喋った?
しばらく考え込む詠斗の姿から、サオリは目を離さないでいたが、好奇心が刺激されたのか詠斗の頬を脈絡なく両手で触り、その感触に驚いているのかすぐに手を引っ込めた。
不意に触られた詠斗は生体反応で肩を上げたのだが、その動作が面白く感じたのかサオリは今度は両手を大きく広げて詠斗のことを抱きしめた。その細身の体からは想像できない力強さに、詠斗は咽込みサオリを強引に引っぺがして睨みつけた。
「ゲホッ、やめてください!」
呆然とするサオリを突き飛ばし、詠斗はそのまま立ち去ろうとした。一瞬でもこの女性に同情した自分が間違いだった。何も分かっていないなら、ここの地下室に培養液に入れないまま放置して死を待てばいいだけの話なのだ。
まだ咽込みながら装置から離れていく詠斗だが、ふと振り返ってみるとサオリは表情が固いままポタポタと涙を流した。サオリに泣かれると、なんだかいたたまれない。
人間に興味は全くなかったはずなのに、サオリのことは無視できないのだ。
少々イライラして、詠斗は頭をボリボリと掻いた。地下室から出る気満々だった足を止め、再び座り込んだままのサオリの前に目線を合わせるようにしゃがんだ。
「サオリさん、私に触れることをしないでくれますか?サオリさんが約束を守れるなら、一緒に外に出ましょう」
サオリの涙が、詠斗の言葉を聞くとピタッと止まった。言葉の意味を、今度は理解しているようだ。
サオリは小さく頷いた。
「では、約束ですよ」
詠斗はそう言って、小指をサオリに向けた。
「約束の指切りです」
サオリは真似をするように右手の小指を詠斗の差し出した手に近づけてきた。小指を重ね、指切りげんまんをすると、サオリの表情に変化が現れた。サオリが、薄っすらと微笑んだのだ。
「…?」
「ワタシ、約束した。」
突然、サオリがたどたどしくも喋り始めたのだ。
「サオリさん、喋れないんじゃ…」
「電流、走った。そしたら、言葉の意味、分かった」
電流が何かは分からないが、先ほどの指切りに何か効果があったのだろうか?
「ワタシ、独り。ガラス越しにいたおじちゃん、来なくなっちゃった。独り、寂しい。悲しい。置いてかないで。」
おじちゃんとは、崎下のことを言っているのだろう。
「アナタ、お名前なんていうの?ワタシは、知りたい。」
「僕は詠斗。崎下詠斗だ」
「エイト。約束守るから、一緒に居て?」
サオリは少し詠斗ににじり寄り、頭をペコッと下げた。
「分かりました。ですが、僕の指示に従えなかったらすぐ、この地下室に戻しますから」
「約束、する」
詠斗が立ち上がると、サオリも若干ふらつきながら立ち上がる。歩けるのか心配になるふらつき方だったが、付いてくるよう伝えるとヒョコヒョコと鶏のように独特のステップで後ろを歩いていた。