失踪先
巫女の身体は走る。走り続ける。
そこに巫女の意識はない。
その間ミコトの魂がどこにいたのかも定かではない。
身体を縛る全てから解放されたように、軽やかに風が街の道を縫うように走り抜け、樹海と呼ばれる森に入ってからもその走りは加速する。
街から離れていく毎に、その足並みは速くなっていく。
距離で言えば数十キロも離れているだろう。
いつしか樹海すらも抜け、誰も知らない海岸沿いに着いたところで巫女の身体に意識が戻っていた。
「ここは…??」
周囲をぐるりと見渡すと、大きいはずの樹海が小さく見える。
海の色は緑水晶のようで、荒々しさはなく人の手が全く入っていない純粋な自然を感じさせる。
生まれて初めて、人の気配も手の入りも皆無な本当の自然に触れた巫女の心は、見知らぬ土地への不安感や恐怖などは不思議なくらい湧かなかった。
寧ろ『ずっとここにいたい』という感情が湧き水のように溢れだそうとしている。
巫女…いや、ミコトはここで生きることを決意した。
だが、身体一つで飛び出してきたのだから当然生活に使えるものも、必需品も何もない。
暖を取ることもできないし、食べるものもない。
本来なら、特権階級に育ったミコトにただ死を待つだけの絶望でしかないのだろう。
それでも、この場所で生きていけるという謎の確信がミコトにはあった。
――—-あの人が、手を引いてくれている。
知らない場所であるはずだが、この海岸から、見覚えのある崖の形が目に入ったのだ。
(この洞窟、長いんだけどよ。そこを抜けると誰も知らない、綺麗な海岸があるんだよ。もう時間がないだろうから見せに行けないけどよ)
スイの住む小屋の脇に、三日月の形をした大きな崖があり、そこには自然が作った抜け道があったと彼は言っていた。
ちょうどそんな特徴的な崖が、スイの家から見た向きと反対側に向いている。
三日月をそのまま地面に突き刺したような特徴的な形を忘れるわけがない。
日は暮れ始めていたが、巫女は海岸沿いを裸足のままゆっくり歩いていく。
細かい白砂が、サラサラと音を立てて巫女の足を優しく包んでくれる。
不思議なことにこの海岸には流木やゴミ、海草も打ちあがっていない。
ただたた綺麗な白砂が広がっているのだ。
ミコトはある種荘厳であり異様ともいえる砂浜を、ひたすら歩いていた。
日が落ちて真っ暗になると、明かりを持たない巫女はさすがに先に進めなくなる。
砂浜に体育座りをして、白い月が静かに照らす海を見た。
太陽という光源がなくなったことで、あれだけ明るかった海が真っ暗になっている。
ザザーン…ザザーン…という静かな波音だけが、この場所に歌を届けるように鳴いていた。




