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御内詠斗の初めての怒り

自らの意志では制御できずにいる両膝が、ガクガクと大きく揺れるのを力づくで抑え込むように手で握っている御内は地など見る余裕も気持ちもなかった。


今まではそんなことは、詠斗という人間がしたことはなかった。


震える膝と、極度の疲労からくる滝のような汗と、胸と心臓をズタズタに切り裂くような痛みも、もう詠斗は気になどしない。


今、彼が見ているのは圧倒的なオーラを放つ桜井一馬のような人間でも、一度見た紺野でも、地面に僅かに残る毒色の溶解物でもない。


地面に倒れて消耗しているサオリのことだけを、詠斗はしっかり見定めていた。


「…にをした」


<…wh?>


その声は、いつもの何事にも無関心で、不愛想で何もこもっていない言葉を述べる詠斗の声色ではなかった。


「サオリさんに、何をしたんだ…???」


覇気が全くない故に不気味だった詠斗ではない。表情がのっぺらぼうのように無くなった彼の言葉は、その怒りの激しさ故に棒読みと聞き取れるくらいに固い。

だが、彼のその言葉が口から洩れた瞬間、神ですら戦慄を覚えた。


初めて怒りというものが頂点に達した御内は、まだ無表情であることに変わりはない。


詠斗は一歩ずつ、いつもは猫背で曲がり切っている背筋をピンと伸ばして真っすぐ洛神へと近づいていく。


「まっ…」

紺野は一瞬、詠斗を呼び止めようとしたが彼から放たれる異質な雰囲気に気圧されて出だしの一文字で言葉に詰まってしまった。あの紺野がである。


詠斗は非戦闘員だ。普通の思考であれば、頭脳特化の人間である詠斗が、あの桜井をいなすリィ・スィエンを容易く殺す神に対抗できる手段があるとは思えなかった。


だが、紺野のことを全く視界に入れず横切った彼からは、その常識を覆すと断定できる異質さを際限なく吹き出させていたのだ。


細かい土の塊をジャリジャリと踏む音だけが、静寂の中で唯一響き渡る音だった。

その間に、紺野は一つの疑問を抱く。


何故洛神は、ノータイムで明らかに敵意を剥きだしにしている詠斗を即座に殺さないのか?


元々通常の人間であれば側にいるだけで命を脅かすほどの瘴気を漂わせる神であり、それは今この瞬間も多少弱まっているとはいえこの空間には未だ充満している。

リィエンを斃した能力も、一瞥し念じるだけで発動するものであるはずだ。


だが洛神は、それを使っていない。


――――――いや、『使えない』のだ。と紺野は勘付いた。

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