黒龍は柳を駆けめぐる
(私が纏ってる瘴気が…飲み込まれる!?)
クローデルとして動いている間、彼女の身体の周りには瘴気を凝縮することで発生させられる膜が展開されている。現在の二ホンエリア軍標準装備の通常弾を数発撃たれても、弾がその膜に触れた瞬間に朽ちたように威力を失う程の効果を持っているのだが、サオリから放たれた黒龍はそんなものなど紙きれを破るように容易く破壊した。
瘴気さえあれば大丈夫、と高をくくっていたクローデルは黒龍の放つそれ以上の力に圧倒されていた。
一瞬で抵抗など無駄だと悟らされる。
<…君!ウルシ君!なんでそんなに殴られているのっ…!?>
柳祥子の記憶…一番嫌な記憶が濁流のように流れ込んでくる。
「う…る…し…???」
気が付いたときには<クローデル>は破壊され、50年前の柳祥子の人格と記憶に戻っていた。
だが、思いだしているのは良い記憶ではない。
両親に見向きもされず、学校でも友達は居ない。だれからも無視をされて、常に孤独だった幼少期のこと。孤独を嘲る陰湿な蔭口さえもしっかりと聞こえてくる。
常にそれで息苦しく、こっそりすすり泣いていた。
黒龍に飲まれ真っ先に思い出したのは、空き地で出会い親しくなった少年のことだった。
顔面に大きな火傷跡がある、やせ細ってボロボロの服を着ていた少年。
その少年が、雨ざらしになって倒れている。
顔も体も痣だらけで、執拗に頭を硬い何かで殴られたのか頭部からの出血が激しかった。
その時柳は情報過多で混乱し、少年は死んだのだと思った。
ピクリとも動かず、呼吸をする動きも殆どなかったのだから、幼い彼女にはそう思えたのかもしれない。そして、柳が選んだ行動は、その場から脱兎のごとく逃げ出すことだった。
信頼できる大人がいなかったのだ。柳の小さな世界で助けを求められる人間は、誰もいなかった。
少年が虐待されていることを近隣の住民に子供なりの言葉で伝えたことがあった。
答えは『それもその子の運命で、自分には関係がない』というなんとも非情な言葉だった。
柳はいつもの空き地で泣くことしかできなかった。
中学生になるまで、柳はその少年との記憶を忘れていた。
だが、ふと思い出した。そういえば、昔仲が良かった少年がいたと。
自分は血みどろの彼を、見殺しにした。
そのことに気付いた瞬間、柳は絶望に落とされた。
それからだろうか。ナイフを持ち歩くようになったのは。
それからだろうか。平和を享受し、幸せそうに生きる人間を無残に、唐突に壊すことに捉われていったのは。
柳祥子が完成したのは、その時からだったのだ。
そんなことを、柳は走馬灯のように思い出していた。