵団」にとって侵攻上の問題になる筈がなかった。町の先に木戸門があった。門の両脇は土塁だ。門扉は開いていいて、道が鈎の手になっているのが見えた。

 徳川軍はつっかえながら進んだ。道を鈎の手に曲げるのは、敵軍をそこで詰まらせて、石垣や土塁、あるいは櫓の上から攻撃をするためだ。しかしあってしかるべき真田勢の攻撃がない。


「山猿どもには、城を型どおりに作ったところで、良く用いることができないのだ」


 徳川方は嗤い、ねじ曲げられた細道を推し通った。

 そこから一丁(およそ四百メートル)先に、土塁と木の櫓が見える。手前にはおそらく堀があるだろう。それでも粗末な構えの城だと、彼らは見てとった。

 その土塁の上に数人が立っている。

 きらびやかな装束を着た者が、扇を開いて頭上で振っている。

 太鼓や鼓の音がする。

 大きな旗が打ち振るわれている。

 彼らは何かをいっていた。

 いや、(うた)っていた。

 騒がしい戦場だというのに、その声は(ひしめ)く攻め手の耳にも聞こえた。

 ……聞こえてしまった。


 たーかーさーごーや

  こーのうらふねにーほをあげーてぇー

   こーのうらふねにーほをあげて

    つきもろともにいーでーしおーの

      なみのあわじのぉしまかげやぁ

       とおぉくなるおのぉおきすぎて

        はぁやすみのぉーえにつきにけりぃ

         はぁぁやすみのえぇぇにつきにぃけーりー


「高砂」の(うたい)いだ。

 めでたい歌である。祝いの歌である。婚礼の歌である。

 戦争の最中に、圧倒的劣勢にある城方の者が、(かなで)(うた)い舞って良い歌であるはずがない。

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