<最終話>最後には
詠斗くんの話は一旦ここで終わります。
白藤と湯神たちの最期は、後日閑話で上げようと思います!
読んでくださった方々には感謝申し上げます!
窓から見えるのは、分厚い鉄格子。
格子の隙間には、軍用施設の味気ない車道しかない。
時折軍用車が通るが、車の通る音もしない。
「サオリさんも、白藤さんも…最期に使ったのは…治癒、なんですよね」
黄瀬が座りなさい、と詠斗を促すと、彼は少し葛藤したが、座ることを選んだ。
座ってから詠斗はぐっと両手を強く握りしめる。
サオリも白藤もお人よしが過ぎる。何故利用し尽くしてきた人間を、名前も知らぬ人間に治癒という奇跡を置いて逝こうとするのか。
「治癒は本当に世界を救うんですか。世界の書き換えが起こっても、どこかで綻んでしまう。なのに白藤さんはそれを選んだ」
<治癒>は本人たちの肉体が代償になっている。
願うものが多いほど身体は削れ、消えていく。
白藤は粒子が一粒でも残っていれば長い時間をかけて再生するようだった。
「治癒を二度と使わせないため、だったのかもしれないね」
コーヒーを一度ゴクリと呑み込んで、黄瀬はマグカップから口を離す。
「五十年前の偶然の治癒で、白藤さんは自分が生半可なことでは死ねないと気付いたんだろう。あの時彼女も自分が死んだと思っていた。だが、五十年の年月をかけて、彼女は再生した。そして、まだ計画は動いていた。…変えなければ、と思っていたようだ」
「そして選んだのが…再度の治癒と、書き換え…」
詠斗の再度の呟きに、黄瀬は目を閉じて頷いた。
「詠斗君のいう通り、いつかは綻びが出るかもしれない。でもその時に、恐らく僕たちの寿命はとっくに終わっている。それに今回の<治癒>は、五十年前よりも強力なものだ。因子自体が消滅しているだろう…」
「誰かから聞いたんですか?その効果を」
詠斗がぼそりと言葉を返すと、黄瀬は「白藤さんが、囁いていった」と返答した。
「白藤さんが…?」
「頭の中に、白藤さんが突如として現れてね。『消えましたから』って微笑んでいたよ」
「思い違いでは…」
「いや、彼女だったよ。間違いなく、ね」
「…そうですか」
黄瀬の中で、折り合いがついている話なのだろう。その言葉を、信じるしかない。
現に黄瀬が堂々と研究室に居て、軍兵が来ないこともおかしいのだ。
黄瀬はすべてを知っているのに、早々に捕えに来ないなんてことは考えられない。
「で、詠斗君。君はどこに行くのかね」
「私は…」
「研究者としての人生がここで終わるのなら。君はどこに行くんだい?」
黄瀬はマグカップを流しに置いて、柔和な表情で問いかける。
詠斗は優秀な頭脳を求めて造られた培養人間だ。
軍にいるという職を失くして、彼はどこに進路を決めるのか黄瀬には興味があった。
詠斗の初めての意思表示なのだから。
「…どこに行くんでしょうね。それは自分でも決めていません。ただ、サオリさんと…色んな風景を見に行くつもりです。行きつく先は、どこでしょうね。ハハハ」
「サオリさんと一緒に…か」
「これ、最後に残っていたんです」
詠斗はポケットに入れていた、サオリの羽を黄瀬に見せた・
「羽…か。サオリさんの?」
「黄瀬さん、これを栞にしてくれませんか」
「…いいよ。少し待ってなさい」
黄瀬は詠斗からサオリの羽を受け取ると、一瞬少し驚いたような顔をしたが、フッと微笑してプレス機にかけた。
ガチャン、と音が鳴ると、台座から出来上がった栞を取り出し、詠斗に渡した。
「ありがとうございます」
羽の栞を受け取ると、詠斗は口元を緩ませた。
「大切にしたらいい。彼女は《居る》んだから」
黄瀬は羽に触れたときに悟った。サオリはまだ、彼の元にいると。
ずっと傍にいると。
「…では。行くんだろう」
「黄瀬さん」
「なんだい」
「…ありがとうございました」
詠斗は手に持った栞を軽く振って、まだまだぎこちない笑顔ではあるが黄瀬にその顔を向けてから部屋を出て行った。
詠斗が施設内を歩いていても、軍兵や周りの研究員は特に反応を示さない。
空気と思われているのかというくらい、認識されていないようだ。
順調に施設を出ると、駐車場には出勤の際に乗ってきた愛車・セレリタス号が停まっている。
車のエンジンをかけて、詠斗は走り出す。
「さて…サオリさん。僕は君を連れて、どこに行こうか…」
羽の栞と一緒に、これから何を見よう。何を識ろう。
サオリの身体が消えても、一緒に居るのだ。
―—————詠斗の姿は、その後転々と地を巡っている。
三十年経つ頃、彼の消息は掴めなくなった。
愛車・セレリタス号は、いつの間にか崎下亭に戻っていた。
屋敷には、詠斗の姿はない。
だがいつもの仕事机には、ブラックキューブとサオリの羽の栞が並べて置かれていた。




