サオリさん、戻る
書斎に戻り、どうしたものかと考える。
サオリにはまず、服を着せなければならない。全裸の上に白衣羽織るだけではさすがに色々と不都合が生じる。
詠斗の職場は政府エリアだから、常に連れていくこともできない。
とりあえず、まだ処分していなかった崎下のつるっとしたズボンと、灰色無地の長そでを引っ張り出し、着させた。
「ブカブカ纏わりつく…。ワタシ、この白いのだけでいい。」
サオリは基本的に服を着るのを好まないようだが、そうはいかない。
「服を着ないと、外では犯罪になりますからね」
少しむくれながら、脱ぎ捨てかけた服をサオリは着なおした。白衣は気に入っているようで、街中で着るのは変だと伝えても詠斗に返すのを嫌がった。
「サオリさん、僕には仕事があるんだ。いつも大体朝の8時から夕方の17時まで働いている。その間、サオリさんはこの家から出ないこと、約束してください」
何も知らないサオリを一人で歩かせるのはリスキーすぎる。もう一度詠斗は<指切り>をしようと告げた。
「一人でお外、行かない。約束する」
サオリと指切りをすると、今度は詠斗の方に電流が流れたように心が震える。流れ込んできた映像は、サオリが会っていた見知らぬ男性二人の姿だった。
「サオリさん、<おじさん>と会う以前に人と会ったことはないですよね?」
そう呟くと、サオリはそうだ、と頷いた。
「私、ガラス越しの男の人以外、誰にも会ってないよ」
また少し、サオリの口調が変わり、表情も年相応の落ち着きを取り戻していた。
「私には、何故か夢に出てくる人がいるの。すごくその夢は心地が良くて、だから私はあの中に居たとき、ずっと眠っていた。寝ていればあの二人に会えるから…」
「でもサオリさんは…」
「目を開けたときから、ずっと私はあの中に居たの。だけど、すごく懐かしい、嬉しいって夢の中で思う」
サオリもその二人に関して何も覚えていないようだった。肌で感じたサオリの夢の中での男性に対する思いは、とても強い友情と母性を合わせたようなものだ。実際に出会っていなければ、ここまで男性たちの体の感触や表情のバリエーションは生まれないだろう。完全に空想の人物だとするならばとても空しいことであると同時に、サオリの強い創造能力を意味しているのではないだろうか。
「エイト。目を瞑って」
言われた通りに目を瞑ると、サオリも詠斗に向かいあって目を瞑り、だらんと下げていた詠斗の右手を両手で包み込んだ。
10秒ほど、そうしていただろうか。特に変わったことは起きない。
「…ダメか」
サオリは諦めたように、手を放して目を開けた。
「何をしたかったんですか?」
詠斗が目を開けて問うと、サオリは少し残念そうに
「また何か変わるのかと思って。私がエイトと指切りしたら大人になれたように、ね」
一応幼い言動の記憶は今のサオリにも残っているという。
「エイトと初めて会ったときの私は、何か人格をロックされていたような感じだったの。でもエイト
が<約束>をしようと指切りすると、少しずつ私が体の主導権を取り戻していく。だから私がエイトの手を握ったら、次は本当の私が返ってくると思って」
「<今のサオリさん>は、心の奥底にいたんですか?じゃあ、あの貯水槽に居たときは、表面に出ていなかったということですか?」
「そう。なんだろ、私の思考は赤ちゃん並みになってたけど、私は俯瞰するだけで表に出られなかった。あの時の私は、幼いころの私に戻っていた」