さよならの記憶
柳の精神がいる世界は、玄森との記憶を鮮明に見た、いや見せられた後には嵐のようにその後の記憶が渦巻いていた。
他人を無差別に、気まぐれに遅い、血まみれになっていた自分。
自らの手で生命が終わる瞬間を見ることに感動すら覚えていた。
その心の根底には、殺人を行うことで、虐待されて育ち破壊された柳と玄森なりの復讐としての位置付けがあったのだろう。
だが、今の柳にはその精神が不快に思えた。
虐待されてもまだ前を向いていた幼少期の精神の方が、よっぽど大人びていた。
なんで殺しに向かってしまったのだろう。
後悔ばかりが柳にのしかかる。
マイナスに考えている柳の周りを、自分が出していた歓喜の奇声と被害者の悲鳴が取り囲み、捕まえて逃さない。
「やめて…やめてよ…」
暗い空間で自責の念にかられるも過去の罪は償えない。
もうどうしようもないと嘆く柳だった。
『ショーコ!』
「ウルシ…君?」
混迷の中に、響く青年の声。
何回も聞いたことがあるような、懐かしい声が必死に柳を呼んでいる。
「ごめんね、あの時見捨てて…私が誰かに報せれば…ウルシ君は死ななかった…」
「俺は生きてる!あの後もずっと生きてた…!」
「生き…てた…?」
「僕も…ショーコを独りにした…!ごめん…!」
柳の頭上から一筋の光が射し、ゴツゴツとした傷だらけの手が差し伸べられた。
柳はそれに藁にもすがる思いで掴み乗ると、手はゆっくりと光の方へ上がっていった。
「ここは…」
「ショーコ!」
目を開けると、そこには安堵に満ちた玄森が側にいた。
「よかった…よかった…!」
氷のように冷たい表情しか浮かべてこなかった玄森は、幼い少年の時のように顔をクシャクシャにしていた。
玄森は目を開けた柳を見てすぐに気づいた。今の彼女は狂人であるクローデルでも、殺人鬼として完成してしまった柳でもなく、初めて会った時の柳祥子だと。あのうわ言は、ただの夢ではなかったのだ。
「私…なんで忘れてたんだろう」
「いいんだ。それは仕方のないことなんだ」
柳は起き上がって玄森に礼を言いたかったが、身体は動かない。
予想以上に体力を消耗している?いや、違う。
まだ何かがある、と柳は察した。そしてそれは今も自分の身体を蝕んでいる。
「動かなくていい。あんな負の力を食らったら、相当摩耗してるだろ?」
玄森は柳を気遣い、『側にいるから』と優しい笑顔で引き続き片側に座った。
「ウルシ君…生きてたんだね。それだけで、私は嬉しい」
「あの時、僕はショーコを守りたいと思ってた。だけど、僕も守れなかったんだ」
お互い様、と玄森は苦笑いをした。
「ずっと私はウルシ君に会っていたのに、何一つ思い出せなかった。ずっと、他人みたいな素振りをしていて、ごめんね。ウルシ君は、覚えていてくれたのに」
「僕がたまたま覚えていただけだよ」
「そっか…。ねえ」
「?」
「ありがと、ウルシ君」
「なんだよ、急に」
柳は一つ大きく息を吸うと、そのまま動かなくなった。