僕には守れない。
立ち尽くす礎の背中は、無念と感情を割り切りを混ぜた混沌の空気を醸し出していた。
「礎ミナミ」
「…偶然ですか?何故貴方がここにいるのでしょう」
振り向かないまま、礎は嫌味な口調で玄森の声に応える。それが癇に障った玄森は、衝動的に礎の身体をグルンと力づくで回し胸ぐらを掴んだ。
「アンタが、祥子を守るんじゃなかったのかよ!」
怒気を込めて礎に言葉を浴びせかけるが、礎は変に笑うだけだった。
「ハハハ…。殺人犯が、言いますね。何も人の心を理解できないくせに」
玄森はもう一発、今度は右顔面を思いっきり殴った。吹っ飛ばされた礎の身体がサイドテーブルに当たり、カラカラと空しく動く。
「守りたくても守れない気持ち、貴方には分からないでしょう。…玄森漆!」
右頬を押さえながら立ち上がる礎からは、肌で感じられるくらいに強い負の感情が立ち込めていた。
ヘラヘラしている礎から一変して、目つきは玄森への憎悪や嫉妬が隠せていない。
「柳さんの兵器化が決定した時点で、私は監視役の任も解かれました。それは私が計画の部外者になったということ。部外者は、計画に少しでも関与することが禁じられる。そして私には今、監禁命令が下されているんです。今日の実験の前に柳さんを見送ることが、最後の仕事だった」
この後、監獄棟に送られるのだと礎は言った。
「柳さんは自我が表面にない人格に書き換えられます。そしてエネルギーを生成するために、今の人格は心の深層でトラウマや過去の行為を見せつけられる。彼女に救いはないんです」
「何故そこまで知っていて…お前はなにもしない!礎ミナミ!」
吠える玄森に、今度は礎が食ってかかる。
「貴方のように特殊なチカラを持っているとでも思っているんですか?こっちはただの生身の人間なんです。抗う力など、持っていない。監獄に送られれば、間もなく私は口封じに殺される」
でもそんなことはどうでもいい、と礎は言った。
「私が唯一興味を持てた女性が、柳さんでした。だけど彼女の側にどんなに居ても、どんなに二人で話が盛り上がっても、柳さんの心には玄森隊員の存在が強く残っていた。男として嫉妬しましたよ」
「祥子の中に、俺が…?」
「私は…柳さんが好きでも、守る力のない男なんです」
でも貴方は違うと言ったころ、礎のストレスカウンターがけたたましく鳴った。
「…最後の会話を貴方に使ってしまった」
パシュン、と風を切る音がしたかと思うと、礎はドサッと倒れ込んだ。
「おい、しっかりしろ!」
呼吸を確認すると、礎は深い眠りに付いているようだった。どれだけ揺さぶっても起きないところを見ると、ストレスカウンターから何らかの薬剤が撃ち込まれたのだろう。
そのまま転送機能が発動し、玄森が何もできないうちに礎の身体は何処かへ消えてしまった。
(祥子を…探さないと)
個室を出ると、紺野が待っていた。
「行くんでしょ、柳さんのとこ」
「ああ…。行かないと、祥子が…」
「この建物の23階、実験室Cに行ったみたいだよ。恐らく、もう実験にかけられている」
手遅れかもしれない、と紺野はいつになく真剣な顔をした。
「悲鳴が、聞こえるんだ。柳さんの心の悲鳴がね」
「俺が、助ける」
玄森はすぐに、エレベーターの方へ駆け出して行った。