血液だけでもヤバいのでは
もう少しこの穏やかな表情を観察したかったが、連絡が来たのなら行かねばならない。
ベッドの裾から立ち上がり、腰をポンポンと二度叩いてこの空間を後にした。
エレベーターを上がり、3階にある黄瀬の研究室に行くと、黄瀬は顕微鏡を見て考え込んでいるようだった。
「黄瀬さん、入りましたよ」
ノックをしても応答がないため、仕方なく扉をゆっくり開けて入ったが、それでも黄瀬は気づかないようだ。
「黄瀬さん」
肩のあたりを軽く叩くと、ハッとしたように黄瀬がキョロキョロと周囲を見回した。
「詠斗君か。待ってたよ」
「よっぽど集中してたんですね、黄瀬さん。扉をノックしても気づかないのは意外でした」
黄瀬は大抵周りの音を気にかけているのだが、それすら無くしてしまうほど何か案件があるのだろうか。
「サオリさんの血液解析が終わったんだが…中々厄介でねえ」
黄瀬は検査結果を打ち出し、詠斗に手渡す。血液成分は、概ね一般人と変わらない。
「血液中にも、数パーセント変化成分が含まれてますね」
「そう。能力を発動するときに作用すると思われるね。まあ、ここまでは想定内なんだ」
血液の成分解析では、そこまでしか表示されないと黄瀬は言う。
そして、詠斗にさっきまで覗いていた顕微鏡を覗かせた。
写っているのはサオリから採取した血液だろう。
倍率を変えていないはずなのに、血液が一時的にスウッと姿を消すように見えなくなったり、また姿を現したりというのを繰り返している。
「血液自体が、能力を秘めているんですね」
詠斗が答えると、黄瀬は頷いた。
「もう一つ、分かったことがある。今から<クローデル>から採取している細胞を横に近づけるから、見ていてほしい」
顕微鏡に目を当て続けている間、黄瀬はサオリの検体の側に一枚のプレパラートをゆっくり近づけた。
サオリの血液が凄まじい勢いで分裂を繰り返し、変化していくのだが、その検体から嫌な気配が目に飛びこんできた。
最初は違和感程度だったが、だんだんその違和感は不快な気配そのものに変わっていく。
『…この、出来損ないが』
『やはりこいつは失敗作です。破棄が妥当でしょう。まだサンプルの在庫はあります』
過去に聞いたような声が脳内に反響し始めた時点で、詠斗は顕微鏡から反射的に目を離していた。
「黄瀬さん、これは一体…」
「近づけた検体は、復元された<クローデル>が暴発させられた際に採取されたものだ。その検体から出る波動のようなものをサオリさんの血液が感じ取り、急激に変化したんだ。サオリさんの検体は今、<クローデル>とほぼ同じになっている」
サオリの検体から<クローデル>の検体に差し替えてもう一度顕微鏡を覗くと、サオリが変化した細胞の形状と同じような形だった。
「<クローデル>の検体を離すから、もう一度サオリさんの検体を見てごらん」
検体を離し、10秒ほど置いてもう一度サオリの検体を見ると、元の不安定な形状や動向に戻っていた。
「血液自体が、採取されても尚周囲の状態を感知して変化を繰り返しているのが分かっただろう」
サオリは常に周囲の情報を身体に取り込んでいくことで、進化し続けられるのだろう、と黄瀬は言った。